念力の護摩
- 6 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/08(日)
21:02
「念力の護摩」 1.桐山氏のデビューとしての念力の護摩
桐山氏が宗教家として知られるようになったのは、1971年に出版された「変身の
原理」からであり、その最大の売り物は「念力の護摩」でした。
念力の護摩とは、実際の火を使わず、精神力だけで火をつけて、護摩を焚くとい
うものです。
信者の目撃談を含めて、公表されている念力の護摩を、時間を追って羅列すると
次のようになります。
今後、区別のために「念力の護摩(5)」といったように、番号で呼ぶことにします。
(1)1969(昭和44)年10月、深山の道場。奉書紙に燃えた跡があった。
(2)1969(昭和44)年12月29日、京都道場。護摩壇開き、発火後、立ち消え。
(3-1)1970(昭和45)年1月3日、京都道場。発火後、立ち消え。
(3-2)(3-1)の直後、護摩木を積み直して成功。
(4-1)1970(昭和45)年1月4日、京都道場。発火後、立ち消え。
(4-2)(4-1)の直後、護摩木を積み直して、発火後、立ち消え。
(5)1970(昭和45)年1月5日、京都道場、成功。
(6)1970(昭和45)年1月7日、北陸本部道場、成功。
(1970年1月8日も北陸で護摩が焚かれたらしいが、記録なし。)
(7)1970(昭和45)年1月?日、東京道場。発火後、立ち消え。
(8)1973(昭和48)年4月28日夜(マスコミ公開)、東京道場。発火後、立ち消え。
(9)1973(昭和48)年4月29日、東京道場。白煙だけ。
- 43 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/10(火)
20:58
「念力の護摩」 2.念力の護摩の回数
護摩とは、今日真言宗などで行われ、火を焚いて仏に供養するものです。
インドでは仏教以前から行われた古い宗教行事です。
日本では金属の釜の上に護摩木を井形に積み重ねて燃やします。
桐山氏の念力の護摩では、釜の上に奉書紙と呼ばれる紙を敷き、その上に護摩木
を積み重ねます。
奉書紙は普通の真言宗の護摩では用いません。
奉書紙の右端にはランと発音する梵字が書かれ、これは火を意味します。
念力の護摩ではこのラン字に念力で点火します。
ラン字から発火しても、火が燃え広がらず、立ち消えしたり、火が採れなかった
り、護摩木に燃え移らない場合、桐山氏は失敗とみなしています。
護摩木に燃え移ったことをもって成功とみなしているようです。
桐山氏は念力の護摩の回数、成功と失敗について次のように述べています。
「この三日間をふくめて、私は、いままでに前後五回、この法を修した。そのう
ち二回失敗し、三回、法は成就した。(「変身の原理」1971年)」
「この三日間をふくめて、私は、いままでに前後七回、この法を修した。そのう
ち二回失敗し、五回、法は成就した。(「念力」1973年)」
1973年の本で7回に増えたのは、念力の護摩(8)(9)が加わったからです。
「この三日間」とは念力の護摩(3)〜(5)を指しています。
念力の護摩(2)と(7)は桐山氏にとっては回数の中に入っていないようです。
これらは信者の目撃がありますから、正確には7回ではなく9回です。
針小棒大に話を膨らませるのが得意な桐山氏にしては、逆に少なく書いているの
は奇妙です。
ここで重要なのは、念力の護摩は、練習である念力の護摩(1)を含めても、桐山氏
の申告でさえ7回であり、最大に見ても9回しかないという点です。
- 104 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/13(金)
21:09
「念力の護摩」 3.何回成功したか
○:桐山氏にとって成功。
×:桐山氏にとって失敗。
△:桐山氏は他の護摩といっしょにしてしまうか、もしくは記述なし。
として、桐山氏の言う、五回成功し、二回失敗したものをあてはめると、
×(1)1969(昭和44)年10月、深山の道場。奉書紙に燃えた跡があった。
△(2)1969(昭和44)年12月29日、京都道場。護摩壇開き、発火後、立ち消え。
△(3-1)1970(昭和45)年1月3日、京都道場。発火後、立ち消え。
○(3-2)(3-1)の直後、護摩木を積み直して成功。
△(4-1)1970(昭和45)年1月4日、京都道場。発火後、立ち消え。
×(4-2)(4-1)の直後、護摩木を積み直して、発火後、立ち消え。
○(5)1970(昭和45)年1月5日、京都道場、成功。
○(6)1970(昭和45)年1月7日、北陸本部道場、成功。
△(1970年1月8日も北陸で護摩が焚かれたらしいが、記録なし。)
△(7)1970(昭和45)年1月?日、東京道場。発火後、立ち消え。
○(8)1973(昭和48)年4月28日夜(マスコミ公開)、東京道場。発火後、立ち消え。
○(9)1973(昭和48)年4月29日、東京道場。白煙だけ。
目撃では念力の護摩(8)(9)は発火後、立ち消えと煙が出ただけです。
これらは公開で行われており、また「阿含宗の研究」の著者である廣野隆憲氏が
念力の護摩(9)の目撃者ですから、桐山氏の基準から言っても、失敗です。
桐山氏が念力の護摩(8)(9)を成功と見なしたいのは、公開の場で行い、目撃者を客
観的な証人にしたいがためでしょう。
しかし、桐山氏の基準から言えば、この二つは失敗です。
桐山氏の自己申告のうち二度は失敗とみなしても、念力の護摩(3-2)(5)(6)の三回
は成功していることになります。
だが、桐山氏の基準ではなく、第三者的に見たとき、延べ11回の念力護摩は、
ある意味で、すべて成功していると見ることもできます。
- 176 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/17(火)
21:04
「念力の護摩」 4.念力の護摩はすべて成功した
公表されている延べ11回の念力の護摩が、煙だけでも出たのは驚異的です。
念力で煙が出たというのなら、これはまさに超能力です。
紙から煙が出たのですから、点火する直前まで、遠隔から念力で温度を上げたこ
とになります。
こんなことは人間技では不可能ですから、見方によっては11回全部成功したと
もとれます。
11回全部が念力で点火に「成功」し、そのうち3回が火を採るのに「大成功」し
たことになります。
だが、全部成功したというは、スポーツ選手が毎回世界記録を作っているような
もので、かえって奇妙な印象を与えます。
念力で火を付けるなど、誰もやったことのない難行を、一度の失敗もなしに、確
実に成し遂げているのは、かえって不自然です。
桐山氏は、火が採れない場合や煙だけでは失敗だと見なし、批判本を書いた人た
ちも煙が出た程度では失敗と決めつけています。
失敗もあると認めることが、念力の護摩がいかに難行であるかを示し、かえって
真実味を加えるのに役だっていることに気づくべきです。
事実、この作戦は成功し、批判側は、念力の護摩の成功の回数を少なく見ること
に熱心で、実は全部成功しているという大変奇妙な点を見逃して来ました。
すべて失敗なしに、煙だけでも出したという事実は、念力の護摩の正体を知る上
で重要なヒントを与えています。
この他にも、延べ11回の念力護摩を見ると、いくつかの疑問が出てきます。
- 199 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/20(金)
21:25
「念力の護摩」 5.なぜ、火は燃え移らないのか1
念力の護摩(1)(9)を除いて、すべて発火が目撃されています。
念力の護摩(1)でも、奉書紙が5センチ四方ほどが燃え尽き、壇木にもくすぶった
あとがあったと書いてありますから、発火しました。
つまり11例のうち10例までが発火したにもかかわらず、その火が護摩木まで燃
え広がって成功したのはわずか3例です。
順序としては、奉書紙に書かれたラン字から発火した火は、奉書紙を燃やし、次
に護摩木に燃え移ります。
念力の護摩の失敗例とは、奉書紙が燃えたにもかかわらず、護摩木に燃え移らな
かったのではありません。
ラン字についた火が、なぜか奉書紙に燃え広がらなかったようです。
ラン字に火をつけるといっても、ラン字は朱で書いてあるだけですから、発火し
て燃えているのは奉書紙なはずです。
護摩木に燃え移らなくても、奉書紙だけでも燃えれば、火を採ることができます。
しかし、ほとんどの場合、発火が目撃されたにもかかわらず、火は奉書紙に燃え
広がることがなく、ローソクなどに火を採ることすらできませんでした。
つまり、ラン字の書いてある奉書紙の部分に目で見えるほどの火が、時には音を
出して立ったにもかかわらず、奉書紙全体には燃え広がらないのです。
- 200 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/20(金)
21:27
「念力の護摩」 5.なぜ、火は燃え移らないのか2
奉書紙が燃えなかったことを示すのが、念力の護摩(3-2)(4-2)のやり直しです。
やり直しでは、奉書紙はそのままにして護摩木だけ組み直します。
