因縁透視と占い

132 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/03(金) 12:00
阿含宗では、毎年夏に「伝法会」という研修を泊まり掛けでやります。その中に「密教占星術」の講義がかなりの時間含まれていて、
ビデオに移った桐山氏の顔を見ながら、口述される内容をひたすらノートに筆記するのです。皆、手が痛い痛い、と言いながらも必死になって
写すんです。全部筆記が終わるのに3年間位かかったと思います。つまり、3年間待たないと、その秘伝が使えないのです。

ある日、気学をプロに師事して勉強している親友に家に行って、よく似た内容の本があるな、と手に取ってみてびっくり
しました。何と、その本こそが桐山氏がビデオで棒読みしていた「秘伝」の正体だったのです。
友人に頼み込んで市価で譲ってもらいました。もう20年近く前のことですが、値段は確か8000円、
そんな秘伝書というほどの稀小価値があるものではない、と友人は解説してくれました。今も押し入れのどこかにその本は眠って
いるはずです。

その友人から、いろいろなことを教えてもらいました。天命殺は西川満さんの「天中殺」のパクリだ
(実際に引用された箇所も見せてもらった。この本も譲ってもらって愛読しました)、淵海子平を桐山氏は原書で修得したと言っているが、
実はある日本語訳本の誤訳をそのまま信じている(密教占星術Iで、彼が持っているという何とか格、というのは、原書で判断すると彼
の生まれ日には当てはまらないということでした。おまけに訳本の誤りの場所も解説してもらい、納得した)。

占術の専門家から見ると、桐山氏の知識はうさん臭いこと甚だしい、とのことでした。

134 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 15:19

>132 元修行者 さんへ

「密教占星術奥伝」
夏期伝法会の「密教占星術奥伝」の種本は、ご指摘のとおり、
「九星日盤鑑定要法 初伝」(斉藤擁道、東洋運命学研究会、1978年)です。
桐山氏は、他人の書いた本を、「密教占星術奥伝」とラベルを張り替えて、
信者から金をとって、講義というよりは、ただ丸ごと読んだのです。

桐山氏が伝法会で「密教占星術奥伝」の講義を始めたのは、
1978か1979年ですから、なんと釈迦の仏教を標傍する阿含宗を
立宗した後で、この詐欺的行為をやったことになります。

斉藤氏の本は、当時、神田あたりに出ていて、
占いの好きな人なら手に入れていました。
他人の本を丸ごと講義するという、簡単にばれるようなことを、
なぜ桐山氏はしたのでしょうか。

たぶん、桐山氏はこれが出版された本だとは知らなかった、
あるいは今でも知らないからです。
斉藤氏の本は手書き本です。
本をコピーして、表紙や奥付がなければ、
まるでだれかが筆記したノートのように見えます。
おそらく、K書店あたりの古本屋のオヤジが、
斉藤氏の本のコピーをとり、それを桐山氏に高値で売ったのでしょう。
桐山氏は、本のコピーとも知らず、手書きの秘伝だと信じ込んだのです。
桐山氏は本のコピーだと密教占星術で見抜けなかったのでしょうか。

「密教占星術奥伝」の件は、桐山氏の手の内がばれただけでなく、
彼の宗教者としての良心がどうであるかを明瞭に示した事例です。
これだけ明瞭な事実でありながら、これを知った時の
信者たちの反応は、たいへん興味深いものがありました。

「密教占星術奥伝」の講義は現在は行われていないと聞いています。
その前に、元修行者さんも知らないオチがつきました。

136 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 18:57

>132 元修行者 さんへ

「密教占星術奥伝」その2
 1989年、例祭法話(信者を対象とした桐山氏の話)で、
「今度の伝法会で、諸君が布教活動につかえるすばらしい
占星術を伝授する」
と桐山氏は発表しました。
すでに伝法会を終了している信者までが金を出して参加しました。

ところが、講義内容は密教占星術奥伝そのものだったのです。
桐山氏は前に自分が伝法会で講義したことをすっかり忘れていたのです。
桐山氏は求聞持聡明法を修行して、
カメラやテープレコーダーのような記憶力をもっていると自称していました。
前の講義から十年もたたないのに、金をとって教えたことを
求聞持聡明法の体得者はすっかりお忘れになっていたようです。
受講生から苦情が出ると、桐山氏は、いつものように、
ヒステリックに受講生をどなりつけ、黙らせました。

しかし、桐山氏はこの時、大きなミスをしました。

137 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/03(金) 19:10
密教占星術による因縁透視そのものの存在が怪しいです。
入行して間も無い頃、桐山氏の高弟の一人に可愛がられて(結構、熱心に通っていたし、若かったからでしょう)、ふと
「密教占星術といった体系的なものは実在しない」と打ち明けられたことがあります。法話などでも
あれは淵海子平など、複数の占星術を取り入れて...という話だったと思います。天命殺にしても、途中で
あれは本命星が離宮と坎宮を巡る年のことだ、と伝法会で定義を覆したり、とにかく言っていることが
一貫していませんでした。京都道場で荷物係りの奉仕をやっている時に、屋根裏のような所にもぐりこんだら
(とにかく立錐の余地がなかったもので...)そこには「算命学体系」の空箱がころがっていました。
後で、著者の名前を覚えておいて、例の占い博士の友人に見せると、そんなプロの人が欲しがるようなもので
なくて、実践には役に立たないから買う気もしない(値段は驚く程高額でした)、と酷評していました。
それを聞いて、自称、占星術の奥義を極めたという桐山氏がなぜ物好きにもこんな本を買い漁ったのだろうか、と
不思議に思っておりました。

今思うと、目新しい本をにわか勉強して「自転車操業」してたんですね。因縁透視(コンピュータ占い)のパンフも、友人の手
にかかるとたちまちに化けの皮がはがれ、同じ金(1万円)出せば、ネタ本が手にはいると断言していました。

>134さんの「オチ」が知りたいですね。

138 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 19:20

>132 元修行者 さんへ

「密教占星術奥伝」その3
桐山氏は密教占星術奥伝の講義録の一部をコピーして信者に配ったのです。
それは斉藤氏の本のコピーそのものでした。
桐山氏は、自分の講義が斉藤氏の本からの盗用であることの証拠を
自ら配ったのです。

桐山氏は、二つに分けてコピーして、別々の題名をつけて配りました。
その両者を組み合わせないと使えないように分けたのです。
自分は他から盗んできていながら、今度は、それが盗まれないようにと、
二つに分けて信者に配ったのです。

