仏舎利について

102 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/04/28 21:47

「偽の真正仏舎利」 1.本尊としての真正仏舎利

阿含宗では真正仏舎利、すなわち、釈尊の本当の遺骨を祭っていることを大きな
セールスポイントにしています。
桐山氏は、仏法僧の三宝のうち、仏とは釈尊その人であり、釈尊がいない現代に
おいては、真正仏舎利がそれに相当するとして、次のように述べています。
「真実の如来とは、仏陀釈尊の御遺身・御聖物である真正仏舎利しかないのであ
る。」

本尊が真正仏舎利であるべき理由は次のようなものです。
「仏陀の御聖物である真正仏舎利が、本尊として、修行者、信者に力をあたえ、
御加護くださってはじめて、法が成就するのである。仏陀の加護なくして、自力
だけで成仏法を成就することなど、不可能である。」
修行を成就するためには真正仏舎利は不可欠としています。
「わたくしの完全解脱も、本尊の加護があってこそ、成就したのである。」
逆に見るならば、真正仏舎利が本物でなければ、桐山氏の完全解脱も本物ではな
いと自ら述べていることになります。

真正仏舎利は、本尊として大事だというだけでなく、既成仏教への批判の手段と
しても使われています。
「わが国のほとんどの仏教教団が、本尊として真実の如来ではなく、偶像、虚像
の如来をまつり、あるいは、たんなる概念を形象化した仏像をまつっているのは、
すべて、この釈尊のおことばにそむいていることになろう。」
「ほんとうの仏が本尊としておまつりしてないと、魔が入る。魔道に陥るのであ
る。」
桐山氏の説では、もしも阿含宗の真正仏舎利が本物でなければ、桐山氏は釈尊の
おことばにそむき、魔道に陥っていることになります。

修行の完成、桐山氏の解脱、既成仏教への批判を含めて、あらゆる点において、
今日の阿含宗の土台をなすのが真正仏舎利と言っていいでしょう。
真正仏舎利による修行や解脱の完成といった内容は、桐山氏によればもっと具体
的なもので、二つの大きな御利益をもたらすものと説いています。
167 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/05/05 21:37

「偽の真正仏舎利」 2.釈尊も知らない成仏力

桐山氏にとって真正仏舎利とは、
「生きた如来さまはいらっしゃる。それが、お釈迦さまの本体、生ける釈迦と呼
ばれている真正仏舎利です。」
というのですから、生きている釈尊に等しいようです。
生きた釈尊としての真正仏舎利には、
「ほんものでなければ、ほんとうの成仏力が発現しないのである。」
というような力があるのだと言います。

「成仏力」という言葉を、桐山氏は分かり切った言葉として使いますが、阿含経
や大乗経典を問わず、仏教にはこのような単語も概念もありません。
阿含宗では、釈尊は仏に成ることを説いたのだから、仏に成るための力、すなわ
ち成仏力も説いたと信じているようですが、釈尊は説いていません。

仏舎利を拝むことで、様々な功徳があるという説は昔からあります。
しかし、遺骨から何かの力が発現するという主張は桐山氏が初めてでしょう。
しかも、生きた釈尊が説いたことのない成仏力という力が、生きた釈尊にも等し
いはずの遺骨から発現するというに至っては、珍説です。
桐山氏以外には、成仏力を具体的に確認した人は、信者を含めて、誰もいません。
桐山氏は阿含経からこの力を体得したと言いますが、阿含経では、もちろん、成
仏力など説いていません。
念力、超能力といった力が自分にあると説いて信者を集めるのが桐山氏の常套手
段で、そのパターンで成仏力なる概念を勝手に作り上げたのでしょう。

桐山氏によれば、真正仏舎利が発現するという成仏力は、宝生と解脱の二つに分
けられると言います。
187 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/05/11 21:16

「偽の真正仏舎利」 3.死者を成仏させるという成仏力

真正仏舎利が発現するという成仏力の一つが、死者を成仏させるという力です。
桐山氏は、死者の中には、亡くなっても不成仏霊としてこの世に留まり、その苦
しみとしての霊障が生きている人たちに悪影響を与えると説きます。
不成仏霊をあの世に送り届ける力を桐山氏は体得したと自称し、これを成仏力の
一つとしています。
1986年にスリランカから真正仏舎利をもらうと、桐山氏は、6回かかっていた霊
障のホトケを成仏させるための解脱供養が2回で済むようになったと言いました。
釈尊の遺骨から、死者を成仏させる力が湧き出てきたということのようです。

釈尊は死者の供養も、死者を成仏させることも一切説いていません。
不成仏霊が霊障を発するとか、生きている人の運命を狂わせるといった事も説い
ていません。
阿含経の釈尊は、桐山氏の言うような死者を成仏させる成仏力など説いていませ
ん。
それどころか、死者への供養を、水に入れた石に「浮かべ」と祈ることや、水に
入れた油に「沈め」と祈ることにたとえて、無意味であると否定しています。

桐山氏の説いている死者の供養や成仏は、釈尊が批判した当時のバラモンたちが
行っていた祭祀そのものです。
釈尊が否定したはずの死者の成仏を、彼の遺骨の力で行うなど、本物であろうが、
偽物であろうが、ありえない話です。
釈尊が否定したことを、あたかも説いたかのように、仏舎利を利用して宣伝する
のは、宗教家としては犯罪にも等しい行為です。
250 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/05/19 21:30

「偽の真正仏舎利」 4.因縁を切るという成仏力

真正仏舎利から得られる成仏力には、死者の成仏の他に、自分を成仏させる力が
あると桐山氏は説きます。
具体的には、阿含宗で言う因縁を切り、運命の力から解放され、自由自在な境涯
になることです。
「わたくしの完全解脱も、本尊の加護があってこそ、成就したのである。」
という場合の完全解脱の中身は、因縁解脱であり、これを仏陀の境涯であるとし
て、桐山氏は有余依涅槃の聖者を自称しています。
有余依涅槃の聖者とは生きた仏陀のことであり、生前の釈尊の境涯を指します。

釈尊の教えに限らず、仏教には「因縁切り」などという概念はありません。
仏教の因縁とは法則を表すものであって、切るものではありません。
仏舎利から成仏力なるものが出てきて、仏教には存在しない「因縁を切る」こと
が釈尊の教えであるなどというのは、桐山氏の創作、偽作です。

スリランカから真正仏舎利をもらい悪い因縁を完全に切ったはずなのに、次の年、
1987年、桐山氏は薬事法違反で摘発されています。
横浜簡易裁判所は、桐山氏に罰金20万円の略式命令を出しました。
阿含宗の因縁から言うなら、これは刑獄の因縁です。
大統領の保証のある真正仏舎利をもらい、信者にも仏舎利尊を配布し始めた後で、
桐山氏にはまだ刑獄の因縁が残っていたことになります。

現在、桐山氏は、糖尿病と脳梗塞を患っています。
阿含宗では、糖尿病は循環器系統障害の因縁、脳梗塞は脳障害の因縁です。
自分で作りだした悪い因縁に、自分が当てはまっています。
口先で「わたくしの完全解脱」などと宣言してみたところで、現実には、桐山氏
のいう意味においてすら完全解脱は成り立っていません。
真正仏舎利からは因縁切りの成仏力が得られると主張している桐山氏本人が、そ
んな力がないことを証明しています。
326 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/05/26 20:50

「偽の真正仏舎利」 5.真正仏舎利は御利益製造器

真正仏舎利が発現するという成仏力には、もう一つ、功徳という名前の御利益が
あります。
著書の中で、仏舎利をアラディンの魔法のランプにたとえ、
「仏舎利宝珠尊こそ、それを保持して一心に呪文を唱えて、望むことを願うなら
ば、必ず望みごとをかなえてくれるのだ。」
と述べています。
仏舎利宝珠尊とは、信者に分けている仏舎利にみたてた石で、力の元は真正仏舎
利とされています。
立宗当時、御利益話を、
「いうだけでも胸がわるくなるほどたわけたこと」
「功徳とごりやくばかり欲しがる愚昧な在家信者をたくさん集める」
と本に書きました。
魔法のランプにたとえた本が出た1993年頃は、「愚昧な在家信者」でもいいから、
「いうだけでも胸のわるくなるほどたわけたこと」を売り物にして集めなければ
ならないほど、信者の減少に歯止めがかかりませんでした。

実際には、阿含宗の御利益は呪文を唱えただけではもらえません。
不成仏霊がいると御利益を取りこぼすとされていますから、先に不成仏霊を成仏
させるために、解脱供養や冥徳供養の名目で多額の寄付をさせられます。
その上で、望みごとをかなえてもらうためには、新しい信者の獲得やお金の寄付、
労力奉仕など、教団に貢献することが求められます。
信者たちは、何か御利益が得られることを期待しながら、徳を積むと称して、信
者の獲得や寄付をするのですから、まさに取引信仰です。
教団に貢献すれば、必ず望みごとをかなえてくれるというのですから、阿含宗の
真正仏舎利とはまるで御利益の自動販売機のような存在です。
327 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/05/26 20:51
<つづき>

釈尊は欲望の制御や消滅を説いたのですから、呪文を唱えれば、お願い事をかな
えてあげようなどと、欲を煽るようなことを言ったはずがありません。
お願い事という見返りを求めた供養とか、何かを得るための貯金であるかのよう
に、徳を積むなど、釈尊の教えにはありません。
阿含宗のような考えは、当時のバラモンの教えであり、民衆から財を集めて堕落
していた彼らを釈尊は批判しています。
死者の成仏同様、御利益など釈尊は説かなかったのに、死後、その遺骨から御利
益の力が出てくるなど、ありえない話です。
ここでも桐山氏は信者を集めるために、釈尊の教えとは反対のことを、阿含経や
仏舎利を悪用して説いています。
415 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/06/02 21:48

「偽の真正仏舎利」 6.成仏力を引き出す成仏法

桐山氏は、釈尊が教えたという成仏法を体得し、これを修することで真正仏舎利
から成仏力を引き出せるのだと述べています。
すでに検討したように、成仏力の中身は死者の成仏供養と御利益であり、歴史上
の釈尊はいずれも否定した内容です。
桐山氏の言うような、死者の供養や御利益を生み出す成仏法なるものは、阿含経、
大乗経典を問わずありません。

