週刊新潮昭和57年3月25日記事
- 232 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
01:56
- 週間新潮 昭和57年3月25日
「桐山靖雄」大僧正 ナゾに包まれた「秘法」 その1
いかに新興宗教の教祖とはいえこんなに立派な肩書きを名乗っている人はほかにはいまい。
阿含宗大日山金剛 寺管長、観音慈恵会会長、大僧正。しかも、この人年間1億円も投じて、
もう何年もご自分がどれほど偉いかを宣伝してきた。
我こそは弘法大師が真っ青になるほど奇跡を行う密教の高僧、
釈尊の直弟子に匹敵するほどの聖人であるんだぞ....。
ま、手っ取り早くいえば、そういった内容のPRをしているのだ。
結果、いうまでもなく教団の勢力はめきめき膨張しているものの、
その大僧正・桐山靖雄師(61)の「化けの皮」をひんむく作業も、
わが仏教界の一部では熱心に進行している。
念力で護摩を焚く大宣伝をばかりではない。著作も多いのである。
たとえば、『密教・超能力の秘密』『念力』『守護霊を持て』・・・・・・・・・・。
なにやら、弘法大師以来の高僧にしてはあまり哲学的な書物には思えないが、
それもそのはず、数年前のオカルトブーム以来、この大僧正はオカルトファンのあいだでは
ベストセラー作家になっているのだ。
- 233 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
01:56
- 「桐山靖雄」大僧正 ナゾに包まれた「秘法」 その2
ともかくそれらの本の中でご自分がどれだけすぐれた僧であるかが事細かに記述してあるから、
まずそこから抜粋して、この人のプロフィールをご紹介しておこう。
それによれば、なんでもこの大僧正は、どこかは不明なのだが、
おそらくは人も通わぬ深山幽谷の地とおもわれるところに一人でこもり、
身も心も極限に達するほどの荒行を積んだことがあるんだという。
その結果、五大超能力なるものを体得し、「阿闍梨」になったひとなのである。いままでは、
たとえば、護摩壇に向かってこの人が印を結び、やーっとか、おうーっとか叫ぼうものなら、
壇上の護摩木はひとりでにぱちぱち燃え上がってしまうらしい。
「弘法大師空海は、この念力護摩を生涯に三回しか焚けなかったが、私はすでに五回焚いた。」と、
この大僧正は語っている。
そればかりか、この人が焚く護摩の炎は、ときに大日如来の姿になったり、
竜神の形になったりするんだという。
はたまた大僧正は、透視能力も身につけていて、信者から受け取った手紙は封を切らずによんでしまう
・・・・・・・・・・・・・。
すでにお気づきのかたもあるかもしれないが、つい四年ほどまえまでは、この人、真言宗の大僧正となのっていた。
(注=真言宗と名乗る宗派は日本には30派以上もあり、その中には高野山と関係ないものもある。
後述するが桐山大僧正の真言宗もそのうちの一つ)。
それがついには゛真言宗を超越”しさらに高度な阿含宗なる密教の一派を、自ら創設となった。
- 234 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
01:57
- 「桐山靖雄」大僧正 ナゾに包まれた「秘法」 その3
総本山は京都の東山に一万五千坪の敷地を買い、ただいま建設中。
東京総本部は千代田区平河町の砂防会館の裏側。
他に全国十の支部や道場があり、信者数は、公称「十万人」である。
またたくまに、新宗教の一角を占める一大勢力になっているのだ。
「なにが密教の超能力ですか。奇跡 奇跡とまるで釈迦かキリストみたいなこといっちゃって。
元といえばビール密造・密売団の頭目だった男じゃないですか。
アメリカではアル・カボネがやってた商売を、彼は戦後の東京でやっとったんですからね」
さっそく真言宗の一派からは、そんな声が飛び出したのである。
「昭和二十八年に逮捕され、刑務所に入っていた男なんです。 その内容たるや、宗教家とはいえないもの。
なにしろ、埼玉県に密造工場をつくり、焼酎にガスを混ぜて偽ビールを造っていたんですからね。
しかも、キリンビールのレッテルを偽造して貼り付けていた。
さんざん悪いことやって、都合が悪くなると袈裟きて、坊主でございますとやられたんじゃ、
他の坊主がかないませんわ」
ま、そういえば桐山大僧正、坊主の中でも、とびきりの商売の道にたけた人のように見える。
オカルトの本を売りまくったのを手始めに、健康食品を販売したし、ヨガブームが起これば密教体操を考案し、
そうかと思うと『ニホン・メディテーションセンター』と称する瞑想道場も全国五ヶ所に主催している。
