- 777 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/10(水)
20:34
「詐欺的性格の系譜」 1.学歴詐称
桐山氏は前科に血の涙を流して懺悔したはずでした。
悔い改め、また、因縁解脱の修行によって、変身したはずでした。
後に「変身の原理」「人間改造の原理と方法」などという本まで出したのですから、
桐山氏を特徴づける責任転嫁、詐欺的性格は改造されたはずでした。
しかし、阿闍梨の詐称のように、本の題名と現実には隔たりがありました。
桐山氏の詐欺的性格が典型的に現れたもう一つの例が学歴詐称です。
桐山氏が提出した下記の二つの履歴書には「早稲田大学国文科を中退」と書かれ
ていました。
1968(昭和43)年8月、天台宗僧籍取得のために天台宗宗務庁に提出
1970(昭和45)年8月、小田慈舟大僧正の「金剛頂経講伝」に提出
前者は履歴書が批判記事に公開され、筆跡は桐山氏のそれとよく似ています。
桐山氏は早稲田大学を入学も中退もしていません。
学歴詐称の批判に対して、桐山氏は反論したことがありませんから、事実上、学
歴詐称を認めたことになります。
信者たちは学歴詐称など大したことはないと考えています。
人間性は疑われても、犯罪にすらならず、偽ビールと違い、実害はありません。
マスコミも学歴詐称を学歴コンプレックスとしてだけ大きく取り上げます。
今日の桐山氏が名誉教授、名誉博士などの肩書きをほしがることから、学歴コン
プレックスがあることは事実でしょう。
だが、学歴詐称は、阿闍梨詐称とは別な意味で、根深い桐山氏の詐欺的性格を示
す例です。
- 782 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/12(金)
21:18
「詐欺的性格の系譜」 2.仏に嘘をつく
桐山氏は、伝法を受ける時と僧籍をとる時の二度に渡って学歴を詐称しました。
真言密教では、建前とはいえ、行法を教える師は仏と同格です。
小田師より伝法を受けるのに学歴を詐称したのは、仏に嘘をついたのと同じです。
仏の法の伝授を受けるのに、桐山氏は嘘の学歴を書きました。
宗教家である桐山氏は人間だけでなく仏に嘘をつきました。
阿闍梨詐称、学歴詐称と2つも連ねて仏に嘘をついたのです。
桐山氏の学歴詐称した経歴書は、就職先に提出されたものではありません。
宗教家として法の伝授を受けるのに嘘の学歴を書くのは、就職するために学歴を
詐称したのとは、話のレベルがまるで違います。
仏に対して嘘をつく桐山氏の信仰心とはどのようなものでしょうか。
桐山氏は、修法中は心に一点の曇りもないと常々信者に述べます。
だが、嘘の申告の元に伝授された法を、桐山氏はどのように曇りもなく、嘘をつ
いた仏の前で修するのでしょうか。
仏に嘘をついたことを見れば、学歴詐称は学歴コンプレックスといった根の浅い
話ではありません。
深い反省の元に宗教に入り、念力の護摩を焚き、超人に変身したはずの時期に、
詐欺的な性格に変身は見られませんでした。
- 793 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/14(日)
21:33
「詐欺的性格の系譜」 3 つかなくてもいいウソをまたついた
重要なことは、阿闍梨の詐称と違い、学歴詐称は必要に迫られてついた嘘ではな
いという点です。
偽ビールの場合、金儲けという必要な理由がありました。
伝法を受けるために、阿闍梨の詐称も必要に迫られた嘘でした。
しかし、伝法や僧籍には学歴は必要な資格ではありません。
普通の人は、必要にせまられ、やむを得ずつく消極的な嘘がほとんどです。
しかし、伝法にも僧籍にも学歴は関係ありませんから、桐山氏は必要もない嘘を
自発的に積極的についたことになります。
積極的に嘘をつくことを虚言癖といい、心の病の一つです。
「刑獄の因縁」26にあるように、刑務所に入るときの信者宛の手記にも、必要
のない嘘、積極的な嘘が長々と羅列してありました。
刑務所に入ることを隠すための最小限の嘘ではなく、仏からの御霊示を受けたと
か、法器だと老師から誉められたとか、必要のない嘘を書き連ねました。
学歴詐称と同質の積極的な嘘です。
桐山氏には、ばれないと思うと、つかなくてもいい嘘を次々と作り出す性癖があ
り、繰り返すところを見ると、病的なものであるのがわかります。
学歴詐称は刑務所に入ったときの手記から十年ほど後のことですが、桐山氏の病
気ともいえるこの虚言癖は何ら治っていないのがわかります。
この十年間に、桐山氏は求聞持法、大随求法を体得し、超人に変身したと宣言し
ています。
しかし、脳と身体を変身させたはずのこれらの修行が、必要のない嘘を積極的に
つくという桐山氏の心の病を治すのには何の役にも立っていませんでした。
■ここまで2ch「心と宗教」内阿含宗という宗教6より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/971/971700284.html
- 20 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/16(火)
20:55
「詐欺的性格の系譜」 4.学歴ナシと早大中退
桐山氏は、「変身の原理」(1971年)から「密教占星術T」(1973年)で、
「病弱なりしため記すほどの学歴なし」
と書き、早大卒などの学歴詐称をしていません。
学歴詐称が最初にマスコミにとりあげられたのは1978(昭和53)年です。
つまり、「変身の原理」以前に学歴詐称がばれて、懲りて、学歴を示さなくなった
のではなく、状況や相手に応じて使い分けをしたのです。
外に出る本と一部の人しか見ない履歴書を、桐山氏は使い分けています。
ここにも桐山氏の性格がとてもよく現れています。
ばれる可能性が低いとみなせば、空想、妄想をひろげて、必要のない嘘まで堂々
と書くという性癖、つまり虚言癖があることがわかります。
本に「学歴なし」と書いたのは、このほうが格好がいいと思ったからでしょう。
学歴もない男が、腕力一つで念力の護摩という宗教的な高峰まで到達と言ったほ
うがドラマチックです。
自分をドラマチックな物語の英雄として空想、妄想を広げている表れです。
桐山氏は早大中退の嘘がばれると、日大中退と変更しました。
この時期の日大の在籍名簿が焼失したため、在籍の確認はできません。
日大中退ならそう書けばいいのに、なぜ早大中退などと書いたのでしょうか。
仮に日大中退が正しいのなら、なぜ最初からそう書かなかったのでしょうか。
日大中退ならば、「学歴なし」と書くのも、ある意味で学歴詐称です。
これは、学歴コンプレックスだけではなく、桐山氏の妄想癖の一つです。
早大は小説家がたくさん出たところです。
小説家を志した桐山氏はその肩書きにあこがれていたのでしょう。
桐山氏の頭の中で、小説家を志しながらも早大中退して、宗教家をめざす自分の
美しい姿が作り上げられたのです。
つまり、学歴なしと書くのも、早大中退と書くのも、どちらも桐山氏の妄想から
来る虚言癖の現れです。
空想だけなら普通の人もします。
普通の人は空想をしても、履歴書という現実に結びつけることはしません。
妄想は現実ではなく、嘘であり、嘘はつかないほうがいいというブレーキがある
からです。
ところが、桐山氏のような虚言癖のある人は、このブレーキが壊れています。
- 22 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/18(木)
20:53
「詐欺的性格の系譜」 5.「今だ、直ぐに起て!」
ばれないと思うと、妄想を広げて、筆の勢いで書いてしまう桐山氏の虚言癖を示
す典型的な例があります。
1965(昭和40)年、「立宗十年」と題して、桐山氏は機関誌に次のように書いてい
ます。
「「今だ、直ぐに起て!」突然、こういう御霊示を受けて、非常に困惑を感じたの
は、今を去る十一年前、昭和二十九年の秋であった。」
この文章は、読む人を引きつけようとして「今だ、直ぐに起て!」から唐突に始
まり、とても衝撃的な書き出しです。
仏の指示に対して、文学を志し、ためらう桐山氏という、映画の見せ場のような
描写です。
ためらう桐山氏を仏は、
「十数日が、迷いと躊躇のうちに過ぎた。すると、突然、順調に進んでいた私の
事業(当時、私は文学を志しつつ生活のために事業をしていた)が、なんとも説明
のしようもない不思議な事情で、ぴたりと中断されてしまったのです。」
宗教家になったのは桐山氏の意志ではなく、仏の意向だったといいたいようです。
文学の才能に恵まれ、生活のための事業も順調にいって、何の問題もない桐山氏
の人生を、仏は無慈悲とも思える方法で、軌道を変えてしまったようです。
いったん仏から主役に選ばれると、桐山氏といえども、釈尊の手の中の孫悟空の
ように、どうにもならなかったようです。
簡単にまとめれば、昭和二十九(1954)年の桐山氏は、
*文学を志し、才能が認められていた。
*生活のための仕事も順調に進んでいた。
*仏の力によって、自分の意志とは関係なく宗教の道を歩まされた。すなわち、
仏に選ばれた。
では、これほどドラマチックな御霊示があったという昭和二十九年、前途洋々だ
ったという桐山氏の本当の姿を見てみましょう。
- 26 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/01/20(土)
21:11
「詐欺的性格の系譜」 6.直ぐに起つしかなかった
昭和二十九年、桐山氏の現実の姿は次のようなものでした。
3月15日、酒税法違反、私文書偽造に対する第一審判決下る。
「懲役一年六ヶ月、罰金5万円」。
5月24日、入所。
8月〜9月、横浜・生麦の裏長屋を一軒借りて観音慈恵会を発足した。
10月7日、東京高裁で酒税法違反と私文書偽造により有罪判決を受ける。
春に判決が降りて一時入所しているのですから、秋に御霊示の十数日後、仕事が
中断したという桐山氏の記述は記憶違いでしょうか。
「なんとも説明のしようもない不思議な事情」とは、どうやら偽ビールがばれて
有罪になったことを指すようです。
しかし、偽ビールで有罪になったことは、「何とも不思議な事情」ではありません。