桐山氏が、自分だけが体得したという成仏法を持ち出すのは、本物の仏舎利だと
いうだけでは、釈尊を独占できないからでしょう。
釈尊から独占的に全てを任されているように見せかけるために、自分だけが成仏
法を体得したという話を作り上げたのです。
現実世界では勝負できない桐山氏が、これまでも因縁、不成仏霊、霊障など、彼
にしかわからない実態不明な内容を持ち出したのと同じ手法です。
桐山氏にしかわからない成仏法と、桐山氏にしかわからない真正仏舎利から得ら
れる成仏力など、釈尊のあずかり知らぬことです。

このように、桐山氏の言う成仏法や成仏力などあるはずもありませんが、目に見
えない世界ですから、信仰の問題であり、水掛け論になってしまいます。
見えない成仏法、成仏力についてではなく、実在し、客観的に検証できる物とし
ての仏舎利を見てみましょう。
阿含宗にとって真正仏舎利は、解脱と宝生という御利益のために不可欠な大黒柱
になっています。
本尊としての仏舎利は、阿含宗の教義の根本をなしているのですから、本物でな
ければ、宗教としての基盤すら崩壊します。
そこで、阿含宗で公開されている仏舎利を見てみましょう。
559 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/06/09 21:15

「偽の真正仏舎利」 7.阿含宗の仏舎利

阿含宗がこれまでに公表している仏舎利は下記のようになっています。

1974年、安田氏よりスリランカからの仏舎利を4(または5)粒
1979年、須田一族より空海の仏舎利を三十数粒(最初16粒)
1983年、ダライ・ラマ政庁から真正仏舎利を3粒
1986年、スリランカから真正仏舎利を7粒(さらに仏歯寺から仏舎利1粒)
1990年、スリランカのマハー・マンティンダ・ピリベナ寺から真正仏舎利2粒
1993年、タイのボーウォン・ニウィート・ウィハーン寺から真正仏舎利

百粒近い仏舎利を拝んだと桐山氏は述べていますが、公表されているのはこれだ
けです。
仏舎利と真正仏舎利の違いは、現在の阿含宗の主張に沿って記述しています。
仏舎利の数については、桐山氏が数字に弱いため、その都度違っています。
たとえば、法話では、ダライ・ラマ政庁から7粒と言ったこともありますが、こ
れなどスリランカからの仏舎利と記憶違いしたものでしょう。
ここでは、桐山氏の本、パンフレット、阿含宗関係の本など、文字になって外部
に公表された数字を採用することにします。
これら6組の仏舎利について、検討してみます。
676 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/06/15 21:18

「偽の真正仏舎利」 8.真正仏舎利の判断基準

仏舎利が本物の釈尊の骨、つまり真正仏舎利であるかどうかの判断は簡単ではあ
りません。
仏舎利と称しながら、宝石など、明らかに骨と違う物は論外としても、今日の学
問や科学技術でも判断が難しいからです。

阿含宗の仏舎利を判断するのですから、ここでは桐山氏の判断基準を採用するこ
とにします。
桐山氏は、日本に来た最初の真正仏舎利として、1900年、シャム国王から寄贈さ
れ、現在、名古屋市の日泰寺に奉安されている仏舎利をあげています。
これが真正仏舎利である理由として、次のように述べています。

「その一つは、一九〇〇年(明治三十三年)六月、当時のシャム国王より、日本の
仏教界に贈与せられたものである。これは、歴史的にはっきりしている。この仏
舎利は、一八九七年、釈尊の御生誕地であるルンビニーからほど近い(西南二〇キ
ロメートルほど)遺跡から発掘されたもので、学界から、たしかに貴重な釈尊の御
遺骨であるとみとめられたものである。」

真正仏舎利として判断する理由として二つあげており、これを真正仏舎利である
と認定するための条件として書き直すと、次のようになります。
条件1.発掘された場所、それ以後の経歴や由来がはっきりしていること。
条件2.学問的にも釈尊の遺骨であることが認められていること。

桐山氏の示した理由、条件は明瞭で客観性があり、今日の科学技術、学問レベル
では納得のいくものです。
阿含宗の仏舎利の真偽を、桐山氏自ら本で示した条件に基づいて判定することは、
信者にとっても納得のいく方法です。
これらの条件に基づいて、阿含宗の仏舎利を検証してみましょう。
    ■ここまで阿含宗という宗教22より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1019/10192/1019229592.html

146 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/06/23 21:34

「偽の真正仏舎利」 9.安田氏からの仏舎利

阿含宗が最初に公開した仏舎利は、1974年、安田氏より寄贈されたものです。
桐山氏は機関誌、本、パンフレットの中で、次のような由来を述べています。

「このYさんのお家は愛知県の素封家で、明治時代に、先代の方が、セイロンか
ら仏舎利五粒をいただいて日本に伝えた。」
「わたくしは、いまからおよそ十年まえ、大本山クラスの某寺につたわる仏舎利
四粒を、岐阜県在住の安田利一氏というかたの法縁で、いただくことになり・・」
「昭和四十九年、某篤信者より、東海地方の大本山寺院に、明治初期より奉安さ
れていた仏舎利五粒が、寄贈された。」

安田氏が某寺に預けておいたが、住職が道楽をして、信用がならないので、桐山
氏に寄付を申し出たというのが経緯のようです。
安田氏が、愛知県の人なのか、岐阜県の人なのか、仏舎利は四粒なのか、五粒な
のか、桐山氏の話はいつものように一貫していません。
後日の法話では、セイロンがインドになり、四、五粒がいつのまにか増えて十粒
程になるなど、桐山氏が自称する超人的な記憶力とはこの程度です。
147 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/06/23 21:35

<続き>

機関誌では、安田氏からの仏舎利を指して「由緒ただしい真実の仏舎利」「真理の
仏舎利」、つまり真正仏舎利であるとしています。
しかし、明治初期など、民間人の海外渡航が珍しい時代に、はたしてスリランカ
から仏舎利をもらうということがあったかどうかは、定かではありません。
スリランカのどの寺からもらったのかもわからず、由緒書もないのですから、桐
山氏の示した真正仏舎利としての条件にも合いません。
また、桐山氏も1979年にこのように述べているだけで、この後、安田氏からの仏
舎利を真正仏舎利であるとは言っていません。

桐山氏が当時の法話で真正仏舎利であるかのように述べたのは、話をした当時、
これしか仏舎利がなかったからです。
安田氏の仏舎利の話をしたこの年、空海請来の仏舎利が寄贈され、もはや由来不
明の仏舎利を本物であるかのように言う必要がなくなったからです。
このように、桐山氏は、仏舎利の数だけでなく、本物と偽物の区別も、時々の事
情によっていくらでも変えていることを覚えておいてください。
224 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/06/29 20:24

「偽の真正仏舎利」 10.金龍の顛末1

安田氏から仏舎利をもらったのは1974年なのに、話したのは1979年の初護摩と、
五年も間があったのは、初護摩の法話が次のような内容だったからです。

安田氏は金鉱脈を探して掘っており、数年前、どちらに掘り進めばよいか、桐山
氏から指示を得た。
掘り進むうちにトラブルが起きて、恐がって誰も作業をしなくなった。
安田氏が霊気を感じて、真っ暗なトンネル内で写真を撮影したところ、岩に龍の
顔が浮かび上がった。
初護摩で「自分は金龍である。この教団で祭ってくれ」という御霊示が降りた。

仏舎利、霊夢、金鉱、霊気、御霊示、金龍など、桐山氏の語り口は息もつかせぬ
もので、法力のすごさの自慢話でした。
しかし、その後、安田氏が金の鉱脈を発見したという法話はありません。
金龍が夢で安田氏に示した条件は、この鉱山関係で亡くなった四百人を供養する
こと、というものでしたが、これも後日談がありません。
金色燦爛とした龍神の顔の写真が撮れたという桐山氏の宣伝だけで、写真は公開
されませんでした。

話を大きく膨らませて、法力の自慢話をするのが大好きな桐山氏が、二度とこの
話をしなかったことを見れば、結果の推測がつきます。
話をよく検証してみると、霊気、夢、御霊示など、迷信めいた霊的な話が好きな
安田氏と桐山氏の話が共鳴しているだけで、客観性がありません。
桐山氏が指示した方向に、安田氏は三年も掘り進んで金鉱脈を見つけられなかっ
たのですから、超能力者の透視は外れたのです。
坑内で得たいの知れないトラブルが起きたのではなく、金脈が見つかる可能性が
ないことに気が付いた他の人たちが嫌気がさして、逃げ出したのでしょう。
しかし、三十年間、人生の後半と莫大な資材を投じてきた安田氏は、もう後に引
くことができず、金龍の写真という霊的な世界に逃げ込んだのです。
この話は、江戸幕府の金山に取り憑かれた山師と、金鉱脈を当てられない法力自
慢の山師の、二人の山師が紡ぎ出した初夢だったのです。
331 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/07/06 20:56

「偽の真正仏舎利」 11.金龍の顛末2

1982年、阿含宗の星まつりの炎の中に、金龍が姿を現したとされ、これは1979
年の初護摩に出た金龍と同一であると阿含宗ではされています。
信者たちは、吹き上がる炎にすぎない写真を金龍と信じて、金を払って手に入れ、
御利益を拝んでいます。
1980年代から阿含宗が発展し、各地に道場と総本殿を建立したことを見れば、金
龍の活躍のようにも見えます。
しかし、その時作った借金こそが、今日の阿含宗を苦しめていることを見れば、
これは金龍など関係がなく、人間のなしたことにすぎません。

もっとも、この金龍は安田氏の夢の中で、発掘した金は「決して私利私欲のため
に使ってはならない」と述べていますから、清廉な性格なのでしょう。
自分の野心と名誉を得るための私利私欲に、人々から金を集めて使った桐山氏に、
金龍は嫌気をさして去ってしまったのかもしれません。
金龍もまた、桐山氏に騙されたということでしょう。