1989年に至るまで、桐山氏に対して、だれ一人、密教占星術奥伝が
斉藤氏の本の盗用であることを指摘しなかったのです。
もう10年以上たちましたから、桐山氏は
また密教占星術奥伝の講義をするかもしれません。

これだけ、桐山氏が手の内、頭の程度、根性をさらけ出しても、
ほとんどの信者は動揺もせず、ついていきます。
桐山氏よりも、信者を見ているほうがよほどおもしろいのです。

144 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 23:52

>137 元修行者 さんへ

「天命殺」その1
桐山氏は、密教占星術では、運気の悪い時期として、
小天命殺
中天命殺
大天命殺(死期)
があると述べています。
名前からしてわかるように、天命殺は、天中殺を模倣したものです。
名前の模倣や、他人の占いを名前だけ張り替えて、自分のオリジナル
であるかのように公表するのは占いの世界では珍しいことではありません。
占い師に、占いへの道徳、倫理、品性を求めるのは無理でしょう。
しかし、桐山氏は宗教家であり、聖者を自称しているのですから、
占い師と同等ではありません。
桐山氏は、超人的能力の一つとして高い道徳性をあげていました。
占い師がやっているからといって、桐山氏が同じことをやって、
許されることにはなりません。

145 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 23:54

>137 元修行者 さんへ

「天命殺」その2
中天命殺は天中殺そのものです。
阿含宗では、信者の中天命殺がいつであるかを出して下付しています。
天中殺を出すのに、今ならパソコンで簡単にできます。
智慧を説く阿含宗では手作業で出しているらしく、
計算まちがいと思われる中天命殺をもらった人がいました。
まちがっていることを指摘すると、その信者は
「これは仏様から下付されたものだから」とありがたく信じていました。
天中殺(中天命殺)など何の意味もないことは言うまでもありません。
時間の天中殺まで計算すると、人生の半分は天中殺です。

146 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 23:56

>137 元修行者 さんへ

「天命殺」その3
小天命殺は九星を用いています。
元修行者さんが伝法会で聞いた天命殺はこの小天命殺のことです。
9年のうち2年が運気の悪い時期です。
生まれた年とは関係なく、全員が四歳、五歳で最初の小天命殺に
入り、以下、九年ごとに巡ってきます。
生まれた年などまったく関係なしに年齢だけで決まります。
同じ年の人が全員いっせいに運気が悪くなるという点だけでも、
小天命殺などいかに無意味かがわかります。

小天命殺、中天命殺は占いとしても意味がありません。
しかし、これを桐山氏側から見ると、大きな意味があります。

147 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 23:57

>137 元修行者 さんへ

「天命殺」その4
小天命殺と中天命殺を合わせると、12年に最大で4年は運気の悪い
時期になります。
これだけ長いと信者を脅かすのにはたいへん効果的です。
4年もあれば、何かおこりますから、「天命殺が当たった」と天命殺を、
またそれを説く桐山氏をさらに信じるようになります。
信者は天命殺を避けるために、お守りやお札を購入します。
信者は「阿含宗を信じていれば天命殺も大事には至らない」
と教えられますから、いよいよ離れることができなくなります。
「信仰しているのにトラブルがおきた」という信者からの訴えにも、
「天命殺だから」とか「信仰しているからその程度で済んだ」
と言い訳に用いることもできます。
このように、天命殺は信者へのアメとムチとして、
桐山氏にとっては大きな意義があります。
148 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/06(月) 10:46

147で、「12年に最大で4年は」と書きましたが、
これは「最大で6年」です。
修正します。

■ここまで2ch「心と宗教」阿含宗という宗教(1)より引用転載編集
  http://mentai.2ch.net/psy/kako/945/945075010.html
180 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/09/26 21:22

「晩年運」1.九星と密教は関係がない

九星占いに桐山氏はとてもこだわります。
九星占いは、一白水星から九紫火星までの9つの星を年月日時に当てはめて、運
命などを占うものです。

九星を用いた占いの本を2冊書き、阿含宗の夏期伝法会でも、密教占星術と称し
て、初伝から奥伝まで伝授しました。
初伝は「密教占星術U」で書いた通称「四段掛け」そのままです。
四段掛けは明治時代に公開されたもので、桐山氏の本は種本の寄せ集めです。
中伝は「密教占星術入門」にもある、生まれた年の九星で運勢や性格を占うもの
で、週刊誌の占い程度の稚拙な内容です。
奥伝も九星占いの一つで、通称「日盤掛け」と呼ばれています。
奥伝に至っては、他人が書いた本を盗用し、丸写しの講義でした。

密教経典の一つである宿曜経を元にした「密教占星法」(森田龍倦)という本があ
ります。
桐山氏の密教占星術という名前はこの本から借用してきたものでしょう。
しかし、桐山氏がこれまで公開した内容は宿曜経からのものではなく、大半が九
星占いです。

九星は中国で発明されたもので、密教とは関係ありません。
当然、四段掛けも九星による運勢占いも密教とは関係がありません。
密教占星術は、九星占いを丸ごと持ってきたか、盗用したもので、桐山氏独自の
ものはありません。
九星占いに密教占星術という名前を付け直して、何か特別なものであるかのよう
に見せかけただけです。
497 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/10/05 21:49
「晩年運」2.配置すら決まらない九星

九星は中国で作られたものですが、中国本土ではあまり重視されていません。
暦との相性が悪いため、今日でも日本と中国では九星の配置が違っているほどで
す。

九星占いは、九星を年月日時に配置して占います。
スタートを決めれば、年月に配置するのは難しくありません。
しかし、365日に配置すれば、9で割り切れませんから、必ず誤差が生じます。
その結果、暦では年に2度九星を強引に配置し直します。
強引に配置し直すことに、暦や占いの上での根拠はありません。
365と366、その半数が9で割り切れないというだけです。
割り切れないことを強引に割り切ろうとしたのですから、九星の配置に無理や矛
盾が出てくるのは当たり前です。
365が9で割れないのだから「九星が正しく配列された暦」など存在しません。

しかし、それでは占いになりませんから、様々な屁理屈をつけて九星を配置して、
これを秘伝、口伝の暦としました。
変更の方法の違いで無数の秘伝、口伝を生みだし、占い師たちの懐を潤しました。

四段掛けなど、九星で占う時、日にちの九星はとても重要です。
密教占星術奥伝と称して教えた内容は、日にちの九星だけで占うのですから、こ
れが違っていたら、基本から崩れます。
日にちの九星が様々な秘伝と称して定まっていないのでは、いったい何を占って
いるのかわからなくなります。
そのくらいデタラメなのが阿含宗で密教占星術と称している九星の占いです。