目撃した信者は、奉書紙に書かれたラン字の焼け残っていた部分から火が出たと
述べています。
この目撃からすると、一回目の点火では、奉書紙に燃え移るどころか、発火点で
あるラン字すらも完全には焼けない程度だったのです。
火が出ているのに、どうして周囲に燃え移るのに失敗するのでしょうか。
念力で火をつけると、なぜか、発火したラン字のごく一部しか燃えていません。
念力でつけようが、マッチでつけようが、一度紙に火がついたら、火には変わり
ありませんから、燃え広がらないどころか、簡単には消えません。
にもかかわらず、公開された10回のうち9回までがはっきりと火が出たにもか
かわらず、その内の6回までが火が消えてしまいました。
紙に点火したにも関わらず、多くの場合、ラン字の一部のみが燃え、奉書紙にす
ら燃え広がることなく、消えてしまうのは何を意味するのでしょうか。
- 274 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/24(火)
21:11
「念力の護摩」 6.なぜ、いきなり公開したか
念力の護摩(1)は「変身の原理」で紹介されています。
「深山の道場」で連日念力の護摩を焚くために苦心し、「三日で十キロも痩せた」
といいます。
深山の道場に体重計があったのも奇妙な話です。
それとも深山の道場での数十回、数百回繰り返し続けられたという念力の護摩の
訓練は、実際にはたった三日だったのでしょうか。
この例でわかるように、桐山氏の文章は文学的に過剰な装飾が行われていること
が多く、文字通りには受け取れません。
桐山氏は1969年10月に念力の護摩(1)に成功すると、同じ月の例祭で信者に、
二ヶ月後の初護摩で念力の護摩を焚くと宣言します。
念力の護摩(1)は、力尽きて失神した後、次の日の朝、壇上を見たら、奉書紙のう
ち五センチ四方が焼けこげていたというものです。
この後、いきなり公開に臨んだのです。
機関誌に載った信者の証言によれば、直前の1969年12月例祭でも、
「煙は出るがまだ火がつかないよ。然し必ずつけますよ」
と言っていたのですから、12月末でまだ火がついていませんでした。
このような状態で、念力の護摩を信者の前で焚こうというのですから、いくらハ
ッタリの強い桐山氏でも大胆すぎます。
桐山氏がここまではっきりと言うからには、念力の護摩を成功させるだけの別な
理由があり、相当の自信があったからでしょう。
- 338 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/04/28(土)
20:46
「念力の護摩」 7.なぜ、訓練すらしなかったのか
桐山氏は一人で練習を積んだと言うでしょう。
だが、桐山氏は本の中で、念力の護摩(1)や失敗例を含めて、7回しか焚いたこと
がないとはっきり述べています。
7回という数字を信じるなら、桐山氏は念力の護摩(1)を焚いた後、火が出ないま
ま、ろくに訓練すらせずにいきなり本番に臨んだことになります。
一度の成功では、偶然かもしれないし、初護摩までまだ時間があるのだから、本
番にそなえて、もう一度くらい練習するのが普通です。
普通なら、念力の護摩(1)で奉書紙が燃えたのは、念力ではなく、火の粉が飛んだ
のではないかと疑い、再三にわたって練習をするでしょう。
ところが、桐山氏は、念力の護摩(1)で奉書紙の焼けこげを見つけて、それ以後二
ヶ月ほど、念力の護摩(2)のたった一度の練習で、次には本番に臨みました。
ハッタリの得意な桐山氏にしても、あまりに大胆です。
失敗すれば、「赤恥をかくかも知れぬ」と桐山氏も述べています。
深山の道場での数十回、数百回と失神するほど繰り返し続けられたのに、紙が焼
けこげると、火も出ないのに、練習すらせず、いきなり公開の日時まで発表した
落差は、どこから来るのでしょうか。
桐山氏は、念力の護摩は何度もやれることではないから、力を蓄えていたのだと
言うでしょう。
しかし、この言い訳は念力の護摩(2)などを詳しくみれば成り立ちません。
- 620 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/05/03(木)
21:15
「念力の護摩」8.練習で発火した
念力の護摩は空海や、念力の護摩を伝授してくれた北野師などが成就したことに
なっています。
これらの記述は桐山氏の本に書いてあるだけで、誰一人確認した人はいません。
北野師は念力の護摩を焚いたことを否定しています。
いずれにしろ、念力の護摩はたいへんな難行と書いているのに、念力の護摩(2)
では、なんと、ただの練習で発火させています。
練習といっても、桐山氏が練習するのではなく、脇導師として護摩を手伝う信者
に手順を教えるためのものです。
運動選手が足慣らしの練習で世界記録を出してしまったようなものです。
桐山氏は、自分は常に真剣勝負なのだと言うでしょう。
しかし、その数ヶ月前まではどうしても火を出すことができず、念力の護摩(1)
では、ついに精根尽きて明け方まで失神状態であったと書いてあります。
それが二ヶ月後には、ただの練習で、信者にあれこれと指導をしながら、簡単に
煙だけではなく、発火させています。
念力の護摩(3-1)(3-2)と(4-1)(4-2)では連続して念力で点火しています。
生涯に何度も焚けないほどの難行を、連続して二度も焚いています。
一度目は失敗していますが、それでも点火はしています。
念力の護摩(1)では失神するほどの難行でありながら、たった一度の練習の後に、
突然、連続して二度も点火しています。
短距離競走の選手が、十分もたたないうちに世界新記録を二度樹立したようなも
のです。
いくら力が高まっていたなどと言っても、練習で発火させたり、連続して発火さ
せるなど、不自然です。
一方で、生涯に何度もできるはずがないなどと、難しさを強調しながら、実際に
はとても簡単に念力で火を出しています。
- 691 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/05/07(月)
20:50
「念力の護摩」9.超能力の重要な証明なのに・・・
桐山氏の超能力は、本であれこれと文学的な装飾が過剰なわりには、自己申告が
多く、客観的なものがほとんどありません。
本などでは桐山氏の超能力の例が示されていますが、実際、その超能力を目の当
たりにしたという信者はほとんどいません。
5つの超人的能力や成仏力など、桐山氏の自己申告にすぎず、何の客観性もあり
ません。
桐山氏は自分の能力として、車の免許を取った事、道場を取得した事、囲碁で名
誉段位を取得した事を書いていますが、これは俗人の能力にすぎません。
その中では、念力の護摩は、念力で火を出したという、超能力の客観的な証明と
しては有力な材料です。
桐山氏も念力の護摩の意義について、法が実在すること、またこの火は仏様から
直接もらったものだと機関誌に書いています。
つまり、念力の護摩は、彼の超能力の実証である同時に、背後には仏がいること
の証明としても用いています。
念力の護摩は常人にはできない技ですから、事実なら、まさに超人です。
歴史上、念力で火をつけたと表明した宗教家は桐山氏一人です。
桐山氏にとっても阿含宗にとっても、念力の護摩は抜いてはならない重要なセー
ルスポイントです。
このように、阿含宗の奇跡や、桐山氏の超能力を示す数少ない実例なのに、念力
の護摩が載っている本は意外なほど多くありません。
- 748 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/05/10(木)
21:00
「念力の護摩」10.なぜ、本に書かないのか
念力の護摩完成までの苦労話など、桐山氏ほどの自己顕示欲と文章能力があれば、
これだけでも本を数冊書きそうです。
ところが、450頁もある「変身の原理」ですら、念力の護摩についての具体的な
記述はわずか20頁ほどです。
「変身の原理」「念力」で書いたのを除けば、「阿含密教いま」などでは、単に念
力の護摩を焚いたというだけで、具体的な内容はありません。
自伝である「現世成仏」の中で「変身の原理」についての解説があります。
しかし、密教ブームを作り出したことと、5つの超人的能力の宣伝があるだけで、
肝心の念力の護摩は一言も出てきません。
まるで話題を避けているかのようです。
阿含宗の宣伝本である「桐山靖雄・阿含密教のすべて」(1988年)を書いた伊達相
平氏すらも、「成就されたか否かは問題とせず」と逃げています。
伊達氏は様々に桐山氏を正当化するための理論を構築しています。
しかし、一番桐山氏の超能力者としての証明であるはずの念力の護摩について、
検証することすら避けています。
念の力で火をつけるなど、人類史上なかった大偉業を成し遂げたのですから、毎
回、桐山氏の本に登場してもよさそうなものです。
あれほど自己主張が強く、同じ内容を何度も本に登場させて手柄話をするのが好
きな桐山氏が、真骨頂ともいえる念力の護摩を、わずか数冊程度の本にしか出さ
ないのはなぜでしょうか。
- 786 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/05/14(月)
20:32
「念力の護摩」 11.なぜその後焚かないのか