1979年の初護摩の法話で着目するべき点は、仏舎利の話が、金龍に象徴される御
利益話の一環として出てきていることです。
1986年にスリランカから仏舎利をもらうと、自力修行を捨て、阿含宗は急激に御
利益信仰に傾いていったと言われています。
しかし、実際には、その何年も前から、仏舎利は宝生護摩という言葉に象徴され
るように、御利益のシンボルとして扱われていたのです。
501 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/07/14 20:29

「偽の真正仏舎利」 12.空海の仏舎利の数

阿含宗で公開されている二組目の仏舎利は、空海が中国から持ち帰ったものとさ
れています。
空海が請来した仏舎利を保持していた須田一族の長老が、阿含宗の星まつりをテ
レビで見て感動して、1979年に寄贈したものです。

「まず、一九七九年、会津の豪族であった須田一族から、五粒の仏舎利が贈られ
た。これには古文書がついており、弘法大師空海が、中国より請来されたものと
の由緒書があって、中に一粒、金色の舎利が含まれていた。私は、これこそ、空
海の「請来目録」にある仏舎利と確信している。」

これは1995年の本に書かれたもので、空海の仏舎利について一番新しい説明であ
り、ここでははっきりと5粒と書いています。
しかし、仏舎利がもたらされた直後の1980年に出た本では、
「・・・十六粒が、この日、教団に寄贈されたのです。」
と仏舎利の数がまるで違います。

実際には、1979年に須田一族から最初16粒が寄贈され、その後、数年に渡り寄
贈があり、最終的に三十数粒になったということのようです。
須田一族が保有していた空海の仏舎利は四十粒と言われていますから、阿含宗が
もらったのはこれよりも少ないことになります。
桐山氏の本にある、空海からの仏舎利5粒というのは、安田氏からの仏舎利を取
り違えたものでしょう。
その安田氏の仏舎利は4粒と書いている本もあります。
このように、仏舎利という阿含宗の本尊でありながら、もらった経緯や数すらも
いい加減なのです。

690 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/07/21 22:51

「偽の真正仏舎利」 13.空海の仏舎利の真偽

空海からの仏舎利について、桐山氏は著書に次のように書いています。
「まず、ダライラマ十四世法王猊下より御寄贈の真正仏舎利。次いで、大阪の旧
家、須田家より、弘法大師空海請来とされる真正仏舎利。」
しかし、実際には、空海の仏舎利は1979年、ダライラマ法王からの仏舎利は1983
年ですから、もらった順番が逆です。
桐山氏は数字に弱いということの他に、これらは1990年代の著作ですから、す
でに糖尿病から来た脳梗塞で脳が老化していたということもあるでしょう。
法話ならともかく、第三者が文章をチェックできる本でさえこの有様です。
たびたび、仏舎利の数やもらった順序まで間違えるなど、超人的な記憶力を持つ
と豪語する桐山氏の記憶力とは、この程度のお粗末なものです。

桐山氏は法話の中で、空海の仏舎利の中で、金色の一粒を除いては、宝石とみて
よいと述べています。
これも含めて、最終的には空海の仏舎利については、
「以上が、仏教史の伝える仏舎利伝来である。ただし、その伝えるところの仏舎
利が、はたして真正仏舎利であるかどうか、確証はない。不明である。」
と桐山氏も真正仏舎利ではないと述べています。
桐山氏がこれを書いたのは、1986年にスリランカから、大統領の保証書付きの真
正仏舎利を手に入れた直後です。
空海の権威を使いたいだけで、空海の仏舎利を真正仏舎利だと言うのには無理が
ありますから、必要がなくなったので引っ込めたのです。
安田氏の仏舎利から空海の仏舎利に乗り換えたように、スリランカから仏舎利を
もらったので、空海の仏舎利を本物だと言う必要がなくなったのです。
桐山氏にとっての仏舎利とはどういうものであるか、本音を示しています。
691 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/07/21 22:52
<つづき>
桐山氏の話はその場しのぎの思い付きやご都合が多いとは言え、本人が文章では
っきりと否定しているのですから、空海の仏舎利は真正仏舎利ではありません。
いくら空海がもたらした仏舎利であっても、インドのどこからいつ発掘され、ど
のような経路で中国にもたらされたのかなどまったく由来が不明です。
桐山氏が真正仏舎利の基準として示した、由来がはっきりしていること、学問的
な保証があること、という二つの条件を満たしていません。
また、現在の阿含宗も、安田氏の仏舎利と同様に、空海の仏舎利は真正仏舎利と
はみなしていません。
    ■ここまで阿含宗という宗教24より転載(23は欠番)
    http://life.2ch.net/psy/kako/1024/10242/1024213539.html

217 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/07/29 21:37

「偽の真正仏舎利」 14.ダライ・ラマ政庁からの仏舎利

これまで検討した安田氏からの仏舎利と、空海の仏舎利を、今日の阿含宗では真
正仏舎利であるとは言っていません。
それに対して、以下の4組の仏舎利、
1983年、ダライ・ラマ政庁から真正仏舎利を3粒
1986年、スリランカから真正仏舎利を7粒
1990年、スリランカ、マハー・マンティンダ・ピリベナ寺から真正仏舎利2粒
1993年、タイ、ボーウォン・ニウィート・ウィハーン寺から真正仏舎利
については、はっきりと真正仏舎利であると公言しています。

時間的には、真正仏舎利の筆頭に来るのがダライ・ラマ政庁からの仏舎利です。
桐山氏はダライ・ラマ政庁からの仏舎利について1995年の本で次のように述べ
ています。
「つづいて、一九八三年三月、第十四世ダライ・ラマ法王猊下より、数粒の仏舎
利を拝受した。これには、ダライ・ラマ政庁よりの、真正仏舎利である旨の由来
書がついている。」

この記述では、あたかも桐山氏がダライ・ラマ法王から直々に仏舎利を手渡され
たかような錯覚を与える言い方ですが、事実ではありません。
この時期、ダライ・ラマ法王は来日しておらず、桐山氏も外国に出かけていませ
ん。
ダライ・ラマ法王の代理の者が来たか、桐山氏の代理の者が受け取りに行ったと
いうべきでしょう。
上記の仏舎利拝受の年表を見ればわかるように、阿含宗にとっては初めての真正
仏舎利と言えるものです。
しかし、真正仏舎利は生きた釈尊その人であるとまで宣伝している桐山氏が、こ
のような形で受け取るのは不自然です。
この他にもダライ・ラマ政庁からの仏舎利には、いくつか奇妙な点があります。
最も奇妙なのは、阿含宗はダライ・ラマ政庁からの仏舎利の由来書を一度も公開
したことがない点です。
333 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/08/05 22:13

「偽の真正仏舎利」15.由来不明のダライ・ラマ政庁からの仏舎利

ダライ・ラマ政庁からの仏舎利の由来について、阿含宗は公式に発表したことも、
由来書が公開されたこともありません。
唯一、「桐山靖雄・阿含密教のすべて」を書いた伊達相平氏が、著書のなかで次の
ように述べています。
「ダライ・ラマ政庁によって厳格に保証されているこの仏舎利は、ダライ・ラマ
一行が、チベットを脱出してインドに亡命する際、命がけで守りぬいた至宝なの
である。」

伊達氏は、ダライ・ラマ政庁が保証しているから、真正仏舎利だと述べています
が、これは根拠にはなりません。
第一に、由来書が公開されない限り、本当にダライ・ラマ政庁が保証しているの
かどうか信用ができません。
第二に、ダライ・ラマ政庁という宗教権威と、仏舎利の歴史的、科学的な根拠と
は別です。
ダライ・ラマ政庁は政治、宗教組織であって、仏教考古学や仏舎利の専門家の集
団ではありませんから、彼らの権威は保証としては役に立ちません。
「厳格」「命がけ」などという言葉や、ダライ・ラマ法王の権威を虎の威として借
りるよりも、由来書を公開するほうがはるかに簡単です。

伊達氏は、この文章の直前に、「ダライ・ラマ政庁より阿含宗に真正と思われる数
粒の仏舎利が寄贈されている。」と述べています。
伊達氏が、「厳密に保証」と述べる直前に、「真正と思われる」などという曖昧な
表現を使ったところを見ると、本人も確信がないのでしょう。
最初の文章も読み直してみると、「厳密に保証」とは、真正仏舎利であることを保
証しているとは書いていません。

言葉を濁した伊達氏を見てもわかるように、ダライ・ラマ政庁の文書には真正仏
舎利としての保証などないか、内容が歴史的、学問的な根拠に乏しいのでしょう。
由来書を公開したら、かえって偽物だとわかってしまうため、ダライ・ラマ法王
の権威だけ使えれば十分だと判断して、公開していないのでしょう。

由来書が公開されていないだけでなく、ダライ・ラマ政庁からの仏舎利は、最初
から、とても奇妙な仏舎利でした。
622 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/08/11 21:11

「偽の真正仏舎利」16.三年間公開されなかった仏舎利

ダライ・ラマ政庁からの仏舎利は、由来書が公開されたことがないだけでなく、
もらったこと自体、三年に渡って公開されませんでした。
今日、空海の仏舎利は真正仏舎利とは桐山氏自身が認めていませんから、ダライ・
ラマ政庁からもらった仏舎利こそは阿含宗としては初めての真正仏舎利です。
1986年にスリランカからの真正仏舎利は大宣伝し、本尊や行法を変えたくらいで
すから、阿含宗にとって真正仏舎利は何にも代え難い存在です。
安田氏や空海の仏舎利など個人が所有していた物と違い、ダライ・ラマ政庁が由
来書を付けたというのですから、世間にもアピールしやすい仏舎利です。
阿含宗の紹介本を書いた伊達相平氏によれば、この仏舎利については、
「ダラマ・ラマ一行が、チベットを脱出してインドに亡命する際、命がけで守り
ぬいた至宝なのである。」
とあります。
スリランカよりも三年も前に、命がけで守られた真正仏舎利をいただいたのです
から、さぞや教団をあげての盛大なセレモニーがあったことでしょう。

ところが、まったくありませんでした。
機関誌、法話、会報などには、1983年3月にダライ・ラマ政庁から仏舎利をもら
ったという記事はありませんでした。
授与のおしらせ、授与式など何か話があってもいいはずなのに、桐山氏の当時の
法話にも出てきませんでした。
ダライ・ラマ政庁からの仏舎利の話が出てきたのは、1986年、スリランカから仏
舎利をもらう話が出てきてからです。
つまり、1983年から三年間、桐山氏はダライ・ラマ政庁からの仏舎利については
一言も述べたことがありませんでした。
信者たちは、1986年になるまで、ダライ・ラマ政庁から仏舎利をもらったことす
ら知らなかったのです。
    ■ここまで阿含宗という宗教25より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1027/10273/1027397167.html