桐山氏も、年に2度九星を配置し直す際の問題を指摘しています。
仏陀の智慧を自称しながらも、算数の不得意な桐山氏は、365が9で割り切れな
いためにおきた問題だとは見抜けなかったようです。
占い師と同じように、九星が正しく配列された暦があるものと信じており、これ
を天海の暦として紹介しています。
705 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/10/11 21:01

「晩年運」3.天海の暦などありえない

桐山氏の「密教占星術U」には、徳川家に仕えた僧侶・天海が、九星占いがあま
りに当たるので、暦の九星をわざと変えて、的中率を下げたとあります。
江戸を風水で設計したと言われる天海は、様々な伝説のある人物ですから、暦を
変えるくらい簡単にできそうです。
桐山氏は、よく当たるという天海の暦を持っているのだそうです。

江戸時代初期まで使われていた宣明暦は、中国から輸入されたもので、約八百年
間、改訂されませんでした。
日本で最初に天文観測をして暦を作ったのは、江戸時代の渋川春海です。
渋川春海が貞享暦を作ってからは、幕府は暦を統制し、管理しました。

貞享暦が作られたのが1684年、天海が亡くなったのが1643年です。
1684年以後なら、幕府の権力者が暦を故意に変えることもできたでしょう。
しかし、暦が出る前に亡くなった天海が暦を改編するなどありえません。

暦の統制は中国では古くから国家事業でしたから、日本も暦を統制していたかの
ように錯覚してしまいます。
実際は、渋川春海が天文観測するまでは、幕府は暦に手を加えていません。
各藩が宣明暦を元に暦を作って発行していたのです。

天海は幕府の中枢にいたのですから、各藩に暦の強制ができたはずです。
しかし、貞享暦以前に幕府が暦を統制したという記録はありません。
各藩で発行していた暦は今でも残っていますが、ある時期、突然、九星が統一さ
れたという形跡はありません。
桐山氏の言うところの、天海が秘かに暦を変えたなど、ありえない話です。
    ■ここまで阿含宗という宗教13より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1001/10010/1001063339.html

167 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/10/18 21:15

「晩年運」 4.江戸時代の暦に九星はない

江戸幕府が初めて統制した暦である貞享暦には九星はありませんでした。
今日の旧暦の暦に九星が入っているのだから、江戸時代なら、九星など当然入っ
ているだろうと桐山氏は思ったのでしょう。
渋川春海は天文観測に基づいて科学的に暦を作ったのです。
天文に基づいて作った暦に、九星などという迷信はいらないと排除したのです。
一般には十干十二支は迷信のように思われていますが、これは時間や空間を表す
数字のようなもので、九星とはまったく違います。

官製の暦から九星が迷信として削除されたことが、かえって占い師たちに秘伝の
タネを与えました。
天海の伝説を背景に、九星の占いの的中率をおそれて禁止したなどといった、ま
ことしやかな話を作りあげました。

天海が独自に九星を配置した暦があるとしても、秘伝でも何でもなく、九星の配
列を勝手に決めただけです。
天海がどんな天才でも365を9で割り切ることはできないからです。
あるいは、桐山氏自身、九星の日にちへのからくりが見抜けず、正しい九星の暦
があると本気で信じているのかもしれません。
天海の暦などというものを信じているとすれば、365は9で割り切れないことを
知らないという、小学生程度の知性がないことになります。

暦に九星が復活したのは、明治になり、暦が国の統制から離れてからです。
庶民の間では九星を使った占いが流行し、桐山氏が「密教占星術U」で公開した
四段掛けと呼ばれるような占いも明治になってからできました。
桐山氏は、もちろん、これらを種本にして書いたにすぎません。
密教占星術と称する桐山氏の占いの元は、明治以後に作られたものであり、ある
いは奥伝のように、他人が作った占いを盗んできたにすぎません。
410 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/10/25 21:01

「晩年運」 5.はずれた場合の言い訳

九星の正しい暦があると桐山氏が宣伝するのには、もう一つ理由があります。
四段掛けなど、ただの占いですから、当たるものではありません。
桐山氏は、当たった例と称するものを宣伝に出しているだけで、実際に四段掛け
を使って、未来を言い当てた例などありません。

信者に伝法会で金を取ってまで教えておきながら、当たらないのでは話になりま
せんから、はずれた時の言い訳が必要です。
信者が未熟だからというのが一番簡単な言い訳です。
次に、暦が不完全だから、はずれることもあると言い訳ができます。

当たった例だけを覚えておき、はずれた例を速やかに忘れるのが、優れた占い師
の特徴であり、桐山氏は優れた占い師の特性を生まれながら持っています。
信者も同様で、何回かやれば確率的には当たったように見えることもあります。
結果が出た後で、結果に合わせて占いを解釈するので、よく当たったような錯覚
を覚えます。
はずした時は、自分の未熟さだと思うから出しません。
外れた例は忘れ去られ、当たった例のみを披露し、宣伝します。

客観的に調べることはなく、桐山氏が素晴らしい的中率の占いだと言っているの
だから、当たるはずだという前提から始まります。
このような集団では、四段掛けはとても良く当たる占いであるという「裸の王様」
的な現象が広がります。
しかし、少し知性を持ち、心ある人なら、こんな占いは正しい暦があろうがなか
ろうか、当たらないことに気が付きます。
    ■ここまで阿含宗という宗教14より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1003/10030/1003070605.html

179 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/11/01 21:11

「晩年運」 6.立正佼成会からの模倣

桐山氏が九星占いを使うのは、大正から昭和にかけて九星を用いた占いが一時ブ
ームになったからです。
時代の流れを読むことに長けた桐山氏はこれを取り入れたのでしょう。

九星の取り入れ口はもう一つありました。
桐山氏が観音慈恵会を設立するにあたり、最も参考にしたのが立正佼成会です。
立正佼成会は霊友会から分派した新興宗教です。
霊友会では、先祖による悪因縁があり、先祖供養によって運命を変えることを説
いていました。
立正佼成会はこれをそのまま受け継ぎました。
教祖の庭野日敬はさらに、悪因縁を具体的に相手に示すことを思いつき、彼が用
いたのは姓名判断や九星占いでした。

立正佼成会から阿含宗に入った人たちは、日蓮系と密教系と分野が違うのに、両
者の共通性に驚きます。
桐山氏は立正佼成会から、後々まで様々に宗教手法を模倣しているにもかかわら
ず、このことは一切述べていません。
占いから悪因縁を出して信者を脅迫する手法とともに、九星占いもこの時に模倣
して取り入れたのでしょう。
574 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/11/08 21:05

