- 1715 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/06(木)
20:29
「刑獄の因縁」 1.劣等感と優越感
桐山氏の心を知るためには、彼の生い立ちから見る必要があります。
桐山氏の年表から、子供の頃かなり貧しかったことがわかります。
父親は定職すらなかったようです。(292〜年表参照)
一方で、母方の桐山家は武士の子孫であり、彼はその長男です。
貧乏の劣等感と武士の子孫という優越感が混在していたのです。
ヒトカドの人物になることが堤(桐山氏の本名)少年の目標だったのでしょう。
桐山氏がベンツに乗り、ホテル・オークラに出入りし、総本山に銅像を建て、勲
章を欲しがるという、聖者の行いとはかけ離れたことをするのは、彼のこの頃の
劣等感を癒してくれるからでしょう。
鳴り物入りで姿を現し、聖者として、信者たちがひれ伏す構図は、桐山氏の優越
感をいたく満足させるものなのです。
ただ、昭和初期なら、堤少年の境遇は特別珍しいものではありません。
貧乏も、教育を受けられないことも、立身出世を夢見ることも、同じ境遇の人た
ちはたくさんいました。
これだけでは、因縁、霊障、予言で人々を脅かし、妄想と思いこみの宗教を作り
上げた今日の桐山氏の姿は十分には浮かび上がってきません。
桐山氏のその後の人生を見ていくと、最初に目を引くのが犯罪歴です。
- 1833 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/08(土)
20:34
「刑獄の因縁」 2.偽ビール事件
桐山氏は若い頃、酒税法違反で逮捕され、刑務所に入ったことがあります。
いわゆる「偽ビール事件」です。
この話は、桐山氏を批判する本や記事には必ず取り上げられます
信者たちは、前科の話がでると「また、それか」とあきれ顔をします。
その信者たちも実際に何があったのかを詳しく知っている人はまれです。
たいていは桐山氏の言い分をそのまま繰り返しているだけです。
事件の経過を見て、桐山氏の言い分を聞いてみましょう。
桐山氏もある程度認めている偽ビール事件の経過は、次のような内容です。
桐山氏と仲間たちは合成ビールを醸造した。
仲間がキリンビールの偽ラベルを作り、偽ビールを販売した。
昭和28(1953)年、偽ビールを積んだ車が立ち往生し、犯行が発覚した。
昭和29(1954)年、桐山氏と仲間は裁判にかけられ、桐山氏は1年半、罰金5万円
の実刑を言い渡された。
この年、桐山氏は一時収監され、上告したが、高裁でも有罪となった。
昭和35(1960)年、桐山氏は刑が確定し、約一年間服役し、仮出所の後、半年の保
護観察を経て刑期を終えた。
- 1926 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/10(月)
21:48
「刑獄の因縁」 3.桐山氏の言い分
偽ビール事件についての、桐山氏の主な言い分です。
桐山氏は合法な合成ビールを販売する計画だった。
桐山氏に同意なく、仲間が偽ビールにして販売しようとした。
これらの仲間とつきあったのは、作家的な興味からだった。
桐山氏は出資しただけで、仲間の罪をかぶったのだ。
犯罪も酒税法違反という軽いものなのに、実刑は重すぎる。
犯罪を軽く見た桐山氏は、最初自分で弁護士を雇わなかった。
国選弁護人は親身になって弁護してくれなかった。
当時、他の密造酒事件で死者や失明者が出たために、見せしめに実刑を科された。
桐山氏はすでに処罰を受けて、刑期を終えている。
酒税法違反は40年以上も前の話であり、犯罪としても時効だ。
いつまでも前科者扱いするのは不当で、人権侵害だ。
仲間が犯罪をなして、桐山氏は巻き込まれ、運悪く、他の密造酒で死者が出たた
め、軽度の犯罪であるにもかかわらず、実刑を科されたということです。
判決文を見ると、桐山氏は3人の犯人の3番目に来ています。
他の犯人たちは、別な密造酒の2件でも訴えられていますが、桐山氏はこれらに
は連座していません。
桐山氏が懲役1年半に対して、主犯格のS氏は懲役3年の判決です。
つまり、桐山氏は主犯ではないのです。
これを見るかぎり、桐山氏の言い分にも一理あります。
- 1932 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月)
22:48
- ヌマエビ氏に一言。
桐山管長の逮捕歴について、
第1回目 昭和27年8月16日 詐欺、契約違反 (警視庁西新井署)
第2回目 昭和27年12月12日 手形詐欺 (千葉県松戸署)
第3回目 昭和28年8月16日 酒税法違反、私文書偽造 (警視庁防犯課)
わかっているだけでもこの通り。
「これを見るかぎり、桐山氏の言い分にも一理あります」?
ヌマエビさん、犯罪の常習犯に「一理」も糞もないですよ。
甘やかしてはいけません。さらに常習化します。
ところで毎日新聞の記事(昭和28年8月17日付け)では、
「偽ビ―ル一味捕まる」という見出しで派手に出ました。
その記事では、「自称著述業堤真寿雄」は3人の筆頭に記載されている。
いずれにしても無免許で密造していたなら立派な犯罪だ。
桐山自身「現世成仏」では、仲間が密造酒のベテラングループだと承知で
仕事を共にしていたと述べている。
つまり犯罪の確信犯だったわけですな。
■ここまで2ch「心と宗教」阿含宗という宗教(1)より引用転載編集
http://mentai.2ch.net/psy/kako/945/945075010.html
- 15 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/12(水)
21:16
「刑獄の因縁」 4.逆効果の前科批判
償いをしている人にいつまでも過去の過ちを追求するのはまちがいです。
桐山氏の前科は、宗教家になる前の若い頃の過ちです。
桐山氏は、この前科を、血の涙を流しながら悔いたと言います。
何度も自殺を試みたと桐山氏は書いています。
昭和28(1953)年に逮捕され、昭和29年には観音慈恵会を設立しているのですか
ら、桐山氏は罪を悔い改めるために宗教を目指したように見えます。
前科だけを批判すると、それを悔いて宗教家になった桐山氏を、マスコミ報道の
被害者にするだけで、かえって桐山氏の本性を覆い隠してしまいます。
信者から見れば宗教的迫害です。
前科を持ちながら、血の涙を流し、最後は聖者にまで到達したという桐山氏は、
信者の目には宗教的英雄に見えます。
これでは桐山氏を受難者として祭り上げるようなものです。
桐山氏への批判記事、批判本では前科のみがとりあげられました。
前科を前科のみで取り扱うと、桐山氏の姿はかえって見えなくなります。
前科者というレッテルを貼って終わりにするのではなく、前科に現れた桐山氏の
心の中を見るべきです。
そこで、もっと丁寧に何があったのかを検証してみましょう。
- 55 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/14(金)
21:12
「刑獄の因縁」 5.三度の逮捕歴
桐山氏の前科をもう少し詳しく見てみます。
桐山氏の逮捕歴は3度あります。
昭和27(1952)年8月16日、詐欺、契約違反、警視庁西新井署
昭和27(1952)年12月12日、手形詐欺、千葉県松戸署
昭和28(1953)年8月16日、酒税法違反、私文書偽造、警視庁防犯課
このうち、裁判で有罪になったのが、三番目の事件です。
偽ビール事件で逮捕される前に別件で二度逮捕されています。
桐山氏は、酒税法違反の件は本にも書いていますが、その前、二度もある逮捕歴
についてはまったく書いておらず、釈明もしていません。
裁判で訴えられた内容は酒税法違反だけではありません。
昭和28(1953)年の逮捕に私文書偽造の罪があります。
桐山氏が千葉県の農協の契約書や組合長の印鑑を偽造して、桐山氏の経営してい
た北日本物産商会が独占的に青森や岩手のイモを入手しようとしたものです。
契約書は昭和26(1951)年頃、桐山氏の流山の自宅に、和文タイプライターの業者
を呼んで文書を作らせました。
私文書偽造は明らかに桐山氏本人のやった犯罪であり、仲間が勝手にやって、桐
山氏が巻き込まれたのとは違います。
酒税法違反で逮捕される2年も前の話ですから、偽ビールを作る前から、桐山氏
は犯罪行為をなしていたことがわかります。
前に二度の逮捕歴があることを書いてしまうと、桐山氏の偽ビール事件への言い
訳は説得力がなくなるので、口をぬぐったのでしょう。
桐山氏の言い訳では、偽ビール事件は、何も知らない無垢な桐山氏が突然プロの
犯罪者集団に巻き込まれたような言い方でした。
しかし、実際の桐山氏は、何年も前から自ら犯罪をなし、さらには二度もの逮捕
歴を持つ、立派な犯罪者予備軍だったのです。
- 103 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/16(日)
21:03
「刑獄の因縁」 6.二度逮捕されても懲りなかった性格
桐山氏は酒税法違反で逮捕される前に二度も逮捕されているのです。
二年間に、なんと三度も逮捕されているのです。
ここには普通の人にはまず見られない桐山氏の独特の性格が如実に現れています。
普通、一度でも逮捕されれば、「二度とこんな目にはあわないぞ」と決心します。
しかし、桐山氏は一度ならず、二度でもまったく懲りませんでした。
これは桐山氏の、一般人には見られない、驚くべき性格を表しています。
酒税法違反で刑務所に入ったという前科よりも、桐山氏の性格を知る上では、そ
の前に二度も逮捕されていたという事実のほうがはるかに重要です。
おそらく、二度の逮捕の時は、警察からの説教だけで済んだのでしょう。
これはかえってよくなかったのかもしれません。
警察の温情だとは思わず、自分の詭弁でうまくごまかせたと思いこんだのです。
自分は知恵者なのだとさらに信じ込んだのでしょう。
二度の逮捕の時、どのような詭弁を用いたかは、偽ビール事件での桐山氏の言い
訳を見れば十分です。
今日でさえも、自分が「恐怖の大王だ」と言い出したように、あらゆる場面で荒
唐無稽な自己弁護を繰り返すのを見れば、警察への詭弁も想像がつきます。
二度の逮捕さえも、桐山氏は、自分は頭がいいから、うまく切り抜けられたのだ
と自信を深めただけで、なんら反省の材料にはなりませんでした。
自分ほどの知恵者なら、警察なんてチョロイ、世間のバカどもをだますのは簡単
だと確信したのでしょう。
自分の詭弁の能力に自信を深めただけでした。
三度目の逮捕までは時間があったのだから、密造酒を作るのをやめるチャンスは
ありました。
二度目の逮捕で懲りて、犯罪行為から手を引くくらいのことはできました。
だが、現実の桐山氏は手を引かなかったのです。