183 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/08/19 21:03

「偽の真正仏舎利」 17.授与の記録すら公開されていない仏舎利

桐山氏は法話の中で、ダライ・ラマ法王が亡命者である点をあげて、政治的な配
慮から話をしなかったのだと述べたことがあります。
しかし、真正仏舎利をもらったことを発表するのに、どのような政治的な障害が
あったというのでしょうか。
1980年にダライ・ラマ法王が阿含宗を訪問したことや、1984年に武道館の「オ
ーラの祭典」で一緒に護摩を焚いたことなど、散々宣伝に利用して来ました。
有名人を徹底して利用する桐山氏が、仏舎利をもらった事だけをなぜ隠す必要が
あったのでしょうか。
しかも、ダライ・ラマ政庁からの仏舎利の話をしたのは、何か秘密が解禁になっ
たからではなく、1986年のスリランカからの仏舎利がきっかけです。

たとえ政治的な理由があったとしても、ダライ・ラマ政庁の仏舎利があることを
公開したのですから、その理由は時効になったはずです。
授与式の様子を映したビデオや写真などが公開されてもいいはずなのに、これま
で公開されたことはありません。
阿含宗での真正仏舎利の位置付けを考えるなら、これも奇妙なことです。
1986年のスリランカからの仏舎利については、桐山氏の本やパンフレットなどに、
記事だけでなく、たびたび授与式の写真が何種類か掲載されました。
一方、ダライ・ラマ政庁からの仏舎利拝受の写真は一枚もありません。
由来書だけでなく、ダライ・ラマ政庁から本当に仏舎利をもらったのかどうかす
ら、客観性のある資料は何も公開されていないのです。
295 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/08/24 21:31

「偽の真正仏舎利」 18.お礼の贈り物としての仏舎利

1986年にスリランカからの仏舎利については、本でも法話でも、あらゆる所で宣
伝をして、ついには本尊を準胝観音から仏舎利に変更しました。
桐山氏が大々的な宣伝をしたのは真正仏舎利であることが理由でした。
ところが、同じ真正仏舎利であるはずのダライ・ラマ政庁からの仏舎利について
は、本に書くどころか、信者にすら三年間話すことがありませんでした。

同じ真正仏舎利なのに、この待遇の違いはどこから来ているのでしょうか。
最も簡単な理由は、ダライ・ラマ政庁からの仏舎利は、由来書が公表できない程
度の仏舎利、つまり真正仏舎利ではなかったからでしょう。

チベットの僧侶に対して、桐山氏は長年金銭的な援助を続けてきました。
そのお礼に、たびたび法位法号をもらい、また、ダライ・ラマ法王のノーベル平
和賞の授賞式にも招待されました。
この厚遇は、チベット政府への桐山氏の寄付額が大きく、長期に渡るものである
ことを示しています。
1980年のダライ・ラマ法王の阿含宗訪問、1983年ニンマ派からの僧位法号授与、
1984年のダライ・ラマ法王との合同法要など一連の流れを見れば、仏舎利もまた、
こういったチベット政府からのお礼の一つであったことは明らかです。
金銭的な援助に対するお礼に贈り物としてあげる程度の仏舎利だったということ
でしょう。

ダライ・ラマ法王からもらった仏舎利、という価値以上のものではなく、真正仏
舎利ではなかったから、桐山氏は発表しなかったのです。
1986年にスリランカ大統領のお墨付きの真正仏舎利が来て、桐山氏は、この仏舎
利を表看板にすれば、ダライ・ラマ政庁からの仏舎利を真正仏舎利と称しても問
題にならないだろうと、利用価値に気がついたのです。
388 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/09/01 20:48

「偽の真正仏舎利」 19.ダライ・ラマ政庁の仏舎利はサンゴ色

桐山氏の秘書の北崎氏は、仏塔を研究する学者の取材に対して、
「・・このダライラマ猊下から贈られた仏舎利は、サンゴ色をして美しく・・」
と答えたとあります。
これはたいへん着目すべき発言です。
信者たちは仏舎利を直接見る機会はほとんどなく、仏舎利を入れたカスケットを
拝んでいるだけで、中に何が入っているかは知りません。

北崎氏の発言で重要な点は「サンゴ色をして美しく」という表現です。
ここで言うサンゴ色とは、白ではなく、モモイロサンゴやアカサンゴなど、宝石
として用いられるような赤色系のサンゴを指しているのでしょう。
海のないチベットでは、昔は海から採れる赤系のサンゴは貴重であり、宝石とし
て珍重されていました。
宝石や貴石を仏舎利に見立てることは仏教圏では広く行われています。
チベット人にとって貴重な宝石であるサンゴを仏舎利として拝んでいたのでしょ
う。
長年、大事にして拝んできた彼らにしてみれば、信仰において釈尊の骨と同等の
扱いであり、亡命するときも命がけで仏舎利を持ち出したのでしょう。
その大切な仏舎利だから、桐山氏からの金銭的な寄付へのお礼として提供したの
です。
チベット人には歴史ある仏舎利だと由来書には書いてあるだろうが、サンゴにす
ぎない仏舎利を真正仏舎利だと書くはずがありません。
おそらく、仏舎利の由来というよりも、ダライ・ラマ政庁からの授与であるとい
うことが書いてあるだけの由来書なのでしょう。
だから、授ける側も、もらう側も、ダライ・ラマ政庁の権威しか価値としてはな
く、真正仏舎利ではないとわかっていたから、授与式すら公式には行われなかっ
たのです。
533 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/09/08 21:02
「偽の真正仏舎利」 20.ダライ・ラマ政庁の仏舎利は何度目の渡来なのか

桐山氏は1986年頃の法話の中で、ダライ・ラマ政庁からの仏舎利を真正仏舎利
であると言いながら、「一番由緒正しいのはスリランカからもらったものだ」と述
べたことがあります。
これでは、ダライ・ラマ政庁の仏舎利は由緒がはっきりしないと言っているよう
なものです。

1986年のスリランカからの仏舎利を「真正仏舎利の第二の渡来」と本で書いてい
ます。
第一の渡来は、覚王山日泰寺にある仏舎利で、1986年のスリランカからの仏舎利
が日本では二度目の真正仏舎利だと述べています。
1983年のダライ・ラマ政庁からの仏舎利が真正仏舎利なら、これが日本にとって
二度目であり、1986年のスリランカからの仏舎利は三度目と書くべきでしょう。
ダライ・ラマ政庁からの仏舎利は1986年初頭には公表しており、もらってまだ
三年ほどしかたっていないのに、よもや忘れたはずはありません。
つまり、この当時の桐山氏にとって、ダライ・ラマ政庁からの仏舎利など、真正
仏舎利としての価値はなかったのです。

スリランカからの仏舎利を宣伝することに夢中で、ダライ・ラマ政庁からの仏舎
利を数に入れることも忘れて、由来のはっきりしない仏舎利だと本音を漏らして
しまったのでしょう。
ダライ・ラマ政庁からの仏舎利よりも後の1986年のスリランカからの仏舎利を
第二の真正仏舎利の渡来と書いていることは、桐山氏自身も、ダライ・ラマ政庁
からの仏舎利を真正仏舎利とはみなしていないことを示しています。
627 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/09/15 20:44

「偽の真正仏舎利」 21−1.御都合主義の真正仏舎利

桐山氏は、冊子の中で、真正仏舎利の第二の渡来を1986年のスリランカからの
仏舎利であると書いていながら、次のページに、ダライ・ラマ政庁からの仏舎利
にも「真正仏舎利である旨の由来書がついている」と述べています。
由来書がついているだけでなく、ダライ・ラマ政庁の仏舎利とスリランカの仏舎
利については、「仏骨としか思えないものである」と述べています。

こういう桐山氏のいい加減さは、ダライ・ラマ政庁の仏舎利だけではありません。
この冊子では、さらに数ページ後に、空海からの仏舎利について、
「わたくしはこの金色の一粒は、まさしく弘法大師空海が請来した真正仏舎利で
あると確信しているのである。」
と書いています。
それなら、空海が第一、覚王山日泰寺が第二、ダライ・ラマ政庁が第三、スリラ
ンカが第四の真正仏舎利の渡来とするべきでしょう。
同じ冊子の、わずか数ページの間ですら、桐山氏の書いていることは、矛盾し、
一貫性がありません。
628 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/09/15 20:45

「偽の真正仏舎利」 21−2.御都合主義の真正仏舎利

空海の仏舎利に対する判断を読むと、どうやら、桐山氏は自分が本物と思いたい
ものを真正仏舎利と呼んでいるようです。
これではお話になりません。
桐山氏の霊能力や超能力を信じている信者には、本物と断言すれば済むのでしょ
うが、これでは客観性がなく、真正仏舎利と名乗る資格がありません。
他の教団の仏舎利に対しては、
「もちろん、あちこちに「仏舎利」と称するものはいくつかおまつりされている
が、そのほとんどは、由緒の定からぬ「にせもの」である。」
などと批判しながら、自分の教団となると、由緒も示せない仏舎利を、真正仏舎
利と確信しているなどと言うのは、ごまかしであり、詭弁です。
桐山氏本人も定義しているように、由来書や由緒を示すことが出来て、学問的に
も認められた仏舎利を真正仏舎利とするべきです。
この基準から見て、ダライ・ラマ政庁からの仏舎利は真正仏舎利ではありません。
739 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/09/22 20:54

「偽の真正仏舎利」 22.1990年スリランカからの仏舎利

阿含宗の三番目の真正仏舎利は、1990年にスリランカからもたらされた仏舎利で
す。
年の順から行けば、1986年のスリランカの仏舎利が先ですが、これは由来書が公
開されている唯一の仏舎利ですので、後に検討することにします。

1990年1月、阿含宗関東別院において、スリランカのマハー・マンティング・ピ
リベナ寺(以下ピリベナ寺と略記)から仏舎利を授与されました。
阿含宗は由来書を公開しておらず、由来書があるとも述べていません。
仏舎利の由来については次のように機関誌で公表しています。