秘法タネは奇術しかも、この大僧正、「名前からして本名じゃないじゃないか」とも近頃さかんにいわれている。
たしかに戸籍上本名は堤真寿雄。「桐山靖雄」とは世をはばかる仮の名前、のごとしである。終。
- 235 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
01:58
- 文芸春秋1992.5 特集 神々のたわむれ
廣野隆憲(高野山真言宗僧侶)
阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だ@
”米州長官に現金、阿含宗管長が日本招待時に長官が辞任”
平成三年十二月二十日朝日新聞朝刊
同新聞記事と阿含宗内刊行の総合、整理、要約すると次のような内容になる。
「米バージニア州サザード公安長官が『日本電気』(NEC)の顧問の一柳博志氏が
関係する宗教団体『阿含宗』から、日本に無料で招待された際、多額の現金を受け取っていた
ことがわかり、十八日夕(日本時間十九日朝)引責辞任した。
企業などからの贈物収受を規制する『利害抵触法』に違反する疑いがあるとみて、
すでに操作を開始している。
阿含宗が平成二年九月、米国で設立した慈善団体『日米アゴン友好財団』が平成三年四月末、
京都総本山の建立式開催を機にサザード長官が幹部を務める国際団体『国際警察庁協会』(IACP)
の役員五人を夫人とともに日本に招待、一行は三日間、新潟と京都に旅行した。NEC顧問兼、
阿含宗最高顧問でIACPの名誉会員でもある一柳博志氏も一行の旅行に同行。
その際、阿含宗の桐山管長が『日本アゴン友好財団』の設立に協力してもらったお礼として、
役員五人の夫人たちに最初の予定の『京人形』では好みの違いもあろうし、荷物にもなろうと判断し、
人形代金そうとうに現金三千ドル(約四十一万円)から約一万二千ドル(約百六十万円)入った土産袋を渡した。
うち三人は現金をすぐ返したが、三千ドルを受け取ったニューヨーク氏警ブラウン長官(ISCP会長)は
帰国後、小切手で返却したと主張している」
- 236 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
01:58
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だA
この事件ははしなくも日本に生まれた新興宗教が国際的に進出を計っている実体を垣間見せたのである。
阿含宗年中行事最大のイベント「阿含の星祭り」が今年も行われた。京都新聞平成四年二月十二日夕刊によると、
今回は第十九回で、参拝者は約五十万人、焚きあげられた護摩木本数三千三百万本であったという。
昭和五十年に同じ山科区追分の火打谷で行われた第二回に比較すると、護摩木本数は百六十五倍、
参加者は五百倍になっている。これが阿含宗十四年間の歩みである。
そして今度は米国にも進出。これだけの成長をなしとげた阿含宗とはいかなる集団か。
その教祖桐山靖雄氏とはどのような人物なのか。結論からいえば、その出発点から欺瞞と虚構の上に
築かれた日本宗教市場からいっても異色の教団である。信者を集める様々な道具立て
阿含宗は阿含密教、また通称「桐山密教」とも言われている。極めて簡単に密教について述べると、
仏教には「顕教」といって顕な教えと「密教」という密なる密やぁな教えの二門がある。判りやすく言うと、
州はの別では、真言宗、天台宗は密教でこれ以外の宗派を顕教という。
この密教を仮に分けて、物的な物的な物的な小道具と教義的な小道具と言える者がある。
こんな不遜な言い方をすると、密教に携わる人々の中から大変な失跡を被りそうだが、
それは桐山氏と阿含宗の姿勢に言及するための手だてなのでお許しいただきたい。
- 237 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
01:59
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だB
物的な小道具とは密教的な仏具.法具の類で、桐山密教、阿含宗では盛んにこれらを販売して収入をえている。
曰く護摩木及び護摩木を数千本勧請(売り上げ)した信者に与える各種の御宝塔、ペンダント、ブレスレット、
仏像、曼陀羅、破地獄曼陀羅、各種のお守り、独古などの加持伝授用法具、星祭りで火や煙などが如来、菩薩、
龍王等のかたちに写った写真等々、まだまだいろいろあってきりがない。私が阿含宗は密教的色彩を持った物品の
販売業だというのはこの点である。