桐山氏は二度の逮捕にもひるむことなく、同じような犯罪を繰り返したのです。
いくら戦後の混乱期とはいえ、これは普通の神経ではありません。
後の桐山氏の宗教に現れる「自分の能力への過剰評価」「世間への侮蔑心」「激し
い思いこみ」といった心癖が、すでにここに明瞭に現れています。
今日の桐山氏の姿を見るなら、正確には「三度逮捕されても懲りなかった性格」
というべきでしょう。
- 170 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/18(火)
20:48
「刑獄の因縁」 7.桐山氏は善良な市民だったのか
二度の逮捕歴は、偽ビール事件と桐山氏との関係を知る上で、重要です。
偽ビール事件の前に二度の逮捕歴があることで、偽ビール事件の流れはまったく
違ったものに見えてきます。
偽ビール事件での桐山氏の立場は、その前に二度の逮捕歴があるかないかで、ず
いぶん違ったものになります。
それは、桐山氏が犯罪に巻き込まれた善良な市民であったかどうかという点です。
桐山氏の弁舌では、「善良な市民」の桐山氏が、犯罪者たちに手玉にとられて、巻
き込まれたのが偽ビール事件でした。
偽ビール事件だけなら、桐山氏のいうように、事件に巻き込まれた、という言い
訳も成り立つかもしれません。
しかし、「善良な市民」であったはずの桐山氏が、実はその前年に二度も逮捕され
ていたというのです。
酒税法違反の前に、二度逮捕されていた、という事実は、偽ビール事件が偶発的
に起きて桐山氏が巻き込まれたものではないことを示しています。
二度逮捕されて、ほとぼりも冷めない次の年に、大々的に密造酒を作るのは、ど
う見ても「善良な市民」ではありません。
こんなことをするのは、犯罪を犯罪とも思わないような性格なのか、逮捕すらも
勲章だとする特殊な道の人たちだけです。
二度の逮捕という事実は、桐山氏の「善良な市民」という姿を瓦解させています。
二度の逮捕という事実からは、偽ビール事件は桐山氏と関係なしにおきたのでは
なく、彼の性格の延長にあった、彼が作り出したと考えるべきでしょう。
犯罪者に手玉にとられ、巻き込まれたのではなく、桐山氏自身が犯罪者的な素質
を十分に持ち合わせ、自ら犯罪に手を染めたと考えるのが妥当です。
- 258 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/20(木)
21:53
「刑獄の因縁」 8.裁判官の慈悲
桐山氏は最初の裁判では「おれは悪くない」と開き直って、自分で弁護士すら雇
わなかったと言います。
これは今日の桐山氏の、都合の悪いことを忘れたり、変えて信じてしまう性格を
見れば、納得できます。
桐山氏は決して自分の非を認めません。
矛盾を追求されると、怒鳴りつけ、相手を威嚇するのが桐山氏の解決方法です。
桐山氏は家族にすら「おれを怒らせるなよ」とすごんでみせると自慢しています。
だが、こんなことは家庭や阿含宗内ならともかく、世間では通用しません。
さすがの桐山氏も裁判官をどなりつける訳にはいきませんでした。
前年に二度も逮捕され、懲りずにまた大がかりな犯罪を繰り返し、裁判でも見え
透いた言い訳を繰り返す人物に、裁判官はどのような判決を下すでしょうか。
裁判官の立場になって考えてみましょう。
逮捕歴、犯罪内容を並べてみると、私文書偽造など、簡単に言ってしまえば、詐
欺的な性格です。
32歳の、まだやり直しのきく青年が二度と犯罪に手を染めずに、まっとうな人生
を送るようにさせるにはどうしたからいいか。
刑務所で臭い飯を食わせ、二度とこんなことをしないように、身体で覚えさせる
しかない、と裁判官は判断したのでしょう。
有罪は、ある意味で裁判官の慈悲だったかもしれません。
あるいは仏の三度目の慈悲だったかもしれません。
だが、その慈悲は堤青年にも、今日の桐山氏にも通用しませんでした。
桐山氏の、一見もっともらしい言い訳も、丁寧に見ていくと、おかしなことがた
くさんあります。
- 335 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/22(土)
21:04
「刑獄の因縁」 9.国選弁護人が悪い?
桐山氏は弁護士を雇わなかったことを敗訴の理由の一つとして上げています。
国選弁護人が親身になってくれなかったから有罪になったと述べています。
裁判から有罪が確定するまでの経緯は以下のようになっています。
1954年3月、第一審判決、有罪(懲役一年六ヶ月、罰金五万円)
1954年10月、東京高裁、有罪
1960年5月、上告中、実刑が確定
地方裁判所で有罪になり、高等裁判所に上告して有罪になり、最高裁判所に上告
して、訴えが棄却されて、最初の判決どおりの実刑が確定したのでしょう。
桐山氏は一審で有罪になったのに驚いて初めて弁護士を雇いました。
それでも判決をくつがえせなかったのは、桐山氏によれば、
「一審を二審でくつがえすというのは至難である」
桐山氏が無実であれば、くつがえすことは不可能ではありません。
逆転判決は特に珍しいことではありません。
くつがえせなかったのは、一審の判断が正しかったから、二審どころか、3番目
の最高裁も支持したのです。
最高裁が棄却したのは、審議するに値しないくらい、犯罪行為が明瞭であり、判
決も妥当なものだと判断したからです。
少なくとも3人の裁判官が、桐山氏を有罪であり、懲役一年六ヶ月、罰金五万円
が妥当であると判断したことになります。
一審から弁護士を雇おうが雇うまいが、結果は同じだったのです。
桐山氏が主犯格とみなされなかったのは、国選弁護人が仕事をした証拠です。
国選弁護人が桐山氏の弁護に親身にならなかったのではなく、犯罪行為があまり
に明瞭で、有罪の者を無罪であるなどと虚偽の主張をしなかっただけです。
国選弁護人も、その場限りの開き直りの詭弁を並べる桐山氏を目の前にしたら、
「裁判官に通用するかどうか言ってみろ」と内心思っていたのでしょう。
つまり、3人の裁判官と1人の弁護士が見ても、桐山氏は有罪だったのです。
- 390 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/24(月)
21:13
「刑獄の因縁」 10.心証が悪かった?
桐山氏の雇った弁護士は、一審の書類を調べ、
「すごく心証が悪いですねえ」
と述べたと桐山氏は書いています。
裁判官が何か気分が悪くて感情的に桐山氏を有罪にしたような書き方です。
桐山氏は、事件そのものに対する心証が悪いと解釈しているようです。
自分はそのとばっちりを受けたと言いたいようです。
判決は、犯罪そのものの重さではなく、心証が悪いという感情的なものであると
主張したいのでしょう。
桐山氏によれば、この裁判官は、心証だけで判決を下すような、裁判官としては
不適格な人物だったことになります。
絶対に自分の非を認めない桐山氏には、自分の弁舌を受け入れない裁判官のほう
こそがおかしいのです。
桐山氏の理屈が正しいなら、一審から最高裁まで3人もの裁判官は全員が心証と
いう感情だけで判決や判断を下したことになります。
雇われた弁護士すらも、心証が悪いと強調したということは、いかに桐山氏が裁
判で開き直りを言い、周囲をあきれさせていたかを示しています。
今日、まだ判決は不当だったと言っているのですから、当時はもっとすごかった
のでしょう。
逮捕歴が二度もあるのに、懲りずに、また犯罪に手を染め、何の反省もなく、詭
弁で開き直りを言い張る人物に、裁判官でなくても心証が悪いのは当たり前です。
しかし、3人の裁判官は御気分で有罪にしたのではなく、桐山氏のやったことが
実刑に値する犯罪だから、有罪にしたのです。
- 425 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/26(水)
21:21
「刑獄の因縁」 11.「実刑は不当」=「無実」?
「どうころんでも執行猶予がつくケースだ」
と桐山氏の雇った弁護士が言ったと書いています。
執行猶予がつこうがつくまいが、有罪は有罪です。
桐山氏が無実だと思ったなら、こんな発言はしません。
問題は、桐山氏のなしたことが有罪なのか無罪なのかです。
刑務所に入ったか、執行猶予がついたかではありません。
弁護士が見ても、桐山氏は無実ではなかったのです。
金で雇われた弁護士すらも、有罪だと言ったのです。
桐山氏の巧みな言い訳に惑わされないためには、
◎桐山氏は無罪か有罪か。
◎実刑は不当に重い刑罰であったか。
の二点に分けて考えるべきです。
桐山氏は実刑が不当なものである点を強調することで、あたかも犯罪そのものが
大したことがないような印象を与えようとします。
さらにはまるで冤罪であるかのような印象を与えようとします。
桐山氏のさわやかな弁舌に、すり替えに気づく人は少なく、信者の多くは彼の詭
弁を信じます。
なぜなら、書いている桐山氏本人が自分の言い訳を一番信じているからです。
自分が作った妄想をしゃべり、書いているうちに、桐山氏が一番酔って信じてし
まうのです。
実刑が不当に重い刑であると強調して、犯罪の焦点をずらし、あたかも無実であ
り、冤罪であるかのように、巧みにすり替えるのが、桐山氏の論法です。
- 507 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/28(金)
20:46
「刑獄の因縁」 12.軽犯罪程度か
桐山氏は「酒税法違反なんて軽犯罪のようなものだ」と言ったことがあります。
自宅でドブロクを作って飲んでいたというのなら、軽犯罪程度です。
桐山氏は、4月から醤油工場を借りて、密造酒のプロと酒を造りました。
3万枚のキリンビールの偽ラベルを印刷していました。
販売した偽ビールは、わかっているだけで「2ダース入り2百箱」、つまり約5千
本です。
この年の6月には偽ビールが新聞沙汰になっています。
発覚する8月まで少なくとも2ヶ月に渡って販売していたことになります。
どこをどう見ても、計画的な密造酒の醸造と販売です。
桐山氏の本によれば、偽ビールの販売を知らされたのは、事件が発覚する2日前
だったといいます。
事件が発覚する2ヶ月も前に偽ビールが新聞沙汰になっているのに、「これまでは
ある程度主導権をにぎっていた」桐山氏が、3万枚のラベルを偽造し、5千本の
ビールが販売されたことにまったく気が付かなかったなどありえるでしょうか。
計画的な大量の密造酒の製造と販売はドブロクと同程度の軽犯罪ではありません。
これはれっきとした犯罪です。
桐山氏に実刑が科されようが、執行猶予が付こうが、有罪であったという点こそ
がもっとも重要なのです。
- 604 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/31(月)
21:05
「刑獄の因縁」 13.主犯のS氏にだまされた?