犯罪で警察に捕まり、裁判で有罪になったという、小学生が考えても、十分に説
明のつく当たり前のことがおきただけです。
「順調に進んでいた私の事業」というのですから、桐山氏にとって、偽ビールを
作り販売することは、犯罪ではなく、なんと事業だったのです。
桐山氏の書いた内容と実際とを比較してみてください。
桐山氏の輝かしい立宗の話と現実との間には甚だしい落差があります。
昭和二十九年秋は、「今だ、直ぐに起て!」という仏からの御霊示があったのでは
なく、裁判所からの有罪の判決があっただけです。
桐山氏の文には、どこにも偽ビール事件や有罪判決の話は出てきません。
当時の信者のほとんどが桐山氏の前科を知りませんでした。
信者が知らないのをいいことに、桐山氏は、実刑の判決を仏様からの御霊示にし
ています。
相手にわからないだろうと思うと、桐山氏はこのような嘘を平気で書き、自分を
最高に美化した物語を作り上げてしまいます。
「今だ、直ぐに起て!」はドラマチックな書き出しと、ドラマチックな内容です。
そして、まさに桐山氏が作ったドラマ、フィクションにすぎません。
- 28 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/22(月)
20:32
「詐欺的性格の系譜」 7.自己評価だけはいつも満点
桐山氏の文章と現実とを比較してみれば、御霊示と称するものが、ご都合で作り
上げられた嘘にすぎないことがわかります。
犯罪から十年、刑務所から出て五年ほど後には、桐山氏の頭の中では、犯罪と前
科は、仏からの御霊示の話に作り替えられていました。
ここでもわざわざつく必要のない嘘を作り上げています。
御霊示があったかどうかなど、つく必要のない嘘です。
出獄して五年しかたたないのに、刑務所に入った体験は生かされることはなく、
いつのまにか、仏によって歩まされる美しい物語に変身していました。
物語は、まるで、文学の才能に満ちあふれ順風満帆の桐山青年を、仏が無理に宗
教という苦悩の道に引きずりこんだかのような内容です。
桐山青年は、文学の道で十分に認められるだけの才能を持っていただけでなく、
宗教上の才能にも恵まれ、大きな使命を背負っていたかのようです。
つまり、生まれつきの宗教家であり、特殊な運命をたどる人間であると、仏が保
証したかのように自分を描いています。
ここには桐山氏のあふれるような自己憐憫と、自分はすごい才能と使命をもった
特殊な人間なのだという妄想が表れています。
死者を総動員させて霊障物語を作ったように、桐山氏にとって、口のきけない、
抗議のできない仏は実に使いやすい登場人物です。
桐山氏は今日まで、随所に仏を登場させては、自分に都合のよい御霊示や仏勅を
させています。
桐山氏にとって、死者も仏も、余計なことはいっさいしゃべらず、自分の言い訳
どおりに動いてくれる使いやすいあやつり人形です。
現実は、世間では通用しないから、宗教の世界に逃げ込んだにすぎません。
世間的には、商売でも、文学の上でも、何一つ認めてもらえなかったから、妄想
が通用する宗教の世界に入ったのです。
カタギの世界では通用しないから、自分に合った道を選ぶしかなかったのです。
- 43 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/24(水)
20:46
「詐欺的性格の系譜」 8.前非を悔いると言葉が出ない?
本当に内心、自分の犯罪を恥じたり、反省しているのなら、「立宗十年」のような
白々しい嘘を、わざわざ書いたりするでしょうか。
桐山氏は、「前科を悔いていない」との批判について、次のように反論しています。
「ほんとうに人間が心から後悔したとき、そんなにかんたんに前非を悔いる言葉
など出てこないのです。ほんとうに打ちのめされて、いう言葉なんかない。ある
のは涙と、絶望、いっそう死んでしまおう、それしかないんです。口さきでチャ
ラチャラ、いやもう懲りました。もうぜったい致しません。心から後悔していま
す。そんなことをいうのは、心から悔いていない証拠なんだ。」
チャラチャラでもいいから、前非を悔いる言葉が桐山氏の口から出たことがない
ところをみると、桐山氏は「ほんとうに打ちのめされ」「涙と、絶望、いっそう死
んでしまおう」、それしかなかったはずです。
出獄から二十年たって、この文章が書かれた時でも、桐山氏は、チャラチャラし
た前非を悔いる言葉が出ないほどに「心から後悔した」はずでした。
だが、涙、絶望、死しかないはずの桐山氏は、出獄して5年後には、「立宗十年」
と題して、信者にまたしても堂々と嘘デタラメを並べています。
内心反省しきっている人が、出獄してわずか5年後に、仏まで持ち出して、新し
い嘘を作り上げ、得々と自分の能力の自慢話をしています。
反省して言葉が出ないのか、それとも反省していないから言葉が出ないのか、桐
山氏の心の中など誰もわかりません。
口や文章でどう書こうが、「立宗十年」の虚構を見れば、反省しているはずがない
ことは明瞭です。
内心深く反省している話自体が桐山氏の自己憐憫が作り出した物語です。
涙、絶望、死で反省している「反省物語」を作り上げて、うまく読者をごまかし
た自分の文筆力と、物語の自分に酔っているのです。
「こんなに反省しきっている自分を責めるとは、おまえたちは何様だ」と桐山氏
は巧みな文章で批判側に反撃したつもりだったのでしょう。
ここにも、自分の作った虚構に酔い、「おれの頭の中など、低脳なあいつらには読
めるはずがない」という人を侮った心癖がよく表れています。
- 84 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/26(金)
20:51
「詐欺的性格の系譜」 9.自分で作った物語を信じてしまう
桐山氏は、自分の人生は仏によって、自分の意図としない方向に大きく変えられ
たという物語を、後々になるほど本気で信じるようになります。
阿含宗の宣伝本を書いた室生忠氏に対して、桐山氏は次のように述べています。
「わたくしはねえ、やはり、自分に課せられた使命があったと思うんですねえ。
だから、わたくしは、生まれながらこういう道を歩ませられた。」
この文章は、暗に前科も仏の使命の一部だという意味を含ませています。
現実の桐山氏の人生を見る限り、課せられた使命などあろうはずもありません。
仏によって課せられた人生だというなら、阿闍梨を詐称させ、学歴を詐称させる
ような、仏そのものが詐欺師だということになってしまいます。
偽ビールを作らせたのも仏だというこになります。
内心深く反省して、その前科を語りたがらないというのなら、人情として理解で
きないことではありません。
前科という苦い体験を、普通の人なら、忘れようとするかもしれません。
心の修行をする宗教家なら、反省に結びつけ、厳しく自己対峙するために、信者
には積極的に事実をあるがままに話すかもしれません。
だが、桐山氏は普通の人でも、自己に厳しい宗教家でもありませんでした。
忘れることも、対峙することもせず、なんと、「立宗十年」という美しい物語に作
り変えています。
桐山氏は、嘘をついているというよりも、自分にとって不愉快な現実を空想によ
ってバラ色の物語に作り上げてしまうのです。
そのままでは苦いだけの自分の姿を、仏に歩ませられたというドラマにしてしま
うことで、自分の苦痛を快楽に変えてしまっています。
厳しく自己を見つめる宗教家ではなく、空想と妄想によって自分を美化して、そ
れに酔うという強い自己憐憫、ナルシシズムの面を示しています。
この意味で、阿含宗は桐山靖雄を英雄的主人公とする彼の小説の舞台そのもので
あるといえます。
- 93 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/28(日)
20:47
「詐欺的性格の系譜」 10.現実と妄想の区別がつかない特殊な脳
桐山氏の書いていることと実際とを比較すると、現実とは違う物語を作り上げて、
それを信じてしまうという奇妙なパターンがあることがわかります。
現実と妄想とが十分に区別されないために、それが虚言癖、詐欺性となって現れ
ているようです。
つまり、桐山氏は、現実と妄想との境界があいまいであるという特異な脳の持ち
主なのです。
普通の人は空想や妄想をしても、それを現実だとは思いません。
意識しなくても、現実と妄想は水と油のように、混ざり合うことはありません。
ところが、桐山氏の脳は、現実と妄想を区別するという当たり前のことができず、
両者の境界があいまいなのです。
桐山氏の脳では、現実の中に妄想が紛れ込んでしまい、区別がつきません。
その結果、一般人にとって明らかな妄想でも、桐山氏にとっては現実になります。
桐山氏の頭が現実と妄想の区別が付きにくいと考えれば、彼の作り上げた宗教は
かなりの部分が説明がつきます。
祖父が斬り殺した、実在しない霊障のホトケが見えたという霊視能力とは何か。
世紀末破壊の激しい恐怖感とそのビジョンまで見えてくるのはどうしてか。
現実と妄想の区別がつきくにい脳の持ち主ですから、本当に桐山氏はこれらを見
たり、感じたりしているのかもしれません。
目が醒めていても、これらの妄想をありありと見ることができるのかもしれませ
ん。
桐山氏は瞑想講義で、頭で作りだした物を、目の前にあるかのように感じること
ができるとして、これを高度の瞑想技術として紹介しています。
だが、桐山氏の脳が元々、現実と妄想の区別がつきにくいのなら、特別不思議な
ことでも、高度なことでもありません。
桐山氏にとっては、むしろこちらのほうが日常的なのです。
- 118 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/30(火)
20:44
「詐欺的性格の系譜」 11.成長の止まった脳
現実と空想の区別がつきにくいのは、幼児によくみられることです。
脳が未発達のうちは、空想を信じたり、現実と空想を混ぜて話したりします。
大人になると意識しなくても両者をはっきりと区別するようになります。
桐山氏の脳の、現実と妄想を区別する部分は、子供の時期に成長が止まってしま
ったようです。
桐山氏は、求聞持法などで脳を改造し、進化させたとまで豪語しています。