次に教義的な小道具とは真言(呪文ではないがそれに似たもので、普通梵語を用いる)や印(忍者.猿飛佐助などが
煙と共にドロンと消えるのに左右に手指を組む、あれと思っていただきたい)、
経本、次第書(法の順序を記したもの)などなど。
桐山密教.阿含宗の場合各種の伝法会などを開いて、この教義的な小道具を切り売りする。
本来、伝統的な密教である真言宗、天台宗はそれを門外不出として大切に守ってきたが、
阿含宗はそれをどしどし在家に売った。
これが「桐山密教」の名の起きた由縁の一つである。
前置きがながくなったが、阿含宗では、このような道具を、州の根幹とする教義や行法
(お経などを定めた方法、順序で読み進めること)
に活用、併用し、あるいは折り込みながら信者を誘導していく。
それをさらに大きく索引して拘束していく力となっている道具立てがある。
- 238 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
01:59
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だ C
それは阿含宗の前身、観音慈恵会(以下慈恵会と略す)の開教当時から、桐山氏の神通力、超能力と思わせ、
信者を畏服させてきた「お伺い書」「因縁縁透視」やその答え「御霊論」であり、御霊示、御霊宣、
おさとしなどである。
また、神通力、超能力の誇示としての念力、その応用としての<念力の護摩>や<法力の護摩>、
この室内護摩と併行して行われてきた屋外の<柴灯護摩供養>それを次第に発展さえて大イベントにした
毎年二月二十一日、京都花山の<阿含の星まつり>があり、さらには記憶力増強と能力開発の法として
売り込んでいる<求聞持法>である
そしてこれらを宣伝する媒体にしているのが、桐山氏が次々と精力的に刊行する著作なのである。
今となっては恥ずかしい限りであるが、かく言う私も桐山氏の「神通力」
に魅せられて昭和39年7月に入信した一人である。
以後言行甚だしく不一致教祖桐山氏にたびたび惑いながらも意を決して決別することが出来なかったばかりか、
桐山氏の念力によって焚く<念力の護摩>の護摩壇に、四人脇導師(護摩の助手.桐山氏の指名による幹部)
として着座し参加するなど、十二年も在会した。縁あって東京新宿区四谷の真成院住職
.高野山真言宗の織田隆弘氏に逢い、即日弟子になり慈恵会を辞め、
伝統真言密教に結縁する事を決意したのが昭和五十一年七月であった。
昭和六十三年八月、高野山真別処で加行成満し、高野山真言中院流伝法灌頂に入壇し了り、
六十一歳にして僧侶となった。
- 239 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:00
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だD
以下は私が見た桐山密教の真の姿である。
「戦後最大の怪宗教」で修行桐山靖雄氏は本名堤真寿雄といい、大正十年一月五日、
横浜市神奈川区に四人兄弟の長男として生まれた。
桐山は母方の性であるという。千葉流山町小学校卒業のとき担任の訓導が
父親を呼んですでにこう明言したという。
「この子はよく注意して下さい。非常に偉くなるか、さもなければ、大変な悪人になるか、
いずれにしても中途半端な人間にはならない子ですから、くれぐれも気をつけて下さい」
人の子をよく観る訓導の言葉であった。
桐山氏は学歴について理解しがたい劣等感を抱いているようで、昭和四十三年八月、
天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務長に提出した
履歴書には学歴を偽証してきにゅうしている。これを直木賞作家の志茂田影樹氏に、
雑誌『宝石』昭和五十三年十一月号で暴露されて、また発表し直した学歴も偽証だった。
その後、さまざまな職を経たらしいが、本人の語る経歴には矛盾が多く
、謎の人物というしかない。私文書偽造、酒(記事へ)
税法違反等で何回かの逮捕歴があり、昭和二十八年八月十七日毎日新聞夕刊に大きく報道された。
「ニセビール一味捕まる」の事件でも逮捕されている。それ以上ふれないが、
つまり、そういう人物である。
阿含宗の前身、観音慈恵会が発足したのは昭和二十九年八月か九月、
横浜鶴見区生麦の裏長屋の一軒家においてであった。
教祖桐山氏は弟子と呼ぶ塚田康人氏から運命学を学びながら二人で細々と客を待っていた
それでも将来を期してか、宣伝には力を入れていたようで、