桐山氏は、主犯格のS氏を見て、小説のネタにしたかったと言います。
作家的な興味から、S氏とつきあっていたというのです。
S氏とその仲間は前から密造酒を作っていた人たちです。
彼らが密造酒のプロであることを桐山氏は知っていたと書いています。
それまで密造酒を作っていたプロが、突然、心を入れ替えて、合法的に作ると桐
山氏は本気で信じていたのでしょうか。
密造酒は売らなくても、醸造しただけで犯罪です。
作家的興味だけで、こんなに簡単に犯罪に手を染めたりするものでしょうか。
偽ビールの販売をS氏から聞かされても、呆然とするだけで、手も足もでなかっ
たと桐山氏は述べています。
何かあるとすぐに人をどなりつける今日の桐山氏の性格からは考えられません。
大きな資本を投資しているにもかかわらず、約五千本もの偽ビールを販売したの
も、すべてS氏であり、桐山氏はまったく知らなかったというのです。
三十すきだ桐山氏のこの言い分が裁判官に通用するはずはありません。
すべてS氏のせいにして子供じみた理屈を堂々と唱える桐山氏を見たら、裁判官
でなくても心証が悪くなります。
桐山氏のS氏への責任転嫁はこの程度では済みませんでした。
- 692 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/02(水)
20:47
「刑獄の因縁」 14.S氏は悪魔的な性格?
桐山氏は「現世成仏」で、S氏を「悪魔的な性格」と生来の犯罪者のように述べ
て、いかに自分がこの男に魅入られ、巻き込まれたかを描いています。
S氏を悪魔的な性格に描くのに桐山氏の文筆能力がいかんなく発揮されました。
自分が犠牲者だという書き方です。
S氏は反論できないのですから、どうにでも悪く描けます。
S氏に全責任を押しつけようとしたのです。
S氏は、桐山氏がおだてに乗りやすく、自分くらい頭がいい者はいないと信じて
おり、思いこみが激しいことを見抜いて、適当にあしらっていたのでしょう。
桐山氏は、自分ほどの者を手玉にとったのだから、悪魔的だと思ったのでしょう。
桐山氏の性格は、悪魔的でなくても、見抜けます。
桐山氏は、S氏と仲間が口裏を合わせて、自分に罪をなすりつけたと言います。
桐山氏一人が有罪であったなら、この主張は成り立つでしょう。
S氏は3年の実刑ですから、彼が主犯だと裁判官はみなしたのです。
S氏がなすりつけたかどうかはともかく、判決に影響はありませんでした。
桐山氏が言うように、彼一人が罪をひっかぶったのではありません。
桐山氏は、S氏が時効まで逃亡したことを出して、いかに悪人であるかを強調し
ています。
S氏が悪人であるからといって、桐山氏の犯罪行為が消えてなくなるわけであり
ません。
S氏が悪人であることと、桐山氏の犯罪行為とは別な問題です。
S氏に大悪人というラベルを貼り、桐山氏は彼の犠牲者であるという印象を与え、
自分の犯罪行為を矮小化しようとしたのです。
自分の犯罪を隠したいとはいえ、反論のできない人を悪魔的であるなどと、宗教
家がよくここまで人を悪し様に描けたものです。
ここには、桐山氏の、自分を浮かび上がらせるためなら、他人を足で蹴りつけて
も何ともない性格がよく現れています。
- 759 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/04(金)
21:24
「刑獄の因縁」 15.インスタント酒?
桐山氏は、当時、つぶれかかった醸造所を買い入れ、合成酒を販売するつもりだ
ったと言います。
「インスタント食品の走り」と桐山氏は描写しています。
このような事が当時成り立ったのでしょうか。
インスタント食品とインスタント酒では、話はまったく違います。
今日でも日本では、酒類の製造、販売には強い規制があります。
戦後の混乱期には、なおさら税務署が目を光らせていました。
醸造所を勝手に売買しても、許可を取り消されれば、何にも作れないのです。
合成酒を作っても、許可がとれなければ販売はできません。
許可がとれなければそれまでの投資はすべて無駄です。
醸造所を買い、内容不明の合成酒を売れるなら、みんなやっていたはずです。
今だって、醸造所が無許可の酒を造れば、即刻、免許が取り消されます。
酒造メーカーは酒類によって許可を別にとらなければなりません。
通常、新しく酒類を醸造するには税務署から本免許の前に内免許を取ります。
その際、設備や人員など厳しくチェックされます。
密造に携わったような人たちがいれば、まず許可はおりません。
酒は内容が厳しく問われます。
正体不明のインスタント酒に許可が下りる可能性は極めて低かったでしょう。
桐山氏は、休眠中の宗教法人の売買を見て、宗教では何をやっても自由だから、
醸造所も何を作ってもいいだろうと、後で勝手な言い訳を思いついたのでしょう。
インスタント酒はインスタント食品ではなく、酒です。
密造酒をインスタント食品と置き換えて、あたかも大した事がないようにみせか
けようとしたのでしょう。
言葉をすり替えて中身をごまかす桐山氏お得意の手口です。
- 794 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/06(日)
21:22
「刑獄の因縁」 16.醸造所を買い入れるつもりだった
醸造してから許可をとるつもりだった、などとは今でも税務署には通用しません。
店で商品をポケットに入れてから、レジで金を払うつもりだったと弁解するよう
なものです。
戦後、密造酒が作られ、問題になっていたことを桐山氏が知らなかったはずはあ
りません。
正式に合成酒を作ろうというのなら、いくらでも調べられたはずです。
当時の税務署に相談に行けば、桐山氏の言う、醸造所を買収してインスタント酒
を作るなど、ほとんど不可能であることがわかったはずです。
インスタント食品の走り、醸造所の買い取りなど、一見、もっともらしい言い訳
に聞こえますが、いずれも当時も今も成り立つ事ではありません。
S氏が偽ビールとして売ってしまったから失敗したような言い訳をしています。
S氏が売らなくても、桐山合成酒が正式のルートで売れたはずがないのです。
桐山氏の「醸造所を買い入れ、インスタント酒を正式に売ろうとしていた」とい
う言い訳は成り立ちません。
桐山氏は最初から密造酒で一儲けしようとしたのです。
皆がやっていることだからとばかりにお気軽に始めたのでしょう。
当時、闇商売で大儲けして借金を返し終えた桐山氏は、密造酒も他の連中よりは
うまく儲けてやると、「新規事業」に自信たっぷりだったのでしょう。
密造酒をインスタント食品などと名前を付けて、犯罪内容をごまかしてしまうや
り方は、桐山氏の作った宗教にも随所に見られます。
密造酒も宗教も、製造方法は桐山氏にとっては大差ないのです。
■ここまで2ch「心と宗教」内、阿含宗という宗教2より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/963/963392863.html
- 80 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/08(火)
20:50
「刑獄の因縁」 17.一罰百戒の犠牲者か
別な密造酒事件で死者や失明者が出たことが判決に影響したと桐山氏は言います。
自分たちは軽犯罪程度だったが、他の事件の影響で、一罰百戒の見せしめにされ
た犠牲者なのだというのです。
桐山氏は1954年の判決に不服として、上告しています。
最高裁が棄却して、刑が確定したのは1960年です。
1954年の判決が、別な密造酒事件の影響を受けた可能性はあるかもしれません。
だが、6年たっても、最高裁の裁判官が別件の密造酒事件を記憶していて、一罰
百戒のみせしめの判断をしたとは考えられません。
なぜなら、棄却され有罪が確定した6年前の事件など、新聞ネタにすらならず、
何ら見せしめ効果はないからです。
最初の判決が6年後も支持されました。
最高裁では審議するに値しないとみなされるくらい明瞭な犯罪でした。
他の裁判官が、6年後に客観的に判断しても、最初の判決は妥当だったのです。
つまり、一審の裁判官も、他の密造酒事件の影響ではなく、純粋に、桐山氏本人
がなした犯罪に対して、実刑を科したのです。
他の密造酒の影響など、これもまた桐山氏の言い逃れにすぎません。
使える物は何でも使って、自分の犯罪行為を隠蔽し、矮小化し、焦点をずらすと
いう桐山氏の文筆の才を示す例です。
- 141 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/10(木)
20:35
「刑獄の因縁」 18.宗教団体を作る必要はない
桐山氏は1953(昭和28)年に逮捕され、翌年には観音慈恵会を設立しています。
桐山氏によれば、自分の犯罪を悔い、因縁解脱の道を歩むことが目的だったとい
います。
一見、もっともらしく、しかも立派な弁です。
だが、ここにも桐山氏の詭弁が隠されています。
「宗教に救いを求めること」と「宗教団体を作ること」とは違います。
自分の罪深さに目覚め、宗教に救いを求めるのに、宗教団体を作る必要はありま
せん。
自分を罪深い存在だと心底思うことから出発するなら、いきなり宗教団体を組織
したりするでしょうか。
宗教団体を作るとは、他人を指導ことです。
自分でもどうしたらいいかわからないような状態の桐山氏が、自分を変えるため
と称して、他人の指導をいきなり始めるなど、理屈になっていません。
多額の借金を抱えた人が金持ちになる方法を他人に教えているようなものです。
因縁切りが桐山氏の自己申告どおりの目的なら、教祖などにならずに、まずは師
匠を求めるべきでしょう。
桐山氏は、あちこちの門をたたいたが、これぞと思う師匠に巡り会えなかったと
述べています。
桐山氏のように、自分ばかり賢いと思いこんでいる人では、どの師匠も役不足に
見えたのは当然の結果でしょう。
それほどオメガネの高い桐山氏が生涯唯一師匠として選んだ相手は、北野恵宝氏
でした。
北野氏は、後に、あの桐山氏すらも照真秘流というエサでだました、猛者です。
両者は、まさに因が縁を呼ぶような、極めて類似点の多い師匠と弟子でした。
- 172 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/12(土)
21:02
「刑獄の因縁」 19.宗教は転職先の天職
1954(昭和29)年3月に第一審判決が下り、5月に一時収監され、上告します。
観音慈恵会を設立したのは、その数ヶ月後の8月〜9月です。
罪深い自分をなんとかしたい、因縁を切りたいとほんとうに思っているのなら、
その方法を求めて、少なくとも何年間か宗教遍歴をするのではありませんか。
その間に自然に信者が集まり、宗教団体が作られたのならわかります。
ところが、判決がおりるとわずか数ヶ月でさっさと宗教団体を作り、教祖に納ま
ってしまったのです。
桐山氏は「宗教に救いを求めること」と「宗教団体を作ること」を巧みにすり替
えています。
多くの信者はこのすり替えに気が付きません。
宗教に救いを求めたという格好のいい桐山氏の弁明に惑わされます。
偽ビールにキリンビールの偽ラベルを貼ったのと同じ手法です。