桐山氏は1969〜1970年と、1973年の2つの期間に念力の護摩を焚いただけで、
その後、まったく焚きません。
理由として、念力の護摩は難行であるためとしています。
運動競技にたとえて、100メートルで10秒を割る選手だからといって、この場
で10秒で走ってみろといわれても、できないのと同じだといいます。
ここ一番というときに焚くのだと宣言しています。
後に、阿含宗では「密教念力」というマンガ本を出しています。
この中でコップの水を手で沸騰させてしまう湯沸かし器のような超能力者が出て
きますが、これはただのマンガだということなのでしょう。
ところが、奇妙なことに、念力の護摩(2)では、桐山氏は練習で、信者に護摩の脇
師の指導をしながら、あっさりと点火させています。
他の人に100メートル競争の指導をしながら、練習で10秒を簡単に切ってしま
ったようなものです。
まるでコップの水を手で沸騰させてしまったマンガの主人公のようです。
当時の桐山氏は、練習ですら簡単に念力で発火させ、念力の護摩(3-1)(4-1)では失
敗した直後、すぐに再度挑戦するほど力に溢れています。
それが1973年を最後にまったく焚こうとしません。
桐山氏を批判する人たちは、1973年の念力の護摩(8)(9)で失敗したので、焚こう
としないのだろうと推測しているようです。
だが、すでに述べたように、発火させているのですから、成功です。
失敗してやめたのではなく、成功したのにやめてしまったのです。
なぜ、桐山氏は数年の一時期しか、念力の護摩を焚かなかったのでしょうか。
阿含宗の立宗など、焚くべきチャンスはあったにもかかわらず、1973年を最後に、
今日までの約30年間、「ここ一番」はなく、これからもなさそうです。
ここ一番で焚くというのは、桐山氏のお得意の目くらましのための言い訳で、本
当は、焚くとまずい理由があるのではないかと疑うべきです。
1973年より前なら良いが、それ以後ではまずい理由が、何かあったはずです。
■ここまでは阿含宗という宗教8より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/986/986710038.html
- 20 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/05/18(金)
21:25
「念力の護摩」 12.念力の護摩への疑問
11回の念力の護摩の一覧表から見える疑問をまとめてみましょう。
・なぜ11回の護摩がすべて成功しているのか。
・火がついているにもかかわらず、なぜ燃え広がらないのか。
・たった一度、焼けこげた跡があるだけで、まだ火を出せないのに、なぜいきな
り公開を宣言したのか。
・公開までろくに訓練もしなかったのはなぜか。
・難行といわれながら、なぜ、信者を指導する程度の練習で簡単に発火したのか。
・超能力の証明である念力の護摩を、なぜほとんど本には書かないのか。
・なぜ1971年、1973年のみで、その後、念力の護摩を焚かないのか。
このように、11回の念力の護摩を並べて見ると、素人目にも、ずいぶん奇妙な点
や不自然さが浮かんできます。
念力の護摩がトリックではないかという疑惑は当初からありました。
桐山氏は念力のトリック護摩を完成させ、十分に練習を積んで、トリックがばれ
ないと自信満々だったからこそ、人前でやろうとしたのではないか。
そもそもトリックで現実的に説明できるものであるなら、念力で火をつけたなど、
歴史上だれもやったことない荒唐無稽な説明を持ち出す必要はありません。
また桐山氏はその後、いかなる挑戦も受けようとせず、念力の護摩が本物である
ことを証明しようと努力しないのですから、何かうしろめたいことがあるのだろ
う、トリックなのだろうと言われてもしかたがありません。
桐山氏を批判している人たちは様々なトリック説を提唱しています。
その念力の護摩のトリックとはどのようなものでしょうか。
- 82 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/05/22(火)
21:09
「念力の護摩」 13.トリック説1
念力の護摩のトリック説はいろいろあります。
護摩壇の中にニクロム線や火薬を仕掛けたといった説は論外です。
一般人を招いた念力の護摩(8)では、その人たちが護摩壇を調べています。
護摩壇を準備するのは一般信者を含む複数の人間であり、目で見てわかるような
仕掛けはまず不可能です。
発火するのは奉書紙に書いたラン字ですから、ここにニクロム線を接触させるよ
うな配線の仕掛けをすれば、準備をする人たちにばれてしまいます。
ラン字に火薬を塗ったとしても、何かで点火しない限り、火薬がタイミングよく
自然に発火することはありません。
そこで、いくつかの有力な説を検証してみましょう。
グリセリンを染み込ませた紙に過マンガン酸カリウムを付けると発火します。
手品では、灰皿などに過マンガン酸カリウムを少し入れておき、グリセリンを染
み込ませた紙を、接触しやすいようにグシャグシャに丸め、灰皿の上に置きます。
おもむろに念を込めるふりをすると、ちょうど発火します。
この方法では、発火の直前にグリセリンを染み込ませた紙と過マンガン酸カリウ
ムを接触させなければなりません。
具体的には、奉書紙のラン字にグリセリンを染み込ませ、発火の直前に過マンガ
ン酸カリウムをつけた何かをラン字に接触させる必要があります。
しかし、作法を見る限り、桐山氏はラン字に直接的、間接的に触れてはいません。
ニクロム線同様、物と物とが触れるようなこの方法では、念力の護摩のトリック
は説明しきれません。
- 181 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/05/25(金)
21:02
「念力の護摩」 14.トリック説2
2つ目の説は、護摩木の下に敷く奉書紙に塩化カリウムを含ませ、酒水器に入れ
た硫酸を散杖でかけて、両者の化学反応で発火させるというものです。
酒水器(シャスイキ)とはシンチュウなどでできた茶碗で、水が入っています。
散杖(サンジョウ、阿含宗ではサジョウと呼ぶ)という木の棒に水をとって壇に振
りかけ、清めます。
酒水器に水の代わりに硫酸を入れて、散杖で奉書紙にふりかけるという説です。
酒水器とそれに入れる水を準備するのは桐山氏ではありません。
事前に奉書紙に塩化カリウムを含ませることはできても、桐山氏が酒水器に硫酸
を入れておくことはかなり難しいでしょう。
前もって入れておいたとしても、銅と亜鉛の合金であるシンチュウが硫酸と反応
をおこしますから、護摩壇を準備している信者に気づかれてしまいます。
金メッキした酒水器を用いて反応をおこさないようにしたとしても、木である散
杖が化学反応しますから、後かたづけで気づかれます。
だれかがトリックを手伝って、直前に酒水器に硫酸を入れたとしましょう。
棒の先についた硫酸がわずかであるとしても、それを壇に向かってふりかけるの
ですから、あちらこちらに硫酸が飛び散ります。
阿含宗の護摩は導師が一人ではなく、護摩壇の脇には脇導師がいますから、その
人たちにも硫酸が降りかかることになります。
脇導師や護摩壇のすぐそばまで座っていた信者たちが異変に気が付かないはずは
なく、かかった人は火傷を負い、内陣は大騒ぎになるでしょう。
化学か護摩法の作法の知識がちょっとあれば、このような説が成り立たないこと
は明らかです。
こんな説を週刊誌や本に書くから、桐山氏にしてみれば、トリックを見破れない
ほど世間の連中はバカだと、ますます自信を深めていたことでしょう。
この説は当たらなかったが、酒水器の水と奉書紙という組み合わせは、かなり真
実に迫っていました。
そして、後に、もっとも有力な説が発表されました。
- 291 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/05/29(火)
21:16
「念力の護摩」 15.トリック説3
最も有力なトリック説は「阿含宗の研究」を書いた廣野隆憲師の推測です。
無水クロム酸に水をかけることで発火させる方法です。
奉書紙のラン字に無水クロム酸を含ませ、散杖で酒水器の水をかけて、両者の化
学反応で発火するというものです。
奉書紙に書かれたラン字は桐山氏の斜め前にあります。
散杖で酒水器の水を壇上全体にかける作法をしながら、ラン字にもかけ、化学反
応によって発火する前に、念力を込めるふりをすればいいだけです。
この方法が便利なのは、奉書紙のラン字に仕掛けをするだけで、後はいっさい手
を加える必要がない点です。
手品の仕掛けは単純なほど成功します。
桐山氏は奉書紙を事前に作って、準備する人たちに渡せばいいだけです。
奉書紙は「会長室」から護摩壇まで運ばれていたとのことですから、奉書紙にラ
ン字を書いたのは会長、すなわち桐山氏です。
見た目には朱で書かれたラン字で、薬品を混ぜたかどうかなどわかりません。
三宝に恭しく乗せられた奉書紙のラン字にわざわざ水を垂らして調べてみる人は
いません。
桐山氏は護摩壇に座り、自分の前にあるラン字めがけて、散杖に水をつけて振り
下ろせばいいだけです。
一般の人たちは、水で火が出るはずはないという思いこみがあります。