このことの経済関係の雑誌『黄金』などに運命鑑定、指導などの広告を出していたという。
その広告には、当時、総理大臣級の人物と言われていた緒方竹虎氏の運命を的確に鑑定した
という触れ込んだことも手伝ってか、すでに昭和三十一年の『日本週報』に
一教祖として寄稿、登場している。
- 240 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:01
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だE
宗教面としてはこのころに詳しい長古参の元信者の話によると、
桐山氏は単に拝むだけだったというから、素人と余り変わりがなかったようである。
一説によると戦後、闇屋をしていた時代に戦後最大の怪宗教といわれた
皇道治教系で修行したという。混乱期は信教の自由化とともにさまざまな新興宗教が籏出し、
「神々のラッシュアワー」と呼ばれた時代でもあった。皇道治教がなぜ怪教といわれたかというと、
この教団は信教の自由を逆用し、宗教法人とう隠れ蓑のもとでクリーニング屋、アイスキャンディー屋、
宿屋はもとより、売春斡旋業までも宗教法人化して大がかりな脱税行為を行ったため、
検挙されて壊滅したからである。
その教団の生き残りに浦野耕牛(後に改めて晴弘)氏という人物がおり、
浦野氏を師匠と仰ぐ人物が北野氏である。
その北野氏は桐山氏が皇道冶教の教団で修行していた時、ともに修行した仲であり、
真言宗金剛院派を名乗って後に姫路市本覚寺で開教している。桐山氏は昭和三十年十月、
この本覚寺で得度した。と称している。
従って新興宗教のノウハウは浦野、北野、桐山と伝えられたと見ることもできる。
さて、桐山密教の教義である。桐山密教の修行を「千座行」というが、桐山氏は
千座行布教開始当時、道場を訪れる人には“大白身”を説いて聞かせたという。
- 241 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:01
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だF
その大白身が実現する行がつまり「千座行」というわけで、千座行第一期生の信者は
昭和三十四年二月ごろ桐山氏のこんな話を聞いている。
「二千年前のインドのヒマラヤの岩影に、龍樹菩薩が、後の世の人を救うために、
鉄塔の中に身を秘めておいた秘宝が、この千座行なんだ。これは九百九十九日間、
黒い法塔に自分の因縁(不幸の条件)を封じ込めて、初めの三百三十三日間に過去の因縁、
次の三百三十三日間に現在の因縁、後の三百三十三日間に未来の因縁を
千日かかって封じ込めると、自分の孫子の代、七代までの悪因縁を全部浄められるそれだけやれば、
人間は絶対清らかになって、大白身になる。つまり最初は墨みたいに真っ黒だった自分の悪因縁も、
毎月の行によって汚れが落ちるように次第に灰色になり、千日の後には因縁は浄化されて
真っ白の大白身となって、皆さんは未来永劫幸せこの上なく成る。
この秘法は、日本へ入ってから聖徳太子から誰それへ、そして平清盛もやっていたんだ。
そして現代では桐山靖雄が受け継いで、皆さんに今度伝えられるようになった。
いまに私が準備を整えたら、皆さんにお授けします。しかし、この行法は修行を積んで非常に
高い境地に至った人でないと受ける資格はない」
つまり、大白身になるためには千座行によって人間がもっている悪因縁をなくさなければならないと
桐山氏はいうのである。
- 242 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:02
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だG
ではその因縁とはなにか、私は出来るだけ本稿では抹香臭い話は避けたいが、
この千座行は正式には『三世因縁解脱大白身法千座行』という名称なので、一応述べてみたい。
これを桐山氏の「因縁論」という。
桐山密教では仏教の目的は因縁解脱であると教えている。因縁解脱とは仏法による自己完成であり、
仏法による自己完成とはその目的を仏に置くことである、という。
仏に成るためには束縛から解き放たれなければならないが、自分で父母を選べないように、
人々は自分の意思以外の条件によって縛られた存在である。そういう人間の持つもろもろの条件によって、
ことに人間を縛る様々な条件を因縁と呼び、その因縁から離脱する事を因縁解脱という。
因縁解脱を成し遂げることを成仏といい、亡くなることではない。人は様々な因縁を持って生まれてくるが