実態は、宗教団体を作って、教祖になって逃げ込んだにすぎません。
桐山氏は人助けと称して占いで生計を立てていました。
桐山氏の言うように、餓死するならそれでもいいという悲壮な決意をしたのなら、
どうして占いなどしたのでしょうか。
仏教徒として信仰するのなら、釈尊が禁止した占いなどすべきではありません。
桐山氏の言葉どおり、托鉢によって生活すればよかったのです。
占いで信者を獲得するという、今日の阿含宗でやっているそのままのことを、桐
山氏は最初からやっていました。
宗教に救いを求めたなどというきれいな話よりも、事実を見る限り、宗教で一旗
揚げようとしたことは明瞭です。
前科を持ち、世間では通用しそうもないから、占いや宗教という警察官や裁判官
のいない世界に「転職」をはかったとみるべきでしょう。
口がうまく、マスクもよく、インテリの雰囲気を漂わせ、ハッタリの得意な桐山
氏には、今日の結果をみても、この転職先は天職でした。
- 191 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/15(火)
20:53
「刑獄の因縁」 20.偽ビール事件の顛末
桐山氏の偽ビール事件は次のようにまとめられます。
桐山氏は、犯罪に巻き込まれた善良な市民のような言い訳をしているが、それは
成り立たない。
なぜなら、桐山氏の詐欺的な面は偽ビール事件が最初ではない。
前年に二度も詐欺系の事件で逮捕されても、桐山氏は反省することがなかった。
偽ビール事件は桐山氏の性格の延長にあり、自ら計画した犯罪である。
当時、密造酒が金になることを、嗅覚の鋭い桐山氏は知っていた。
桐山氏は合成ビールを密造し、ひと儲けすることをたくらんだ。
犯罪であることは百も承知だから、S氏など、密造酒のプロと組んだ。
桐山氏は、頭の良い自分のやり方であれば、ばれる心配はないと確信していた。
桐山氏はいつもの自己能力過信で、グループの主導権を握ったつもりだった。
実際にはS氏のほうが一枚上手で、手玉にとられて事件が発覚した。
桐山氏は、前年の二度の逮捕では、自分の弁舌で釈放されたものと信じていたか
ら、同様に、裁判も簡単に言い逃れができると確信していた。
並の弁護士よりも、頭のよい自分のほうがよほどうまく弁護できると自信満々だ
ったので、弁護士など必要がないとばかりに、自分では雇わなかった
桐山氏は何の反省の色もなく、醸造所の買収やインスタント酒など、桐山氏が今
でもやっている詭弁で言い逃れをしようとしたので、裁判官の心証が悪かった。
裁判官は、桐山氏は前年二度も逮捕されるような詐欺的な性格であること、密造
酒が計画的で、彼が最初から深く関わっていることから、有罪とした。
判決は犯罪内容に対する客観的なもので、実刑が不当なものでないことは、二審、
最高裁での棄却が示している。
桐山氏は、その性格の常として、事件のすべてをS氏などに徹底した責任転嫁を
して、自分は犠牲者だという妄想を作り上げ、本人が一番信じた。
前科をもった身では世間では通用しないという理由をつけて、客観的な批判を受
けることがなく、ごまかしの効く宗教に新たな活路を探した。
- 236 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/18(金)
20:09
「刑獄の因縁」 21.犯罪に現れた詐欺的性格
桐山氏の犯罪歴をよく見ると、一つの共通項があるのがわかります。
詐欺、契約違反、手形詐欺、酒税法違反、私文書偽造
これらはすべて詐欺的行為です。
偽物を本物といい、人をだましてもさしたる罪悪感もなく詐欺的行為をなす
「詐欺的性格」
は桐山氏の性格を表すキーワードの一つです。
後々、桐山氏が作り上げた宗教でも脈々と生きている重要な性格です。
前科のみを強調すると、この重要な性格が見えなくなってしまいます。
前科は桐山氏のこの重要な性格が現れた一例にすぎません。
ここであえて「詐欺師的性格」と言わないのは、詐欺師は最初から人をだますこ
とを目的としているからです。
しかし、桐山氏の場合、他人をだましているという意識はありません。
自己弁護が強すぎて、自分がなしたことを省みることもないから、だましている
という意識がないのです。
「1999年七の月」の件のように、詭弁を弄して自分を正当化してしまいますから、
桐山氏は人をだましているつもりも、罪悪感もありません。
そこでここでは、詐欺的性格と呼ぶことにします。
ただし、本人が人をだまそうという意識があろうがなかろうが、結果的に人をだ
ましていますから、詐欺師と呼ばれて当然です。
- 282 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/20(日)
21:21
「刑獄の因縁」 22.すべて他人が悪い
犯行に対する桐山氏の言い訳をもう一度並べてみましょう。
密造酒ではなくインスタント酒だった。
主犯格のS氏の悪魔的な性格。
別の密造酒事件のとばっちり。
国選弁護人の怠慢。
裁判官の不当な判決。
高等裁、最高裁の裁判官の判断ミス。
個々の言い訳は、よく見ると、一つの共通点があります。
別々のことを言っているようでありながら、実は一つのことしか言っていません。
●自分は悪くない。悪いのは他人であり、他の要因だ。
この考えは、徹頭徹尾、桐山氏の人生を支配する大原則です。
今日に至るまで桐山氏の重要な人生哲学の一つです。
絶対に自己責任を認めず、他人のせいにするのが桐山氏の一大特徴です。
すべての悪い事の原因を自分以外のものにもっていくのは、桐山氏が若い頃から
今日に至るまで連綿とやってきたことです。
血の涙、自殺未遂など、一見反省をしているのようでありながら、桐山氏の述べ
ていることは、結局、「自分には責任はない」と言っているのです。
自分の心を観察し、自分と向き合うことを教えた釈尊とは、百八十度も違う態度
です。
仏教は懺悔、つまり自己反省から入ると信者に説教している桐山氏が一番やって
いません。
桐山氏はあるがままの自分を絶対に見ようとせず、自分を直視することを避ける
ために、ありとあらゆる言い訳と手段を用いたのです。
彼はこの責任転嫁の手法を宗教に持ち込むことで、大きな成功を得ました。
- 432 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/22(火)
20:44
「刑獄の因縁」 23.因縁への責任転嫁
桐山氏は責任転嫁の大原則を使って、宗教を作りました。
それが桐山氏の因縁論です。
桐山氏は、密造酒を造り、有罪になり、服役することになったのは
「刑獄の因縁のなせる業(わざ)」
であると書いています。
この一文には見事なまでに桐山氏の責任転嫁の成果が凝縮されています。
自分がなした犯罪を因縁の一言で片づけています。
因縁などではありません。
因縁がやったことではなく、桐山氏がやった犯罪に対して三度逮捕されたのです。
密造酒を作ったのは桐山氏であって、因縁ではありません。
因縁という何か不可抗力な力に支配されたような言い逃れをしています。
因縁という仏教用語を使えば、桐山氏の犯罪は、仏教でも説かれている不可思議
な力によって操られたかのような印象を与えることができます。
もちろん、釈尊の説いた因縁とはまるで違う使い方です。
最初から最後まで、桐山氏本人がやったことに対して罰せられたのです。
因縁があったから、犯罪人になったのではありません。
犯罪人になったことを、因縁のせいにしただけです。
桐山氏は、自分の人生の言い訳を因縁と置き換えて宗教を作りあげました。
- 572 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/24(木)
21:10
「刑獄の因縁」 24.先祖の因縁が悪い?
桐山氏によれば、因縁は先祖の因縁と前世の因縁の2種類から成り立っています。
しかも、運命を決定づけているのは、大半が先祖の因縁だというのです。
多い人は運命の7〜8割を先祖の因縁に支配されていると強調しました。
釈尊が説いたことのない悪因縁で人々を脅かすのは、桐山氏の阿含宗だけではな
く、新興宗教では珍しいことではありません。
釈尊は先祖の因縁、刑獄の因縁などの悪因縁を説いたことは一度もありません。
因縁をこのような意味に用いるのは、新興宗教の教祖たちの独特の使い方です。
だが、先祖の因縁を桐山氏ほど強調した教祖も少ないでしょう。
どうして桐山氏はこれほど先祖の因縁を強調したかったのでしょうか。
信者たちは、桐山氏が霊能力で悟った根拠があると信じています。
桐山氏の、自分の犯罪を何とかひとのせいにしたい、という最も根本的な欲求を
考えれば、先祖の因縁を強調するのは当然のことです。
桐山氏の刑獄の因縁は、現在の自分はもちろんのこと、前世すら原因ではなく、
先祖が作った因縁こそが原因だと、責任逃れをしたかったのです。
「おれは悪くない。先祖が作った因縁によって、おれは犯罪者になったのだ」
というのが、桐山氏のもっとも主張したい点です。
この子供じみた責任放棄の心癖から作られたのが、桐山氏の因縁論です。
桐山氏は、仏教用語を本来の意味とはずらして用い、さももっともらしい教学を
作ったため、多くの人たちは彼のこの本音には気づきませんでした。
今でも多くの信者は気が付いていません。
- 727 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/27(日)
21:03
「刑獄の因縁」 25.刑獄の因縁に若い頃気がついていたのか
桐山氏は若い頃、運命学から刑獄の因縁に気が付いていたと言います。
「最初から刑獄の因縁のあることは知っていた、だが、自分が犯罪などするはず
がないと、軽く見た」と述べています。
知っていて、密造酒に手を出すのはいくらなんでもおかしくありませんか。
密造酒造りが犯罪であることくらい、三十すぎの頭のいい桐山氏が知らなかった
はずはありません。
ほんとうに刑獄の因縁を自覚していたら、明らかな犯罪に自分から手を染めるな
どということがありえるでしょうか。
「自分が犯罪などするはずがない」と言いながら、自分から犯罪をしたのです。
若い頃から気が付いていたという言い訳は、宗教を立て、因縁話を作る過程で思
いついた物語にすぎないのでしょう。
桐山氏は後になってから、壮大な自己弁護を作るのが得意です。
暴露された前科を本に書くとき、最初から刑獄の因縁を知っていたような話を作
り上げて、本人もそれを信じ込んだのでしょう。
刑獄の因縁に最初から気が付いていたが、頭のよい自分でさえも、因縁があると
このように巻き込まれてしまうのだと言えば、物語は様になります。
桐山氏の言う因縁霊視は今日に至るまで彼しかできないのですから、刑獄の因縁
を後になって付けることくらい朝飯前です。
桐山氏が宗教を始めた当初から刑獄の因縁のあることを公開していたのなら、若
い頃からこの因縁に気が付いていたという主張もいいでしょう。
だが、暴露されるまで信者には刑獄の因縁があるなどと一言も述べていないどこ
ろか、明らかに前科を隠そうとした証拠すら残っています。
■ここまで2ch「心と宗教」内阿含宗という宗教3より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/965/965611077.html