「ブッダの頸骨が奉安されていたマヒヤンガナ大塔は、近年、損傷がはげしく、
その修理のために、塔中に安置されていた仏舎利はピリヴェナ寺と他の二つの寺
に移された。大塔の修理後、仏舎利は同塔と、同塔を管理するピリヴェナ寺に分
けて奉安された。このとき同寺に分骨されたブッダの頸骨のうちの二粒が、阿含
宗に寄贈されたというわけである。」

阿含宗がもらった仏舎利は、元々スリランカのマヒヤンガナ大塔に安置されてい
たものであるとあります。
マヒヤンガナ大塔に安置されていた仏舎利の由来は次のようなものであると阿含
宗の機関誌で発表しています。

「この仏舎利の由来は『南伝大蔵経』の「大王統史」に記載されている。それに
よると、釈尊は成道後9か月目にマヒヤンガナを訪れ、この地に仏塔を建てるこ
とを定めた。入滅後、仏弟子サーリプッタの弟子サラブが頸骨の仏舎利を授かり、
比丘たちとともにスリランカに赴き、マヒヤンガナ大塔(左)を建立し、奉安した
とされる。」(文中の「(左)」とはマヒヤンガナ大塔の写真を指している。)
887 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/09/29 21:40
「偽の真正仏舎利」 23.南伝大蔵経に記載されているという仏舎利

1990年のスリランカからの仏舎利の由来をまとめると次のようになります。
・二千五百年前、サーリプッタの弟子サラブが仏舎利をスリランカに持ち込み、
マヒヤンガナに祭った。
・この件は南伝大蔵経に記載されている。
・近年、マヒヤンガナに祭られた仏舎利をピリベナ寺で分骨してもらった。
・1990年、分骨された仏舎利のうち二粒が阿含宗に寄贈された。

これが仏舎利の由来だというのなら許されるでしょう。
しかし、これが真正仏舎利の由来だというなら、多少仏教についての知識のある
者は首を傾げるに違いありません。

仏舎利がマヒヤンガナからピリベナ寺を経由して阿含宗に分骨された経緯は資料
が手に入らないので、検討の対象からはずし、南伝大蔵経に載っている点を検討
してみます。
阿含宗の擁護本を書いた伊達相平氏によれば、この仏舎利は、
「それほどの、きわめて由緒正しい真霊骨であった。」
と述べています。
これほど強調しているのも、南伝大蔵経に記載されている仏舎利であるという権
威を重んじてのことでしょう。
南伝大蔵経とは、スリランカに伝わる南伝の阿含経を中心とした仏教資料のこと
で、日本では和訳され70冊にも及ぶ大著です。
漢訳の阿含経と並んで、釈尊の教えや言動を知る上で第一級の資料です。
このような権威ある南伝大蔵経にも載っている由緒正しい仏舎利であると阿含宗
は主張したいようです。



888 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/09/29 21:40
<つづき>

この阿含宗の主張で注意するべきことは、この仏舎利の件が載っているのは南伝
大蔵経の中の、阿含経ではなく「大王統史」であるという点です。
南伝大蔵経には釈尊の言動の記録ともいえる阿含経があるから、阿含宗の主張は
なにやら真実めいてきますが、仏舎利の件はスリランカでの出来事ですから、阿
含経に書いてあるわけではありません。
「大王統史」とはどのようなものかをまず知る必要があります。
    ■ここまで阿含宗という宗教26より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1029/10294/1029471820.html

44 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/10/05 21:27

「偽の真正仏舎利」 24.仏舎利の由来は希望的物語

1990年、阿含宗がスリランカからもらった仏舎利は南伝大蔵経の大王統史に記載
されている権威あるものだと言います。
大王統史(大史)は島王統史(島史)と並んで、スリランカに仏教が伝わった頃
から始まる、史実を元にして作られた叙事詩です。
二つとも同じ資料を基にして、大王統史は六世紀初頭に成立したとされています。

大王統史と島王統史は歴史事実をあるがままに記録したものではなく、日本の古
事記のように、歴史を元にして作られた神話的物語です。
たとえば、これらの史料によれば、釈尊は生前スリランカを三度訪れたことにな
っています。
釈尊の足取りは北インドに限定されており、スリランカを訪れたなどという歴史
的事実はありません。
この二つの叙事詩は、歴史を材料にしながらも、釈尊がスリランカを訪れたと
いうような、仏教徒たちの空想的な希望を織り込んで作られた物語です。



45 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/10/05 21:28
<つづき>
最初にスリランカを訪れた時、釈尊はマヒヤンガナに仏舎利を祭るように指示し
たことになっています。
このような歴史的事実はありません。
釈尊が、生前、自分の遺骨を場所を指定して祭るように命じるなど、教えから言
ってもありえないことです。
最後の旅を記録した大般涅槃経に、釈尊は舎利を祭るように指示する場面はあり
ます。
この一文ですら、仏舎利信仰をしていた人たちの付け加えであろうと学者たちか
らは批判されています。
ましてや、悟りを得て九ヶ月しかたっていない釈尊が、自分が死んだら、舎利を
祭れなどと言うはずがありません。
もし、そのような教えを説いていたら、阿含経の随所にそのような記述が見られ
ていいはずです。

つまり、釈尊が成道九ヶ月後にスリランカを訪れたということもありえないし、
仏舎利を祭るように指示したなどということはなおさらありえない話です。
阿含宗の仏舎利は、このような根拠のないお話が由来となっているのです。
651 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/10/13 21:20

「偽の真正仏舎利」 25.比丘が仏舎利に手を出したはずがない

大王統史では、仏舎利を入手したのはサーリプッタの弟子サラブとされています。
これもありえない話です。
釈尊は、遺体の処理については在家の人たちに任せて、出家は関わってはいけな
いと命じています。
信者たちが仏舎利の分配をめぐって争いを始めたとき、仲介をしたのはドーナと
いうバラモンでした。
比丘たちが荼毘に出席していたのですから、彼らが仲介するべきであり、仏教徒
ではないドーナが仲介するというのはおかしなことに見えます。
しかし、比丘たちは、釈尊の教えを守り、仏舎利の取り扱いには一切関与しなか
ったのです。
これほどまでに厳しく教えを守っていた比丘の中で、サラブだけが仏舎利をこっ
そり入手するなど、ありえない話です。

大王統史を信じるなら、釈尊が、成道後、すぐに仏舎利を祭るように指示し、
サラブがその指示を四十数年後に実行したことになります。
比丘たちには葬儀に関わるなと厳しく指示しておきながら、サラブ一人には仏舎
利を取るように指示するなど、ありえない話です。
サラブは神通力で仏舎利を手にいれたことになっています。
これも奇妙な話で、釈尊が本当にそのような指示を出したのなら、堂々と釈尊の
命令として分けてもらえばよかったはずです。

このように、出家であったサラブが神通力で仏舎利を手に入れたなどという話自
体が、釈尊の指示や教えから言っても成り立ちません。
仏舎利は在家の信者によって8つに分けられたという事実があるので、これと矛
盾しないようにと、サラブが神通力で手にいれたなどという話を後世のスリラン
カの人たちが付け加えたのでしょう。
    ■ここまで阿含宗という宗教27より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1033/10336/1033657101.html

69 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/10/20 20:57

「偽の真正仏舎利」 26.大王統史は由来の根拠たりえない

これまで検証したように、阿含宗の仏舎利の根拠としている大王統史は歴史書で
はなく、内容に客観性がありません。
釈尊の言動や教え、弟子の言動から考えても、スリランカに仏舎利を祭るように
命じ、弟子が実行したなど、ありえない話です。
これは後世のスリランカの仏教信者たちが、自分たちの仏舎利信仰を権威付ける
ために、作り出した希望的な物語にすぎません。
おそらく、スリランカに仏教がもたらされ、仏舎利信仰が伝わったとき、マヒヤ
ンガナにも仏塔が建てられ、このような伝説を作り出したのでしょう。

釈尊がスリランカまで飛来したと信じるのは信仰の自由です。
しかし、真正仏舎利であるかどうかを判断する基準は、信仰ではなく、学問的に
見ても本物の釈尊の遺骨であることです。
スリランカの古い叙事詩に仏舎利の由来が載っていると言っても、荒唐無稽な内
容で、歴史的にはありえない話です。
桐山氏が真正仏舎利の条件としてあげている由緒正しい仏舎利であるという条件
を満たしていません。

真正仏舎利としての二番目の条件である、考古学的な客観性に至っては皆無です。
マヒヤンガナの仏塔が二千五百年間、無傷のまま温存されてきたなどありえず、
何度も修復や増改築が行われたはずです。
このような塔に安置された仏舎利が二千五百年間誰一人手をつけなかったなどあ
りえないことで、事実、今回、他のお寺や海外の阿含宗にまで分骨されています。
仏舎利の納骨状態や仏舎利そのものへの考古学的な検証が何も公表されていない
ところをみると、行われていないのでしょう。
桐山氏が提示した、真正仏舎利としての二つの条件から見ても、1990年のスリラ
ンカの仏舎利は本物の釈尊の遺骨ではありえません。
299 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/10/27 21:15

「偽の真正仏舎利」 27.忘れられた仏舎利

桐山氏が1991年に出した「修行者座右宝鑑」には、阿含宗の仏舎利について次
のようにあります。

「まず、ダライラマ十四世法王猊下より御寄贈の真正仏舎利。
次いで、大阪の旧家、須田家より、弘法大師空海請来とされる真正仏舎利。
そして一九八六年四月、アショーカ王が埋蔵し、ブッダガヤから発掘された真正
仏舎利を、スリランカのジャヤワルデネ大統領より御寄贈。(スリランカ国の公文
書の証明書附き)」

ダライ・ラマ法王から仏舎利をもらったのは1983年で、須田家からもらったの
は1979年ですから、順序が間違っています。
しかし、それ以上に驚くのは、ここには1990年にスリランカからもらったはず
の仏舎利が記述されていないことです。
この仏舎利は1990年1月28日に関東別院において盛大な儀式を行い、桐山氏本
人が仏舎利を受け取りました。
「修行者座右宝鑑」が出たのは、1991年の夏の伝法会からであり、仏舎利をもら
ってから一年程後に執筆したことになります。
わずか一年後だというのに、1990年のスリランカからの仏舎利は桐山氏の頭から
は消えていました。