良い因縁は少なくほとんどが悪因縁であり、不幸、不運、災難は悪因縁から生ずると、説く。
つまり桐山密教で「因縁」と呼んでいるのは悪因縁であり、よい因縁は放っておいて、
悪い因縁を解脱すれば結果的に良い因縁ばかりになり、幸せになる、というのである。
その因縁解脱を完成する法は千座行だけ、それだけの大事業を完成する法は千座行だけ、
それだけの大事業をするのであるから、千日を一日も休むことは許さない。
一日でも休めばまた第一日目に戻らなければならない。
教団では、行の中断を「中途挫折」といって問題にしており、
単にわすれただけならともかく怠け心で千座行を休んだときは「因縁返し」という法罰が下るという。
もちろん、正しい仏教からいえば何の根拠もないことである。
- 243 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:03
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だH
コロコロ変わる千座行の由来
千座行を始めるには、法具、経典等一式が必要である。
その内容には煩瑣なのでここでは省き、法(宝ともかく)塔ついてだけ述べておこう。
千座行を行うとき打敷きという三十センチ角くらいの金襴の敷物の中央やや後ろに立て、
それに向かって祈る塔ので、法具の中でも最も尊いのもで、その取り扱いについては
厳重な心得を教えられていた。宝篋印塔を模した黒い炉の陶製で、中に梵字の陀羅尼
(少し長い呪文のような文)が封印されている。一度封印された法塔を無断で開けたり、
粗末にしたり、破壊すると甚だしい時は死に至る法罰が下ると教えられた。
そのおどおどしい実話(?)が慈恵会時代の機関誌『大白身』創刊号に出ている。
とにかく千座行は単に行法に頼るだけでは因縁解脱はおぼつかない。
千座行は単に行法に頼るだけではない。千座行を始めるまでの自分の不徳を懺悔し、
誤った人生観を改め、生き方を正すことが肝心と教育された。
およそなんの行でも本尊が大事である。千座行の場合准胝観世音を祀る。
この観世音を本尊としたのは、桐山氏が事業失敗して縊死しようとした際に手にしたのが観音経で、
その経文を見て自殺を思いとどまったからだという。
- 244 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:03
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だI
爾来、この奇しき仏縁により本尊とし、その縁から千座行を布教するに至ったことになっている。
酒興として見逃せないのは、この「千座行」の由来についての桐山氏の発言が
コロコロ変わっている点である。
後の項で述べる「御霊論」の表紙裏面にはこう書かれていが、
これは説明会と銘打って布教した当時の 宣伝だという。
この行法の御利益は、色々の書物に伝えられておりますが、中でも源平盛衰記中、
平清盛が、この法を清水寺 の法王から授かって千座の行を積み、
家運衰退の因縁を断ち切って満願の後、平家にあらざれば人に非ずというほどの
栄華をきわめた話は有名であります。
清盛は晩年、心おごって千座行者のこころがまえを逸脱して徳を積むことを忘れ、
為にその利益はその身一代限りで終わって子孫にまで及ばなかったのはまことに
残念なことでありました。
然し、時の人は、清盛が千座行を修してこの目ざましい功徳を得たことを聞き知り
『なんとあらたかな不思議な御法であろう』
うわさをし合い、後には誤り伝えられて、清盛は魔道の法を行じたのだと云われた、
ということが源平盛衰記に出ておりました。
- 245 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:04
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だJ
なるほど『源平盛衰記』には「かねて清水寺の観音を憑み奉り御利生を蒙らんと
千日詣でを始めたり。雨の降るにも嵐の吹く日にも日を闕かず、
千日既に満じける夜は通やしたり」 という一説がある。
だがこれは千座行ではないことは本尊を見れば明らかである。
清水寺の観音は『清水寺縁起』によれば、七九八年作の十一面観音である。
千座行の本尊は准胝観音像でなければならないのは、仏教の常識であろう。
昭和四十二年二月桐山氏の法話は先師がどこの誰かは判らないが
「千座行は先師から伝授された」ことになっていた。
