密教宝庫を開く

611 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/13 12:34
弘法大師空海以来五指にみたぬとつたえられていると書いていますが、空海の
著書には、元々念力護摩法なるものは伝えられてもいないし、伝説にもない、彼
の創作なのですから、当り前です。ある方がおかしいのです。主張が本当ならば
出典を明らかにすべきです。ここでは彼は加持祈祷は強く効験があったとして表
現しています。



612 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/13 12:35
右の文では、流派の最極秘伝とされている「念力の護摩法」の伝授を受けたと
いっていますが、残念ながら密教の何派か、またその師は誰かが書かれていませ
ん。さらに「前の年」とは何時かも判りません。右に書かれている次第書は専門
家も見たことはありません。正に小説を読む感じがしませんか?



613 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/13 12:36
この護摩法は、十たび百たび深山の修行場でしかも護摩堂で行なったことが伺
われる情景ですが、その場所地名と寺名がありません。深山・の護摩堂のある寺は
何処にあるだろうか、知りたいものです。小説にしても欠けた内容で、責任の所
在がはっきりしないのです。



614 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/13 12:37
今度は「数百回、行法はくりかえしつづけられた」と書いてあります。一回の
念力護摩に五時間当てても大変な日数です。いつ行なったのでしょうか。これは
事実というよりも、むしろ散文詩のように思われます。



615 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/13 12:38
氏の説かれる念力護摩法は、前に述べたように空海のたてた日本密教の教には
ないものです。ところで念力護摩法を焚くに当り、予め公開するとしたことの経
緯を書いたのを見れば、(同書三五二頁以後)仮りに検察官が眼前にいても、再
現することが出来る筈です。それを不安定は理由にしては逃げられない証文であ
ります。是非公開させるべき証文であると存じます。氏の念力護摩法の公開を切
望してやまないところです。



616 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/13 12:38
これでみると、要するに念力の聖典バガヴアッド・ギータを読んで念力護摩の
秘法を得たとあるから、仮りに本当に焚いたとしてもそれは宗教としての密教の
法ではないことになります。右のような念力護摩法次第は真言密教即ち空海の教
理にも伝説にもないのが当然です。これを空海も三度行なったとはどうしていえ
るのでしょう。そんな訳ですから、今日まで真言宗内では誰も念力の護摩を問題
にする害もないのです。本人が何百返も繰り返したように書いても、氏の年表を
みると疑問です。一体何処の道場でやったのでしょう。何百返もやったとすれば、
何年もかかる筈なのに――。



617 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/13 12:39
フジテレビ「念力の炎」
去る四月二日、フジテレビで朝の八時半から放映された「小川宏ショウ」のタ
イトルは、
超能力者の謎?!念力の炎が!四次元に挑む
となっていました。
ところが、この番組の最後に、それが「日本奇術師会理事の西村幸男氏の奇術
であった」ことを明らかにしたのです。
これを視た人から、念力護摩に永い間くらまされていた目が漸く醒めたという
報告があったようです。中には、何年やっても自分の行では超能力が生れないた
め、貴方の本を知らせて下さいという、見当外れの問いもあった由です。これは
念の力で火が本当に出たものと勘違いした、暗愚な者のようです。この如く、念
の力で木に火が燃えるとか、生木に火を燃すという宣伝は、宗教の方便として、
刑法に触れないのでしょうか。
柴灯護摩の火勢についても、正純派の修験道の行者が行う場合は、丸太の護摩
木を井桁に積み上げて、その中に点火用の油を浸み込ませた紐や、木屑を用いる
程度、本来はそのような石油などは用いないのが伝法でした。ところが、二月の
法力護摩と称する柴灯護摩は、前夜に油類の調合したものを炉の中に入れていた
ということで、これは彼の側近であった人々から聞いております。何の油が、花
火の種類か?は知らないが、単に木や木の葉のみが燃える材料でないことは明ら
かであるということです。他のお寺で作壇した道場で、彼の売出しの写真同様の
竜神や諸仏の形を現出して、観衆にも同じくそれが見えるような護摩法の導師と
なることを、彼は決して承知しないでしょう。宣伝の文句に「古今未曽有の秘法
である」とあるのは、この仕掛けは話もやらないとの意味に解釈できます。又真
言密教の教えと考えられないことは、「胎蔵界壇より不動明王さまがとくにはっ
きりと現形されました」とあることから明らかで、専門の奇術師も顔負けの表現
だと言えるでしょう。伝統も何もない、まるで無茶苦茶の創作「秘密」仏教なの
です。
622 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/14 14:09
「大白身」第五号批判
この本は慈恵会誌で(昭和四十五年四月発行)念力護摩を行った時に副導師と
いう身分で護摩道場の脇に座して、よく見える場所に座っていた人の書いた見聞
体験記です。文中注目される文は、法の火が燃える瞬間「ゴー」と云う音を発す
るということと、ゴマの火の色が紫色に見えるのは、木でなく、特別用紙が燃え
る時に起る現象のようで、これがこの本の中に手記に四人の人が書いておること
で面白い、その外の手記に火は赤々と記しているが、これは単に火の色を特に注
意しないで、感激の余り注意力のない人の書いた感想文と思います。
特に面白いのは、九十九頁の東京本部木村事務長の手記を見ると、要するに或
る種の火が先に燃えるから、檀木、即ち護摩木を井げたに積んだのに、木でない
或物質が先に燃えたことで、美化して書いたにせよ、これが実感と思います。こ
の木村氏は東京本部の事務長として、桐山氏とは利害関係の深い人と云われる会
の専門職でもあるので、特に注意してみる人物であります。