脇導師も、酒水器に入っているのは水だということは知っています。
水は火を消すものだという、一般人の先入観を逆手にとっています。
心理的なものを巧みに利用しているこのトリックは、桐山氏のオリジナルではな
いとは言え、彼らしい方法です。
- 333 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/06/01(金)
21:27
「念力の護摩」 16.念を込める前に発火した
目の前にある奉書紙に書かれたラン字に水をかけるという、たったこれだけの仕
掛けですが、これは口で言うほど簡単ではありません。
40〜50cmもある棒を振り下ろして、先についた水を、いくら目の前にあるとは
いえ、大きくもないラン字にうまく水を落とすのは、楽ではありません。
ラン字にだけ散杖を振るのではなく、護摩壇全体に振るという作法だからです。
また、散杖の作法が終わった後で念力で火をつけることになっているのですから、
散杖の作法の最中に発火しては困ります。
タイミングも簡単ではありません。
だが、その簡単でない事が、逆に、念力の護摩(2)〜(9)から出てきた疑問と、実態
をよく説明できるのです。
念力の護摩(6)について、廣野師が、目撃者のO氏の証言をあげています。
護摩を焚くとき桐山氏の手伝いをする脇導師をした人の証言です。
脇導師は護摩壇の横にいますから、導師の作法も護摩も丸見えです。
O氏によれば、桐山氏が念力を込める時の気合いをかける前にポッと火が出たと
いいます。
念力で火をつける前に火が出てしまったというのです。
念力の護摩(7)で、同様に脇導師をしたB氏の証言を廣野師は取り上げています。
B氏は、散杖で水をかけたとき、発火音が聞こえ、その瞬間、ラン字から火が出
たが、すぐに立ち消えしてしまったと証言しています。
信者の前で行った8例の念力の護摩うち2例で、桐山氏が念力を込める前に発火
したという目撃談は貴重です。
いずれの場合も、散杖の水がラン字に当たって、念力を込める前に発火してしま
った目撃例です。
二人は、散杖の水がトリックの一つであるとは知らなかったのですから、先入観
なしに目撃したという点でも客観性があります。
- 439 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/06/06(水)
21:05
「念力の護摩」 17.発火はすごいが火が続かない
機関誌に掲載された脇導師の人たちの目撃談を取り上げてみます。
「いきなり赤い火がパーと音たてて非常ないきおいででましたので思はずびっく
りして・・・」(原文のまま。念力の護摩(2)の目撃)
「ラン字のところから異常ないきおいで真っ赤な火がパーともえあがり」(同(3))
「・・真赤な法の火が力強くボーッと、音を立て法力の火が出たのであります。」
いずれの目撃でも、火がつくと、突然、すごい勢いで燃えています。
時には音を立てて突然火が立っています。
以前述べた疑問「火がついているのになぜ燃え広がらないのか」の他に、
「火がつくとき、音を立てるほどの激しい燃え方をなぜするのか」
という疑問が出てきます。
紙が、音をたてて急激に燃え上がり、すぐに消えてしまうのは奇妙です。
紙は点火した後、徐々に燃え広がるのが普通です。
桐山氏が、普通の護摩で、ローソクから火を持ってきて、奉書紙のラン字に点火
するとき、紙は自然に燃え広がります。
ところが、念力の護摩では、激しく火がついているのに、火勢が続かず、桐山氏
がローソクなどに火を採ろうとしてさえ失敗することがあります。
紙に点火したにしては奇妙な燃え方の目撃談も、ラン字の薬品と水との化学反応
だと見れば、次のように説明がつきます。
- 559 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/06/09(土)
20:49
「念力の護摩」 18.化学反応による発火と音
目撃談では、点火したとたん激しく、時には音まで立てて火が出ます。
奇妙なことに、火は急激に勢いを失い、消えてしまうのが大半です。
念力だろうが、マッチだろうが、紙に火を付けたのに、発火時に音が出るのも奇
妙だし、火がついたのに消えてしまうのも不自然です。
これはラン字に薬剤を使用したとすればよく説明がつきます。
水のついたラン字の部分が化学反応を起こして激しく燃え、音を立てたのです。
つまり、紙に火がついた音ではなく、化学反応の音です。
化学反応による発火は水がついた部分だけでおきます。
紙が点火したように見えたのは、ラン字に水がついた部分の化学反応にすぎず、
化学反応が終わってしまうと、紙に燃えないまま、消えてしまったのです。
水が薬剤の一部にしか付かず、化学反応が終わった時、紙の発火温度までに達し
ていないため、紙に燃え移らず、消えてしまうのでしょう。
ちょうど、マッチの火薬に点火しても、木の軸までは燃え移らず消えてしまうよ
うなものです。
信者たちの目撃は、マッチを擦ったとき、火薬が燃えるために、音をたてて急激
に火がつくが、木に燃え移らないと消えてしまう現象とよく似ています。
火が紙に燃え移らない理由は、もう一つ考えられます。
- 633 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/06/13(水)
20:45
「念力の護摩」19.火をつけるには水加減が難しい
散杖で水をかけて、それから念力で火をつけるのが順序です。
水がラン字についてしまうと、すぐに発火してしまいます。
水をかけた後、発火するまで少し時間をかせぐ必要があります。
ラン字に直接水をかけず、近くに水を落とし、水が紙に浸透してラン字に到達し
て、念力を込めたあたりで、ちょうど発火するのが理想です。
しかし、これは簡単ではありません。
40〜50cmの棒に水をつけて、机の上においた紙のある一点に水が落ちるように
棒を振るのは、意外に難しいものです。
桐山氏はラン字の周囲に水を落として時間差を作ることよりも、ラン字に直接水
をかけて、確実に発火する道を選んだようです。
酒水加持の最中に発火してはまずいが、トリックに気が付いていない信者相手な
ら、適当にごまかせると踏んだのでしょう。
発火させるためにはラン字に向かって、できるだけたくさんの水を落とすように
します。
ラン字に水がかかれば、必ず火は立つし、煙も出ます。
これが、一つの例外もなく、点火し、煙が出た理由です。
だが、水をたくさんかけると、化学反応で発火はするが、薬剤のついていない周
囲の紙も水で濡れていますから、紙には着火しません。
水は多いほうがラン字からの発火は確実だが、ラン字の周囲の奉書紙も濡れてお
り、その後、紙に燃え広がるのをかえって邪魔しました。
これが、大半の念力の護摩で、ラン字の部分が燃えて火が立つが、すぐに消えて
しまったもう一つの理由です。
水が多いほうが点火はするが、燃え広がらないという矛盾を、桐山氏は数をこな
すことで、克服しました。
念力の護摩(2)から(9)までの10回のうち3回が奉書紙に燃え移りました。
練習を重ね、三回に一回くらいは燃え移る水加減を体得していたのでしょう。
- 710 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/06/15(金)
21:20
「念力の護摩」20.なぜすぐに護摩木を積み直したのか
念力の護摩(3-1)(4-1)では、同じ壇で、護摩木のみを積み直して、念力の護摩
(3-2)(3-4)を試みています。
素人目には、念力の護摩(3-1)(4-1)で一度発火しているのだから、さらにそこに念
力をそそぎ込めば、火が立つのではないかと考えてしまいます。
室温から紙の発火点まで投入するエネルギーに比べれば、煙や一度火が立ってい
るのだから、そこから先のエネルギーははるかに少なくて済みます。
普通の人もたき火をするのに、少し煙が立ったら、なんとか火を出そうとします。
ところが、桐山氏はさっさとあきらめて、0からやり直しをしています。
他の念力の護摩でも、立ち会った人たちの記述によれば、桐山氏は一度だけ「エ
イッ」と激しい気合いをかけて点火に失敗すると、二度と試みません。
なぜか、さっさとあきらめて、ローソクから点火しています。
桐山氏は、念力は電気エネルギーと同じで一度放出すると、なくなってしまうと
いう話をしたことがあります。
一度使い切ってしまうと、充電するのに時間がかかるという意味でしょう。
このようにいう割には、念力の護摩(3-1)(4-1)ではすぐに護摩木のみを組み直して、
念力注入をやり直しています。
直前に念力を使い果たしたはずなのに、護摩木を組み直すわずかの時間に念力を
復活させて、念力の護摩(3-2)では点火に成功させています。
トリックだと考えれば、桐山氏の行動はすべて説明がつきます。
念力を込める場面まで行ってしまって、そこで火が起きなければ、それ以上やっ
ても無駄です。
なぜなら、点火しているのは念力ではなく、その前の散杖の水だからです。
念力ならば、そのままで再度挑戦しても意味があるが、トリックだから、散杖で
水をかけなければなりません。
そこで、護摩木だけを積み直して、散杖による酒水加持ができるところまで戻り、
焼け残っているラン字に向かって、再度水をかけようとしたのです。