- 74 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/08/29(火)
21:22
「刑獄の因縁」 26.必要のない嘘まで膨らませる
桐山氏は前科があることを信者に話していたと述べています。
しかし、1960(昭和35)年、刑が確定して、収監される前に、桐山氏は機関誌に「行
に立つの記」と題して、
「このたび、御本尊準胝観世音大菩薩の御霊示を蒙り・・」
と述べて、山にこもって修行すると述べています。
刑期を終えると、機関誌に次のように書いています。
「・・老師家をお訪ねしました。口をそろえて、『法器である』『宝器だ・・・』
と過褒のお言葉を頂いたことは・・・」
刑務所に入るのを恥じて、山に籠もると嘘の言い訳をしたことは責められません。
人間ですから、最小限の嘘はしかたないでしょう。
だが、心底恥じて、血の涙を流し、自殺まで図った宗教家が、ここまでの無用な
嘘を書くでしょうか。
「御本尊から御霊示」「過褒のお言葉」などなんら必要な嘘ではありません。
「山に籠もる」という一つの嘘で十分なはずです。
桐山氏はこのような嘘をつくためにも堂々と仏の名前を利用しています。
必要もないのに仏の名前まで持ち出すところに、桐山氏の信仰心がどうであるか
をよく示しています。
本尊の御霊示や老師まで作り出し、壮大な嘘を言い訳に使っているという点に、
桐山氏の性格がよく現れています。
桐山氏がよく使う「仏様からの御霊示」が何であるかをよく示した例です。
仏様からの御霊示と言われてしまえば、誰も何も言えません。
桐山氏にとって、仏とは実に便利な「道具」です。
普通の人なら嘘は最小限にするところを、桐山氏は逆に力任せに嘘を膨らませて
壮大な物語を作り上げてしまう虚言癖とも言える性格であるのがわかります。
この性格と才能は、後に阿含宗を作る上で大いに役立ちました。
教団の正式な会報に残っているこれらの嘘の言い訳は、一般信者の多くが長年、
桐山氏の刑獄の因縁については何も知らなかったという証拠です。
- 299 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/01(金)
20:55
「刑獄の因縁」 27.暴露された前科
桐山氏の後の言い訳と違い、前科は長い間、信者には知られていませんでした。
前科を最初に暴露したのは、1975年、桐山氏が師事した北野恵宝氏の一派です。
桐山氏が、自分には刑獄の因縁があった、と言い出すのはこの後です。
1975年に北野氏側が前科を暴露したのは、信者の多くが知らなかったからです。
信者たちが皆知っていたなら、北野氏一派にとって意味のない宣伝でした。
信者たちにとって初耳だったからこそ、攻撃として効果があったのです。
阿含宗立宗が1978年ですから、わずか数年前まで、実に15年間、桐山氏は自分
の前科を信者たちに隠していたのです。
1976年、毎日新聞の「宗教を現代に問う」の中で、続いて1978年、「宝石」で
前科をマスコミが取り上げ、世間に知られることになります。
すると、昔から信者に語っていたかのように、自分の刑獄の因縁の話を始めます。
阿含宗の前身の観音慈恵会では因縁切りは大黒柱でした。
因縁切りを説くなら、自分の因縁を公開し、どれだけ切れているかを示すべきで
す。
刑獄の因縁こそが宗教を求めたきっかけであり、今日、信者を指導するための「座
右宝鑑」に取り上げる程なのだから、最初から示すべきでした。
しかし、暴露されるまで、桐山氏はガンの因縁と強い中途挫折の因縁だけで、刑
獄の因縁があることを述べたことはありませんでした。
1973年の「密教占星術T」には因縁が紹介され、刑獄の因縁の説明もあります。
しかし、桐山氏の刑獄の因縁については一言も触れられていません。
刑獄の因縁だけは、公開したのは他人に暴露されてからです。
凡人なら前科を隠すのは当然としても、宗教家として刑獄の因縁や因縁解脱を説
きながら、自分に都合の悪い刑獄の因縁はひた隠しにしていたのです。
- 450 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/04(月)
21:26
「刑獄の因縁」 28.前科と刑獄の因縁の両方を隠した
桐山氏は前科を悔いて自殺まで図ったと述べています。
前科がわかる前は、病気や仕事を苦にして自殺を図った話になっています。
ここで注意すべきは、血の涙も自殺も、桐山氏しか知らないという点です。
刑獄の因縁を若いころから知っていたという話同様に、誰もそれを確認することが
できないことですから、何とでもいえます。
刑務所に入ったときの言い訳をみてもわかるにように、あとで作った桐山氏の言い
訳は信用ができません。
自殺の原因が、病気や仕事の失敗から、いつのまにか前科になっているのは、
作家・桐山氏の作った物語であることを証明しています。
この人の物語は時間とともに変化し、増長するから、あてになりません。
桐山氏が信者に前科を隠したことだけが問題なのではありません。
前科を隠すことと刑獄の因縁を隠すことは、宗教的には別なことです。
宗教家として刑獄の因縁を説きながら、自らの刑獄の因縁を隠していたことは宗教
的重罪です。
因縁を売り物にし、後には、刑獄の因縁を三大悪因縁の一つにまで数えて、人々を
脅かし、教団の拡大に利用したのです。
血の涙とか、自殺とか、それほどの慚愧心のある宗教家が、どうしてこのような信
者に対する二重の裏切り行為ができたのでしょうか。
こうした流れをみれば、明らかに、桐山氏はバレなければ前科も刑獄の因縁も隠し
通すつもりでした。
人々をさんざん悪因縁で脅迫しておきながら、都合の悪い自分の因縁は口をぬぐう
つもりでいたのです。
ここには宗教家・桐山氏の良心、宗教心がどのようなものか如実に現れています。
予知能力があるという桐山氏の予想に反して、15年目に暴露されてしまいました。
しかし、転んでもたタダでは起きないのが桐山氏です。
逆風を利用して、新しい物語を作り始めます。
- 658 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/07(木)
21:23
「刑獄の因縁」 29.そして霊障物語が始まった
桐山氏は前科がばれてしまうと、今度は、それを逆手にとって、霊障話へと妄想
を発展させていきました。
1978年に「宝石」で前科が報じられると、例祭法話で、続いて1981年の「1999
年カルマと霊障からの脱出」で、自分の前科を逆手にとって、霊障の怖さを宣伝
し始めます。
1980年以降、霊障こそが悪因縁の元であると主張し始めます。
他の新興宗教では珍しくもない霊障ですが、桐山氏はそれまで説いたことがあり
ませんでした。
桐山氏は自分に霊視能力が備わったからだと述べています。
2年前に阿含宗を立宗したので、阿含経と霊視能力をくっつけ、一石二鳥を狙っ
たつもりでした。
霊障話が突然出てくるのが、前科が世間に知られた時期と一致するのは偶然では
ありません。
前科を正当化するための言い訳を構築する必要に迫られていました。
桐山氏は転んでもタダでは起きません。
逆転の発想で、前科がばれると、壮大な霊障物語によって、自分のカモフラージ
ュに留まらず、阿含宗に新たなセールスポイントを付け加えたのです。
霊障物語によって、前科は先祖の因縁だけでなく、大元は霊障によって作られた
のだと、言い訳に「奥行き」を持たせました。
作家として、詐欺師としての真骨頂です。
だが、桐山氏の主張を聞くときに忘れてはならないのは、因縁も霊障も、桐山氏
以外には誰も何一つ確認のできない内容だという点です。
■ここまで2ch「心と宗教」内阿含宗という宗教4より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/965/965617064.html
- 6 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/10(日)
20:40
「刑獄の因縁」 30.霊障話が教団を発展させた
桐山氏の前科は、幕末に祖父が斬り殺した勤王派の武士たちの霊障、つまり祟り
によるものだと言います。
前科は桐山氏がなしたことではなく、祖父の作った怨念によって、何の罪もない
子孫が苦しんだのだという話にすり替えられました。
桐山氏のすごい点は、前科の言い訳に終わらせず、霊障の不成仏霊などというお
どろおどろしい新しい世界まで創作したことです。
霊的な世界は桐山氏にしか見えないのですから、完全な独り舞台です。
どんないい加減なことを言っても、誰も文句が言えません。
宗教の世界こそは裁判官も警察官もいない桐山氏に最も適した世界です。
桐山氏は霊障物語のヒーローになったのです。
桐山氏の責任転嫁の霊障物語は阿含宗を飛躍的に発展させます。
「守護霊を持て」などの一連の著作が爆発的に売れ、各地で行われた布教のため
の映画会などにたくさんの人が訪れました。
桐山氏は、守護霊というアメと霊障というムチを手に、信者の数を増やすことに
成功しました。
守護霊も霊障もすべて桐山氏の手の中にあるもので、誰一人確認も批判もできな
いのですから、完全な独占権を得たのです。
前科の目くらましに使えただけでなく、教団の拡大をもたらしたのです。
前科の暴露という攻撃を逆手にとって、かえって教団を大きくしたという自分の
能力、知能に、これまでにもまして深い自信を持つようになりました。
同時に、世間の連中など、自分の弁舌に簡単にひっかかるくらい愚かなのだと、
桐山氏の重要な性格の一つである他人を侮り、軽く見る心癖も拡大しました。
桐山氏の常として、言い訳に作り出した霊障話や悪因縁話を繰り返し話し、本に
書いているうちに、彼自身が最もよく信じるようになりました。
彼にとって嘘も百回しゃべるうちに本当になってしまうのです。
では、桐山氏の祖父が作ったという霊障を見てみましょう。
- 69 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/12(火)
21:16
「祖父が作った霊障」 1.親の因果が子に報い
桐山氏は前科が公表されると、
「因縁に動かされて、実刑を科せられる方向に無意識のうちに行動してしまうの
である」
と述べ、犯罪の元は刑獄の因縁であると責任転嫁しました。
さらに、この刑獄の因縁の元は、桐山氏の祖父が作った霊障であるといいます。
桐山氏の祖父が作ったという因縁と霊障とは次のような話です。
桐山氏の祖父は信州のある藩にいた剣術の指南番であった。
幕末に勤王派の武士たちを、祖父が中心になり合計18人を上意討ちにした。
この時の武士たちが祖父に非常な恨みを持ち、霊障のホトケとなり、桐山家に祟
りをなした。
その結果、祖父の子供は、長男が事故死、末娘が自殺、二女の長男が事故死、そ
して、長女の子供にあたる桐山氏が刑務所に入るといった悪因縁を作り出した。
祖父が直接斬ったのは2人だが、霊障のホトケとなって3人が現れた。
恨みによって家系の者に祟るという、まるで江戸時代の怪談話のような物語を桐
山氏はたいへんな熱意と説得力で講演し、本に書き続けました。