ところが同年十月の法話では「誰からも教わりゃせんこれは私が復活させたんだ」
に変わってしまった。これがまたさらに変わる。
阿含宗立宗の4ケ月後に発行した『修業読本1』(昭和五十三年八月一日発行)には
「この修行法(千座行のこと)は(中略)大導師桐山靖雄が編成したものである」
とあるのである。さらに慈恵会時代の機関誌『大白身』第三号
(昭和四十二年三月十五日発行)では、こんなことを言っているのだ。
「大白身法も、歴史的には弘法大師以前にすでにわが国に伝えられて、
すでに一部において行じられておった形跡があるのです。
なぜ、そう伝えるかと申しますと、奈良正倉院の写経の記録の中から読みとる
ことが出来るのであります。
- 246 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:05
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だK
すなわち天平初年、勅による写経所の記くとして正倉院文書に残っておるものの中に、
左のような記録があります」
私が調べたところ、その文書は“准胝尊”に関するお経には違いないが、
桐山氏の言う“大白身法”とは無関係の経典であった准胝という文字が
一致しているにすぎないのである。
平清盛にまで千座行をやらせたり、正倉院文書にまで用いて人々を欺いた桐山氏、
その意味で、日本宗教史に残るかもしれない人物であろう。
初めに「阿含宗は出発点からして欺瞞と虚構の上に築かれた教団である」
と結論した根拠はここにあった。
宗教上見逃せない桐山氏のもう一つの嘘は、氏の僧階(僧としての階級)についてである。
昭和四十二年十一月の法話で、氏は大要をこのように述べている。
同年十月、旧師北野恵宝氏と再会した桐山は北野氏から、
「高野山に行って信者と共に千座行をやりなさい。高野山の大殿
(実はこのような物はないのはなく、後から判ったが、大師教会の大講堂であった)
で千座行をやったならば、そのお祝いに権大僧正の僧階を贈ろう」
と言われ、その結果、高野山で桐山氏の僧階審査が行われたという。
審議会では無僧階の桐山氏がいきなり中僧正にした後に、来年権大僧正にするという
条件で宗議にかけた。当然大反対された。特例も特例、いまだかってないと。
審査委員の一人、北野氏は前もってっそれを予測して、慈恵会の機関誌『大白身』と
『慈眼』を持って行き、「一機関紙だが内容は論文だ。
これだけのものを書ける人が高野山に居るか」と委員に回覧したので審査が通って、
僧階は中僧正学階監学に決定した、という。高野山に全く関係ない者の僧階審査
など考えることもできない。私は馬鹿馬鹿しいがこの事実関係を高野山の内局に
問い合わせたが案の定、その事実はないと書面で回答をいただいたのである。
- 247 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:05
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だL
「超能力のカラクリ」
私が阿含宗の前身、観音慈恵会に入ったのは、その「神通力」に惹かれた故であることは
先に述べたが、その「神通力」の道具につかわれたのが、いわゆる「お伺い書」である。
「お伺い書」とは教団刊行物によると、「生活の中で現実に起こるいろいろな問題について、
どうしても自分の判断できない事柄.....、その他結婚、仕事等に自分できめかねるとき、
自分の因縁と運気を通じて会長先生より御霊示を頂くのがお伺い書」とある。
お伺い書は白いボール紙に、氏名とお伺い用件を一つだけ書き、「お伺い書」と印刷された
クラフト紙の封筒に入れ氏名、生年月日を記入しのりで封をして、職員が会長の桐山氏に渡す。
すると桐山氏が先ほど出したクラフト紙の「お伺い書」の封筒と一緒に、
「御霊論」と印刷されたお伺いの書の答えが返ってくる。
「御霊論」を開くと桐山氏の答えを書いた複写用便箋がホチキスでとめてあり、
右側に“左ノ御霊示ヲ得タリ”と印刷されている。つまり、桐山氏派封筒を開けずに
中の内容を知り、的確な答えを(霊示)を出す、という仕掛けである。
この仕掛けはお伺い透視とか因縁透視とかいわれて、桐山氏のまれに見る超能力、
神通力と信じ込まれて、東京.渋谷に道場があった昭和三十年代から、
千代田区平河町に道場が移転した後も続いた。
このころ入信した信者のほとんど全部が、この「お伺い書」の透視に魅惑された人々と
言って過言ではない。
- 248 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:06