「晩年運」 7.九星の小天命殺

阿含宗が用いている九星占いに天命殺があります。
桐山氏は、大天命殺、中天命殺、小天命殺があると述べています。
天命殺は、もろちん、あの天中殺から名前を拝借してきたものです。
天中殺は西川満が昭和三十年代に出した本の中にすでに出ています。
桐山氏は西川満の本からヒントを得て天命殺を思いついたことは明らかです。
密教占星法から密教占星術と名付けたように、ネーミングには桐山氏は才能を持
っています。

天命殺は名前だけでなく内容も拝借してきました。
中天命殺は四柱推命の天中殺(空亡)そのものです。
新書版の占いの本にいくらでも載っている内容を、信者たちは天命殺として桐山
氏より下付され、ありがたく拝受し、信じ込みます。

小天命殺は九星を用いています。
9つ宮のうち、離宮と坎宮に入った年を小天命殺と言います。
生まれた年とは関係なく、誰もが4歳、5歳で最初の天命殺に入り、次が13歳、
14歳と、以後9年ごとに来ます。
生まれた生年月日に関係なく、全員が同じ年に運気が悪くなるなど聞けば、高度
な占いなどではなく、厄年のような迷信にすぎないことがわかります。
簡単な算数で理解できる内容を、信者たちは9年ごとに訪れる小天命殺として怖
れています。

小天命殺では9年ごとに2年、中天命殺は12年ごとに2年、独自に運気が悪く
なりますから、12年のうち最大4年も運気の悪い時期がくることになります。
これは阿含宗には好都合で、何か悪いことがおきても、因縁や霊障で説明しきれ
ない時には、天命殺を用います。
766 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/11/14 21:09

「晩年運」 8.生まれた年で決まるという運期

桐山氏は「運期」がたいへん好きで、信者への話にもしばしば登場します。
人間には運勢(運気)があり、その強さには運気の良い時期と悪い時期といった波、
すなわち「運期」があるのだそうです。
運勢が強い時期が若い頃に集中している人を初年運、中年なら中年運、晩年なら
晩年運、努力すればいつでも実る運期を不変運というのだそうです。

これらの運期は生まれた年の九星で決まります。
初年運…一白水星、三碧木星、四禄木星、九紫火星
中年運…六白金星、七赤金星
晩年運…八白土星
不変運…二黒土星、五黄土星

九星は迷信にすぎず、占いとしての根拠に乏しいことはすでに述べました。
台湾では男女で九星が違いますから、運期すらも違ってしまいます。
九星による運期の分類には種々あり、上記の分類が一般的なわけではありません。
また、桐山氏は分類の根拠をいっさい示していません。

そもそも、同じ年に生まれた人全員が同じ運期であるなど、現実には成り立たな
いことは明らかです。
同じ年に生まれた人たちが、全員同時に運期が好調になったとか、全員がどん底
に落ちるなどありえない話です。
生まれた年で、あるいは人間を四種類に分類して、運期を決めるなど、調べてみ
るまでもなく、人生の多様性を無視した迷信にすぎません。

こういった占いとしての問題の他に、桐山氏の運期の説明には奇妙な「温度差」
があります。
    ■ここまで阿含宗という宗教15より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1004/10043/1004381477.html

366 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/11/24 20:31

「晩年運」 9.四種類の運期

桐山氏の「密教占星術入門」によれば、運期は次のようになっています。
初年運
「三十歳代に盛運に達し、四十歳後半、早ければ前半で運気がなくなるタイプで
ある。これら初年運の人たちは、晩年はめぐまれないものと覚悟して、運気の盛
んな時期にいろいろと対策をたてる必要がある。その正否が人生の幸、不幸を決
定する。」

中年運
「努力し、心がければ死ぬまでこの運気を持続することができる。中年運とは四
十二歳から五十六歳までの間である。」

不定運
「努力すれば初年、中年、晩年のどの時期にでも、運気を高めて幸せになること
が可能なタイプである。」

晩年運
「四十歳後半から運気が発動して、晩年になるほど運気が強大になる。ことに五
十歳前後から運気が強大になった八白土星は、晩年になるほど盛大になり、勢い
に乗ってとどまることを知らないといわれている。」

4つの運期の中で最も良いのは不定運のようですが、「努力すれば」「どの時期に
でも」というのでは、運期がないと言っているのと変わりません。
最も良さそうに書いてあるのは晩年運で、逆に良くないのは初年運です。
493 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/11/30 21:25

「晩年運」 10.初年運と晩年運の温度差

桐山氏が本、伝法会、法話などでたびたび強調してきた運期の分類はずいぶん極
端な内容です。
若い頃苦労の連続だった初年運の人が晩年も恵まれないというのでは、救われな
い人生になってしまいます。
晩年運の人が、晩年になる前に亡くなったら、何もいい事のない人生ということ
になってしまいます。

こういった誰もが簡単に思いつくような疑問を検討してみるまでもなく、桐山氏
の言う運期など成り立たないことは明らかです。
たとえば、若い頃に活躍するタレントやスポーツ選手に、生まれた年によって、
著しく多い、少ないといった偏りはありません。
桐山氏の言うとおりなら、全員が初年運や不定運で、晩年運である八白土星の生
まれは極端に少ないはずなのに、そのような傾向はありません。

桐山氏の説明は運期によってずいぶん差があります。
一番叩かれているのが初年運であり、「晩年はめぐまれないものと覚悟」「正否が
人生の幸、不幸を決定」などと脅迫めいた内容です。
初年運の人は若い頃から活躍するが、晩年には運気を完全になくなると桐山氏は
法話などでたびたび強調しています。

逆に晩年運は、「勢いに乗ってとどまることを知らない」などと初年運とは対照を
なしています。
晩年運の人は、若い頃は何をやっても、どんなに才能があってもまったく芽が出
ず、苦労の連続だが、苦労すればするほど、晩年には豊かな人生が送れるのだそ
うです。

この表現の温度差は、桐山氏は初年運が嫌いで、晩年運を持ち上げるべき理由が
あるのではないかと疑わせます。
712 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/12/08 21:21

「晩年運」 11.桐山氏は晩年運

桐山氏が晩年運を持ち上げる理由は、自分が八白土星の生まれ、つまり晩年運に
分類されるからです。

桐山氏は若い頃結核を患い、思うようにならなかったと述懐しています。
仕事は挫折して借金を作り、挙げ句が、前科者になり、流れ流れて、裏長屋の拝
み屋さんになっていました。
彼にしてみれば、「自分ほど才能があり、頭の良い男がどうしてこんな境遇なのか」と嘆いたのでしょう。