実際にはその逆で、子供の時期に脳のある部分の成長が止まってしまったのです。
その結果、現実と妄想の区別がつきにくいまま大人になりました。
桐山氏は口が達者で、文筆の才能もあったため、妄想にすぎないことも、現実で
あるかのように人々を説得してしまったのです。
小説家であれば、現実と空想の区別がつかないことはむしろプラスに働いたでし
ょう。
しかし、桐山氏程度の文才の持ち主など、世の中には掃いて捨てるほどいます。
芥川賞候補に推薦される予定だったと書いていますが、実際に桐山氏が書いた程
度の小説では、芥川賞どころか、作家としての生活も難しかったでしょう。
推薦するなどと世辞を言われると、すっかり受賞したような気分になり、後々ま
で本に自慢話を書くのは、まさに子供じみた空想癖です。
空想の世界で自己評価がとてつもなく高いだけで、現実世界では何も通用しない
から、いよいよ桐山氏は空想の世界に逃げ込むしかありませんでした。
偽ビール事件など、現実の世界と衝突し、あるがままの自分を見せられたとき、
桐山氏は脳の幼児性を拡大させ、妄想の世界に逃げ込んだのです。
今日でも、一九九九年七の月の地球壊滅の予言のように、はずれても、現実と自
分の非を認めるではなく、妄想の世界に逃避する性癖は変わっていません。
- 124 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/01(木)
20:44
「詐欺的性格の系譜」 12.密教の訓練で幼児性が増した
密教の修行も、桐山氏の脳の幼児性を強めることになりました。
密教は観念宗などと批判されるように、観想とよばれる空想の部分が修行の重要
な部分になっています。
密教は、空想の世界を宗教化したものであり、桐山氏にはぴったりでした。
目の前にありありと仏の姿を空想するなど、現実と妄想の境をむしろ取り払おう
とする修行です。
脳が元々そのようにできていた桐山氏には水を得た魚のようだったでしょう。
妄想の中で、桐山氏は求聞持法を体得して、超人に変身し、念力の護摩を焚きま
した。
砂場で遊ぶ堤少年は密教のお面をつけてウルトラマンに変身して、ウルトラ光線
を発射して火をつけたのです。
子供がウルトラマンになる分には大人は笑って済ませます。
桐山氏はお得意の弁舌と文章力で、それが現実であると説きました。
本人は嘘をついたつもりはなく、本気で変身したと信じていましたから、言葉や
文章に説得力があるのは当然です。
とてもリアルに説けるのは、桐山氏にとって妄想が現実だからです。
子供が戦争ゴッコやお人形さんゴッコという空想の世界で遊ぶように、桐山氏の
脳は、空想の世界こそが得意分野でした。
空想の世界で即身成仏する密教は、桐山氏のために準備された宗教でした。
密教は、超人からメシア、アンゴルモアの大王、有余依涅槃の聖者と勝手気まま
に変身することを認めてくれます。
つまり、桐山氏の脳の一部が未発達のため、妄想と現実の区別がつかず、それを
密教という様式を用いて宗教として説いたのが、阿含宗です。
- 143 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/03(土)
20:59
「詐欺的性格の系譜」 13.小説の中の超人・桐山氏
桐山氏は何本か小説を発表しています。
「超人街を行く」(1974年)では、念力の護摩を焚き、超能力を持つ主人公が事故
を予知して、未然に防ぐためにわざと車を壊す話です。
「密教誕生」(1976年)では、さえない僧侶が、綺羅星のように現れた空海の弟子
になり、一気に表舞台に出てくる話です。
「地球壊滅」(1988年)は、地球壊滅の危機に、アメリカにメシアが現れ、それを
日本の念力の護摩を焚いた宗教家が助けるという話です。
いずれの小説も、桐山氏をモデルにした自慢話にしか見えませんから、あまりの
自己顕示欲にうんざりして、読み捨ててしまう人も多いようです。
しかし、小説をホラ話や自慢話と読まないで、彼の心の奥にある妄想の世界を表
したものであると考えれば、桐山氏を知る上での重要な資料になります。
いずれの主人公にも共通性があります。
・超人的能力を持っていながら、隠している。
・周囲からは評価されず、劣った人間だとさえ思われている。
・時期が来たとき、超人的能力を示し、周囲をアッと言わせる。
主人公たちの設定はそのまま桐山氏の願望と妄想を表しています。
桐山氏には、自分はすごい能力があるのに、周囲からは評価されていないという
強い鬱屈した気持ちがあるのがわかります。
「いつか見返してやる」という、自分をバカにした周囲に対する復讐心にも似た
気持ちが、これらの小説の中で繰り返されています。
すごい才能を持っている自分を世間は評価しないどころか、刑務所に放り込んだ
ことに、「いまに見ておれ」という気持ちの現れなのでしょう。
- 154 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/05(月)
20:56
「詐欺的性格の系譜」 14−1.呻吟する龍
3つの小説に共通するのは、毛虫が蝶に変身するように、桐山氏は突然世に出て、
世間をアッと言わせ、拍手喝采と羨望を浴びる自分を夢見ていることです。
急に能力を発揮した桐山氏を見て、周囲の凡人たちが唖然としているのを、超然
と見下すような気持ちを味わいたくているのがわかります。
小説からは「一気に世に出てやる」「おれのスゴサを見せてやる」という気持ちが
生々しく伝わってきます。
同様の妄想は桐山氏の本の随所に見られます。
「説法六十心」では人間の性格の説明をしています。
その一つ「龍心」を、「密教修行者が入佛の境涯に入る直前の人間として最後にし
て最高の段階」と表現しています。
つまり、桐山氏は自分がその龍心の持ち主だといいたいです。
力や性格が強大になり、広大な思量と神通力を持つようになるといいます。
桐山氏は説明の最初に詩を載せ、内容は次の一文に表されています。
「だれか龍のかなしみといかりと期待と絶望にみつる心を知っているか」
詩では、呻吟の声、憂い、孤独の魂、号泣などと、強大で壮大な龍心にしてはず
いぶん湿った龍心です。
もちろん、これらは桐山氏本人の心を表現したものに他なりません。
桐山氏は龍のように力や性格が強大で、広大な思量と神通力を持っているが、そ
れを認められることなく、かなしみといかりと絶望に満ちているようです。
凡人には桐山氏の全貌をとらえられないくらい自分の能力と力量は広大だと言い
たいようです。
- 155 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/05(月)
20:58
「詐欺的性格の系譜」 14−2.呻吟する龍
地球救済のメシアだとか、有余依涅槃の聖者、つまり仏陀だいうのだから、桐山
氏の妄想はなるほど壮大、広大です。
気に入らないと信者でも職員でもどなりつけ、どこまでも嘘やわがままを押し通
しますから、常人にない気の強さの持ち主なのも事実です。
自己中心的でわがままな性格と、妄想と自己憐憫に満ちあふれた自分の心を、龍
心などと美化し、その美しさに溺れています。
悪いことをしたから有罪になり、能力がないから小説家になれなかったにすぎな
いのに、世間は自分の能力を認めてくれないと嘆く詩まで作っています。
現実の自分を見ることなく、経典に龍心など出てくると、たちまち妄想の翼を広
げ、自己正当化に利用しています。
子供がウルトラマンを見て、すっかり自分もウルトラマンの心になっているのと
同じです。
小説どおり、妄想は世界規模になり、地球壊滅という舞台を得て、桐山氏は人中
の龍に変身して駆けめぐり、地球を救済するメシアとなるはずでした。
しかし、今日に至るまで、桐山氏の小説に現れた妄想は妄想のままに留まり、桐
山氏の心が龍心になることもありませんでした。
- 163 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/07(水)
20:54
「詐欺的性格の系譜」 15.今度の本で最後が三十年
信者たちの長年の不満は、桐山氏が次々と本を書くばかりで、宣伝内容に相当す
る実地指導をしてくれないことです。
桐山氏は本を書くと、
「この本を書くために、自分はこれまで苦労してきた。今度の本が最後だ。これ
を教科書にして今後諸君を指導していく」
という言葉を繰り返して来ました。
そして、半年もたたないうちに、
「本を書いているうちに、どうしても書かなければならないことに気がついて、
次の本を書いている」
と始まります。
このように、「変身の原理」以来、三十年、「最後の本」を書き続けてきました。
「最後の本」が繰り返されるばかりで、伝法会での内容が真言宗の受け売りや、
他人からの盗用、効果のない内容だとわかると多くの信者たちが去りました。
残っている信者たちは、桐山氏は超能力や成仏法と称するものを体得しており、
本はその宣伝や教科書だと信じています。
「最後の本」の後に、桐山氏の秘伝が総本山から今度こそ出てくると信じて、何
十年もついて来た忍耐のかたまりのような信者もいます。
実は本がすべてです。
実態は何もなく、文字しかありません。
つまり絵に描いた餅、薬の効能書きにすぎません。
妄想をあたかも現実であるように主張できる手段は、弁舌と本だけです。
それを実際の世界にあてはめようとすると、妄想はたちまちしぼんでしまい、何
の役にたちませんでした。
だから、「変身の原理」以来三十年、変身した人は一人も出ていません。
もちろん、今後もただの一人も出てきません。
変身したという桐山氏自身、妄想を現実であるかのように長年書き続ける能力に
優れているだけで、知能も体力も並はずれていることはありません。
まだ公開されていない秘伝とは桐山氏の妄想そのものです。
本はその妄想を書き連ねたものにすぎません。
多くの信者は本が予告編だと思っているようですが、あれが本編なのです。
- 172 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/09(金)
21:39
「詐欺的性格の系譜」 16.なぜ本を書き続けるか
桐山氏が独自の教えとして伝授したもので、具体的に効果があったという話はあ
りません。
80年代後半まであった瞑想センターの講義は、チャクラ開発を目玉にしたもの