1993年の本では、1990年スリランカからの仏舎利の写真は載っていますが、本
文には1986年スリランカからの仏舎利の話があるだけです。
1995年の本では、空海、ダライ・ラマ政庁、1986年のスリランカの仏舎利の話
だけで、1990年のスリランカからの仏舎利については一行もありません。
419 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/11/03 20:47
「偽の真正仏舎利」 28.偽の真正仏舎利の後日談

1990年のスリランカからの仏舎利は桐山氏の本にはほとんど登場しません。
真正仏舎利と称していながら、他と差別的な待遇を取っているのは、桐山氏から
見ても、真正仏舎利としての価値がないからです。
1986年のスリランカの仏舎利には大統領のメッセージが付いており、1983年の
ダライ・ラマ政庁からの仏舎利は由来書が付いていると言います。
これに比べて、一寺院からの寄贈で由来書すらもないのでは、はるかに見劣りし、
この程度なら、世の中にいくらでもあります。
もらったから真正仏舎利の中に加えているだけで、桐山氏本人も、これが真正仏
舎利であるとは信じていないのでしょう。



420 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/11/03 20:48
<つづき>
1990年5月、仏舎利の答礼団として、2人の法務部の僧侶と2人の関東別院の
職員の合計4人がスリランカのピリベナ寺を訪問しました。
一行は華やかなパレードが一時間も続くような熱烈な歓迎を受けました。
法務部の一人は高野山から桐山氏が招き入れた真言宗の正式な僧侶でした。
もう一人は長年阿含宗の最前線で活動した熱心な信者で、法務部では深田氏に続
くナンバー2の立場にありました。
関東別院から派遣されたのは観音慈恵会時代からの古い幹部職員と、当時まだ勢
いのあった阿含宗の若手グループ「YAN」出身の職員でした。

しかし、後に真言宗の僧侶は阿含宗と桐山氏の実態を知って、後ろ足で砂をかけ
るようにして高野山に戻りました。
もう一人の法務部の僧侶は内部の軋轢に苦しみ続け、ついに退職しました。
古い幹部職員は、長年の貢献にもかかわらず、桐山氏が排除しようと年齢を理由
に退職を迫ったため、このひどい仕打ちに怒り、阿含宗を去りました。
YAN出身の職員は、例祭の信者の前で桐山氏の間違いを指摘するという致命的
な過ちをしでかし、退職に追い込まれました。
この職員の指摘のほうが正しかったのですが、裸の王様に向かって、裸だと指摘
してしまったのです。
仏舎利の答礼に派遣された4人全員が阿含宗を去りました。
508 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/11/09 21:40

「偽の真正仏舎利」 29.1993年タイからの仏舎利はお土産

阿含宗が真正仏舎利であると公表しているにもかかわらず、その取り扱いが最も
小さいのが1993年のタイからの仏舎利です。
タイの仏舎利の拝受については「阿含宗報」の1ページ目ですらなく、2ページ
目の半分に載っただけでした。
機関誌「ダルマチャクラ」にも、雑誌の途中のたった1ページにモノクロで掲載
されただけでした。
桐山氏の言う「生きた如来」「真実の如来」を紹介するにしては、あまりに粗末な
扱いです。

授与は、星まつりの前日の歓迎レセプションの席で突然行われました。
これは阿含宗にとっても突然のことだったのでしょう。
逆に見るならば、タイの仏舎利はこの程度のものです。
タイから来た二人の僧侶は、仏舎利を渡すために来たのではなく、星まつりに招
待されて来ていました。
つまり、それまでの阿含宗の援助に対して仏舎利をお土産に持ってきたのです。

本物の釈尊の遺骨を、予告もなく、正式な儀式もなく、レセプションというパー
ティーの席でいきなり渡すなど考えられません。
阿含宗が拝受にタイまで伺うのが「生きた如来」を迎える礼儀というものです。
あるいは、1990年のスリランカからの仏舎利の拝受式が関東別院で行われたよう
に、京都の総本殿で盛大な拝受式を執り行うべきでした。
ホテルのパーティーで物でもあるかのように手渡され、小さな記事で紹介された
というこのひどい扱いを見れば、桐山氏がこれを真正仏舎利とみなしていないこ
とは明らかです。
565 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/11/16 20:35

「偽の真正仏舎利」 30.由来すらわからないタイの仏舎利

1993年のタイの仏舎利は、バンコク市内にあるボーウォン・ニウェート・ウィハ
ーン寺からもらったものです。
阿含宗は寺の由来についてはあれこれ書いていますが、仏舎利の由来は、
「・・由緒正しい真正仏舎利と聞く。」(阿含宗報)
「・・由緒正しい真正仏舎利ということです。」(ダルマチャクラ)
とあるだけで、具体的な内容は何もありません。

由緒正しいといくら言葉で言っても、「聞く」「ということです」というのでは、
阿含宗も由来はわかりませんと言っているのと同じです。
実際に、由来もわからず、由来書も添付されていないのでしょう。
阿含宗から由来書が公開されたことはなく、由来書そのものがあるとの発表もあ
りません。
このような仏舎利を真正仏舎利だと公表するのは見識を疑われます。

1983年のダライ・ラマ政庁からの仏舎利は、公表はされていないものの由来書が
付いていると阿含宗側は述べています。
1986年のスリランカから仏舎利は由来書を公開しています。
1990年のスリランカからの仏舎利は由来について公表しています。
ところが、1993年のタイからの仏舎利は口頭での由来すらないですから、阿含宗
が真正仏舎利だと称している4組中最悪の仏舎利です。
由来書がなく、口頭による由来すら示されない仏舎利が真正仏舎利であるかどう
かなど、検討するにも値しません。
こんな程度の仏舎利なら日本には数知れず存在します。
806 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/11/24 20:19

「偽の真正仏舎利」 31.由緒の定からぬタイの仏舎利

真正仏舎利を名乗るなら由来と学問的な根拠が必要だという桐山氏の主張は大筋
でそのとおりです。
他の仏舎利に対しては、
「もちろん、あちこちに「仏舎利」と称するものはいくつかおまつりされている
が、そのほとんどは、由緒の定からぬ「にせもの」である。」
などと口を極めて批判していました。

タイからの仏舎利は公開できる由緒がないのですから、由緒の定からぬ仏舎利と
いう桐山氏の批判がそのままあてはまります。
他の仏舎利は「にせもの」とまで批判していながら、自分がもらった仏舎利には
甘い審査基準で真正仏舎利と称するのでは見識を疑われます。
タイの仏舎利は、桐山氏があげた条件からは審査の対象にすらならず、真正仏舎
利などということはありえません。
タイの仏舎利は桐山氏のいう由緒の定からぬ「にせもの」です。

1983年のダライ・ラマ政庁、1990年のスリランカ、1993年のタイからもたらさ
れた3組の仏舎利については真正仏舎利であることが否定されました。
最後に残ったのが1986年のスリランカからの仏舎利です。
これこそがスリランカ大統領から手渡され、唯一由来書が公開され、桐山氏もた
びたび本に書き、信者たちが心底本物であると信じている仏舎利です。
桐山氏がどこの馬の骨かわからないタイの仏舎利を真正仏舎利とうそぶいていら
れるのも、1986年のスリランカの仏舎利だけは本物だと確信しているからです。
いよいよ阿含宗本尊の真打ちの登場です。
    ■ここまで阿含宗という宗教28より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1034/10349/1034954500.html

281 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/12/09 21:54

「偽の真正仏舎利」 32.1986年スリランカからの仏舎利

1986年初頭、桐山氏はスリランカで大統領から仏舎利を拝受すると発表しました。
今日、阿含宗は真正仏舎利を本尊として、信者も仏舎利尊を拝み、解脱と宝生を
もたらす生きた如来としていますから、仏舎利は教義の中心です。
しかし、当時、まだ準胝観音を本尊としていたため、信者の間では仏舎利にそれ
ほどの価値を置いていませんでした。
前年のバチカン訪問、この年の中国での柴燈護摩の予定など、信者には仏舎利拝
受もイベントの一つでしかなかったからでしょう。
初護摩では1979年の空海からの仏舎利を真正仏舎利であると宣伝しながらも、
阿含宗報に載ったスリランカへのツアーの報告では、真正仏舎利拝受ではなく仏
舎利拝受と書くなど、まだ真正仏舎利を全面に出していませんでした。

阿含宗は何組かの仏舎利を真正仏舎利と称していますが、真正仏舎利をセールス
ポイントとするようになったのは1986年のスリランカの仏舎利からです。
スリランカの仏舎利から桐山氏は大きく阿含宗の教義を変えました。
観音慈恵会時代からの本尊である準胝観音を仏舎利に変え、千座行を仏舎利行と
いう簡便な勤行に切り替えました。
仏舎利が解脱供養に抜群の効果があると宣伝し始めたのもこの仏舎利からです。
1986年の仏舎利こそ、阿含宗では根幹をなしています。
したがって、他の仏舎利は偽物であっても、スリランカからの仏舎利だけは本物
でなければ、宗教としての阿含宗を揺るがすことになります。
391 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/12/17 20:54

「偽の真正仏舎利」 33.金剛宝座から発掘されたという仏舎利

桐山氏によれば、1986年、スリランカから阿含宗にもたらされた仏舎利は、次の
ように発掘されたものであるとしています。

「阿含宗が拝受した仏舎利は、このカニンガム発掘の際、その金剛宝座の下から
発見されたもので、アショーカ王が埋蔵したものとみられている。」

「その出処は、インドのビハール州にあるブッダガヤーの大塔(大菩提寺)に奉安
されていたもので、一八八一年、考古学者のカニンガムによって、大塔の金剛宝
座の下から発掘されたものである。」

「この大菩提寺は、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒によって、1000年近くも
荒廃の地とされたが、一八八一年イギリスのカニンガム将軍が発掘にたずさわり、
釈尊が正覚をひらかれた金剛宝座を探りあて、その下から仏舎利を発見。その後
大菩提寺は修理再建され、この仏舎利は大菩提寺に奉安された。」