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だM
ところが厳重に封をした封筒の中にあるお伺い書を読みとれたのは、桐山氏の超能力のせい
ではなかったということが判明する事態が起きた。
昭和四十二年春ごろ、世田谷道場での出来事である。会長室出入り自由の幹部が入室した際、
誤って足元の容器を蹴飛ばした。なかの液体がそばにあった封筒にかかった。
あわてて拭いたところ、中の字が透けて見えた。“透視”のトリックを見破ったその幹部は、
他の幹部を招集して会長室の桐山氏を糾弾した。一般信者は知らない桐山氏の犯罪についても
幹部からなじられた桐山は「申し訳なかった」と手をついて謝ったが、なおも続く厳しい糾弾に
「生かすも殺すも勝手にしてくれ」と居直ったので、幹部たちは気勢にひるんだという。
お伺い書はその後何事もなかったようにそのまま続いたが、次々に発刊する桐山氏の本を見て
入信する信者の増加に追いつけず、特に秘密を要するお伺いの他は開封にさせるなど対処したが、
桐山氏の個人処理揚力に委ねるほかないこの秘技は、昭和五十年代の初めには事実取りやめになっていった。
桐山氏を一躍有名にさせたのは『変身の原理』のベストセラー化と、同書で紹介された
「念力の護摩」であろう。マッチやライターなどの道具を使わず「念力」で火をつけるという護摩である。
この護摩の発火の成功は、一番最初は京都道場において、昭和四十五年一月三日ということになっているが、
教団機関誌『大白身』第五号(昭和四十五年四月十五日発行)の信者の体験談集によるといまひとつ歯切れが悪い。
「一月三日一回目は発火後立ち消え、四日の一回目は煙だけで立ち消え二回目は立ち消えたので、
傍らの燭台のローソクの火で点火した」とある。
- 249 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:06
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だN
京都で焚かれた以後、三年間は非公開であった。公開に踏み切ったのは昭和四十八年四月二十八日
東京道場改築落慶法要の前夜祭であった。招待した各界の人士の目の前で行った
「念力の護摩」は失敗であった。翌二十九日も再び挑んだが、脇導師の私の注視するなかで
一条の白煙が上がって消えた。両日とも明らかな失敗であったにもかかわらず、
宗教新聞の中外日報五月二日号によって、公開の模様がさも成功したように錯覚する筆致で
報道されたので、桐山氏は常識では不可能な「念力」による護摩を焚いた偉大な超能力者として、
その審議がマスコミで賑々しく問われるようになり、
つのだじろう氏のマンガにまで登場することになった。
護摩について少し解説しておこう。もともと護摩とは知恵の火で煩悩を焼くことを意味する
密教の行法であり、点火器を使うか使わないかについては重要な意義を持たない。
火を燃やさないで行う観念上の護摩を内護摩といい、精神的な解脱を目標にし、
行者自身を炉として、行者の煩悩を焼く修法である。
この内護摩を目でも見えるように儀礼化したのが、実際に火を点ずる護摩といえる。
その外護摩の点火にマッチやライターなど点火用器具を使わないで焚いて見せることは、
超能力デモンストレーションになり、大衆受けするのは当然である。
着火のメカニズムは桐山氏は次のように語っている。以下は例祭法話のようやくである。
- 251 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:07
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「四人の脇導師が一せいに火を切る。その火は一瞬の内に消え、凡眼には見えない四つの小さな火点
となって散在している。それが火種である。火のないところから火は出せない。
その火点をわたしが印をむすんで二,三分の内に念力で一点に集中拡大して火の固まりにする。
その火の固まりを前以て炉上に敷いてある奉書紙の火天の象徴の梵字に収斂して発火させる。
その際の信者の火天呪の斉唱も発火に大いに助勢される」
ではこの桐山氏の力説ははたして本当なのか。当時、私と同様に桐山氏と咫尺の間で脇導師として
府座した元北陸本部長の某氏はその当時の模様を次のように語った。
「桐山氏が散杖の先に酒水器の水を付けて振った時、 突然ボッと大きな音がしてその瞬間に