でしたが、だれ一人チャクラ開発に成功した人はいません。
法華信者が使う加持祈祷の一つを独古加持と称して伝授しました。
しかし、心に病や抑圧のある人に発現がみられるだけで、精神に異常をきたすこ
とを恐れて、一般の信者が加持することは許されていません。
仏陀の法と称して、眉間や尾てい骨へタッチする儀式が行われましたが、信者の
思いこみ以上の効果は上がっていません。
オウム真理教の麻原被告が信者に見せることができた超能力開発の幻覚ですら、
桐山氏は見せることができませんでした。
この三十年間、桐山氏の能力開発で何らかの効果があった例はありません。
まさに本は薬の効能書きの羅列であり、絵に描いた餅です。
桐山氏は自分の妄想を伝法会などで現実に実行してみて、まったく効果がないと
わかると、すぐに妄想の世界に戻り、本を書き始めます。
現実の世界で通用しないことは、桐山氏に苦痛です。
信者や環境のせいにして、妄想の世界、つまり本の世界に戻ります。
現実の世界では通用しないから、本という妄想の世界でもう一度自分のすばらし
さを認識しなおすのです。
一冊書き終えても、現実の世界では妄想が崩壊していくので、桐山氏はすぐに妄
想の世界に戻りたくなり、次の執筆を始めます。
本を書くことは、桐山氏にとって麻薬のようなものです。
その中で、桐山氏はヒーローになれるからです。
桐山氏がとりとめもなく、同じような焼き直しの本を書き続けるのは、これが理
由です。
本ならば、桐山氏は自由に自分の妄想を実現することができるからです。
- 184 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/11(日)
21:34
「詐欺的性格の系譜」 17.本は堤少年の砂場遊び
桐山氏のやっていることは子供の砂場遊びと変わりません。
砂場で遊ぶ堤(桐山氏の本名)少年は、ウルトラマンに変身して、ウルトラ光線を
発射してみたが、怪獣役の子供には何の効果もありませんでした。
彼はそのたびにまた同じような台本を書き直して、台本どおり、ウルトラ光線で
倒れてくれる信者を集めました。
いつも堤少年は、自分のポケットには、誰も持っていないすごい宝物があり、自
分に最後までついて来る人だけに、それをあげると誘いました。
だが、彼のポケットには、彼の空想以外は何も入っていません。
ポケットが膨らんでみえるのは石ころが入っているからです。
総本山という伽藍を建て、滝場や瞑想室を作り、形だけは整えても、信者は妄想
以外の何一つ得るものはないでしょう。
現実の世界で何も効果がないとわかると、桐山氏は、それを弟子の無能、不徳の
せいにします。
普通の人が桐山氏の教える内容を体得できないのは当たり前です。
桐山氏と同じような妄想と現実の区別のつきにくい脳の持ち主のみが、桐山氏か
ら何物かを得るでしょう。
しかし、こういう人たちは、現実の世界では通用しません。
何か技法があってそれを本に書いたのではなく、本こそがすべてなのです。
桐山氏には秘密の技法があるのではなく、本に書いた物語しかありません。
ウルトラマンのまねをしても、誰もウルトラマンになれないのと同じことです。
ウルトラマンになったと信じ込んでいる堤少年と、同様の妄想型の脳の持ち主以
外、だれも桐山氏の技法を体得することはできません。
- 187 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/13(火)
20:26
「詐欺的性格の系譜」 18.不思議大好きオタクの走り
桐山氏の脳は、進歩した脳ではなく、成長の止まってしまい、大人になりきれな
かった子供の脳だと考えれば、彼のたいていの言動は説明がついてしまいます。
桐山氏は極めてノリのいい人です。
仮面ライダーが「へんしーん」というと、「変身の原理」を書きました。
映画「エイリアン」を見ると、エイリアンの如き女怪という霊障のホトケの話を
本に書きました。
日航の機長がUFOを目撃すると、初護摩の歌にさっそく詠んでいます。
1974年の伝法会では、次のように予言しています。
「ある世紀末に日本は沈没し、100から120日目に隆起する」
これは前年ベストセラーになった小松左京のSF「日本沈没」の影響です。
二十年近くも脅迫しつづけた世紀末破壊は、ノストラダムスの予言の影響です。
世間受けすることを取り入れるコピーライター的な才能はよく指摘されます。
それだけでなく、空想や不思議現象を無批判に受け入れてしまう子供っぽい性格
をしているのがわかります。
驚くほど簡単に不思議現象を信じてしまう、「不思議大好きオタク」の走りのよう
な性格です。
今日、霊障の不成仏霊という幽霊のタタリで人々を脅迫しているのも、案外、本
人は自分が作り上げた恐い話をもっとも信じ、恐れているのでしょう。
ちょうど子供がテレビで恐怖ドラマを見てトイレに行けなくなるのと同じです。
高層ビルが赤々と燃え、激しい恐怖に襲われる地球壊滅のビジョンをインドで見
たのも、パニック映画などを見た記憶でしょう。
高層ビル火災を描いた映画「タワーリング・インフェルノ」(1974年)が公開され
たのは、桐山氏がインドに行く前でした。
核による地球壊滅を描いた映画「渚にて」(1959年)も観たと述べています。
桐山氏の子供じみたところは、映画などの影響で自分の脳が作り上げた恐怖にす
ぎないものを、自分の能力で透視していると信じ込み、それを事実であるとして
堂々と本にしたり、周囲に話をしてしまう点です。
普通の大人ならまずやらないことです。
- 194 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/15(木)
20:59
「詐欺的性格の系譜」 19.妄想的名誉欲
名誉欲が異常に強いのも、子供が砂場で王様ゴッコをやるのと同じです。
桐山氏の名誉欲には二つに分類されます。
一つは大僧正、法位法号、名誉博士、名誉教授など世間的な名誉や肩書です。
世間的な肩書きを求めることは、普通の人にも見られることです。
桐山氏もただの俗人、俗物だという証拠です。
もう一つはアデプト、アンゴルモアの大王、恐怖の大王、メシア、アナゴン、無
能勝明王、ついには有余依涅槃の聖者など、自分で作り出す妄想的名誉です。
妄想的名誉を、それも際限なく次々と名乗るのは、普通の人には見られません。
桐山氏の脳のある部分が子供時代に成長が止まってしまったと考えれば、妄想的
な名誉欲も説明がつきます。
子供たちはスーパーマンなど物語の主人公になったつもりで遊びます。
子供たちがスーパーマンになったつもりになるように、桐山氏は妄想的な名誉の
肩書きを自分につけて喜んでいるのです。
桐山氏のメシア宣言やブッダ宣言は、砂場の子供たちが「ボクはスーパーマンだ」、
それにあきると「ウルトラマンだ」と言っているのと同じです。
桐山氏は常に妄想の中では、人々の頂点に立つスーパーマンです。
頭の中は、子供時代の砂場で、ビンの王冠を胸につけていたガキ大将から一歩も
出ていません。
彼は王様であり、信者は、王様を誉めたたえ、かしずく家来や庶民です。
桐山氏は、信者の前に登場するとき、大音響の太鼓とともに現れます。
普段、道場で信者の前に姿を現す時には、職員が信者たちに座って合掌礼拝する
ように露払いをします。
全員に頭を下げさせ、大いばりで練り歩く姿は、すべての欲から解き放たれた聖
者の姿ではなく、まさに王様です。
阿含宗には「ムドラー舞踊」と称する、奇妙な衣装をつけた女性たちの踊りがあ
ります。
ムドラー舞踏は健康増進や超能力開発をうたい文句にしていますが、説明と現実
のあまりの脈絡のなさに、信者たちも首をかしげます。
ムドラー舞踊を踊る女性たちは、王様の踊り子たちだと見れば、説明がつきます。
王様が「舞をもて」とご所望されているのです。
桐山氏は阿含宗王国に君臨する勲章をたくさんつけたエライエライ王様です。
- 209 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/17(土)
20:57
「詐欺的性格の系譜」 20. 不思議大好きオタクの走り
桐山氏の言う5つの超人的能力も子供のスーパーヒーローゴッコであると考えれ
ばよく理解できます。
桐山氏は、「変身の原理」以来、5つの超人的能力の持ち主だと宣言しました。
しかし、彼の超能力が客観的に証明されたことは一度もありません。
目がカメラなはずなのに、阿含宗の職員の名前と顔すらも完全には記憶していま
せん。
数時間前に自分が許可したことを忘れて、「誰がこんな許可を出した」と職員を、
全国生中継中の例祭で、信者の面前でどなりつけたこともあります。
現実の桐山氏を見る限り、5つの超人的能力などありません。
記憶力も判断力も人並みであり、身体も人並みなのは脳梗塞をみれば十分です。
桐山氏が人並みはずれているのは、その子供じみた妄想癖です。
子供がスーパーマンになり、透視したり、目から光線が出たり、空を飛んでいる
つもりになるのと同じです。
桐山氏の5つの超人的能力とはこの子供たちの超能力ゴッコと同じです。
あまりに堂々と主張したものだから、多くの人は、桐山氏の妄想とも知らず、最
初信じてしまったのです。
十八年間、信者を脅かし続けた地球壊滅も地球壊滅ゴッコ、地球壊滅物語でした。
桐山氏はそこで格好良く地球救済者として登場する正義のヒーローでした。
地球を救うウルトラマンやスーパーマンの役だったのです。
現実が桐山氏の思ったように進まず、矛盾が露呈しても、彼は次の砂場の物語を
作ればいいだけです。
悲劇なのは、桐山氏の砂場のスーパーヒーローゴッコを本当のことだと信じて、
時間と金を投じた信者や、人生をかけてしまった職員です。
悲劇はまだ続いています。
総本殿で、桐山氏は能力開発の伝授を始めると宣伝しています。
これもまた能力開発ゴッコにすぎません。
桐山氏の本はドキュメントのような形態をとった宗教小説です。
阿含宗は、砂場で堤少年が語り続ける物語にすぎません。
- 215 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/19(月)
20:18
「詐欺的性格の系譜」 21.人格変換、霊格変換という現実逃避
桐山氏の脳の一部が子供時代に成長を止めたとすれば、いくつか説明のつく言動