623 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/14 14:11
又同じようなことは、百二頁の
名古屋市部幹事田子善浩さんの手記で

先生が印をむすんで九字を切った瞬間、突然、御霊符のラン字のところから非常ないきお
いで真赤な火がパーともえあがり法の火をいただかれた次第であります。この歴史的な一瞬
を確かりとみつめたのであります。
感激の外ございません。満場の皆様の感激が胸に伝わって来る様であります。しかし、先
生より不動明王があらわれ、つづいて、御本尊準眠観音様があらわれて、にっこり微笑まれ
たとの御言葉をお聞きしました時は感激はひとしおでありました。

とありました。桐山先生を信じた時代の実感であります。けれどもどうしたも
のか、その後何年も超能力者先生を信じないで、あきれることが度々あって、脱
会し、中途挫折したお蔭で今日では正法に帰依して幸福な生活をされております。
信教の自由は、他人の知らぬ自身の体験を、表現の自由で話しも、書くことも
できるので、まことに重宝なものです。私などは入道以来四十五年を経ても、仏
様のお姿が、霊現したのを見たことのない罪悪深重な身です。
「大白身」第五号八十九頁の、関西本部理事中村季一氏の手記は、ゴーと音を聞
いたことを書かれ、
同書九十六頁第一行には、檀木の角より、紫の煙がスーと立ち上る、つづいて
パチパチと二、三回バーアと何とも云えない、美しい炎焔が五、六寸上ると言う。



624 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/14 14:11
百七頁に名古屋支部幹事森田正氏はこう書いています。

護摩木が組まれ、真一言の斉唱が起り、桐山先生の修法が始まったとき、突然に紫煙が湧い
て流れた。私はマッチか何かの火が護摩木に移ってくすぶったのか、と思ったのである。し
かしあのぱっと広がった煙りの姿は、普通のものでたかった、世俗的にいえば一回目は火は
起らず煙のみの失敗であった。
再び修法が始まり、念がこめられた瞬間、明るい「火」が先生の近い手前の護摩木の端か
らたちあがったのである。
火はそれのみで消えた。



625 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/14 14:12
右の文をよく見ると、失敗したのは用紙の秘密の調合の不適当さのためである
のか、念力不足か。それにしても一応発火したのはただの火でなく、紫煙である
ことと、「マッチか何かの火が護摩木に移ってくすぶったのかと思った。」とある
のは、マッチの発火薬の燐、硫酸類の性質でないかと推理されるのは、私の悪い
憶測かもしらないが、このようなことは他県でも聞いたのです。密教やヨーガの
修行でもない、神道の護摩で、念力で火を燃したが、薬品が多過ぎたものか、火
勢もゴーと鳴る音も強いので、行者も、信者も驚いたとの報告も弟子から報告
されております。
仮りに手品の種子を利用すれば手品での観覧料は少いが、これを宗教上に利用
して宣伝力を多くずれは、永い間このような宗教宣伝者が無かったので、大当
りするのは当然なことでないでしようか。この手品の種子がわかれば、一生に一
度どころか、毎日十返もやれるでしよう。しかし桐山氏のは手品でなく、密教史
にない念力護摩を焚いたのですから、釈尊よりもお偉いお方と思っております。
空海の伝記にもありませんから。
唯正統密教でも、雑部密教でも、護摩法の作法に、檀木に奉書紙を用いるのは
正伝に聞いたことはありません。
637 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/17 12:31
私は上のように、彼の著書及び彼に関した印刷物と、彼をよく知る人々の話に
よって、彼の年譜を作成してみました。勿論充分ではありませんが、この年譜を
見ても、彼の広言する、ヨーガの本を手に入れる前の宗教的な荒行、滝の行と
か、断食、念力護摩の行については、その修行法を教えた指導者もなく、何処の
滝の行が、何等の護摩堂か、知ることができないのです。
彼が師事したと云えるのは姫路の北野恵宝師のみで、小田慈舟師に師事したと
は云われないものです。つまり、東京護国寺の金剛頂経講習会と、師の自坊に於
ける一尊法の作法伝授があったのみです。小田慈舟師は私に、「彼の正体は後で
よくわかり問題にしておらない。」という証言をなされました。