百年以上も前の血みどろの武士たちが恨みをもって斬りかかるという描写では、
桐山氏の文才はいかんなく発揮されました。
親の因果が子に報うという手垢のついた古典的な題材が、桐山氏の才能によって、
リアリティ豊かに創作されたのです。
1980年代前半、阿含宗が拡大する上で、霊障は重要なキーワードでした。
桐山氏は霊障によって地球は壊滅すると断言し、1999年7の月の話を生み出しま
した。
つまり、桐山氏の祖父の話は、阿含宗教学の因縁、先祖供養、解脱供養、地球壊
滅、成仏法などの基礎であり、最も根幹にあるのです。
そのほど重要な桐山氏の祖父の話は、いくつかの点で奇妙なことがあります。
- 123 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/14(木)
21:13
「祖父が作った霊障」 2.上意討ちは犯罪か
桐山氏の祖父の上意討ちは犯罪でしょうか。
当時の武士としては与えられた仕事をしたまでです。
上意討ちが犯罪とみなされたことはありません。
桐山氏の理屈が成り立つなら、死刑の許可を出した法務大臣や死刑執行に関わっ
た人たちの子孫は横変死や刑獄の因縁を持つことになります。
戦争で敵を殺した人たちの子孫は横変死や刑獄の因縁を持つことになります。
桐山氏はそこで武士たちの恨みといった怨念を出してきます。
第二次世界大戦で殺されたアジアの人たちの怨念など、上意討ちよりもはるかに
強いでしょう。
しかし、戦争に行った人たちの子孫だけが横変死したとか、刑務所に入ったなど
という話は聞きません。
人類の歴史は戦争、殺し合いの歴史です。
その多くは、上意討ちよりも、もっと激しい憎しみあいです。
桐山氏の理屈からは、人類の大半は横変死か刑獄の因縁を持つことになります。
これが事実なら、桐山氏言う地球壊滅のような大量死がおきるでしょう。
現実は、桐山氏の脅迫的な予言ははずれ、何もおきませんでした。
多くの人たちが犯罪に巻き込まれて、刑務所に入ることになってもいいはずです。
犯罪者が一般人よりはるかに少ないのは桐山氏の理屈では説明がつきません。
自分の意志とは関係なしに犯罪に巻き込まれてしまう人は今でも少数です。
要するに、桐山氏は祖父を犯罪人にしたかったのです。
祖父の上意討ちが犯罪でないと困るのは桐山氏だけです。
祖父が悪業を積んだことにならないと、自分の犯罪を正当化できないからです。
桐山氏は、自分の罪をごまかすために、祖父を犯罪者に仕立てる恐ろしい孫です。
- 152 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/18(月)
21:01
「祖父が作った霊障」 3.人を殺すことと詐欺は同じか
桐山氏の祖父は人を殺しました。
武士たちの恨みで、悪因縁ができたと仮定しましょう。
人を殺した業がどうして子孫の詐欺行為となって現れるのでしょうか。
桐山氏が横変死の因縁を持っていたというのなら筋の通りもいいでしょう。
だが、桐山氏は横変死の因縁がないとはっきり断言しています。
なぜ殺された武士の恨みが酒税税法違反という詐欺行為になるのでしょうか。
恨みによって桐山家の人たちが事故死や自殺したというのはもっともらしいが、
桐山氏一人は、何の脈絡もなく、ただの詐欺です。
殺された武士の怨念の結果が詐欺とは、なんとも竜頭蛇尾です。
血みどろの武士が桐山氏の潜在意識に偽ビールを作るようにささやきかけたとす
れば、この光景は悲劇というよりは喜劇です。
桐山氏は簡単に刑獄の因縁とひとくくりにしています。
しかし、人を殺すことと詐欺を、刑務所に入れば同じだというのは暴論です。
桐山氏は両者が同じことであるかのように見せたかったのです。
詐欺罪とは書かず、刑獄の因縁と重々しく書くから、なんとなく読むほうは、横
変死の因縁と同じような深刻さがあるかのような錯覚をおこします。
桐山氏の犯罪は、これまで見てきたように、彼の弁明とは違い、不可抗力や偶然
ではなく、自ら計画し実行しました。
事故死や自殺した人たちと、自ら進んでやった犯罪とを同一に取り扱うのは、死
者に対する冒涜です。
事故死や自殺者たちを利用して自分の犯罪を正当化しただけです。
桐山家の家系の話にごまかされないことです。
自殺や事故死を、詐欺と同列に扱うのは桐山氏の目くらましです。
血みどろの武士、悲惨な死に方をする桐山家の人たちというおどろおどろしい話
に自分の詐欺行為を混ぜて、ごまかしているにすぎません。
- 213 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/20(水)
20:26
「祖父が作った霊障」 4.信州の武士は情けない?
桐山氏の祖父は2人斬り、全体で18人の勤王派の武士が斬り殺されたそうです。
全員、霊障のホトケとなって桐山氏の解脱供養を受けたことになっています。
武士であり、藩に逆らおうというのだから、死ぬ覚悟くらいできていたはずです。
それなのに、斬り殺された武士は全員が怨霊になっていたというのです。
いくら腰砕けの情けない武士でも、これはおかしくありませんか。
桐山氏によれば「こいつさえいなければ」という無念の気持ちが、全員を不成仏
霊にして、桐山家に数代に渡って祟りをなしたと言います。
「その無念の思いは、祖父一人に集中されたに違いない」というのです。
武士たちにとって桐山氏の祖父は恨まなければならない相手だったのでしょうか。
藩主の命令で殺しに来たことくらい、彼らも知っていたはずです。
桐山氏の祖父は逆恨みされるような人だったのでしょうか。
後に、祖父は勤王派に追われたが、逃げのびることができた理由として、
「多少、人望らしいものもあったようだ」と桐山氏は書いています。
人望があるのなら、なおさら逆恨みなどされるはずがありません。
「藩主を恨めないから、桐山氏の祖父が恨まれた」という理屈も成り立ちません。
藩主が絶対的なら、逆らってまで、勤王運動をやろうとはしないでしょう。
一人くらいが逆恨みするというのなら、まだわかります。
直接手をかけていない人を含めた18人もの武士が、一人の例外もなく桐山氏の
祖父に祟りをなしたなどありえません。
桐山氏の手にかかると、信州の武士たちは道理を理解せず、目の前にいる人間を
一方的に恨むような愚かでみっともない武士になってしまいました。
こんな情けない武士がたまたま18人もそろうはずがありません。
文筆力に任せた桐山氏の作り話も、妄想を膨らませすぎて、現実にはありえない
話にまでなったのです。
誰も確認できないことだと、桐山氏は好き放題に話を膨らませます。
桐山家に祟った18人も最初は3人でした。
- 275 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/22(金)
21:37
「祖父が作った霊障」 5.増殖した霊障の武士
どれほど強い怨念であったか、どれほどひどい霊障であったか、したがって自分
の犯罪は不可抗力であり、桐山氏には責任がない、と言いたいのです。
それを強調するために桐山氏の妄想は拡大していきました。
1981年「霊障を解く」では3人の武士が霊障の仏として現れたと書いています。
1991年「冥徳供養」では、斬られた18人を全員成仏させるのに3年かかったと
書いています。
桐山家に祟っていたのは3人だったはずなのに、十年たつと、斬られた18人全
員が桐山家に祟りをなしています。
十年の間に6倍に桐山家の怨霊の数は増殖したのです。
これは桐山氏の妄想が増殖したことを意味します。
3人の武士の怨念だけでは物足りないから、文筆の勢いにまかせ、後で残りを加
勢させたのでしょう。
武士たちの祟り方も並大抵ではありません。
普通の不成仏霊なら1〜2回の供養で済むという桐山氏でさえ、何と3年かかっ
たというのです。
毎月一回、解脱供養をして、36回もの修法が必要だったことになります。
信州の武士たちの祟り方は普通の人の何十倍も強いことになります。
話が時間とともに針小棒大に膨らむのは桐山氏の常です。
桐山家の霊障をひたすら大きく強烈にしたいのです。
桐山家の霊障は、通常ではありえないほど強烈であり、強烈な霊障から生まれた
強烈な刑獄の因縁に、自分は翻弄されたのだと言いたいのです。
前科は自分の責任ではなく、武士たちの空前絶後の祟りだと言い逃れるために、
霊障話を拡大させたのです。
十年の間に霊障が3人から18人まで拡大したのは他にも理由があります。
80年代後半から桐山氏の脳は老化が顕著になり、客観的に自分の書いた物を見る
知性がますます失われていました。
作り話ならなおさら注意深く書くべきなのに、生来のズボラさも災いして、脳の
老化で、この程度の注意力すらも散漫になっていました。
- 299 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/24(日)
20:32
「祖父が作った霊障」 6.死人総出演の霊障物語
桐山氏は、亡くなって口のきけない人たちを総出演させ、霊障物語の舞台で演技
をさせているのです。
18人の武士や、祖父ばかりか、一族郎党など、使える人は全部登場させ、さんざ
んな三枚目の役を与えて、霊障物語を作りました。
自称・霊視能力をもっているのは桐山氏一人ですから、どんな人を出演させよう
が、どんなひどい役割をさせようが、死人は誰も文句を言いません。
中身を知っているのは桐山氏一人ですから、筋はなんとでも作ることができます。
前科は自分のせいではない、というたったこれだけのことを言うのに、作り上げ
た壮大な物語です。
死人たちは、桐山氏の思うがままに操られ、数を増やしながら、桐山氏の前科を
覆い隠すための霊障劇を演じさせられました。
普通の人なら犯罪を認めて終わりにするのに、桐山氏は何十年もかけて、言い訳
のための物語を作り、さらに阿含宗の教学の柱にまでしました。
霊障を前科の言い訳に用いただけではありません。
父親の事業の失敗で学校に行けなかったこと、結核になって戦地にも行けず、サ
ナトリウムで青春をすごしたこと、事業が失敗したことも、すべて霊障のせいに
しています。
うぬぼれの極端に強い桐山氏は、自分ほど才能に恵まれた人間が失敗、挫折する
のは、霊障や因縁以外には考えられない、と確信しているのです。
能力の欠落や努力の足りなさにすぎないのに、反省心のない桐山氏はことごとく
霊障のせいにして、あるがままの自分を認めようとはしません。
この意味では、阿含宗は桐山氏の人生の自己弁護教、言い訳教であると言えます。
霊障物語は完全に桐山氏の頭の中にあるために、本人と死人以外は誰も検証も批
判もできない独壇場でした。
だが、悪事千里とでも言うべきか、死人をもてあそんだ罰というべきか、霊障物
語に思わぬところから伏兵が現れました。
- 353 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/26(火)
21:15
「祖父が作った霊障」 7.信州の藩で殺し合いはほんとうにあったのか
桐山氏の祖父らが幕末に勤王派18人を斬り殺したという事件は、昼行灯氏の調
査によれば、次のようになっています。
****************
嘘である。信州十一藩に、このような事実は無い。