があります。
子供は自分自身の客観的な評価がわかりません。
「野球選手になる」「大金持ちになる」などと言うのは、客観的に自分がどの程度
の人間であるかがわからないからです。
桐山氏もまた自分がどの程度の能力を持っているのか、客観性がなく、自分は他
人よりもずっと優れた人間だと信じ込んでいます。
超人、聖者、ついには有余依涅槃の聖者などと、子供のように自分を客観的に見
ることができず、空想や妄想を現実だと信じている表れです。
子供は激しい虐待などを受けると、空想の世界を作り上げて、逃げ込みます。
才能にあふれ、賞賛されるべき自分が、前科を持ち、世間から糾弾されることは、
桐山氏にとっては世間からの虐待です。
彼の子供の脳は、現実の自分を認められず、空想の世界に逃げ込みました。
仏からのご霊示によって、芥川賞候補の小説家を諦めて、宗教の世界を歩まされ
るという空想物語に逃げ込みました。
虐待を受けた子供は、最初は空想の話し相手などを作り、現実から逃避し、症状
が進むと、自分の中に別人格を作り上げます。
演技をしているのではなく、極めてリアルな別人格が現れます。
桐山氏は「人格が変換した」「霊格が高くなった」など、何回か自分が変身したこ
とを宣言しています。
桐山氏にとって何か思わしくないことがあると、そのたびに、別人格を作り上げ
て、そこに逃げ込んだのが彼のいう人格変換、霊格変換です。
もちろん、桐山氏の霊格はおろか、人格にはなんら進歩や変換が見られないこと
は、詐欺性一つを取り上げても十分です。
人格障害者にとって、別人格がリアルに存在するように、桐山氏は、人格や霊格
が変換して変身した自分を本気で信じ込んでいます。
実際は、メシアや聖者という別人格を作り上げて、そこに逃げ込んでいるにすぎ
ず、それを八十歳をすきだ今日、まだ繰り返しています。
- 217 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/21(水)
20:41
「詐欺的性格の系譜」 23.犯罪者ではなく脳障害者
桐山氏が妄想と現実の区別がつきにくい脳の持ち主であるなら、彼に対する評価
も変更する必要が出できます。
通常、犯罪者であっても、精神を患っている人は必ずしも責任を問われません。
同様に、脳の一部に欠陥があり、妄想と現実の区別がつきにくいなら、桐山氏を
詐欺師という犯罪者ではなく、病人や知的障害者として取り扱うべきです。
桐山氏は意図して詐欺をし、意図して嘘をつくのではなく、頭の中で妄想と現実
の境界が曖昧であるために、結果的に人をだますのです。
こういう点、桐山氏の脳はまさに病的な脳だと言えます。
妄想と現実の区別という一般の大人にとっては何でもないことが、桐山氏の脳で
はできません。
桐山氏は人をだましたつもりはありませんから、自分が詐欺師だのパクリ屋だの
と呼ばれることに腹を立てているでしょう。
なぜ自分がそう呼ばれるのかすらも理解できないでいます。
それどころか、聖者である自分を非難するとは何事かと、世間を見返すためにも、
もっと妄想を広げ、世俗的な名誉を得ることに拍車がかかります。
自分は地球を救う聖者であり、ブッダにまで到達したと確信しています。
本人が信じているから、桐山氏は嘘つきや詐欺師にありがちな卑しい顔はしてお
らず、求道者のような顔すらしています。
これは桐山氏の妄想の世界においてはまさに求道者であり、彼は自分が聖者であ
ることを信じて疑っていないからです。
桐山氏のような脳の持ち主が世の中にいないわけではありません。
神の声が聞こえるとか、自分は仏だと本気でいう人たちはいつも存在します。
こういう人たちがそうであるように、桐山氏もまた、本来なら病院で治療を受け
るべきです。
ただし、今日の精神医学では、桐山氏の脳の欠陥を治すことは不可能です。
※この23は22にあたります。
- 219 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/23(金)
21:13
「詐欺的性格の系譜」 24.信者による共鳴
桐山氏の妄想は彼一人だけでなく、周囲がその妄想に同調することによって強調
され、増幅され、確固としたものになります。
その一例がメシア宣言です。
桐山氏は当初、自分からメシアであるとは宣言しませんでした。
メシアだと周囲から言ってほしいのだと気が付いた先達の一人が、これを文章に
して桐山氏に提出しました。
桐山氏はこれに飛びつき、数十枚の原稿を、スタッフを使って一冊の本に仕上げ
ました。
あたかも第三者が桐山氏を、メシアであると書いたかのような体裁です。
ここまではヤラセだと考えれば、それほど不思議なことではありません。
ところが、いったんメシアであると他人から言われると、自分が言わせたことを
忘れて、第三者から見ても、自分がメシアに見えるのだと信じてしまうのです。
自分でしむけておきながら、信者にメシアだと呼ばれると、第三者が保証したか
のように、いよいよ自分はメシアなのだと確信しました。
桐山氏の頭では、自分が作り出した妄想を、他人に言わせ、改めて自分の耳に入
ると、頭の中では妄想が現実へと変換されてしまうことがわかります。
妄想から始まって、信者に妄想を礼賛させ、礼賛を聞くことで、妄想が現実味を
帯び、確信をもった桐山氏はさらに宣伝します。
桐山氏と信者たちの間で一回りする回路の中で一種の共鳴現象がおきます。
共鳴によって妄想は急激に増幅され、教団の中では現実として語られるようにな
りました。
※この24は23にあたります。
- 221 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/25(日)
20:38
「詐欺的性格の系譜」 24.信者と裸の王様
信者たちは、桐山氏がメシアであると呼んでほしいのだと気が付くと、我先にメ
シア連呼を始めました。
これによって、桐山氏のメシア妄想は阿含宗の中では現実として認定されました。
信者は全員がこのような妄想賛歌を合唱するわけではなく、中にはこれを批判す
る人たちもいますが、彼らは自分から去るか、あるいは排除されます。
阿含宗では、桐山氏の妄想を現実であると礼賛し、積極的にあおり立てる先達こ
そが桐山氏の重用を受け、正しい信仰の持ち主とみされます。
批判する正気の信者がいなくなり、礼賛する信者だけが残りますから、ますます
阿含宗の中では桐山氏の妄想が純粋培養されます。
信者たちが妄想を積極的に賞賛することで、妄想と現実の境目をより一層あいま
いなものにしています。
妄想と現実が混じり合った桐山氏の頭の中を、信者の和讃が凝固剤の役割をはた
して、確固たるものにしています。
信者がどう共鳴しようが、妄想の凝固剤の役割を果たそうが、妄想は妄想であっ
て、桐山氏がメシアやブッダになることはありません。
ありもしないことを現実として語り合うのですから、一種の集団ヒステリーです。
このような光景は、「裸の王様」の寓話そのものです。
子供の頃からたいていの日本人の知っている寓話が、目の前で起きていながら、
先達たちは桐山氏の目に見えないお召し物のすばらしさを誉めたたえます。
桐山氏はアンゴルモアの大王ではなく、裸の大王です。
- 232 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/02/27(火)
20:57
「詐欺的性格の系譜」 25.桐山流プラス思考
自分が作った妄想を一番よく現実だと信じ込む能力は、桐山氏が生まれつきは持
ち合わせていたものでしょう。
子供が空想で作った物語を、嘘だと非難する大人はいません。
困ったことに、桐山氏は大人でした。
普通の大人なら、自分がやった現実を見て、反省するなり、修正をします。
しかし、桐山氏には、さらにここに特異な性格が加わります。
それは決して、自分に都合の悪い現実を見ないということです。
桐山氏はよく信者に次のように話します。
「物事には明るい面と暗い面がある。光と影がある。自分は暗い面、影は見ない
ことにしている。」
信者たちも桐山氏も、これをプラス思考だと理解しています。
プラス思考とは、光と影の両面を知り、その上で、影の面にとらわれずに、明る
い面を積極的に見ようという考えです。
一方、桐山氏のそれは、影の部分をいっさい見ない、無視するということです。
自分の間違い、欠点、問題点はいっさい見ず、批判は無視するという意味です。
桐山氏の言っていることは、
「自分にとって都合の悪い過去の暗い事実はいっさい見ないし、反省もしないし、
間違いは認めない。自分に都合のいいように明るい物語に作り変える」
という意味で、これが桐山流プラス思考です。
桐山流プラス思考を心がけているというよりも、これもまた彼の頭の構造が元々
そのようにできていたのでしょう。
偽ビール事件、阿闍梨詐称、学歴詐称などの現実は暗い面ですから、桐山氏はい
っさい省みることはありません。
桐山流プラス思考では、暗い現実を、霊障物語や超人物語など、桐山氏にとって
明るい話に作り替えますから、暗い面はなくなってしまいます。
暗い面を見ないのではなく、桐山氏の頭の中には、もはや暗い現実さなど最初か
ら存在しなくなるのです。
これが桐山流プラス思考です。
- 239 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/01(木)
21:01
「詐欺的性格の系譜」 26.桐山氏の観想懺悔
宗教は懺悔から入ります。
しかし、桐山氏がどんなに懺悔しても、元々の脳の構造が違うのですから、普通
の人の懺悔とは違います。
桐山氏の懺悔は、本人が懺悔するのではなく、深く懺悔する自分という物語を作
ってごまかしているにすぎません。
物語を作って懺悔を済ますのは、密教の観想と同じで、空想の懺悔です。
桐山氏が「オン・イングリッシュ・ソワカと唱えれば、英語ができるようになる
か」と密教を批判したことはそのまま彼の懺悔にもあてはまります。
観想懺悔は懺悔ではなく、自己弁護や開き直りです。
桐山氏は信者に懺悔などの心構えを説教します。
教えでは脳は変わらないと本人も言っているくらいですから、桐山氏の説教は、
本人にはまったく役立ちません。
妄想と現実の区別がつきにくく、懺悔は観想で済ませ、間違いも認めないのです