桐山氏のこれらの記述によれば、アショーカ王が埋蔵した仏舎利をカニンガムが
発掘して、後に阿含宗にもたらされたようです。
釈尊が亡くなり、遺骨を8つの部族に分けたのを、後に、アショーカ王が7カ所
を掘り起こし、これを八万四千カ所に祭ったと言われています。
アショーカ王の祭った仏舎利を発掘すれば、釈尊の本物の遺骨と言ってもいいで
しょう。
発掘したカニンガムは、インド考古学に多大な業績をあげたイギリスの著名な学
者で、サーの称号をもらったほどです。
アショーカ王が埋蔵し、カニンガムが発掘したとなれば、本物の仏舎利である可
能性は高くなります。
603 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/12/24 21:44

「偽の真正仏舎利」 34.覚え書

桐山氏は著書の中でスリランカからの仏舎利の覚え書と由来書を公表しています。

「阿含宗の拝受した真正仏舎利の公式の由来書、および覚え書は、つぎの通りで
ある。
Vipassi師は、一九七一年、釈尊成道の地ブッダガヤーの大菩提寺(Mahabodhi
Temple)の住職であった。
この大菩提寺は、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒によって、一〇〇〇年近くも
荒廃の地とされたが、一八八一年イギリスのカニンガム将軍が発掘にたずさわ
り、釈尊が正覚をひらかれた金剛宝座を探りあて、その下から仏舎利を発見。そ
の後大菩提寺は修理再建され、この仏舎利は大菩提寺に奉安された。
このスリランカと因縁のふかい大菩提寺の一九四四年当時、管長をされていた
のが、スリランカの高僧であり、かつ、Vipassi師の師にあたるKeselhenawe
Pannatissa師で、師は、スリランカに帰住するにあたり、上記仏舎利の一部を
スリランカのPajamaha Vihavai(King’s Temple)へ移管し、奉安した。
その寺は、コロンボ市より南へ六〇キロメートルHorana市、Keselhenawe
の地にあり、十二世紀にセイロン王Buwenaka Bahuの建立した菩提寺で由緒
ある寺である。
一九八五年三月、Pannatissa師が死去され、現在、Vipassi師が管長である。
尚、この地の菩提樹は、紀元前三世紀、アショーカ王の娘、サンガーミソター
尼により、スリランカに運ばれ、現在もアヌラーダブラに生い繁っている。
阿含宗に贈与するための分骨式には、スリランカ大統領が立ち合われた。大統
領は式の大小で参加するのではなく、本物の真正仏舎利であるとの認識からであ
る。」

この文章は原文が公開されず、誰が書いたものかが記載されておらず、由来書し
ては不完全ですので、桐山氏に従って「覚え書」と呼ぶことにします。
次に由来書を見てみましょう。
801 名前: ヌマエビ 投稿日: 02/12/30 21:14

「偽の真正仏舎利」 35.由来書

桐山氏の本で紹介された次の文章はシンハリ語の原文も公開されており、執筆者
がはっきりしているので、これを仏舎利の「由来書」と呼ぶことにします。
この由来書は、仏舎利の由来が具体的に記載されており、署名があり、由来書と
しての体裁を整えています。
由来書の中の「中略」は桐山氏の本で省略されたものです。

「スリランカ大統領J・R・ジャヤワルダナ閣下より日本の阿含宗に対して、
わが寺院における歴史的儀式において贈られた仏舎利の由来

桐山靖雄管長殿
私の師にして高僧であるケーセールヘーナウエー・スリ・パンナティッサーパ
シオドン・ラータの僧伽大導師長は、約四十年前、インド・ビハール州にあるブ
ッダガヤー・マハー・ウィハーレ(大菩提寺)の管長でした。
彼は一八八一年、ブッダガヤーの金剛宝座の下から発掘された仏舎利四九個を、
スリランカのケーセールヘーナウエー・ラージャ・マハー・ウィハーレ(キ
ングス・テンプル)へ移管し、奉安しました。その真正仏舎利であることは、元
考古委員長セーネーラード・パラナウィタネー博士により証言されております。
−(中略)−
僧伽大導師長ケーセールヘーナウエー・パンナヤティ師は、その死に至るまで
長年の間、この仏舎利を礼拝・供養しました。その後、この仏舎利は私が保管す
ることになったものです。
この仏舎利の数個が、スリランカ大統領J・R・ジャヤワルダナ閣下に献上さ
れ、これを大統領が、京都に新築される寺院で奉安されるよう、日本の阿含宗に
寄贈されたのであります。
敬白
Ven. Vipassi (サイン)
以下、仏歯寺管長のほかスリランカの著名な高僧二人の署名、副署あり。」
    ■ここまで阿含宗という宗教29より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1038/10386/1038634305.html

156 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/01/05 21:59

「偽の真正仏舎利」 36.仏舎利の経緯と根拠

桐山氏の本での解説と由来書、覚え書をまとめるなら、仏舎利が阿含宗にもたら
された時間的な経緯は次のようになります。

釈尊の入滅後、遺骨は8カ所に祭られた。
アショーカ王が7カ所から仏舎利を掘り起こし、その内の一組を大菩提寺の金剛
宝座の下に埋めた。
1881年、カニンガムによって金剛宝座の下から仏舎利が発掘された。
カニンガムが発掘した仏舎利は大菩提寺に安置されていた。
1944年、ビパシー師の師はブッダガヤの大菩提寺の管長であった。
師はスリランカに帰る時、カニンガムが発掘した仏舎利の一部49粒をスリラン
カの自分の寺に持ち帰った。
師の死後、ピパシー師が寺の管長になり、仏舎利を引き継いだ。
ビパシー師は1971年、大菩提寺の住職であった。
ビパシー師は数個を大統領に献上し、大統領から阿含宗に寄贈された。

以上の経緯を含めて、阿含宗がこの仏舎利を本物であると主張する根拠は次のよ
うにまとめられます。

根拠1.カニンガムによって、アショーカ王が埋めたとみなされる仏舎利が金剛
宝座の下から発掘された。
根拠2.ビパシー師の師が大菩提寺からこの仏舎利を持ち帰り、ビパシー師が引
き継ぎ、大統領に献上した。
根拠3.真正仏舎利であることは元考古学委員長が保証している。
根拠4.大統領が分骨式に立ち会い、また官邸で授与したのは、仏舎利が本物だ
からだ。

これらの根拠が正しいかどうか、一つ一つ検討してみましょう。
326 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/01/14 21:21

「偽の真正仏舎利」 37.大統領のメッセージ

阿含宗では、仏舎利を当時のスリランカ大統領自らが手渡し、国としての保証を
付けたことが真正仏舎利の証拠であると多くの信者に信じられています。
阿含宗のパンフレットと桐山氏の本には、仏舎利には、
「スリランカ国の公文書による由来書が付いています。」
「スリランカ国の公文書の証明書附き。」
とあり、桐山氏の後の本では、
「スリランカ政府発行の英語とシンハラ語による真正仏舎利証明書が読みあげら
れ、手渡された。」
として、スリランカ政府が本物であることを保証したと述べています。

すでに紹介した覚え書、由来書はスリランカ政府が発行したものではありません。
覚え書は原文も公開されておらず、作者不明ですから、公文書たり得ません。
由来書にサインをしたビパシー師と他の僧侶は公務員ではありませんから、由来
書はスリランカ政府の公文書ではありません。
ビパシー師の書いた由来書は公式の由来書ではあるが、国の公文書とは違います。



327 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/01/14 21:22
<続き>

桐山氏がスリランカ政府の公文書があると思い込んでいるのは、授与式で読み上
げられたことの他に、当時のスリランカ大統領からのメッセージがあるからです。
桐山氏の本では、「スリランカ大統領ジャヤワルダナ閣下立ち合いのもとに阿含宗
に対して贈られた真正仏舎利の由来書」と題して原本が掲載されています。

「私は、私が阿含宗へ寄贈した仏舎利と釈尊像が、日本とスリランカの仏教徒の
間の関係を強化し、両者間に既存の伝統的な紐帯を大いに濃化するであろうこと
を信じます。この慈悲の仏の舎利と像が、阿含宗が京都に建立する寺院に安置さ
れるこの歴史的祭典に際し、日本とスリランカならびに、世界中のすべての国々
の国民の間に平和と和合がありますように。生きとし生けるものに幸いあれかし。
1985年12月11日 スリランカ大統領 J.Rジャヤワルダナ」(和訳は阿含宗機関
紙による。)
700 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/01/21 20:44

「偽の真正仏舎利」 38.大統領は真正仏舎利とは言っていない

大統領のメッセージは大統領専用と思われる紙に書かれ、サインも入っています
から、本人の文章とみなしていいでしょう。
しかし、内容は仏舎利が大統領から阿含宗に寄贈されたという経過を示す書類で
あり、真正仏舎利の由来書ではありません。
大統領は寄贈する仏舎利が真正仏舎利であるとは一言も述べていないからです。
仏陀の慈悲において世界が平和であれという大統領のメッセージであって、仏舎
利が本物であるという保証書ではありません。
また、大統領は政治家であって、学者ではなく、仏舎利が本物であるかどうかな
ど保証する資格はないのですから、当然です。

大統領のメッセージでは仏舎利と釈尊像が同等に取り扱われています。
大統領は同等のものとして寄贈したのに、現在の阿含宗では仏舎利ばかり強調さ
れ、釈尊像については存在すら知らない信者がほとんどです。
メッセージは、仏舎利が本物であると保証するのが目的ではなく、仏舎利と仏像
が日本とスリランカの結びつきを強めるためのものであると述べています。
「幸いあれかし」に祈りを込めた文章を、真正仏舎利の保証書であるかのように
宣伝するのは、曲解というよりも悪用です。

桐山氏の本には大統領のメッセージの原文が一度載っただけで、和訳すら記載さ
れませんでした。
スリランカ政府からの公文書というのなら、大統領のメッセージこそそれに相当
しますから、本来ならたびたび取り上げるべきです。
しかし、桐山氏の本の本文にすら取り上げられないのは、公文書である大統領の
メッセージは真正仏舎利であることを保証していないからです。
桐山氏は、ビパシー師が個人的に作ったにすぎない由来書と大統領のメッセージ
をいっしょにして、「スリランカ国の公文書」「スリランカ国の公文書の証明書」
など公的な保証があるかのようにごまかしているにすぎません。
    ■ここまで阿含宗という宗教30より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1041/10414/1041493766.html