1995年の夏休みの2ヶ月、信州を回り、歴史博物館や、各図書館、郷土史家
を訪ねて伺ったが、「そのような事実はありません」と一笑に付されてしまいまし
た。
「そのような事実があれば、斬られた家中のご遺族も、何らかを伝えている筈で
しょうが聞いたことはありませんし、その記録も、各藩史にも残っていません」
との事でした。
****************
(以上、「阿含宗という宗教1」の45からの転載、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=968997070)
昼行灯氏の調査によれば、信州では、桐山氏の書いているような、勤王派と佐幕
派による斬り合いの事件はなかったというのです。
これは阿含宗の屋台骨をゆるがしかねない重大発見です。
霊障物語の基本中の基本になっている血みどろの18人の怨霊武士たちは歴史上
存在しなかったことになります。
これが事実なら、阿含宗の教義の大半が崩壊するといっても過言ではありません。
- 406 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/28(木)
20:53
「祖父が作った霊障」 8.記録に残らないはずがない
幕末の信州の藩内で上意討ちなどの殺し合いがあったという記録はありません。
たかだか150年くらい前の話ですから、どの県でも、郷土史研究家などが調査を
行っているものです。
信州も公式な「長野県史」が発刊され、詳細に歴史が調べられています。
たとえば、信州で幕末に一揆をおこした百姓を3人撃ち殺したといった具体的な
数字すら残っています。
小藩といえども、いや、小藩だからこそ、18人もの人が殺されたら、記録が残ら
ないはずはないのです。
幕末の信州は平田派の国学がさかんで勤王派の人たちがいました。
信州出身で討幕運動に参加したり、支援した人たちもたくさんいました。
幕末ですから、信州の武士たちも死んでいます。
だが、藩内の武士同士が殺し合いをしたという記録はまったくありません。
上意討ちの記録などなおさら残っていません。
信州の藩主たちは、歴史家が日和見と批判したように、佐幕か勤王かと迷い、ど
っちつかずのうちに明治になってしまったのです。
経済力も武力も小さい小藩ばかりでは、当然のことだったのでしょう。
勤王派を斬るなどという強硬な藩主は一人もいなかったのです。
- 435 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/09/30(土)
20:34
「祖父が作った霊障」 9.信州の藩では殺し合いなどなかった
桐山氏の説明によれば、勤王派が優勢になると、佐幕派の人たちは、桐山氏の祖
父ともう一人を除いて、すべて殺されたと言います。
一つの藩の中で、おそらくは三十人以上も殺されたことになります。
実際の身分が低い百姓が3人殺されても記録されているのに、小さな藩の武士が
数十人殺されても記録が残らないなどありえないことです。
藩主が秘密にする理由はありません。
上意討ちは殺人ではなく、藩主の権限であり、正式な命令ですから、公務であり、
隠す必要がないのです。
藩主が命令して勤王派を殺したとすれば、幕府に対する忠誠です。
隠しておくどころか、幕府に逆らう者はこうなると、みせしめのためにも、公表
したはずです。
後に、形勢が逆転しても、いったん公表した内容を消すことは不可能です。
勤王派は殺された武士を革命の英雄として記録したはずです。
誰にとっても隠す必要などありませんでした。
だが、桐山氏の言う数十人にも及ぶ死者を出した上意討ち事件など、信州の藩の
どこにも歴史的事実としては存在しません。
とすれば、もう一度、情報源から見直す必要がありそうです。
- 486 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/02(月)
20:49
「祖父が作った霊障」 10.隠れたかったのか、目立ちたかったのか
霊障物語の情報源は桐山氏の祖父です。
桐山氏の祖父は仇討ちを恐れ、死ぬまで枕元に旅仕度を置いていたそうです。
家族に藩の名前さえ固く口止めしていました。
桐山氏が18人の武士の話を聞いたのは、霊視能力をもってから、母親に質問し
た時だといいますから、家族内でも秘密だったのです。
家族にすら上意討ちの詳しい内容が伝わらないほどの箝口令がしかれていました。
これほど用心深く、仇討ちを恐れたはずの祖父は、明治になってからとはいえ、
別な事件の犯人逮捕に協力して、知事から金一封までいただいています。
犯人が武士出身で手強いので、警官が頼みに来たというのです。
つまり、「桐山の旦那」は剣豪としてその近郷では有名だったのです。
剣豪として有名で、大立ち回りまでやってしまっては、仇討ちに、自分はここに
いるぞと宣伝しているようなものです。
上意討ちは、武士としての使命を果たしたのだから、家族や近所に隠す必要など
何もありません。
自分の藩名や上意討ちを近所にも明らかにして、もし仇討ちが尋ねて来れば、す
ぐに連絡が来るようにしたほうがよほど合理的です。
孫すらも上意討ちについて詳しく知らされていないほど家族でも秘密扱いなのに、
近郷では「桐山の旦那」はスゴ腕だと知られていました。
「桐山の旦那」が普段から剣術の自慢話を近所にしていたからでしょう。
祖父の矛盾した態度は、仇討ちを恐れていたというのでは説明がつきません。
桐山氏の祖父は流れ者のようにやって来て、桐山家に婿入りしたのですから、彼
の本当の素性を知る人はだれもいなかったのです。
剣術指南番だったことも、上意討ちの話もすべて祖父一人の自己申告であり、そ
れを確認した人は桐山家の家族にも近所にも誰一人いなかったのです。
- 563 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/04(水)
20:38
「祖父が作った霊障」 11.祖父の素性
桐山氏の祖父は、犯人逮捕のとき、刀を預け、警官から借りた十手をもってにら
み合ったといいます。
人前で武士同士の斬り合いをしたくなかったという理由を述べたといいます。
刀をさして十手で、というのならわかります。
勝負に出るのに、武士の魂である刀を他人に預けたりするでしょうか。
相手が強くて、刀では自分が負けそうだから、丸腰なら、まさか相手は斬りかか
ることはないだろうと、一か八かの賭に出たともとれます。
祖父は孫とよく似て、ハッタリが得意だったようです。
ほんとうに強かったかどうかは誰も確認した人がいないのです。
祖父が恐れていたのは仇討ちではなく、婿入りした桐山家の家族や近所の人たち
が、元の藩に素性を調べに行くことではなかったでしょうか。
調べられないようするには、家族には仇討ちが来ると脅かせば十分です。
近所の人たちには藩名さえ教えなければ、信州では藩が十以上もありましたから、
調べがつくことはまずありません。
家族には藩名すら口にしないように言った理由もこれでわかります。
祖父は何か家族にも知られたくない秘密、素性を調べられては困ることを隠して
いたのでしょう。
上意討ちで藩を追われたのではなく、人に知られては恥ずかしいような失態をし
でかして逃れてきたのでしょう。
それならば、武士として名誉にしていい上意討ちや藩の名前すら必死に隠そうと
したことも説明がつきます。
枕元に旅支度の準備をしていたのは、仇討ちを恐れていたのではなく、素性がば
れたとき、一目散に逃げ出すためだったのかもしれません。
こういう人物が霊障話の全ての源なのです。
- 666 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/06(金)
21:30
「祖父が作った霊障」 12.大法螺吹きの遺伝子
歴史的には存在しないにもかかわらず、桐山氏の霊眼には血に染まった18人の
不成仏霊となった武士たちが見えたそうです。
上意討ちは桐山氏が母親を通じて祖父から伝えられた話です。
上意討ちの事件も、18人が斬り殺されたという話も、あの桐山氏の祖父の情報が
すべてです。
家族を含めて誰一人実際に見たり聞いたり、確認したのではなく、祖父がただそ
のように言っただけです。
情報源が桐山氏の祖父だけである点はとても重要です。
祖父の性格は孫である桐山氏を鏡として考えればよくわかります。
祖父と孫は大法螺吹きの遺伝子を共有していたと考えれば、それだけで説明がつ
いてしまいます。
桐山氏の、話をどんどん膨らませていく物語作家としての性格が、祖父からの遺
伝であったと考えれば、ありえない話ではありません。
祖父もまた、桐山氏と同様に、自分を大きく見せるためなら、嘘をつくことが何
ともない性格だったなら、上意討ちが彼の空想でも不思議ではありません。
武士としてやむなく人を切ったというのは、自分がすごい剣士であることを誇示
するためにはちょうどいい物語です。
実際には悪いことをして、藩から追放されたのかもしれないが、それを正当化す
るために、このような話をでっち上げたと考えれば、理解できます。
桐山氏が刑務所に入るのに、仏様から修行に行くようにご霊示があったというの
とよく似た手法です。
幕末、あちこちの藩での勤王と佐幕の争いの話は伝わっていただろうから、その
あたりからヒントを得て、物語を作ったのでしょう。
桐山氏は祖父から作家としての才能を受け継ぎました。
祖父は18人が斬り殺された法螺話を作り上げ、孫は霊視能力で色を添えたので
す。
阿含宗の信者は、祖父と孫の二人の大法螺吹き大将にまんまとひっかかったので
す。
- 680 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/08(日)
21:34
「祖父が作った霊障」 13.崩壊する阿含宗教学
桐山氏の祖父の法螺話は、孫の作った宗教に致命傷を与えます。
阿含宗では、因縁と霊障は重要な大黒柱です。
桐山氏の刑獄の因縁は、祖父の作った霊障からできたことになっています。
武士の怨念 → 霊障 → 桐山家の因縁 → 桐山氏の刑獄の因縁
という順序で組み上げられています。
武士の怨念こそは土台中の土台なのです。
これが嘘だとなると、桐山氏の刑獄の因縁は根拠がないというだけには留まりま
せん。
阿含宗では霊障と因縁は極めて重要な位置を占めています。
霊障から桐山家に生じたという横変死、刑獄の因縁に肉親血縁相剋の因縁を加え
て三大悪因縁と称され、阿含宗では特に重視されています。
阿含宗の霊障と悪因縁の話はすべてこの武士の怨念から始まっています。
どこを切っても、霊障と因縁が出てきて、桐山氏の法話といえば、この二十年、
これが十八番です。
霊障の仏を解脱させる解脱供養は桐山氏の重要なウリの一つです。
柴燈護摩では霊障解脱の護摩木を別に書かせ、不成仏霊を供養するための壇をわ
ざわざ設けています。
霊障と悪因縁によって地球が壊滅すると脅迫し、それを解決できるのは自分だけ
だと豪語していたのです。
このように18人の血みどろの武士は阿含宗の宗教的な土台なのです。
だが、18人の武士が存在しなかったとすれば、将棋倒しのように、次の霊障、桐
山家の因縁、桐山氏の刑獄の因縁はすべて存在しなかったことになります。
この霊障話の延長にある阿含宗の宗教行事はすべて根拠を失います。