から、同じ間違いを繰り返します。
桐山氏の脳の縮図である阿含宗の組織にはそれが如実に見られます。
十年たっても二十年たっても、まったく同じ問題が何度も起きます。
組織の成熟度が低く、有能な人材が残りません。
これは観想懺悔しかない桐山氏がすべての決定権を持っているからです。
観想懺悔とは、トラブルがおきれば全部自分以外の者に責任を転嫁することです。
当然、下にいる職員も先達も、桐山氏のまねをします。
これで問題が解決して、有能な人材が育ったら、阿含の奇跡です。
- 266 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/04(日)
21:04
「詐欺的性格の系譜」 27.なぜ告訴したのか
ここに桐山氏の妄想が現実の前に崩壊した例があります。
1980年、桐山氏は、真言宗僧侶・織田隆弘師が「高野山時報」で桐山批判を書い
たので、名誉毀損で告訴しました。
訴えられた織田師が和解に応じず、法廷で決着しようとしたため、1982年第一回
の証人尋問が行われています。
法廷では、桐山氏の阿闍梨詐称、学歴詐称などの詐欺が告発されました。
どちらの詐称も、法廷で争えば負けることは、誰が見ても明らかです。
詐称していることは桐山氏本人が一番よく知っていたはずです。
織田師側にしてみれば、告訴は、裁判という公の場で桐山氏の詐欺行為を暴露で
きる千載一遇のチャンスであり、飛んで火に入る夏の虫です。
桐山氏がどうして自分でわざわざ恥をかくようなことをするのか、織田師たちは
首をかしげたにちがいありません。
証人尋問の後、桐山氏は告訴をすぐに取り下げました。
告訴を取り下げるということは、事実上、自分の負けを認めたのと同じです。
何か勝算や秘策があって告訴したのではないことは、これをみれば十分です。
五つの超人的能力を持つと豪語する桐山氏が、自分で告訴しておきながら、何一
つ反撃もできずに、尻尾を巻いて逃げてしまったのですから、織田師たちはあっ
けにとられたことでしょう。
桐山氏はどうして負けるとわかっている告訴に踏み切ったのでしょうか。
一見奇妙な桐山氏の行動にはいくつか理由が考えられます。
- 270 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/06(火)
20:49
「詐欺的性格の系譜」 28.告訴した理由1:恫喝は得意技
理由の一つは、告訴すれば、相手が怖じ気付いて頭を下げるのではないかという
ハッタリです。
自分を大きく見せて、相手を威嚇し、ハッタリだけで乗り切ってしまうという、
おそらくは祖父から受け継いだ才能でしょう。
「おれは頭が下がらない。下げるべき時に逆に上がってしまう」と言うくらいで
すから、桐山氏は決して自分の非を認めません。
自分の非を認めないために、相手を威嚇して、引き下がらせるのが常です。
間違いを指摘されると、職員や信者をどなりつけて威嚇し、ひっこめさせます。
職員も信者も納得した訳ではないが、桐山氏の剣幕の前に、引き下がる以外に方
法はありません。
引き下がらず、正論を言えば、間違いなく排除され、干されるからです。
桐山氏は恫喝した職員や信者が、自分の理屈に納得し、自分の偉さに頭を下げた
ものと解釈します。
阿含宗の中で猿山のボスとして長年この悪習が身についてしまったため、桐山氏
にとっては身近で効果のある解決方法になっていました。
こういう威嚇が織田師にも通用するのではないかと、度胸のよい桐山氏は一か八
かで告訴に踏み切ったということがあります。
告訴という恫喝に、信者同様、織田師もおそれをなして、謝罪を申し出るのでは
ないかと錯覚したのでしょう。
現実は、威勢よく吠えてみたが、織田師側の簡単な一撃に、戦わずして、尻尾を
巻いて逃げ出したのであり、みっともないの一言に尽きました。
桐山氏の智慧と超能力者ぶりを示すこの告訴の件は、自分から取り下げたことを
含めて、信者にはいっさい話しませんでした。
- 280 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/08(木)
20:31
「詐欺的性格の系譜」 29.告訴した理由2:すぐに頭に血がのぼる
二つ目の理由は、桐山氏の、すぐにカーッとなり、前後を読めなくなる性格です。
桐山氏は極端なまでの攻撃型の性格なので、守りがまるでダメです。
自分がどのような反撃を受けるかという予想すらつきません。
カーッとなると、後先が見えなくなり、告訴などしたら、自分の嘘がばれてしま
うという初歩的な予想すらつかなかったのです。
事実を列挙され、桐山氏の詐欺性が暴露されると、何一つ反撃できずに、這々の
体で、阿含宗という妄想の世界に逃げ帰るしかありませんでした。
桐山氏は他人の意見など聞かないし、異見を言う弟子がいません。
うかつに桐山氏に異見など言おうものなら、陰に陽に必ず排除されます。
信者が心得として読まなければならない修行者座右宝鑑では「批判を歓迎しよう」
と題して、次のようにあります。
「よく、好意をもって批判や忠告をしてくれる相手に反発して、腹を立てたり、
あれこれいいわけや理くつをのべたてて、相手をしらけさせたり、怒らせてしま
ったりする者をみるが、おろかの極といわねばなるまい。」
このように本にまで書いて信者に教えを垂れているところを見ると、桐山氏は自
分が「おろかの極」であるという自覚があるのでしょうか。
反発し、腹を立て、言い訳や屁理屈を並べたのは桐山氏ですから、この説教は、
本人に一番当てはまることであり、本人が一番守っていません。
「もちろん、批判の中には、誤解にもとづくまちがった批判や、中傷もある。し
かし、それらは気にしないで、笑っておればよいのである。」
と、最もらしい説教を信者に垂れている桐山氏が笑っていることはありません。
教えとは違い、本人が笑っていなかった証拠に、告訴し、逆に笑われました。
批判を受け入れる度量と、中傷にも悠然と笑っている余裕があるかのように美し
く自分を描きながら、実際となると、ただ逆上して、何の計画もなく、闇雲に告
訴に踏み切っています。
批判や中傷に度量や余裕のある姿は、桐山氏のお得意の物語にすぎません。
- 308 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/10(土)
21:34
「詐欺的性格の系譜」 30.告訴した理由3:妄想癖
三つ目は、桐山氏の得意技、妄想癖です。
現実を見るなら、阿闍梨を詐称し、学歴を詐称していることがばれているのだか
ら、法廷で争うなど論外です。
しかし、桐山氏の頭は妄想と現実の区別がつきにくいため、自分の詐称が悪事で
あるという自覚がありません。
仏のご霊示などに話を美しく作り上げてしまうため、現実が見えないのです。
詐称したのは本人が一番よく知っているのだから、誰が考えても、告訴など、か
えって自分の恥をさらすようなものです。
だが、桐山氏の頭の中では、詐称は美しい物語に変えられています。
妄想の中では、釈尊に一番近い聖者なのですから、「これほど偉い自分を侮辱する
とはけしからん」というのが本音です。
桐山氏の妄想の一つである未来予知能力では、告訴された織田師が心から謝罪し
ている姿が見えたのでしょう。
桐山氏は、もちろん、裁判で勝てると確信して告訴したのです。
中学生でも、この内容で裁判に勝てるかどうかは判断できるでしょう。
妄想をかたく信じている桐山氏には、中学生でもできる判断ができませんでした。
妄想だけで裁判に臨んだというこの事実は、桐山氏の妄想がいかに確信的なもの
であるかを示しています。
桐山氏の本や話を事実だと信じて入信してしまう人たちがいるのも無理はありま
せん。
- 331 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/12(月)
20:23
「詐欺的性格の系譜」 31.告訴魔は裁判所と相性が悪かった
桐山氏には「告訴魔」というアダナがあります。
といっても、批判に対して告訴したのは、織田師の一度です。
二言目には「告訴してやる」と息巻くものだから、告訴魔のアダナがつきました。
いつも「告訴してやる」を連発しているうちに、勝訴できるような自己暗示に陥
り、中身も考えずに、勢いでやってしまったのでしょう。
ニセビール事件で刑務所にまで入り、桐山氏の言い訳など現実世界では通用しな
いことを勉強させられたはずでした。
偽ビール事件から二十年たって、宗教という妄想が通用する世界でチャンピオン
になれたと確信し、再度、現実世界に挑戦したのでしょう。
告訴の一件は、桐山氏の妄想が現実の世界ではまったく通用しないことを、再度
証明した例でした。
1992年に広野隆憲師の批判本が出ると、桐山氏は激怒し、12年前の大失態を忘
れて、告訴してやると、また大騒ぎをしました。
職員や信者が必死になだめ、信者の手紙におだてられて、ようやく思いとどまり
ました。
告訴をやめたのは信者たちにとってはよくないことだったかもしれません。
現実世界で通用せず、尻尾を巻いて逃げ帰る聖者を見て、目が覚める信者も少し
はいたかもしれないからです。
もっとも、仏陀の智慧を持つ桐山氏が具体的な反論は何一つできず、煩悩を完全
に制御したはずなのに、ただ怒り狂い、信者におだてられてようやく怒りがおさ
まる姿を見れば、彼が聖者かどうかに気が付いてもよさそうなものです。
1987年には、密教食が薬事法違反で摘発され、桐山氏は罰金20万円の刑を言い
渡されています。
偽ビール事件、告訴、密教食と、桐山氏は裁判所とは相性が悪いようです。
これは裁判所が事実と中立公正を原則とし、妄想や金が通用しないからです。
桐山氏は学習効果のまったくない人ではありません。
以後、裁判所ではなく、マスコミなどに多額の投資をして、お金によって現実の
世界に自分の妄想を認めてもらうように方針を転換していきます。
- 356 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/14(水)
20:55
「詐欺的性格の系譜」 32.宗教としてのオリジナルは何か
阿含宗の主張は、因縁、霊障、地球壊滅、超能力、成仏法が主なものです。
因縁や霊障は、霊友会や立正佼成会などの教学から持ってきたものだし、地球壊