桐山氏は自分への評価は異常に高く、同時に反省はありません。
才能が認められないどころか、犯罪者にまでなってしまったことへの理由を様々
に作り上げました。
自分が為した事をあるがままに見ないがための理由に宗教を用いました。
一つ目が因縁であり、自分が犯罪者になったのは刑獄の因縁のせいであり、自分
が悪いのではないと責任転嫁をしました。
後に、二つ目として霊障を作りました。
祖父の悪業で生じた霊障が刑獄の因縁を作り出したと、二重の責任転嫁をしまし
た。
仕事の挫折や借金や犯罪は、因縁や霊障ではなく桐山氏自身がなしたことです。

因縁や霊障と同様に、自分のしたことへの言い訳に用いたのが晩年運です。
若い頃、挫折し、犯罪者にまでなったのは、晩年運で若い頃には運気がなかった
からだと、言い訳のダメ押しに使ったのです。
    ■ここまで阿含宗という宗教16より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1005/10057/1005797684.html

201 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/12/15 21:51

「晩年運」 12.晩年運は救いの呪文

若い頃は失敗続きで、犯罪者にまでなった桐山氏は、人生の前半を振り返りたく
ありませんでした。
人生の前半でうまくいかなかったのは、能力の欠落や詐欺的な性格が原因ではな
く、運気のせいにしたかったのです。
週刊誌の連載で、
「この晩年運の人は、初年中年にめぐまれず苦労と失敗がつづくので、」
と書いているのは、まさにこの言い訳です。
自分のなしたことを因縁や霊障のせいにしたように、ここでも桐山氏は運気にせ
いにして、自己責任を回避する手段に用いています。

同級生など、たいして頭も良くない連中がどんどん出世していったと桐山氏は述
べたことがあります。
彼らの頭が良くないのでなく、才能や努力を評価できるだけの頭が桐山氏になか
っただけであることは、阿含宗での人材育成を見れば十分です。
出世した桐山氏の同級生の大半が、同じ八白土星で晩年運です。
晩年運のはずの同級生が若い頃から出世し、頭が良いはずの桐山氏一人が取り残
されていました。

桐山氏は人生の後になればなるほど運が良くなるという晩年運を毎回強調します。
彼の頭では、過去を忘れ、これからの成功を夢見て、「おれは晩年運だ。晩年にな
ればなるほど大成功する」と救いの呪文のように唱えていたのでしょう。
389 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/12/23 20:30

「晩年運」 13.失敗の言い訳としての晩年運

桐山氏の晩年運が、自分の失敗の言い訳や自己憐憫のために作り上げたとすれば、
読み方も変えなければなりません。
もう一度、晩年運の説明を見てみましょう。
晩年運は若い頃は成功しないとして、次のように述べています。

「時に成功をみることがあってもそれは一時的な成功で、必らず失脚する。」

桐山氏は戦後、製粉機を販売して大もうけしたが、水産物の事業に手を出して大
失敗をしています。
これを桐山氏は中途挫折の因縁だ、一時的な成功をしても必ず失脚すると言い訳
をしたいのでしょう。
実際には、大もうけしてすっかり天狗になり、ハッタリの強い性格が災いして、
ズサンな計画で事業に失敗しただけで、運期とは関係ありません。
性格と能力の問題であって、運期が彼を挫折させたのではありません。
刑務所に入ったことを、先祖が作った霊障や因縁のせいにしたように、ここでも、
目に見えない運期のせいにしています。
「必らず」という断定的な言葉に中に、桐山氏の自己憐憫が見え隠れしています。

「晩年運の人は、四十三歳を越してから幸運期がはじまる。それ以前は、どれほ
ど才能があり、いかに努力しても、ほんとうの成功をつかむことはできない。」

自分ほどの才能があり、すごい努力をしてもだめだったと言いたいのでしょう。
現実は、詐欺で一度ならず3度も逮捕され、密造酒を作り有罪になったのですか
ら、詐欺の才能があり、詐欺に努力していたのであり、運期ではありません。
39歳で約1年間服役し、40歳で仮釈放後も保護観察下にありました。
桐山氏にとっては最も屈辱的だった時期です。
しかし、43歳には、関西本部道場を落慶、機関誌を創刊、次の年には東京の道
場の移転、北陸に拠点を作るなど、教団としての体裁を整えつつありました。
つまり、自分の過去に合わせて、運期の年代まで設定したのです。
446 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/12/30 21:42

「晩年運」 14.自分に合わせた晩年運

桐山氏の説明によれば、晩年運では43歳から運気がよくなります。
しかし、43歳から幸運期が始まる運期を晩年運というのはおかしな話です。
いくら古い時代に作られた占いであっても、四十代前半を晩年とは言いません。
自分の人生に話を合わせるのに夢中になってしまい、元々数字に弱いので、気に
していないのでしょう。

「四十歳後半から運気が発動して、晩年になるほど運気が強大になる。ことに五
十歳前後から運気が強大になった八白土星は、晩年になるほど盛大になり、勢い
に乗ってとどまることを知らないといわれている。」

「ことに五十歳前後」からと、時期を指定して強調しているのはなぜでしょうか。
桐山氏が世にデビューしたのは、念力の護摩を発表した「変身の原理」からです。
密教の鬼才などと華々しくデビューし、念力の護摩が手品とは知らずに、多くの
密教系の僧侶や学者たちが騙されて、桐山氏に協力しました。
「変身の原理」が出たのは1971(昭和46)年で、1921年生まれの桐山氏がちょう
ど五十歳の時でした。

これは偶然の一致や晩年運が正しいことの証明ではなく、晩年運が、桐山氏の人
生を正当化するために作られたものにすぎないことの証拠の一つです。
他人は気付かないだろうとばかりに、自分がデビューした時期を一致させ、自分
は今後「勢いに乗ってとどまることを知らない」と、これからの人生のすばらし
さを自画自賛しているのです。
占いで「いわれている」のではなく、桐山氏本人がそう言っているだけです。

自分を鼓舞するため、晩年運を強調しただけなら、悪いことではありません。
不遇だった自分を叱咤激励するための我田引水なら許されるでしょう。
だが、桐山氏の性格の歪みは、この程度の自己満足では収まらず、他人を足蹴に
しないではいられませんでした。
549 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/01/06 20:50

「晩年運」 15.初年運に隠された桐山氏の鬱憤

晩年運の話は、桐山氏の若い頃の失敗の連続を自己弁護するために作られたこと
は明らかです。
霊障や因縁の話が自己弁護であるのに対して、晩年運の話はさらに、これからの
自分の運気のすごさを宣伝したつもりでした。
自分の人生への自己弁護や、自慢話にすぎないのなら、稚拙な占いに騙されて、
右往左往する信者たちの愚かさにも責任があります。