638 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/17 12:32
様式化した求聞持法と云うに至っては、実際に伝授も実修もしたとは考えられ
ません。
彼のことだから、自分独自の求聞持法を修行したと云うに違いない。これでは
伝灯と慣習を第一に尊び厳守する真言密教を、自分が師事して会得したというこ
とは全く意味がないことになってしまいます。徒らに真言密教の宗祖空海の名を
乱用し、空海の次に阿闇梨靖雄として、日本密教根本道場の行持にしているとい
うことは、真言密教の伝灯をゆがめるものであり、わが宗団が蒙る被害は甚だ大
きなものであります。単に高野山に信者が団参したとか、寄付をして高野山に利
益を与えだということは、それは小さな金銭に関することで、しかも自己宣伝の
策謀に過ぎません。千余年の伝灯に精神的に誤った影響を与えることは甚だ大き
な問題であって、真言密教の末徒として許すことはできません。



639 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/17 12:33
クンダリーニヨーガを何人から伝習して何時頃行なったか、既に読者はその真
偽は判断されたことと思いますが、万一未だに私の批判を疑う者があれば、超能
力たる念力護摩なり神通力を彼が行なえるのかを試みるのが一番近道でしょう。
いかなる仕組で威を張るとも、求めることが大切です。彼の奥の手は、霊視や宿
命を知ることや予知、予言でしょうが、これは元々星占とか四柱推命等の合作の
ようです。それにしても、公開の席上でやって見せなければ、何の価値もないこ
とは云うまでもありません。やらなければ嘘と云われても止むをえないことでし
ょう。



640 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/17 12:34
桐山説ヨーガについての不審
彼は昭和四十三年頃種智院大学山崎泰広教授の語を聞き・ヨーガについて初め
て知ったように解されます。随って、佐保田鶴治博士のヨーガの詳細な著書を手
に入れたことは、手品師がその材料を入手したと同じことで、大向うを捻らせる
ことになります。彼の著書『密教-超能力の秘密』がその一端を示してくれたは
ずです。
立正佼成会の出版社である佼成山版社の『アジア仏教史』の「インド編密教」
の中に、金岡秀友氏(東洋大学教授)と桐山氏との対談が掲載されています。各
種書籍から見て彼と金岡氏は最も親しい間柄のように考えられます。金岡博士は
桐山氏に協力する者の中では随一の存在とも云うべき人物で、彼の大きな力とな
った人と云われます。専門学者の彼が提燈を持つから、他の学者は疑わず安易に
協力するのです。その二人の対談の中で、こんなことを述べています。昭和四十
九年六月のことです。



641 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/17 12:35
「そこで私が触れたのは、若い頃未だ病気にならない前に修行したことがあるイ
ンドのヨーガなんです。ヨーガはただ単に念を頭で作るのではなくて、からだ全
体で生み出していこうとするのではないか。あるいは肉体を訓練することによっ
て脳と肉体とを結んで、新しい別の念を作り出そうとしているのではないか、と
いうことをパッと感じたわけです」これでみると、同じ本で彼は、「十八歳で結核
にかかって医師にあと二十五才までしか生きられないだろうと言われた」と言っ
ていますから、病気の前昭和十二、三年にヨーガの修行をしたと言っているのも、
どうもマユツバ的な感じを受けます。ヨーガを修行した者が、結核で苦しんでも
活用せず、山崎泰広教授に通うて初めてヨーガを知ったのではないか、山崎教授
にわ尋ねすれぱ直ぐわかることで、余りに不自然な感じを禁じ得ません。大方の
会員は、ヨーガの道場を宣伝したから、立派な修行をした師と解釈して入会した
者が多いと思います。これも商売人としては桐山氏は立派なものと云えるでしょ
う。けれどもヨーガを修行した入門者の眼力で、ヨーガを知らない彼の正体を判
じて脱会した人が私に語ってくれます。



642 名前: 「密教宝庫を開く」 投稿日: 02/09/17 12:36
またおかしいのは、彼自身の語ったこと
で、『正法のあゆみ』二三七頁の草柳大蔵氏との対談の中に、病歴について語っ
た十三行目に「十八才のときに両肺を結核にやられて大喀血、つぎに痔瘻とカリ
エス(結核性)順天堂病院に行ったところ『相当なもんだ。二十四、五才までも
たないだろう』と云われました。私はすぐその足で神田の書店に飛んで行って結
核に関する本はかり二十冊ぐらい買って帰ってきた。まず敵を知るべしというの
で五日で全部読んだわけです……」とあることです。
右の対談で驚くことは、両肺結核で、喀血し、加えて、痔瘻に、カリエスで、
二十四、五才までの生命の保証が難しい患者が、直ちに病院から飛んで神田に行
き、二十冊の本を買って、しかも五日で全部読んだというのです。果してその頃、
結核の本が二十冊もあったでしょうか。また五日間で二十冊の本を読んでしまっ
たというのも超人のようです。ほんとうのことかな?
    ■ここまで2ch「阿含宗という宗教26」より引用転載
    http://agama.zashiki.com/agon26.html