一度の気合いだけで、さっさとあきらめるのも、それ以上何をやっても無駄なこ
とを桐山氏が一番よく知っているからです。
■ここまで阿含宗という宗教9から転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/990/990087878.html
- 45 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/06/19(火)
21:00
「念力の護摩」 21.奉書紙をなぜ取り替えなかったのか
やり直しをした念力の護摩(3-2)(4-2)では、護摩木を積み上げ直しているだけで、
奉書紙を取り替えていません。
一度目で水をかけて、発火してしまったのですから、ラン字の一部はすでに焼け
ています。
トリックで確実に点火するためには、奉書紙も取り替えたほうが得策です。
護摩木を積み直すのですから、奉書紙を取り替えることは難しくありません。
しかし、桐山氏は取り替えませんでした。
やり直しをした結果、燃え残ったラン字の一部から発火したと信者が証言してい
ます。
取り替えないことは、一見、トリック説を否定しているかのように見えます。
理由は簡単で、取り替えて、最初の奉書紙が脇導師など、護摩の後かたづけをす
る人たちの手に渡ってしまうのを防ぐためです。
未使用の奉書紙は三宝に恭しく乗せられて、誰も手を触れませんが、使用済みの
奉書紙は信者の手に渡り、半ば信仰心から、詳しく観察されるおそれがあります。
奉書紙は確実に燃やしてしまうか、三宝に載ったまま、桐山氏の手元に戻させて、
証拠を隠滅する必要がありました。
本当は取り替えて、新しい奉書紙に水をかけたほうが確実に発火するはずでした
が、リスクを回避するためにも、確実に奉書紙を燃やすほうを選びました。
同じ護摩壇でのやり直しはこの二度しかありません。
ラン字から発火しただけで消えた場合、再度挑戦しても、発火する場所が前によ
りも小さくなっていますから、発火する可能性が低くなります。
三度の成功した後の念力の護摩(8)(9)では、発火して、一応、体裁は保てたのだか
ら、危ない橋を渡るよりも、奉書紙を確実に燃やす道を選んだのでしょう。
- 151 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/06/22(金)
20:49
「念力の護摩」 22.目撃者証言は本物の証明にはならない
念力の護摩が本物である証明として、目撃者証言があります。
桐山氏は今日でも、「念力の護摩を見てもいないのに批判している。念力の護摩は
信者だけでなく、一般の人たちが目撃しているのだ」と述べてます。
目撃者の証言が本物の証明にはなりません。
目の前から車などを一瞬で消してしまう手品を見ても、ほんとうに車を消したと
信じる人はいません。
どんなにうまく消しても、手品だとわかっているからです。
ところが、念力の護摩は宗教的な真実であると言われて、目の前でみせられると、
批判能力を失い、宗教的な奇跡として受け入れてしまいます。
多くの脇導師たちが、奇跡の証言者の役割を自ら買って出ています。
これは1996年のモンゴルで雨を降らせたという奇跡話と同じ手法です。
信者ならば、心のどこかで信じたいという気持ちがあるから、奇跡として受け入
れるかもしれないが、一般の人なら話は別です。
1973年、念力の護摩(8)は信者以外に公開され、一般の人が目撃しました。
桐山氏によれば、この時の目撃者になった一般人は以下の人たちです。
中外日報(宗教専門の新聞)のT記者
平河出版の職員
ヨガのグループの指導者2名(名前は不明)
稲峰政務次官とそのグループ
この人たちは護摩壇に仕掛けがないかいろいろと調べたとあります。
信者と違い、第三者ですから、その目撃は一見客観性があるように見えます。
まさに、それこそが桐山氏の作戦です。
- 192 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/06/27(水)
21:13
「念力の護摩」 23.いつのまにか証人にさせられた人たち
念力の護摩は、信者以外の目撃者がいるから、本物であると桐山氏は主張してい
ます。
社会的な立場を持つ外部の人の目撃を本物であることの証明としています。
目撃者のうち、平河出版の職員は身内ですから、除くとして、新聞記者、宗教家、
エリート官僚までが目撃者として、中には名前まであげられています。
実際に、念力の護摩を擁護したのは中外日報のT記者のみです。
「中外日報」に念力の護摩が成功したという記事を書きました。
T記者は後に、「密教講座」の執筆や、伝法会の講師をするなど、桐山氏としばら
くの間、利害関係を持つことになります。
T記者は真言宗の僧侶の資格も持っていたことから、専門家が見ても、念力の護
摩は本物だったのだという証人になっていました。
しかし、僧侶の資格を持つからといって、手品やトリックや化学の専門家ではあ
りません。
護摩の仕組みくらいは知っていても、発火手品については素人です。
T記者は、僧侶や新聞記者という肩書きをうまく利用されたとみるべきでしょう。
T記者以外は、何も言っていないのですから、証人ではありません。
社会的肩書きがどうあれ、手品やトリックや発火方法についての化学の知識もな
く、護摩を見るのでさえ初めての人がほとんどでした。
ところが、彼らは念力の護摩が本物であることの証人にさせられています。
その場に立ち会ったため、彼らの意図とは関係なしに、肩書きをうまく利用され
て、「念力の護摩が本物であることを確認した目撃者」にさせられてしまいました。
実際に目撃者として最も重要なのは、詳細な目撃談を残した脇導師たちです。
- 202 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/06/29(金)
21:37
「念力の護摩」24.護摩を初めて見た脇導師たち
念力の護摩の重要な目撃者に脇導師の信者たちがいました。
脇導師とは、桐山氏が護摩を焚く時、護摩壇の両隣にいて、作法を手伝う人たち
で、通常4人います。
護摩壇から離れて見ている一般信者と違い、目の前で念力の護摩を目撃しました。
信者といえども、トリックではないかと疑いくらいもっていたでしょうから、脇
導師の証言は、ある意味で、第三者の目撃よりも重要です。
桐山氏は、間近で見ていた脇導師たちに証言させて、念力の護摩が本物であるこ
との証明にしたかったようです。
機関誌に目撃談をよせた脇導師だけでも十人近くいます。
しかし、皮肉なことに、これまでも述べたように、目撃証言こそは、念力の護摩
がトリックであったことの重要な証明となっています。
1970年に念力の護摩を焚いたのだから、前から桐山氏が信者の前で護摩を焚いて
いたと誤解されることがあります。
桐山氏が関西の信者の前で護摩を焚いたのは、念力の護摩が初めてでした。
信者の前で普通の護摩を一度も焚かずに、いきなり念力の護摩を焚いたのです。
関西本部道場には、護摩壇すらなく、公開の一週間ほど前、ようやく準備が整っ
て、脇導師を相手に、練習をしたのが念力の護摩(2)です。
脇導師すら護摩を見るが初めてという人たちだったのです。
- 292 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/07/04(水)
20:42
「念力の護摩」 25.初心の脇導師にすらばれていたトリック
1970年に桐山氏の念力の護摩を目撃した脇導師や信者たちは、大半が護摩には不
慣れな人たちでした。
桐山氏が護摩を焚いた姿を、それまで一度も見たことがなかったと書いている脇
導師もいます。
今日でこそ、毎回桐山氏は護摩を焚き、伝法会でも護摩法を教えているから、そ
の作法について詳しい信者たちがいます。
しかし、念力の護摩が焚かれた当時は、一週間ほど前の念力の護摩(2)で、ようや
く脇導師は、自分がどうすればいいのかを教えてもらっている有様でした。
不慣れで緊張していたため、脇導師が作法を忘れてしまい、桐山氏が修法中に声
を出して指示するという念力の護摩もありました。
修法中は声を出すことは禁止されています。
桐山氏はこのことをたくみに利用して、声を出して法を破ったから、念力の護摩
が失敗したのだと言い逃れています。
護摩の経験のない人たちが脇導師を勤めたのですから、冷静に桐山氏の作法の一
挙一動をみる余裕はなかったでしょう。
それを桐山氏は計算に入れたつもりだったのでしょう。
大半の脇導師は桐山氏の作戦に丸め込まれました。
しかし、このような状態の中ですら、念力の護摩(6)(7)で、念力を込める前に火が
出たことを目撃して、後に証言した脇導師もいます。
桐山氏は、当時、師として仰いでいた北野師から、念力の護摩に付座する僧侶の
派遣の申し出を断っています。
護摩の経験があり、桐山氏の弟子でもない僧侶なら、桐山氏のトリックは簡単に
見破られるばかりか、企業秘密を盗まれる恐れもありました。
なぜなら、念力の護摩というアイデアを与えたのは北野師だったからです。
- 348 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/07/07(土)
21:08