自分の偉さを強調するだけなら、晩年運のすごさを連発すれば済むはずです。
しかし、桐山氏の心には大きな歪みがあるため、これだけでは済みませんでした。
自分を犯罪者扱いし、才能を認めて偉大な人物として高く評価しようとしない世
間に対して、強烈な憎みや嫉妬を抱いていました。
桐山氏は、他人は気がつかないだろうとばかりに、世間への憎悪と嫉妬を運期の
話に隠して攻撃しました。

桐山氏の運期についての話の大半を占めるのが、晩年運の強調と、もう一つが初
年運への執拗な攻撃です。
週刊誌の連載では、
「初年運の人は、二十歳前後からよい運期がはじまる。成功のチャンスがくるの
である。が、それは三十歳代で終わる。強運の人は、四十歳代に入ってもまだ運
勢は盛んだが、それは稀れといってよい。」
などと、わずか四十代には、まったく立つ瀬がないのだと強調しています。

初年運を叩きつぶすのは、晩年運の素晴らしさを強調するための一つの手法も考
えられます。
しかし、上記の桐山氏の文章の後には、初年運を踏み台に使ったというにしては、
あまりにすさまじい表現が続きます。
    ■ここまで阿含宗という宗教17より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1008/10081/1008135142.html

14 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/01/14 20:48

「晩年運」 16.初年運は58歳以降悲境に沈む

初年運について桐山氏は週刊誌に次のように続けて書いています。

「五十歳代に入ると凋落する。五十八歳以後は悲境に沈む。」

運気がなくなるという程度の表現と違い、「凋落」「悲境に沈む」は、桐山氏の文
学的才能を振り絞った表現なのでしょう。
水に突き落とし溺れさせた者の頭を、さらに水の中に押し込むような表現です。
初年運の人たちを力任せに、これでもか、これでもかと、憎しみを込めて、なぶ
り者にしているような表現です。
自分を犯罪者として恥辱を与え、才能溢れる人物と誉めなかった世間への積年の
怨み、怒り、憎悪が爆発した文章とも言えるでしょう。
桐山氏の心にある汚れきった抑圧が吐露されているだけで、煩悩を解脱したはず
の聖者の影も形もありません。

注意を引くのが58歳以降という数字です。
50歳とか60歳というならまだしも、数字に弱いはずの桐山氏が、58歳という切
れのよい数字を出したのには何か理由があるはずです。
晩年運の説明で、43歳、50歳が、桐山氏の人生の言い訳に使われたように、58
歳も何か裏があると見るべきでしょう。

この文章が週刊誌に出たのは1979年、桐山氏が58歳の時です。
つまり、桐山氏は、
「今までいい思いをした初年運の連中は、今年から凋落し、悲境に沈め。今に思
い知れ。これからはおれ様の時代だ。」
と運命学を使い、初年運の人たちに呪いの言葉吐きかけて、溜飲を下げていたの
です。
どうしてこれほどまでに彼は初年運が嫌いなのでしょう。
132 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/01/21 21:33

「晩年運」 15.鬱屈した世間への怨み

初年運は九星のうち4つですから、人々の約半数ということになります。
世の中の人間の約半数が58歳で急に運が悪くなり、人生が凋落し、悲境に沈む
などということはありえません。
このような子供が考えてもおかしいと気がつくような話を、堂々と週刊誌や本に
書いています。

世間の約半数は初年運ですから、若い頃から成功する人たちに一見初年運が多い
ように見えるのは当然です。
一方、唯一の晩年運である八白土星は9人に一人ですから、1割程度です。
成功者の大半が初年運で、晩年運はほんのわずかしかいないように見えます。
桐山氏は数字が極端に苦手で、とんでもない数字の比較を本に出すくらいです。
自分に都合良く物事を歪めて見る癖のある彼の目には、成功者たちは初年運ばか
りで、晩年運は皆無に見えたのでしょう。

つまり、桐山氏にとって初年運とは、運期そのものの話ではなく、若い頃に才能
を発揮し、成功する人たちを指しているのです。
彼らを晩年は悲惨な運命だと罵倒したのは、若い頃、「才能ある自分」が認められ
なかったことへの不満と、桐山氏とは正反対に若い頃から頭角を現した彼らへの
嫉妬やねたみがあったのでしょう。
若い頃から成功する人たちを桐山氏は激しい嫉妬の気持ちで見ていたのでしょう。

現実の世界で勝負するのではなく、運期という、桐山氏にしかわからない物差し
を用いて彼らを罵倒し、自分の勝利を宣言したのです。
若い頃からの鬱屈した気持ちがどれほど強烈なものであったかは、宗教家として
そこそこの成功を収めて、六十歳に達しようという年になっても、まだその気持
ちが晴れずに、運期の話にことかけて罵倒したのを見てもわかります。
口先で解脱したなどと宣言しても、週刊誌に書いたわずかな文章の中でさえも、
彼は自分の鬱屈した欲求や抑圧、嫉妬、復讐心を隠せませんでした。
362 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/01/27 20:30

「晩年運」 16.初年運の時期すらも都合で変わる

桐山氏の初年運は、若い頃から成功した人たちへの怨み節ですから、内容は都合
でいくらでも変わってしまいます。
その一例が初年運の時期で、その都度まちまちです。
同じ週刊誌の連載の中でさえ、

「初年運の人は、二十歳前後からよい運期がはじまる。成功のチャンスがくるの
である。が、それは三十歳代で終わる。強運の人は、四十歳代に入ってもまだ運
勢は盛んだが、それは稀れといってよい。」

「初年運というのは、先きの号で述べた通り、二十歳後半より運気がひらけ、三
十歳はじめにして、一大幸運期に達する。この成功運はおよそ二十年間つづく(も
ちろん、そのあいだ起伏はあるが)から、五十歳はじめまでつづくのである。五十
歳に達すると、衰運期に入り、以後、その運気は微弱となり、やがて凋落する。」

などと、前半の記述では40歳で運気が盛んなのは稀だと言ってみたかと思うと、
後半では、成功運は50歳初めまで続くと述べています。
これなども、初年運、晩年運などの運期は、占いとしての根拠がなく、桐山氏が
適当にその場しのぎで作っていることを示しています。

実は、後半の記述は、初年運の実例として田中角栄氏と池田大作氏を、運気の尽
きた人たちとしてあざ笑うために出した説明です。
二人とも、稀であるはずの50歳代まで活躍していましたから、初年運の説明に
矛盾を生じるので、後半では50歳まで続くなどと数字をずらしたのでしょう。
同じ月に出た週刊誌の記述ですら、この有様です。
540 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/02/03 21:04