滅は大本を初めとする終末思想系の教団やノストラダムスからの借用です。
密教、心理学、原始仏教といった既成の権威をたくみに利用しているだけで、こ
れらはいずれも桐山氏のオリジナルではありません。
阿含経が釈尊の教えに最も近い経典であることなどは、桐山氏のオリジナルでは
なく、阿含宗の正当性を示す材料にはなりえません。
阿含宗の独自性は、桐山氏が、因縁や霊障や地球壊滅を霊視できる、超能人的能
力がある、因縁切りや霊障解脱の成仏法を体得したという点に尽きます。
これらの共通点は、すべて「桐山氏にしかわからない」という点です。
権威に使った密教、心理学、阿含経といった社会に存在するものと違い、霊視も
因縁切りも成仏力も、本人以外は誰も確認した人はいません。
桐山氏独自に作り上げた部分は、客観的には何も証明されていません。
実際にはどうでしょうか。
一つ目は因縁霊視、因縁解脱です。
桐山氏は1969年頃の機関誌で、自分は脳障害の因縁はないと断言しています。
「私の過労というのは、もちろん精神労働であるから、頭が痛くなるか重くなる
のが普通であるのに、私はいくら疲れても頭が痛くなるということは殆どなく、
必ず胃に来るのであった。これは、私に脳の因縁、つまり脳溢血の素因がなく、
胃癌の素因があるためである。」
脳障害の因縁がないと断言しているのに、本人は1996年に脳梗塞になりました。
自分の因縁すらも霊視する能力も、切る力もないことを示しています。
桐山氏の宗教の独自性の一つである、因縁が見える、因縁が切れるという主張は
まったく成り立っていないことを身をもって証明しています。
- 387 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/16(金)
21:12
「詐欺的性格の系譜」 33.切れたはずの刑獄の因縁
桐山氏の因縁現形は1996年の脳梗塞だけではありません。
1987年、光和食品の密教食は薬事法違反で摘発され、トップの役員として、桐山
氏は横浜簡易裁判所から、罰金20万円の判決を受けました。
宗教家である桐山氏が、この時期に光和食品という営利企業の会長職にあったと
いうこと自体が、彼の本当の目的と阿含宗の実態をよく示しています。
桐山氏は会長職を辞任するのを忘れていたなどと言っています。
求聞持法で記憶力がよくなると、都合の悪いことは早く忘れるようです。
光和食品が作られたのは1971年ですから、出家する前の話ではありません。
当時、宗教家であった桐山氏が会長職にあり、夫人を初め一族を役員につけたと
いうことは、金儲けが目的であったことは明らかです。
桐山氏はいつものように、光和の職員に全責任を転嫁して、信者の前で口を極め
て激しくなじりました。
四十年ほど前の偽ビール事件では、主犯格はS氏であると裁判所も認定しました。
しかし、今回は光和食品の最高責任者として、桐山氏本人が警察の取り調べを受
け、裁判所から罰金20万円の有罪判決を受けたのです。
この事実をどう言い訳しようが、阿含宗流にいうなら刑獄の因縁です。
会長職の辞任を忘れてようが、光和食品の職員に責任があろうが、無実の罪であ
ろうが、これを阿含宗では刑獄の因縁と言います。
桐山氏が長年説き続けてきた因縁論では刑獄の因縁に他なりません。
刑獄の因縁は、ずいぶん前に18人の武士を成仏させて、切れたはずでした。
刑獄の因縁を桐山氏は「三大悪因縁」として、不成仏霊の霊障から来る地獄界に
属する最悪の因縁であると述べています。
こういう因縁の増加こそが地球壊滅を招くものであると主張していました。
霊障から来る悪因縁を切って地球を救う力を持つメシアであるという桐山氏本人
が、1987年には、まだ地獄クラスの最悪の因縁を持っていたことになります。
これでは、自分が汚臭を出しながら、周囲を「臭い」と非難するようなものです。
- 473 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/18(日)
21:08
「詐欺的性格の系譜」 34.副管長はガンで死亡
桐山氏だけではありません。
2000年には、阿含宗副管長の桐山夫人がガンで亡くなりました。
桐山氏は、「阿含宗の信者の寿命は100歳だ」と言うくらい、因縁解脱の修行を
すれば、長寿と健康が約束されていると宣伝してきました。
そのためにも、光和食品のサプリメントを摂ることを強く勧めてきました。
その光和食品の社長でもあった夫人がガンで76歳で亡くなったのです。
夫人が最初にガンになったのは、1982年と言われています。
夫人は肝硬変か肝臓ガンの疑いが強く、桐山氏によれば、余命三ヶ月と医師に言
われたそうです。
夫人が発病した後、因縁解脱を説く桐山氏の行動は、実に奇妙なものでした。
夫人の病気を治すために、総本山に建てる銅像の製作を依頼したというのです。
いったい、桐山氏の作った阿含宗教学のどこに、病気平癒、因縁解脱のために銅
像を建てるという教えがあったのでしょうか。
さらに奇妙なことには、銅像の制作が終わるとともに、夫人の病気は治ったとい
います。
この桐山氏の行動を手本として信者が学ぶなら、ガンになったら、普段桐山氏が
勧める勤行、梵行、護摩木祈願、解脱供養、冥徳供養をするのではなく、総本山
に自分の銅像を建てればいいことになります。
銅像を建ててガンが治ったのなら、2000年の時には銅像をもっと建てて、夫人を
救ってあげるべきでした。
誰がどう聞いても、桐山氏は、夫人の病気が治ったことを使い、自分の銅像を建
てるという名誉心を正当化したにすぎません。
夫人の病気すらも、自分の野心に利用したのです。
- 551 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/20(火)
21:16
「詐欺的性格の系譜」 35.副管長はなぜガンになったのか
因縁解脱を説く阿含宗の副管長がガンで死んだのですから、 大事件です。
現実をあるがままに受け入れたくない信者たちは、「ガンで亡くなる予定の寿命よ
りも長生きさせていただいたのだ」という新しい教学を作り上げました。
夫人は1982年にガンが発病したことになっていますから、18年も長生きさせて
もらったことになります。
これは実に奇妙なことです。
夫人は阿含宗副管長の地位にあり、在家修行者としては一番上にあり、見本的存
在だったはずです。
観音慈恵会時代から因縁解脱の修行をし、当然のことながら、阿含宗の言う梵行
をして、一般信者とは比較にならないくらいの徳を積んだはずです。
観音慈恵会から阿含宗に至るまで、夫人は内助の功で苦労の連続であったと桐山
氏は述べていますから、桁違いの徳を積んだはずです。
在家信者の頂点に立つはずの夫人がどうしてガンになるのでしょうか。
しかも、1982年は阿含宗立宗以降ですから、桐山氏は釈迦の成仏法とやらをすで
に体得していた時期です。
夫人にガンの因縁があっても、切れていたはずです。
桐山氏なら、夫人のガンの因縁を霊視して、切るためのあらゆる方法を夫人に伝
授したはずです。
桐山氏にもガンの因縁があったといいますから、ガンの因縁切りの経験者です。
夫人だって、ガンで死にたくはないだろうから、必死に修行したはずです。
それが1982年という、おそらくは夫人の千座行も満願を十回近くも迎えていた
時期に、どうしてガンになるはずがあるでしょうか。
桐山氏は常々、因縁切りの行をして、解脱供養や冥徳供養をして、光和のサプリ
メントを摂っていれば、絶対にガンにはならないと断言していました。
夫人はこれらの中で何かが足りなかったことになります。
しかし、夫人の立場ではどれ一つとっても足りなくなるはずはありません。
このように、18年も長生きしたという前に、そもそも夫人が1982年ガンになっ
たこと自体がおかしいのです。
- 586 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/22(木)
21:10
「詐欺的性格の系譜」 36.因縁解脱で平均寿命もいかない
桐山氏は常々、阿含宗信者の寿命は100歳であり、自分は120歳まで生きると言
っていました。
日本には100歳を越す人が1万人いますから、桐山氏の言う因縁解脱がほんとう
に可能ならば、信者の平均寿命が100歳であってもおかしくありません。
しかし、桐山夫人は100歳どころか、満76歳で亡くなっています。
日本人女性の平均寿命は約84歳であり、70歳の女性の平均余命は約18年です
から、実際の平均寿命は88歳ということになります。
実際の平均寿命から見ても12歳も若くして亡くなったことになります。
因縁解脱の修行も何もしていない一般人が88歳まで生きるときに、在家信者の
代表のような夫人が12歳も若くして死ぬとはどういうことでしょうか。
夫人は、阿含宗の副管長の他に、光和食品社長、平河出版社長、阿含宗出版社社
長、日本宗教放送社長などに名を連ねていました。
何も知らない信者たちは、これらの激務からガンになったなどと噂しています。
社長に名を連ねていたのは、個人企業でよくあるように、親族に役員手当を払う
ためのもので、夫人が仕事をしていたのではありません。
阿含宗の系列会社は、親族が役員に名を連ね、報酬を得る仕組みになっています。
夫人は、魂、身体、精神世界などそれぞれのトップにありながら、凡人と変わら
ぬガンを患い、人並みにも達しない寿命で亡くなっています。
桐山夫人であり、副管長であり、在家信者のトップともいえる夫人がガンの因縁
で亡くなったのに、一般の信者の因縁が切れるなどありえません。
因縁解脱の修行も、光和食品のサプリメントも、病気や寿命には何の力もないこ
とを、夫人が身をもって示したことになります。
夫人は自分の寿命をもって、因縁解脱を初めとする修行法は、桐山氏の作った空
想であり、現実には何の効果もないことを、信者たちに示しました。
ある意味で、夫人の最後の本当の清浄行、梵行であったといえます。
- 630 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/25(日)
20:44
「詐欺的性格の系譜」 37.寿命を縮めたのは夫
夫人を助けるための桐山氏の法力はどうしたのでしょうか。