「念力の護摩」26.念力の護摩の由来
念力の護摩の手品をどこから仕入れてきたのでしょうか。
桐山氏の本によれば、念力の護摩を最初に焚いたのは空海です。
だが、もちろん、そのような話は伝承ですら存在しません。
本によれば、
「前の年、私は、流派の最極秘伝とされている「念力の護摩法」の伝授を受けた。」
つまり、桐山氏は当時師事していた北野恵宝師から伝授を受けたといいます。
すでに述べたように、北野師は、桐山氏とは因が縁を結ぶように、宗教詐欺師と
して秀でた能力を発揮した人です。
1967(昭和42)年の例祭では、北野師から念力護摩伝授の申し出があったと桐
山氏は信者に話しています。
元信者たちの話を総合すると、北野師から、念力の護摩のトリックの仕掛けであ
る薬剤を染み込ませた奉書紙を何枚かもらったようです。
しかし、北野師は奉書紙に塗った薬剤の成分を教えなかったのでしょう。
企業秘密というわけです。
北野師が念力の護摩の手品を桐山氏に伝授したとすれば、北野師もまた念力の護
摩を実演してもおかしくありません。
しかし、北野師は念力で電球に灯りをともした手品のみで、念力の護摩は焚いて
いません。
北野師が、念力の護摩を焚けなかったのはトリックが不完全だったからです。
桐山氏が不完全さをどのように克服したのか、北野師は弟子を派遣して、調べた
かったのでしょう。
念力の護摩という手品のアイデアは北野師から教わったが、薬剤の成分など“実
用化”までには桐山氏の独自の努力がありました。
それを示す、次のような証言があります。
- 374 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/07/09(月)
21:01
「念力の護摩」27.種本探し
********************
191 名前: 名無しさん 投稿日:
2000/03/18(土) 17:10
桐山のネタ本は殆どがK書店で集めさせたものです。(今は廃業しましたが)
当時彼はスポーツカーに乗っていましたが、毎月、K書店に来ていました。
店主は、運命額、占術、手品関係の本を桐山の為に集めていました。
私も何度かそこで桐山を見かけましたが、店主の話で一つだけ面白かったことが
ありました。
「宗教の先生が手品の本を探していたんだ。水をまいて火を出す方法を知りたい
んだと。なんでそんなんがいるんだろうね。」
店主が売った本には、「紙に赤い色で字を書く。そこに水をつけると火が出る。」
などという手品の方法が書かれていました。
********************
(以上、「阿含宗という宗教」からの引用)
東京の下北沢にあったK書店は占い関係では知る人ぞ知る有名書店でした。
店主から、桐山氏が手品の本を探していた、との証言を191さんは直接聞いたと
いうのです。
しかも、「水をまいて火を出す方法を知りたい」とも証言しています。
聞いた時期は今から30年前、つまり桐山氏が念力の護摩を焚いた頃です。
店主でなくても、宗教家が何のために、内容を指定して手品の本を探す必要があ
るのか疑問になります。
店主は、桐山氏の念力の護摩の話を聞いて、すぐにピンと来たのでしょう。
店主がこの話をしているという噂はずいぶん前からありました。
阿含宗批判本「阿含宗の研究」の中にも同様の証言があります。
「それに、何にするんですかね、手品の本、奇術の本、オカルトの本を盛んに買
って行くんですよ。坊さんには手品はいらないと思うんですがね」
と、この店主が述べたことを元信者が証言しています。
桐山氏は、水をかけて火を出す方法を手品の本から探しだしたのでしょう。
念力の護摩は、北野師がアイデアを提供し、桐山氏が実用化に成功したという、
詐欺師のコンビが作り出した宗教ショーでした。
- 389 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/07/12(木)
21:19
「念力の護摩」28.水で発火する手品を見つけた
念力の護摩を公開する前年の10月に、桐山氏は北野師がくれた奉書紙の梵字の
薬剤成分を手品の本から見つけました。
水で発火する方法は手品や化学薬品に少し詳しい人なら知っています。
しかし、一般人たちは水といえば火を消すものだという先入観があり、よもや水
で火が付くとは思いません。
北野師からもらった奉書紙をヒントに、手品の本から化学成分を知り、ついに水
をかけて火を出す方法を、桐山氏の言う「深山の道場」で開発しました。
ここまで来れば、もはや念力の護摩は桐山氏の手中です。
念力で火をつけるという、まさに鬼面人を驚かす密教のパフォーマンスで、超人
として自分を売り込むことができます。
素人は、何か護摩壇に仕掛けをするのではないかと、そちらに目が行きます。
実際、1972年の公開では、僧侶の資格のある記者までが護摩壇をていねいに調べ
たとあります。
護摩壇には何の仕掛けもありませんし、元より、護摩壇の準備をするのは承仕た
ちですから、桐山氏が仕掛けをすることはできません。
絶対に自分の手品はばれないと、桐山氏は自信たっぷりに例祭で信者に念力の護
摩を焚くことを発表しました。
水をかけて火を出す方法を何とか書店で探し出したとしても、これだけでは念力
の護摩は不完全でした。
北野師から伝授された念力の護摩には、薬剤の成分の他に、もう一つ大きな問題
があったからです。
- 429 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/07/18(水)
21:32
「念力の護摩」29.発火のタイミングの問題をどう乗り越えたか
北野師から伝授された念力の護摩は不完全でした。
それは、すでに述べたように、散杖で梵字に水をかけるタイミングです。
念力を込める前に、散杖の水で火がついては、トリックがばれてしまいます。
北野師が奉書紙に薬品を塗って火を出す方法を開発したか、あるいは誰かから聞
いて知っていながら、自分ではやらなかったのは、これが理由でしょう。
念力で電球に灯りをつける手品は伝授しないのに、念力の護摩を伝授したのは、
実行できないのだから、北野師にとっては価値がなかったからです。
ここから、桐山氏独自の観念工夫が始まります。
薬品の調合から、水の落とし加減など、今日でも、このトリックの秘法は桐山氏
の頭の中にしかありません。
しかし、延べ11回の念力の護摩を見る限りは、桐山氏の度胸のよさこそが最大
の秘法のようです。
念力を込める前に火が出てはまずいと心配するのは凡夫の智慧で、桐山氏はこれ
を無視し、とにかく発火させることを優先し、結果、すべて発火しました。
事実、念力を込める前に発火し、脇導師をした信者に気づかれています。
さらに、水をたくさんかける方法を選んだため、発火はするが、水をかけすぎて
紙に引火しないという難問がありました。
桐山氏は念力の護摩の回数をこなし、その内の何回かは成功することで、この問
題を乗り越えました。
火が紙まで燃え移ったのは3回でした。
3回あれば十分です。
一度でも難しい行を3回成功させたといえば立派な成績です。
社会的な肩書きのある人や真言宗の僧侶の資格を持つT記者などを目撃者とする
ことで、念力の護摩の目的は達成されました。
これ以上、いつばれるかわからないどころか、脇導師がすでに気が付いていたト
リックの念力の護摩を続ける必要はありませんでした。
- 446 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/07/20(金)
21:25
「念力の護摩」 30.理想とする念力トリック護摩1
桐山氏の理想とする念力の護摩は次のようになります。
桐山氏は誰もいないところで、ラン字の書いてある紙にむかって、うまく水をか
けることができるように練習を繰り返します。
水をかける位置と、念力を込めるタイミングが練習の要です。
桐山氏は事前に奉書紙に無水クロム酸を含んだ朱でラン字を書いておきます。
奉書紙を桐山氏の部屋から護摩壇まで運んだのは、現在のK崎秘書でした。
桐山氏の手を離れてから、護摩を焚くまでの間が問題です。
準備の者たちがラン字に手で触れて、手の汗などで発火したり、取り扱いが悪く
て水がかかったりするのを防ぐ必要があります。
準備の者には、「これはお清めした特別な奉書紙である。触らないように」として、
大事に取り扱うように命じます。
準備の者たちにとって、法に関する桐山氏の命令は絶対です。
奉書紙は三宝という台の上に置かれていて、触れる人はいません。
梵字は仏をも意味する聖なるものとされますから、手を触れるななどと言われな
くても、触れる者はまずいません。
準備はすべて他の者に任せるのですから、ラン字さえ怪しまれなければ、仕掛け
がばれる可能性はまずありません。
仕掛けを知らない信者は、護摩壇にばかり目が行き、三宝の上にある紙に着目す
るはずもありません。
準備は整い、仕掛けらしい物を発見した人はいませんでした。
大仰な太鼓とともに、桐山氏が現れ、後に数多くの人たちの人生すらも狂わせる
ことになる一世一代の大芝居が始まりました。
- 512 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/07/24(火)
21:20