「晩年運」 17.初年運だという田中角栄氏

桐山氏の、若い頃から成功した人への鬱屈した気持ちの憂さ晴らしの材料に使わ
れたのが、田中角栄氏と池田大作氏です。
桐山氏は週刊誌の連載の中で、この二人を初年運、つまり晩年は凋落する典型と
して取り上げています。

田中氏は若い頃から議員として活躍し、54歳で首相になっています。
刑事事件で失脚した後もしばらくは政界に影響を与えたものの、75歳で亡くなる
まで、権力の座に返り咲くことはありませんでした。
一見、桐山氏の言う初年運が成り立っているように見えます。
しかし、桐山氏は週刊誌の連載の中で、初年運を次のように説明しています。

「強運の人は、四十歳代に入ってもまだ運勢は盛んだが、それは稀れといってよ
い。」
「五十歳に達すると、衰運期に入り、以後、その運気は微弱となり、やがて凋落
する。」

田中氏が、四十歳代に入っても運勢が盛んである稀な例であるとしても、五十歳
に達すると衰運期に入ったはずです。
衰運期に入った田中氏がどうして54歳で首相になれたのでしょう。
激しい競争を勝ち抜かなければなれない首相に、運気が凋落し、衰運期に入った
はずの田中氏がなれたのは、初年運の理屈には合いません。
田中氏の例は、初年運の説明とは矛盾しており、むしろ、成り立たないことの実
例です。
桐山氏は、若い頃から大成功をおさめた田中氏への嫉妬から、中傷することばか
りに夢中で、自分で書いたことの矛盾にすら気が付かなかったのでしょう。
778 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/02/11 21:35

「晩年運」 18.珍しくもない初年運の首相

日本の首相は若くても五十歳代です。
桐山氏の運期の理論から言うなら、初年運の人が首相になることはありえない話
です。
しかし、桐山氏が同じ週刊誌で名前を出している中曽根康弘氏、鈴木善幸氏など、
初年運の首相がいくらでもいます。
そして、悲境に沈むはずの58歳以降に彼らは首相になっています。
首相になったのは中曽根氏は64歳、鈴木氏は69歳、最近では、村山氏は70歳、
橋本氏、小渕氏、森氏は62歳で、これらの人たちは全員が初年運です。
九星のうち約半分が初年運ですから、初年運の首相が半数近くいても、何の不思
議もありません。

田中氏は犯罪によって失脚したのであって、運期の問題ではありません。
大活躍をしている人に「あなたは○年先には運気が尽きて、失脚するであろう」
と予想して当たったのなら、初年運の例としてもよいでしょう。
すでに失脚している人を取り上げて、自分の説に強引にあてはめるなど、「首吊り
の足を引っ張る」にも等しい卑劣な行為です。

桐山氏は、自分とは逆に、若い頃から活躍し、権力の頂点を極めた田中氏に嫉妬
にも似た気持ちがあったのでしょう。
失脚した田中氏を、初年運を使い、ここぞとばかりに罵倒したのです。
    ■ここまで阿含宗という宗教18より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1010/10109/1010984696.html

86 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/02/16 20:11

「晩年運」 19.初年運だという池田大作氏

桐山氏は週刊誌に、1979年に51歳で創価学会の会長職を退いて名誉会長となっ
た池田氏を次のように書きました。
「池田氏はあと二年、まだ盛運が残っている。がんばればがんばれたであろうが、
あえて身をひかれたのは、惜しい、というべきか、賢いというベきか。」
まるで、あと二年で運気が尽きて、二度と浮かび上がれないような表現です。
「惜しい」「賢い」という言葉は皮肉にしか聞こえません。

現実は、この記事から二十年数年たち、初年運で運勢が凋落したはずの晩年の池
田氏は、今も教団に絶大な権力を誇っています。
創価学会は、支持政治団体である公明党が政権に加わるなど、衰退するどころか、
権力の座についています。
池田氏は、間接的に政治力という世俗の最高権力を手に入れています。
桐山氏が渇望して止まない名誉教授、名誉博士なども、数の上では池田氏の方が
はるかに上回っています。

一方、晩年運であるはずの桐山氏の阿含宗は、お得意の派手な宣伝も縮小し、信
者数を減らし、教学は矛盾をきたし、本人は病気を患い、見る影もありません。
池田氏を指して、
「昔日の隆盛をとりもどすことはかなりむずかしいのではないかと思われる。」
と述べていますが、この描写は、むしろ、桐山氏の今の姿です。
侮蔑的に描写した相手の姿がそのまま桐山氏本人にあてはまるとは、何とも皮肉
な話です。
晩年なのに、世俗の権勢を誇る初年運の池田氏と、凋落した晩年運の桐山氏を見
れば、初年運や晩年運など成り立たないことは明らかです。
472 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/02/24 21:16

「晩年運」 20.信者のための初年運

自分の晩年運の素晴らしさを浮き上がらせるためだけなら、晩年運を八白土星の
一つに限定する必要はありません。
晩年運の数を増やして、信者にも、晩年こそがうまくいくのだという夢を持たせ
たほうがいいでしょう。
しかし、桐山氏はそうはしませんでした。
なぜなら、運期の話は、あくまでも桐山氏自身の人生の言い訳や、自分を鼓舞す
るためにのものであって、信者など関係ないからです。

むしろ、信者には運気がないという恐怖感を持ってもらったほうが便利です。
本来は、晩年運は桐山氏の八白土星一つで十分で、これ以外はできるだけ悲惨な
運気、凋落する運気のほうが便利です。
残りの8つの九星はすべて初年運にしたかったはずです。
桐山氏の九星では9つのうち4つまでが初年運です。
これなら信者の約半数を初年運で脅かすことができます。

運命学を究めたと信用している桐山氏の口から、「初年運は、晩年、完全に運気が
尽きる」などと言われたら、相当なショックを受けるでしょう。
若い人は、自分の晩年は大変なことになるらしいと不安にかられるでしょう。
すでに晩年に入った人は、これまでの苦労を思い出し、さらに運気が完全に尽き、
悲境に沈むというのですから、どこにも希望がありません。
霊障や因縁でさんざんに脅かされて恐怖心を持っている信者にしてみれば、さら
に怖れるべき要素が増えたことになります。
こうなれば、桐山氏の思う壺です。
760 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/03/03 21:59

「晩年運」 21.信者の反応

初年運を信じ込み、晩年の絶望にかられた信者たちは、桐山氏にとって、狼に追
い立てられた羊の群のようなものです。
自分で、ありもしない狼を作り出して追い立てておきながら、次には救いの手を
差し伸べる聖者の姿をし、巧みに信者をコントロールします。