存在しない霊障の武士が見える桐山氏が霊視し、成仏させる不成仏霊とその霊障
とはいったい何でしょうか。
宗教としての土台となっている武士の怨念が空想にすぎなかったとすれば、因縁
と霊障という阿含宗の教学の重要な柱は二つとも瓦解します。
祖父の嘘が孫の宗教を瓦解させたとすれば、阿含宗では何というのでしょう。
霊障から生じた家運衰退の因縁、肉親血縁相剋の因縁、それとも孫の運気を剋す
る因縁でしょうか。
- 697 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/10(火)
21:10
「祖父が作った霊障」 14.実在しなくても霊視できる霊視能力
実在しない18人の血みどろの武士を霊視したということは、桐山氏の得意技で
あり、客観的には誰も確認のできない「霊視能力」にも疑問をはさみます。
桐山氏は解脱供養をするのに不成仏霊を霊視するといいます。
祖父の作り上げた架空の物語に登場する架空の人物の姿をありありと見るという
桐山氏の霊視能力とはいったい何なのでしょうか。
霊障の武士たちは、桐山氏の頭の中にしか存在しなかったのです。
本人の霊障のホトケすら実在しないのですから、信者の家系の不成仏霊もまた桐
山氏の頭の中にのみ存在するのでしょう。
最初3人の武士だったのが、十年後には18人全員が祟りをなしていたように、
桐山氏の霊視能力など客観性がありません。
不成仏霊の霊視と称するものがどれほどいい加減なものであるかを示しています。
不成仏霊と霊障は外の世界ではなく、桐山氏の頭の中に存在するのです。
桐山氏は、1999年の地球壊滅のビジョンをインドで見たように、普通の人には作
り出せないような、リアルな妄想を体験できる能力があるようです。
存在しない物が見えるのなら、まず病院に行くべきです。
解脱供養は10万円という高額な供養料を取ります。
解脱供養をするとは「あなたの先祖は成仏していない」「霊障を発している」とい
うことになります。
根拠となっている桐山氏の霊視能力では、架空の人物すらも見えるのです。
妄想を元に、先祖が苦しんでいるとして高額な供養料をとるのは、人の不安や不
幸につけこんだ霊感商法以外の何物でもありません。
- 727 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/12(木)
21:06
「祖父が作った霊障」 15.闇黒の谷底に落とされた祖父
桐山氏は犯罪の責任を回避するために、荒唐無稽の因縁論や霊障話を作り、これ
を元に阿含宗をたてました。
最初と最後を見るなら、「おれには責任がない」と言いたいがために、阿含宗を作
ったと言ってもいいでしょう。
自己責任を回避するために、彼は一生をかけたのです。
そのためには桐山氏は手段を選びませんでした。
桐山氏の祖父は、亡くなって、闇黒の谷底に、悲痛な叫びをあげながら、落ちて
いき、斬り殺された18人に取り囲まれ、霊障のホトケになっていたそうです。
桐山氏の霊眼にしか見えないことだから、自分の祖父を、文筆の才能に任せて、
煮ようが焼こうが誰も文句は言いません。
桐山氏の霊能力はありもしないものを見るのですから、これはあの世の話ではな
く、桐山氏の心の中を象徴する光景と考えるべきです。
著書の中で、次のように書いています。
「人を殺した祖父に代わりその子三人を死刑にし、孫を刑務所に送りこんだわけ
である」
祖父は子を死刑にし、桐山氏を刑務所に送ったというのです。
自分はまったく悪くなく、祖父がすべて悪いといいたいのです。
この文章は、何やら祖父への憎しみすらも感じさせます。
死人に全責任をなすりつけ、さらに死体を憎しみを込めて切り刻んでいるような
不気味な文章です。
桐山氏の常で、妄想で作りだした霊障話を本気で信じ込んで、刑務所に送ったの
は祖父だと逆恨みし、文章で復讐しているのでしょう。
ここまで責任転嫁が徹底すると、桐山氏の心は極めて病的です。
聖者には絶対にあるはずのない心癖がここに如実に現れています。
- 778 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/15(日)
20:46
「祖父が作った霊障」 16.先祖を売り渡して得た勲章
桐山氏は今でも「祖父が悪い。おれは悪くない」と叫び続けています。
この様子は、聖者や解脱者ではなく、ダダをこねて、わめいている子供です。
桐山氏は、先祖を供養して、大切にして、守護してもらおうと説きます。
ところが、ご本人は祖父を大悪人に仕立て、責任をなすりつけ、憎しみを込めて
なぶり者にしても、何の罪悪感もありません。
言うこととやることが違うのは桐山氏の場合珍しくないものの、これほどの大き
な落差は桐山氏の心に深いゆがみやひずみがあることを感じさせます。
桐山氏は祖父に責任転嫁しただけではありません。
人殺しや強盗などの凶悪犯罪ではないのだから、自分の詐欺行為を率直に認めれ
ば済んだことです。
認めたくないばかりに、壮大な絵空事で宗教を作り、人々を脅迫し続けて、その
見返りに、宗教家としてのそこそこの成功と、たくさんの勲章を得ました。
霊障を元にして宗教を立て、様々な名誉を得ました。
桐山氏は、武士たちの血と祖父への侮辱を、勲章と引き替えにしたのです。
祖父を踏み台にして、思いっきりその頭を踏んづけることで、勲章を得たのです。
祖父を大犯罪者に仕立て、勲章と引き替えに売り渡しただけでは物足りなく、勲
章をくれた祖父を逆恨みし、憎しみを燃やしたのです。
桐山氏の胸についている勲章は血と侮辱に汚れています。
桐山氏の先祖供養とは、先祖をありもしない侮辱で踏みつけて、その見返りに勲
章をもらうことのようです。
- ■ここまで2ch「心と宗教」内阿含宗という宗教5より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/968/968581527.html
- 29 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/17(火)
20:43
「祖父が作った霊障」 17.責任回避の先祖供養
桐山氏の祖父に責任をなすりつけるやり方は、そのまま阿含宗の先祖供養の方法
になっています。
阿含宗では不幸や災難は、成仏できずに苦しんでいる先祖の霊障が原因です。
阿含宗の先祖供養とは、不成仏霊となっている先祖の成仏から始まります。
これではまるで先祖は不幸の製造器のような存在です。
自分の努力の足りなさや、欲の深さを棚に上げて、先祖のせいにするのは、桐山
氏と手法がまったく同じです。
先祖は勝手に不成仏霊にされ、先祖が原因で子孫が不幸になったと、まるで病原
菌扱いです。
その根拠は、桐山氏による霊視と、信者の思いこみです。
実在しない霊障のホトケを霊視できる桐山氏の霊視能力がすべてなのです。
これほど先祖を小馬鹿にした話はありません。
先祖供養の名を借りた、先祖への罵倒や侮辱です。
先祖に感謝する日本の伝統的な先祖供養の習慣とは、似て非なるものです。
霊障の不成仏霊として手を合わせられて喜ぶ先祖がいるでしょうか。
先祖にしてみれば、解脱供養など、どこも悪くないのに強制的に入院させられ、
ありもしない病名をつけられて、手術されるようなものです。
桐山氏の目的は先祖供養ではなく、自己弁護と責任逃れです。
スタートから不純な動機を持つ先祖供養を、信者がどんなに純粋な気持ちでやっ
ても、最初のボタンの掛け違いは直りません。
阿含宗で先祖供養をするのは、自分の先祖を侮辱するだけでなく、桐山氏の責任
回避の片棒を担ぐことです。
- 69 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/19(木)
20:40
「祖父が作った霊障」 18.自分は悪くない。自分には責任がない。
最初から刑獄の因縁について見てみましょう。
桐山氏によれば、悪いのは主犯格のS氏であり、死者を出した他の密造グループ
であり、親身にならない国選弁護人であり、桐山氏の言い分を受け入れない裁判
官であり、二審で判決を覆せなかった弁護士です。
こういう現実への責任転嫁だけでは足りず、妄想の言い訳を作り始めました。
桐山氏の小説家としての才能が発揮されます。
まずは刑獄の因縁という絵空事です。
しかも刑獄の因縁を作ったのは桐山氏ではなく祖父です。
祖父もまた法螺吹きの素養があり、上意討ちの作り話をしていました。
孫はこの物語をヒントに霊視能力で脚色し、18人の恨み武士をでっち上げました。
桐山氏の態度は終始一貫していて、現実の世界ばかりか、空想、妄想の世界でさ
えも、絶対に自分は悪くないと言っているのです。
「自分は悪くない。自分には責任がない。」
これだけを言うために、S氏を悪魔的な性格にして、弁護士や裁判官を無能、無
理解にし、18人の武士を創作し、祖父と桐山家の死人たちに演技をさせました。
霊障から来る地球壊滅まで説いて、人々を脅迫したのは、自分に責任はないのだ
と言うことから始まっているのです。
この姿勢は桐山氏の人生、宗教を理解する上で、とても重要なポイントです。
桐山氏の宗教は「自分には責任がない」と言うために作り上げたといっても言い
すぎではありません。
前科に限らず、桐山氏はあらゆる責任を認めたくないために、妄想を広げ、虚構
の世界を生み出していきました。
宗教や霊的な世界を骨格にして、桐山氏の妄想と思いこみが血肉となって、つい
には「宗教小説・阿含宗」を作り上げてしまったのです。
- 129 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/21(土)
21:14
「祖父が作った霊障」 19.自己責任からの解脱?
桐山氏の責任感のなさは今日も何ら変わっていません。
教団内で問題がおきると、見苦しい言い訳をして、すべて職員や信者、世間のせ
いにします。
事実関係の調査をろくにしないから、自信たっぷりに間違ったことをしゃべりま
す。
桐山氏が恐いから、誰も反論などしません。
すると桐山氏は、自分の言い分が理論的にあまりに完璧なので、周囲の者は納得
し、心酔し、ひれ伏しているのだと、自分の智恵に確信を持ちます。
オベッカ使いが桐山氏を礼賛すれば、これで仏陀の智慧の完成です。
自己反省、自己責任という仏教の基本とは逆から桐山氏は宗教を出発しました。
自分のやった犯罪行為をS氏、裁判官、弁護士、18人の武士、祖父に責任を転嫁
し、因縁、霊障のせいにする宗教に作り上げたのです。
スタートからして仏教とは逆方向ですから、いくら釈尊を教団の看板に使っても、
矛盾だらけになるのは当然です。
あるがままの自分から一生逃げ続けた人です。
桐山氏の主張どおりに心解脱したのなら、詐欺的性格も消えたはずです。
逆に、詐欺的性格が変わっていないなら、同様のことが彼の人生には繰り返し現
れるはずです。
さあ、どちらなのか。
宗教家としてスタートした頃から、桐山氏のその後の人生を見てみましょう。
■以上ここまで2ch「心と宗教」内阿含宗という宗教6より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/971/971700284.html