「念力の護摩」 31.理想とする念力トリック護摩2
念力の護摩は、桐山氏の演技力が重要です。
ラン字に直接、水をかけて発火させ、あとは素早く散杖を置いて、念を込めるふ
りをします。
作法の素早さ、導師としての格好のよさなど演出が全てです。
「エイッ」「ウーム」というお得意の激しい気合いで力を込めれば、演出効果は満
点です。
念力の護摩は見事に焚かれ、すぐそばで一部始終を見ていた脇導師などの信者た
ちは、桐山氏の念力の護摩は本物だと語ります。
目撃した信者たちは嘘をついているのではないだけに、説得力があります。
桐山氏は、手の平の上に護摩木を乗せ、念力で火を付けて、護摩を焚く焼身護摩
をぜひやりたいと「変身の原理」で書いています。
これなども、焼身護摩に目線を移させて、あたかもこのような護摩が焚けるかの
ような錯覚を与え、念力の護摩の正当性をアピールする、お得意の手法です。
手の平の上で直接護摩を焚くのはトリックがかなり難しいでしょう。
「私はこの難行をぜひとも修してみせるつもりだ。」
と断言しているのですから、カメラの前で、難行の焼身護摩を焚いて、念力の護
摩のトリック説を打破してほしいものです。
桐山氏も信者も、現実に目が覚めるためには、手に大火傷を負うのは良い薬かも
しれません。
- 581 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/07/26(木)
21:09
「念力の護摩」 32.二度と焚かない念力の護摩
桐山氏は、念力はエネルギーだから、放出するとなくなってしまい、一生のうち
に何度も念力の護摩など焚けるものではないと言っています。
それにしては、念力の護摩(1)から(9)を連続して焚いています。
ところが、1973年までに延べ10回、人前で念力の護摩を焚いただけで、今日に
至るまで焚いたことがありません。
トリックだ、詐欺だと言われるのは焚く前から予想されたはずですから、反論す
るためにも、十年に一度くらい焚いてもいいはずです。
だが、焚きません。
一生念力の護摩は焚かないでしょう。
その理由を、多くのジャーナリストは1973年の念力の護摩で失敗したからだと
述べています。
だが、これはすでに述べたように、煙が出たのだから、失敗とはいえません。
念力で煙だけでも出せるのなら、大したものです。
桐山氏が1973年以降、念力の護摩を焚かないのは、民生用のビデオデッキが販
売され、1975年から観音慈恵会も導入するようになったからです。
念力の護摩を焚けば、信者たちは貴重な記録として、全てを撮影するでしょう。
念力の護摩のトリックでは、脇導師の証言のように、念力を込める前に火が出て
しまいます。
脇導師一人の証言なら無視もできるが、何十分の一秒単位で画面を何度でも検証
できるビデオに録画されたら、トリックは簡単にばれてしまいます。
マスコミに公開したら、トリックを疑っている人たちが様々な種類の高性能のカ
メラを準備して、徹底的に暴くでしょう。
桐山氏はそんな危ない橋を渡るつもりはありません。
念力の護摩は目撃談だけで、脇導師の多くも亡くなるか、阿含宗を去っています。
映像の撮影は行われていませんから、何を言われようが、「本物だ」と言っていれ
ばいいだけです。
「ここ一番というときに焚く」「焼身護摩を焚く」と大見得を切るだけで、死ぬま
で焚くことはありません。
- 678 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/07/31(火)
21:00
「念力の護摩」33.念力の護摩の特異性
念力の護摩は、桐山氏の数々の宗教詐欺の中でも特異な存在です。
嘘と妄想で固めたような桐山氏の人生でありながら、念力の護摩のように、最初
からトリックを使って人をだましたという例は、意外に多くありません。
偽ビール事件では、密造酒で一儲けしようとしたのは事実だろうが、キリンビー
ルのラベルを張って、だましたのは他の人たちです。
密教占星術奥伝は盗用ではあってもトリックではありません。
祇園精舎での白銀のバイブレーションと地球壊滅のビジョンは脳障害から来る幻
想ではあり、桐山氏はその幻想を見たのでしょう。
モンゴルの奇跡は、自然現象を信者相手に奇跡話に作り上げたものですが、雨そ
のものは降りました。
桐山氏の未来を予言したというバジアン予言は、自分に都合のいいように解釈し
直したのであっても、創作ではありません。
これらは桐山氏のうぬぼれから来る異常なまでの思いこみと妄想癖が作り出した
もので、結果的には嘘だったが、本人は本気で信じていたのでしょう。
桐山氏の宗教人生では、誇大妄想癖から来る思いこみはたくさんあるが、最初か
らトリックを使って人をだますというのは案外見あたらないものです。
念力の護摩だけは、トリックを使い、意図的に人をだまそうとしました。
どうして最初から人をだまそうとしたのでしょうか。
それは、当時の桐山氏は、トリックを使って、人をだましてでも念力の護摩を出
す必要性に迫られていたからです。
- 732 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/08/03(金)
20:57
「念力の護摩」34.誰にも負けない能力を持ったはずの拝み屋さん
桐山氏が念力の護摩を最初に焚いた1969(昭和44)年は48歳、「変身の原理」が
出た昭和46年は50歳でした。
この当時の桐山氏はいわゆる「拝み屋さん」でした。
関西や北陸への営業努力が実って、三千人程度の信者を獲得していました。
しかし、桐山氏の性格では、こんな程度では我慢ならないことでした。
桐山氏は若い頃結核を患って療養していた時、
「自分よりも劣っている者たちが、出世していくのを歯ぎしりして見ていた」
と法話で話したことがあります。
これは若い頃の話だけではなく、50歳までの人生で感じたことです。
桐山氏のこの発言には、彼の物の見方がはっきり現れています。
「自分よりも劣った」という表現にもあるように、自分こそは誰にも負けない能
力を持っていると若い頃から自負していました。
阿含宗を立宗した後で、
「おれは裁縫と踊り以外は誰にも負けない」
と法話で言ったことがあります。
何をさせても自分は他人よりも優れていると言っているのと変わりません。
この傲慢さ、うぬぼれ、異常に高い自己評価は桐山氏の人生では一貫しています。
若い頃から根拠のない自負心を持ち続けたままの桐山氏は、まもなく50歳にな
ろうとしているのに、現実は、巷の拝み屋さんでした。
- ■ここまで阿含宗という宗教10より転載
- http://mentai.2ch.net/psy/kako/992/992781409.html
- 63 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/08/07(火)
21:05
「念力の護摩」35.才能のある桐山氏の50年目
「自分よりも劣っている者たち」などと、うぬぼれが強すぎるから、自分の同級
生や周囲の人たちが成功しても、バカにしか見えなかったのでしょう。
だが、その人たちなりの才能があり、努力をしたからこそ、成功したのです。
傲慢な心が、彼らの才能や努力を認めるのを邪魔しただけです。
後年、桐山氏のこの思い上がり、自己評価の高さが五つの超人的能力となります。
桐山氏にそのような能力がないことは、普段の彼を見れば十分です。
名誉ある地位をお金で手に入れた時、英語でスピーチをしたことがあります。
前の晩、原稿を暗記したと、自分の暗記力のすごさを自慢していました。
録音機のような記憶力があるという桐山氏は、流ちょうな英語をしゃべったはず
でしたが、ついに信者たちには公開されませんでした。
現実には、彼が育った時代の日本人と同レベルの語学力しかないからです。
桐山氏の自分の能力への思い上がりは環境も影響しました。
周囲には優秀な人材が残らなかったからです。
宣伝に惹かれて最初集まってきても、正体を見てしまうと、黙って去ります。
助言する勇気ある人がいても、桐山氏は嫌い、排除します。
残る取り巻きは、考えることを放棄して、桐山氏に依存する、寄らば大樹の影や、
- おべっか使い、気の抜けたコーラのような人たちです。
肩書きを金で買うようになると、お金に頭を下げる世間を見て、いよいよ、世の
中の人間とはこの程度なのだろうと思ったのでしょう。
あらゆる面で飛び抜けた才能をもったはずの桐山氏の50歳までの人生の結果は、
僧侶ですらなく、世間からは胡散臭く見られる拝み屋でした。
これは桐山氏には屈辱的で、絶対に許し難いことでした。
- 436 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/08/18(土)
20:59
「念力の護摩」37.世間を見返すチャンスが巡って来た
「阿含宗の研究」によれば、桐山氏が師匠の北野師から念力の護摩の話を聞いた
のは、念力の護摩を焚く七年以上も前のようです。
誰が聞いても手品にすぎませんから、さすがの桐山氏も最初のうちはばかばかし
いと思ったのでしょう。
ところが、念力の護摩を焚く二年前の例祭で、信者に念力の護摩の伝授の話をし
ています。
「何とか世に出たい。このまま落ちぶれてなるものか」と歯ぎしりする思いでい
た桐山氏は、何年か前に聞いた念力の護摩を思い出したのでしょう。