運気をよくするために、阿含宗では次のような方法を説きます。
・仏に供養して徳を積んで運気をもらう。
・晩年運で運気の強い桐山氏から運気を分けてもらう。
阿含宗にいれば運気を身につけられると安心を与え、離れられないようにします。
初年運の人が阿含宗から離れたら、晩年は「悲境に沈む」のです。
欲をあおり、運をもっと良くしたいのなら、仏に供養し徳を積めと説きます。
徳を積むとは、お金を出し、信者を獲得するなど、阿含宗に貢献することです。
そのご褒美として仏が信者に徳という御利益を授けるのです。

病気と借金に苦しむ桐山氏から運気をもらうなど荒唐無稽な話も、初年運を怖れ、
欲にかられると信じるようになります。
阿含宗にいてタダで運気を分けてもらおうとする虫のいい信者にも逃げ道はあり
ません。
どんな強い運気を仏や桐山氏が授けても、受け取る側の器が小さければ、受け取
れないと、巧みな理屈で信者を囲い込みます。
運気だけでなく、今度はそれを受け取る器という二重のノルマを課して、逃げ道
をふさぎ、どちらにしろ、阿含宗に貢献する以外にありません。

信者たちは、霊障、因縁、運期という目に見えないムチで追い立てられ、徳とい
う目に見えないエサに食いつくように追い込まれます。
若い人は今のうちから徳を積むために、晩年の人たちは何とか人生を立て直すた
めに、寄付や勧誘、無償奉仕など教団に寄与することになります。
    ■ここまで阿含宗という宗教19より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1013/10135/1013573704.html

143 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/03/11 21:49

「晩年運」 22.大大運期はバブル経済

1989年の初護摩で、桐山氏は、仏様から、
「これから数年、阿含宗、阿含宗の管長、阿含宗の信徒は大大運期に入るぞ。」
との答をいただいたと発表しました。
以来、桐山氏は今日至るまで、阿含宗は大大運期であると繰り返しています。

翌年の1990年には、国際警察長協会栄誉賞、国連INEOA平和賞を受賞、ダ
ッチ・トリートクラブ名誉会員となり、1991年にはパリ市特別文化功労賞金
メダルを受賞、総本山を開山して、自分の銅像を建て、ニンマ派仏教大学名誉学
長・客員教授に就任して、イタリア共和国功労大公勲章受賞と、まさに大大運期
を思わせる出来事が続きました。

しかし、これらは寄付などお金によって得た結果であり、運期の問題ではありま
せん。
1989年はバブル経済の最盛期で、1990年、星まつりの護摩木の本数はピ
ークに達しました。
阿含宗の資金が潤沢になり、桐山氏はあちらこちらに寄付して、上記の名誉など
を受けたのですから、まさにバブル勲章です。
大大運期の話は、仏様の御霊示ではなく、桐山氏もまた、バブル経済で金銭的に
余裕ができて、気持ちが大きくなっていた当時の日本人の典型であったことを示
しています。
つまり、大大運期とはバブル経済のことを指していたのです。
桐山氏の言う運期とは、自分の所に入ってくるお金や名誉のことであり、目に見
えない占いの話ではありません。

バブル経済は間もなく崩壊し、バブルに踊った企業は借金や不良債権に苦しむこ
とになり、阿含宗もその一つの企業でした。
大大運期はバブル崩壊とともに去り、後には莫大な借金が残りました。
桐山氏が初護摩で毎年のように、「今年は景気が良くなる」と繰り返すのは、予言
や応援ではなく、本人の切実な希望なのです。
桐山氏が、阿含宗の大大運期をいくら初護摩で呼びかけても、二度と戻ってくる
ことはありません。
404 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/03/20 21:15

「晩年運」 23−1.桐山氏は晩年運か

桐山氏は実際に晩年運だったのでしょうか。
念力の護摩で世にデビューしたのは、1971年、50歳の時です。
1978年の阿含宗立宗は57歳であり、「変身の原理」以降、毎年本を書き続けて
来ました。
50歳以降の活躍を見れば、内容の是非や、焼き直しの本が多いことはともかく、
運気が盛んであったと見ることもできます。

1980年代後半、桐山氏が六十歳代半ばからは信者の数が減り始め、七十歳代にバ
ブル経済が崩壊すると、阿含宗は大きく衰退していきました。
経済と無関係なら、運期があると言えるかもしれませんが、大大運期と称してバ
ブル経済に世俗の人々と一緒に踊り、一緒に崩壊したにすぎません。
信者の減少がバブル経済崩壊の前であることを見れば、桐山氏が活躍し、阿含宗
が発展したのは、五十歳からせいぜい六十五歳程度です。

七十歳代に入ってからは、土地神話に踊らされて買い集めた土地の借金に苦しむ
ことになります。
生活習慣から来るありふれた病気になり、命すらも危ぶまれる状態です。
同年代で現役で働いている人もいるのですから、桐山氏の今の状態が凡人たちよ
りも運気が大大であるとは言い難いでしょう。
405 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/03/20 21:15
「晩年運」 23−2.桐山氏は晩年運か

夫人は、平均寿命にもならずに、ガンで亡くなっています。
現在は、教団を長女が引き継ぐような人事体制を取っているものの、十年近くも
前から、他の親族との不仲がささやかれています。
桐山氏は、晩年になればなるほど自分の運気が大きくなり、それは孫の代まで及
ぶほどだと言っています。
莫大な借金を抱えた阿含宗を子孫に引き継ぐことは、借金が子孫にまで及んだだ
けで、大大運気が子孫にまで及ぶとは言いません。
桐山氏は法話のたびに、自分の大大運気を信者たちも受け取るように勧めます。
借金や病気、家族の離反という世俗の問題を抱えた晩年を送る桐山氏の運気を受
け取れというのは、貧乏神から金運を受け取れと言われているようなものです。

このように晩年運、初年運など、根拠のない話であることがわかりました。
しかし、桐山氏にとって大大運気の晩年運は今でも生きています。
阿含宗が借金の前に衰退の一途をたどって、晩年運も大大運期も虚構なのがはっ
きりしても、彼の常として、現実を直視することはありません。
おまじないにすぎない晩年運を拠り所として、大大運気を信者たちに振りまきな
がら、有余依涅槃の聖者の妄想の中で一生をおくるのでしょう。
    ■ここまで阿含宗という宗教21より転載(20は欠番)
    http://life.2ch.net/psy/kako/1015/10153/1015331759.html