桐山氏は常々、ダイヤモンドを煮詰めて飲んでも寿命は延ばせないが、自分の法
力で寿命は延ばせると豪語していました。
延ばして、たった76歳とはずいぶんケチくさい法力です。
夫人が平均寿命に達しなかったのは、桐山氏が原因である可能性があります。
1996年、桐山氏が脳梗塞を患うと、夫人は心配のあまり、この時期に一回り小さ
く感じさせるほどに痩せています。
看病は専門家を雇ったでしょうから、夫人の変化は心痛が原因だったのでしょう。
夫が脳梗塞を患えば、妻が心配するのは不思議なことではありません。
だが、夫人の夫は、通常の夫とは違い、超人を自称し、健康で長寿長命を宣言し、
おそらく彼女もそれを信じていたのでしょう。
超人は、あっさりと同年令の普通の老人のように脳梗塞を患ってしまいました。
桐山氏が超人だという妄想は桐山氏本人だけでなく、夫人もまた信じていただけ
に、そのショックは大きかったのです。
ショックは心理的なものだけでなく、現実的な面はもっと深刻でした。
桐山氏が倒れたら、ワンマン経営の阿含宗が倒れ、後に残された莫大な借金をい
ったい誰が背負うのかという問題です。
夫人と堤一族のぜいたくな生活は、阿含宗の成功によって支えられていました。
いろいろな会社の名目上の社長になり、そこから得られる役員手当が、夫人の豪
華な生活を支えていました。
しかし、系列会社は自立しておらず、阿含宗の信者を食い物にした殿様商売なの
で、阿含宗の衰退とともに、いずれも赤字を抱えています。
親亀の桐山氏がこければ、子亀の会社はこけ、夫人を筆頭とする孫亀の堤一族は
皆こけることになります。
夫人の心痛は並大抵のものではなかったでしょう。
ストレスはガンを再発させる要因の一つです。
桐山氏の脳梗塞が、夫人のストレスを増大させ、痩せるほどの心痛から、ガンを
再発させたのでしょう。
桐山氏は夫人の寿命を法力で延ばすどころか、実際には縮めたのです。
- 667 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/27(火)
21:05
「詐欺的性格の系譜」 38.夫人の死も金集めの材料
桐山氏はかつて本の中で、世界は1995年から「危」の時代に入り、
「1998年に、ふたたび「危」の時代に入り、2000年に「滅」をむかえる」
と警告の予言を出していました。
「危」の時代に入った1996年には借金苦から来る脳梗塞になり、2000年の夫人
の死は、阿含宗にとってはまさに「滅」だったのでしょう。
桐山氏によれば、滅亡のカルマによって地球は滅ぶとのことでした。
阿含宗は桐山氏の長年の悪業によって、まさに滅亡の危機に瀕しています。
桐山氏の予言は阿含宗においては当たったのかもしれません。
だが、桐山氏は夫人の死くらいではまったく動じませんでした。
夫人に菩薩の戒名を授け、信者たちに、護摩木祈願をさせています。
「故堤たち副管長猊下に捧げる」と題して、夫人が菩薩界から阿含宗と信者を守
護してくれていることへの感謝の気持ちを送ることになっています。
表には「三身即一の阿弥陀如来」と書かれた、信者すらも説明できない意味不明
の護摩木に祈願することになっています。
これを不成仏霊を供養する胎蔵界の護摩壇で焚くというのですから、菩薩夫人は
信者の供養を必要としているのでしょうか。
ガンで亡くなったということは、阿含宗の教学では餓鬼クラスという、三悪道の
一つですから、夫人は餓鬼クラスの菩薩ということになります。
亡くなった夫人をネタにして、さらに護摩木で金集めをしようという桐山氏は、
まさに常人を越えた超人的心の持ち主であると言えます。
このように、桐山氏に因縁霊視、因縁解脱の力があると仮定してしまうと、夫人
の姿は矛盾だらけです。
因縁などという難しい話は必要ありません。
夫人は普通の人間であり、日本人の死亡率の一位にあるガンになって、一度はう
まく回復したが、ストレスから再発して亡くなったという、それだけです。
そして、桐山氏の因縁霊視も因縁解脱も、夫人が菩薩になったお話も、彼が作り
上げた妄想にすぎないことを夫人の死が証明しています。
- 686 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/03/29(木)
20:35
「詐欺的性格の系譜」 39.桐山氏独自のものは何一つ成り立っていない
阿含宗独自のものとして、因縁の次は霊障解脱です。
霊障は、祖父が斬り殺した18人の武士の話自体が祖父の作り話ですから、それ
が見える霊視能力など桐山氏の妄想以外のなにものでもありません。
不成仏霊を成仏させる成仏法は今日でも誰一人、その「使用前使用後」を確認し
た人はいません。
不成仏霊が見えるのも、認定するのも、成仏させるのも、成仏の確認も、桐山氏
の頭の中にあることで、客観的に確認できることではありません。
釈尊は死者の供養や成仏など説いたことはありませんから、桐山氏の言う成仏法
など、釈尊の教法とは何の関係もないことは明らかです。
能力開発は問題外といっていいでしょう。
能力開発を宣伝してからすでに三十年たって、いまだにただの一人も何らかの能
力開発、能力向上した人は出ていません。
唯一人、5つの超人的能力を持つと自己申告しているのは桐山氏本人です。
しかし、超人が作り上げた阿含宗の組織は、ワンマン社長の中小企業と変わりな
く、しかも人材が育たないためにガタガタです。
「変身の原理」以来の桐山氏の行動は、新興宗教の教祖が自分の教団を拡大しよ
うとしただけで、どこにも超人的能力を証明するものはありません。
超人でもない人物が、病気を患い、八十を過ぎて、今から信者に能力開発の手ほ
どきをするなどと言っても、信者以外に誰が信用するでしょうか。
このように桐山氏が独自に作り出したものを一つ一つ検証してみても、客観性は
なく、宗教としての成果は何も生みだしていません。
桐山氏が独自に作り出した部分は、阿含宗という妄想空間から現実世界に一歩出
たら、雲散霧消してしまいます。
阿含宗とは、因縁解脱、霊障解脱、能力開発という妄想話を、密教、心理学、阿
含経などの権威を使い、事実であるかのように粉飾した宗教にすぎません。
- 716 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/01(日)
21:13
「詐欺的性格の系譜」 40.妄想だけでは物足りなかった
現実世界でまったく通用しないことに桐山氏も内心気が付いていたのでしょう。
80年代後半から、法位法号、名誉教授、名誉博士など様々な勲章を求めるよう
になります。
勲章を求めた主な理由は、学歴コンプレックス、名誉欲、またこれらを金銭的に
買えるだけの資金的な余裕が阿含宗に出てきたからです。
もう一つ重要なことは、これらの名誉は現実世界で通用するという点です。
桐山氏は現実世界で通用する「通行手形」がほしかったのです。
いくら妄想の世界で聖者や超人を自称しても、通用するのは信者だけで、世間で
は相手してくれません。
桐山氏は信者だけでは物足りなく、世間一般からの礼賛を欲しがっていました。
霊的な世界での成功者である聖者など建前にすぎず、本音は現実世界での偉大な
成功者として賞賛をあびることが桐山氏の最大の夢でした。
妄想世界での成功をアピールした「変身の原理」以後、現実世界への挑戦はいず
れも失敗しました。
当初、密教の旗頭として、学者や既成仏教の僧侶たちの賛辞が得られましたが、
桐山氏の妄想にすぎないことに気が付いてほとんどの人たちが去りました。
次に阿含経を持ち出し、悲壮な決意で釈尊を担ぎ出した自分という演出をして、
阿含宗を名乗りました。
一時期、阿含経に注目を集めることに成功しましたが、阿含宗の内容が釈迦仏教
とは似ても似つかないため、評価は得られませんでした。
小説家の才能を駆使して、妄想をつなぎ合わせた宗教本は、信者を獲得するのに
はいいが、社会的評価には効果がありませんでした。
ところが、バチカンやダライ・ラマなど、海外に投資することで、世俗的な名誉
を得られることに気が付きました。
桐山氏の正体を知らない外国なら、金を使うと簡単に社会的な評価が得られるこ
とに気が付き、以後、勲章買いに走ります。
桐山氏にとって、現実社会に通用するのは勲章と、総本山を初めとする阿含宗の
施設の二つです。
これ以外は、桐山氏の妄想ですから、彼にとっても価値がありません。
だから、桐山氏はこの両者に強い執着を持っています。
- 732 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/03(火)
21:04
「詐欺的性格の系譜」 41.何も変わっていない詐欺的性格
偽ビール、僧籍詐称、学歴詐称、密教占星術奥伝の盗用など三十年間の出来事か
ら、一つの桐山氏の性格が浮かび上がります。
個々にみると、前科者というような不当な差別になってしまいますが、桐山氏の
独特の一貫した性格が現れています。
脳の発育不全が原因と思われる「詐欺的性格」がはっきりと現れています。
偽ビール事件は1954年、密教占星術奥伝の盗用は1990年頃です。
半世紀近くも隔たっていながら、桐山氏は同じ手法で人をだましています。
1990年頃、因縁の完全解脱とメシア宣言をしましたが、同じ頃の密教占星術の盗
用を見れば、若い頃の犯罪に現れた詐欺的性格がそのままです。
偽ビールが宗教に変わっただけで、桐山氏の中身は何も変わっていません。
因縁解脱、心解脱したはずの聖者が、若い時と変わらない詐欺的な性格を持って
いるとすれば、桐山氏の解脱もまた詐欺的解脱であると見るべきでしょう。
何も変わっていない桐山氏は今日も同じことを繰り返しています。
桐山氏の発育不全の脳が老化することで、宗教的な羞恥心すらも失い、ついに自
分が有余依涅槃の聖者、つまり仏陀になったと宣言しました。
またしても現実から逃避するために新しい人格を発生させたのです。
表示と中身が一致しないのは、偽ビールも有余依涅槃の聖者も同じです。
桐山氏の宗教人生には、詐欺性を遺憾なく発揮した特筆すべき事件がもう一つあ
ります。
それが「念力の護摩」です。
■ここまで阿含宗という宗教7より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/979/979558657.html