桐山氏は最初バカにして否定した内容でも、すぐに捨ててしまわないで、後で観
念工夫して使う才能があります。
因縁、念力の護摩、曼陀羅、霊障、阿含経、最近では13救いの輪運動など、他
の人の案を、その場では唾棄しても、後に最初から考えていたかのように、自分
のセールスポイントに付け加えてしまう特技を持っています。
念力の護摩を信者に話したのが1967(昭和42)年10月、完成したのが1969(昭和
44)年10月ですから、二年間に渡り、桐山氏は観念工夫の連続だったのでしょう。
北野師が教えてくれなかった薬剤の成分を解析し、トリックが完成したとき、
「あつい涙と嗚咽がいつまでもつづいた」(「変身の原理」より)
となったのも当然でした。
なぜなら、それは単にトリックの完成ではなかったからです。
桐山氏はついに、世に出るチャンスをつかんだのです。
自分よりも劣った者たちが出世し、才能ある自分を犯罪者として侮辱した世間を
見返せるチャンスをつかんだのです。
しかも世俗的な成功者ではありません。
念力で護摩を焚くという前代未聞、空前絶後の大変身を遂げた超人として、人々
の前に華々しく姿を現すのです。
悔しい思いをした過去を思い出し、これからの大成功を確信した桐山氏が、あつ
い涙と嗚咽がいつまでも続いたしても、当然だったでしょう。
- 633 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/08/24(金)
21:38
「念力の護摩」38.念力の護摩の独創的な売り出し方
桐山氏は念力の護摩を単品で売り出そうとはしませんでした。
念力の護摩を売り出した本の題名は「変身の原理」でした。
念力の護摩を本の題名にしても衝撃的なのに、表看板にはしませんでした。
念力の護摩を前面に売り出すにしては、あまりにいかがしいことに桐山氏は気が
付いていました。
信者ならばだませても、本になって一般大衆が読んだ場合、手品の疑いをもたれ
ることは明らかです。
「変身の原理」は、手品にすぎない念力の護摩を、能力開発の結果であるかのよ
うに見せかけるという、詐欺的才能を遺憾なく発揮した労作です。
密教や心理学、大脳生理学といったもっともらしい「衣」を着せて、超能力開発
というエサをばらまき、念力の護摩をその奥に置くことで、いかがわしさを見せ
ないようにしたのです。
独創的な詐欺手法であり、密教の学者すらもだますことができました。
この点、念力で電球を灯してみせた程度の、平凡な宗教詐欺師にすぎない桐山氏
の師匠とは比較になりません。
北野師は、念力の護摩を一つのパフォーマンスとしか見てないのに対して、桐山
氏は能力開発、超能力獲得という付加価値を付けて売り出したのです。
阿含宗から出てオウム真理教を設立した麻原被告は、桐山氏の超能力を用いた宣
伝手法をまねて、空中浮揚そのものを売り出しています。
しかし、桐山氏は、麻原被告のように「生」で売り出すような乱暴なことはしま
せんでした。
用心深く、念力の護摩の周囲を、密教や心理学といった既成宗教や学問の権威で
包みこんで、胡散臭さを隠す観念工夫をしています。
この二人の宗教詐欺師と比べても、桐山氏のほうがはるかに巧妙で上手です。
- 772 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/08/31 21:20
ID:XTLHZaDQ
「念力の護摩」39.手品は過小評価されていった
桐山氏には時代の流れを汲み、巧みにアピールするコピーライター的才能があり
ます。
「変身の原理」は、石の森章太郎の漫画「仮面ライダー」で、主人公が「ヘンシ
ーン」と叫ぶところからもってきたのでしょう。
桐山氏はこれを逆に自分の「変身の原理」が出たので「ヘンシーン」がはやった
のだと自叙伝で書いていますが、時間的には逆です。
「ヘンシーン」を先に出したのは石の森章太郎です。
「変身の原理」が出た1971(昭和46)年からは「仮面ライダー」のテレビ放送も
始まっていますから、桐山氏が真似たことは明らかです。
ユリゲラーなどで超能力が話題になると、「密教 超能力の秘密」を出すなど、桐
山氏は時代の流れを軽いノリで取り入れます。
ディズニーが映画「アラジン」を作ると「アラディンの魔法のランプ」という本
を出しました。
桐山氏は自分が真似たのではなく、相手が真似たのだと、本気で主張します。
つまり、本を書いているうちに、元ネタなどの事実が消えてしまい、自分が最も
偉く見えるように信じ込んでしまうという奇妙な癖があります。
密教、変身などのキーワードを巧みに組み合わせて能力開発の話を作り上げてい
く内に、念力の護摩の手品は過小評価されていきます。
「変身の原理」では、念力の護摩がメインではなく、能力開発の一例として出し
ているにすぎません。
本の中で一部を占めるにすぎない念力の護摩の、さらにわずかに梵字に手を加え
たにすぎないのだから、もはや桐山氏には手品ですらなくなっていたのでしょう。
桐山氏の頭では、梵字の仕掛けは消えてしまい、自分は念力で火をつけたのだと、
時間がたつにつれて、ますますかたく信じていったのでしょう。
■ここまで阿含宗という宗教11より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/997/997101916.html
- 121 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/09/06 21:26
「念力の護摩」40.宗教詐欺でも世に出たい
トリックの念力の護摩は、宗教的には重大な犯罪です。
しかし、世に出ることに比べたら、少しくらいの仕掛けは、桐山氏の中では大し
た問題ではありませんでした。
何か世に出る方法はないものかと、歯ぎしりする思いでいた桐山氏は、トリック
の念力の護摩の魅力は避けがたいものでした。
桐山氏は物事を大雑把にとらえて、まずい部分を過小評価する癖があります。
梵字への仕掛けという小ささが、ばれて信用を失う怖れや、人を騙すことの罪悪
感すらも消し去ったのでしょう。
「どうせ、おれ様程の知恵者の手の内など、誰にもわからない」と、人を見くび
った性格も手伝い、手品の念力の護摩の誘惑には勝てませんでした。
間もなく50歳になろうとしていた桐山氏は、世に出るためにもはや手段など選
んではいられなかったのです。
50歳にしてまだ拝み屋という醜いアヒルの子から、突然、白鳥に変身して、自分
のすごさを見せて、世の中の連中をアッと言わせなければなりませんでした。
一気に劣勢を挽回して、自分が呻吟する臥龍であったことを、凡人どもに思い知
らせてやりたいと熱望していました。
一世を風靡して、自分を犯罪者にした連中を見返し、自分がどれほどエライ人物
であるかを示して、一発お見舞いして、ギャフンと言わせてやりたかったのです。
今日、朔日護摩の合い言葉で使っているように、念力の護摩に必ず成功し、世間
の連中に絶対に勝ちたかったのです。
そして、ついに念力の護摩という宗教詐欺によって、彼は長年の夢である世に出
ることができました。
- 473 名前: ヌマエビ 投稿日: 01/09/13 20:51
「念力の護摩」41.トリックの上に作られた阿含宗
桐山氏は宗教家として世に出るのに最初から嘘をついてしまいました。
それ以降は、トリックを用いなければ済むと考えたのでしょう。
桐山氏の宗教には常に詐欺性がつきまとうとは言え、最初から人々を騙す目的で
トリックまで使ったのは、この時だけでしょう。
だが、最初にボタンの掛け違いをすれば、最後まで直りません。
トリックを使う心は、外にあるのではなく、桐山氏の内側に今でもあるからです。
宗教の土台がトリックで腐っているのですから、その上に、阿含経や海外からの
法位法号で粉飾した立派な楼閣を建てても、無駄です。
当時、密教の旗頭として世に売りだしただけに、彼の詐欺的な要素もまた拡大し、
後に、あらゆる所でかえって目立ちました。
晩年になるほど名誉に執着し、名誉教授、名誉博士などの獲得に血道をあげ、こ
れを、桐山氏が道をまちがえたと解釈する信者もいます。
しかし、世に出たい、認められたいという欲求とみれば、道を間違えたのではな
く、念力の護摩の延長にあることがわかります。
桐山氏にとって宗教は、世に出て、ひとかどの人物になり、世間から誉められる
ための手段にすぎないのだから、念力の護摩も勲章も同じです。
おれは偉い、すごい才能がある、普通の人と違うと確信し、おれを認めろ、誉め
ろという欲求が何倍もある人が、中年まで認められないどころか、犯罪者として
の恥辱を味わい、悶々とした気持ちを持ち続けていました。
この抑圧が、念力の護摩という詐欺を働かせ、老化して、本音を隠すだけの能力
がなくなると、欲望が露わになり、今は垂れ流しの状態になっているのです。
念力の護摩がトリックであり、宗教家としては重罪なのを百も承知で、あえてそ
のタブーを破ってでも、世に出たかったのです。
桐山氏の鬱屈した精神状態がいかにすごかったかは、彼の作った「初年運、中年
運、晩年運」にも表れています。
■ここまで阿含宗という宗教12より転載
http://mentai.2ch.net/psy/kako/999/999507275.html