奉書の紙の梵字から橙色のきらめく火が出たすぐに消えて白煙が立ち登り火薬の臭いがした。」
まだ「念力」を入れない先にである。この人は後に桐山氏の師匠、姫路北野恵宝氏の門人となった。
その折りに北野氏から「あれは私が教えたトリックだ」とハッキリ聞いている。
桐山氏は昭和四十八年四月二十八日、九日の東京道場での失敗を最後に「念力の護摩」をやめてしまった。
いわば<回転宗教>慈恵会でじゃ、入会してもすぐに辞める信者が跡を絶たなかった。
ある時例祭にそれを憂えた一信者が、「桐山先生、入信しても定着しない信者が相当います。
こんなことでは、慈恵会は容易に大きくなれないとおもいますが」
と質問したところが、桐山氏は落ち着き払らってこう答えた。
「そんなことは問題にならん。新興宗教はどこでもそうだが、うちの場合、入信者の二割残る。
これは歩留りの大変良い方で、これだけ定着すれば大したものです。」
そう言っても、教団の成長発展を願わない教祖はいない。この桐山氏の答えは信者に弱みを見せたくない
教祖の、本心を隠す虚勢であったのだろうか。
- 252 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:08
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だP
このころ、教義的に第一作『幸福への原理』の延長上にあっても、カタカナの外来語をふんだんに用い、
抹香臭さを偽装した『変身の原理』を出版する本を見て入信する超能力、オカルト志向の信者の急増によって
事情は一変して行き、桐山氏の自信は深まっていく。何事にも喰いかけては途中でやめる桐山氏の本来の
性格に見切りをつけたり、経済的についていけず脱落する信者も出ているが、入信者の自然脱会は前以て
折り込み済みの現象なのである。どんどん入信すれば、次々に辞めていっても、仏具の法具の購入等で
フレッシュマネーを落としてもらえば一向痛痒は感じないだろう。また、あまり長く居て桐山氏や教団
のアラを見過ぎた信者は、新入信者には悪影響があるから、特定の幹部を除いてはほどほどにお引き取り
頂いた方が好都合であるともいえる。辞める以上に入信する信者がいれば、つまり“信者増加率”
さえよければ、教団は確実に伸びていく。 桐山氏にとっては、この阿含宗とはいわば<回転宗教>
ともいえるものなのである。
- 253 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21
02:09
- 阿含宗桐山密教秘部と恥部 その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だQ
さて冒頭に述べた“献金疑惑”の結末はどうなったのであろうか。
「NECの阿含宗献金疑惑 前収公安長官訴追せず」これは下野新聞平成四年二月八日(土)のみだしである。
次のように報じている。
「日本電気のこもんが関係する『阿含宗』による州政府高官への献金疑惑を捜査していた
米バージニア州検察当局は六日夕(日本時間七日朝)、昨日十二月に引責したサザード前州公安長官を
利害抵触法違反で訴追しない決定を下した。と発表した。
テリー州司法長官が発表した捜査報告によると、サザード前長官が昨年四月末、...
日本へ無料招待された際の経費さらに日本で手渡された多額の現金については阿含宗かNECか解明できなかった。
州検察当局の捜査は
@前長官がその職務権限内で、阿含宗やNECに何らかの便宜を図ったみかえりとして、
日本に招待され現金を受け取った
A具体的には、州警察が一九八七年にNEC社製の自動指紋照合システムを導入したことへの報酬だったか
B現金収受などが将来職務遂行に影響する恐れがあったか−の三点に絞られ、
いずれに「ついても訴追につながる証拠がないとの結論が出た」
この事件について『阿含宗報』中に「(人形の)代金相当の現金を差し上げて好きな人形をかって頂くことにした」、
そして「この現金は返却された」と明記している。またどう週報に記録されている「IACPの公式見解」でも
「金の入った包みが贈呈さた。...理事会メンバーに提供された資金はすべて返却され...」
IACP、阿含宗双方が現金授受を認めているにもかかわらず、米捜査当局が「現金の出所は解明できなかった」
としているのは面妖な話である。あるいはこれも、この教団特有の「念力」のおかげ、ということなのだろうか。(終)
■ここまで阿含宗という宗教26より転載
http://life.2ch.net/psy/kako/1029/10294/1029471820.html