313 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/01/29 22:03
「偽の真正仏舎利」39.大統領の権威は仏舎利の保証にはならない

大統領のメッセージには真正仏舎利であるとは述べていないことは確認されまし
たが、阿含宗の主張はこれだけではありません。
桐山氏の本には、覚え書と関係者の話として次のように載っています。

「阿含宗に贈与するための分骨式には、スリランカ大統領が立ち合われた。大統
領は式の大小で参加するのではなく、本物の真正仏舎利であるとの認識からであ
る。」
「大統領みずから、大統領官邸において授与されるということ自体が、真正仏舎
利の証明なのですよ。真正仏舎利以外、こういうことは絶対にあり得ません。」

大統領が分骨式と授与式に立ち会ったことが真正仏舎利の証拠であるという主張
です。
覚え書きを書いた人が誰なのか、どのような立場なのかもわからず、大統領の意
図を一方的に推測しているにすぎません。
大統領の意図はメッセージ以外には示されておらず、真正仏舎利であるとは一言
もありません。
桐山氏は、権威に弱い日本人に、大統領という権威と真正仏舎利の証明とをたく
みにすり替えてみせているのです。

阿含宗では、大統領という権力者から手渡されたことを大きな誇りとしており、
大統領が渡したのだから本物なのだろうという思いこみがあるようです。
権力があることと仏舎利が本物であることには脈絡がありません。
大統領のような最高権力者が仏舎利を授与するなど、特別なことだろうと信者た
つは勝手に思い込んでいるだけです。
大統領が仏舎利を授与したのは阿含宗が初めてではありません。
397 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/02/02 21:33

「偽の真正仏舎利」 40.大統領は他にも仏舎利を授与している

大統領が授与式に立ち会ったことは真正仏舎利の証拠にはなりません。
なぜなら、ジャヤワルダナ大統領が仏舎利を授与するのは、阿含宗が最初ではな
かったからです。

山梨県甲府市の青松院は1983年、ジャヤワルダナ大統領とプレマサダ首相から
仏舎利を拝受しています。
香川県小豆郡の子安観音寺は1983年、スリランカの仏歯寺に祀られている仏歯
と菩提樹の若木を、ジャヤワルダナ大統領、ブッタラキタ仏歯寺管長、ニャナラ
タナ菩提寺管長から拝受しています。
これら2つの寺院は阿含宗よりも3年も前にジャヤワルダナ大統領から仏舎利を
拝受しましたが、真正仏舎利であるとは宣伝していません。

オウム真理教は1991年にスリランカから仏舎利をもらっています。
教団によれば、スリランカより公式に招待され、ビジェトゥンガ首相(後大統領)
から仏舎利を拝受して、また、次の年、阿含宗と同じように黄金のカスケットを
首相からもらっています。

このように、スリランカの大統領や首相などの為政者が仏舎利を授与すること
は珍しい事ではなく、阿含宗だけが特別なケースではありません。
スリランカでは政治家と僧侶は深い関わりを持っています。
ジャヤワルダナ大統領は、戦後、真っ先に日本への賠償請求を放棄し、また死後
は片目の角膜を日本人に提供するなど、親日的な政治家でした。
仏教を通して両国の絆が深まるように、大統領や政府関係者は努力したとみるべ
きで、為政者の関与は真正仏舎利であることを保証するものではありません。

以上のように、大統領のメッセージには真正仏舎利であると述べておらず、大統
領が授与することは真正仏舎利を保証したものではないことから、阿含宗の真正
仏舎利の根拠の一つは否定されました。
    ■ここまで阿含宗という宗教31より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1043/10433/1043333814.html

8 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/02/10 21:50

「偽の真正仏舎利」 41.元考古学委員長の保証

阿含宗の仏舎利が本物であることの証拠としての「根拠3.真正仏舎利であるこ
とは元考古学委員長が保証している」について検証します。
由来書にある次の一文がそれに相当します。

「その真正仏舎利であることは、元考古委員長セーネーラード・パラナウィタネ
ー博士により証言されております。−(中略)−」

考古学者による保証とはこのたった一文であり、証言に相当すると思われる部分
は桐山氏の本では「−(中略)−」となっています。
仏舎利が本物であることを証明する由来書の、さらに考古学者の証言なのですか
ら、省略していい内容ではありません。
桐山氏は考古学的な保証が仏舎利が本物であることの条件としておきながら、そ
の肝心な部分を省略してしまっています。
「中略」とされている部分は阿含宗の機関紙によれば次のようになっています。

「セネラド・パラナウィタネ博士はこの仏舎利が2170年以上前にスリランカで
ドトゥゲムヌ王が建てたルワンウェリサヤ・パゴダに安置されている仏舎利と同
類のものであると確認しています。」

ドトゥゲムヌ(ドゥッタガーマニー)とは在位が紀元前161-137年で、タミル勢力
を駆逐した王です。
仏教を篤く保護した王が作ったとされる仏塔の一つがルワンウェリ・サーヤの大
塔で、今日も巡礼や観光の人々が訪れています。
シンハリ語の由来書の原文には「2170年以上前に」という記述はありませんから、
和訳する時に阿含宗が勝手に付け加えたものです。
付け加えた点を除いたとしても、これが考古学者による真正仏舎利の証言である
とするのはいくつかの点で奇妙です。
393 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/02/19 21:36

「偽の真正仏舎利」 42.真正仏舎利だとは証言していない

由来書にある考古学者の証言の部分を、桐山氏の本と機関紙に掲載された文章を
つなぎあわせると次のようになります。

「その真正仏舎利であることは、元考古委員長セーネーラード・パラナウィタネ
ー博士により証言されております。」「セネラド・パラナウィタネ博士はこの仏舎
利が2170年以上前にスリランカでドトゥゲムヌ王が建てたルワンウェリサヤ・パ
ゴダに安置されている仏舎利と同類のものであると確認しています。」

一方、この部分を由来書の原文から直訳すると次のようになります。

「著名な考古学者であるセナラト・パラナヴィターナ教授により、私の所有して
いた遺物は調査されたが、後にこの聖なる遺物がドゥトゥゲムヌ王により建設さ
れたスリランカのアヌラダプラのルワンウェリ・サーヤ・マハ・ストゥーパに安
置されていた遺物と同一のものであると発表された。」

「2170年以上前に」という数字が原文にはないことや、訳の細かい違いは無視し
ても、一つ重大な違いがあります。
原文には、桐山氏の本で訳されている「その真正仏舎利であることは」に相当す
る文章は存在しない点です。
原文では、考古学者は、スリランカで安置されている仏舎利と同類のものである
と述べたとあるだけで、真正仏舎利であると証言したなどとは書いてありません。
真正仏舎利であると証言したか否かは、由来書にとってはとても重要な点です。
原文には存在しない真正仏舎利という単語を和訳に入れたのは、意訳や誤訳というよりも、捏造というべきでしょう。
613 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/02/23 21:06

「偽の真正仏舎利」 43.スリランカ発掘の仏舎利との比較は無意味

由来書によれば、考古学者は、阿含宗がもらった仏舎利が、スリランカにある仏
塔から発見された仏舎利と同類のものだと述べたとされています。
一方、仏舎利の覚え書と桐山氏の本によれば、阿含宗の仏舎利はアショーカ王が
埋めたものです。
アショーカ王が埋めた仏舎利と比較して同類のものであると確認するべきなのに、
考古学者が比較したのは、スリランカのストゥーパにあった仏舎利です。
仮にそのスリランカの仏舎利が2170年以上前のものであったとしても、本物の
仏舎利である根拠にはなりません。
スリランカから発掘され、本物だと考古学的な保証を与えられた仏舎利は一つも
ないからです。
本物であるかどうかわからない仏舎利と比較して、同類であると確認されたこと
が、真正仏舎利の根拠にはなりません。

「同類のもの」などとはおおよそ考古学者らしからぬ曖昧な表現です。
ルワンウェリサヤ・パゴダにあった骨が、仮に釈尊の遺骨であったとしても、焼
かれた古代の骨が同一人物の骨であることをどうやって確認したのでしょう。
放射性同位元素を用いたような年代測定をしていれば数字が出ていいはずですが、
「2170年以上前」は阿含宗が付け加えたものであって、原文にはありません。
「同類のもの」といった表現を考古学者がしたとすれば、目で見て、似たような
古代の骨であると述べただけでしょう。
いずれにしろ、考古学者が証言したという内容は、スリランカにある仏舎利と同
類であると述べているだけで、真正仏舎利だとは言っていません。
886 名前: ヌマエビ 投稿日: 03/03/02 21:26

「偽の真正仏舎利」 44.考古学者のサインがない

スリランカの考古学者が証言したと述べているのは、由来書を書いたビパシー師
です。
考古学者が真正仏舎利であると保証するのなら、鑑定書や研究報告書を添付する
べきでしょう。
しかし、由来書には考古学者のサインすらありません。
本物の仏舎利であることを証明するためには、他の二人の僧侶のサインよりも考
古学者のサインこそが重要です。
ピパシー師が聞いたという程度では、聞き間違いや、誤解の可能性もありますか
ら、証言とはいえず、ましてや真正仏舎利の証明にはなりません。
考古学者が、いつどこでどんな席上で証言や発表したかすら書かれていません。
このような曖昧な書き方をしている点を見ると、本当に由来書にあるとおりのこ
とを考古学者が証言したのかどうか疑われます。

以上の点をまとめると、由来書では、
・考古学者は真正仏舎利であるとは述べておらず保証をしていない。
・考古学者はスリランカの仏舎利との比較を述べているにすぎない。
・考古学者のサインも証書もなく、本人が証言したかどうか疑わしい。
このように、阿含宗の仏舎利が本物であることの証拠としての「根拠3.真正仏
舎利であることは元考古学委員長が保証している」は否定されました。
    ■ここまで阿含宗という宗教32より転載
    http://life.2ch.net/psy/kako/1044/10448/1044868294.html

190ヌマエビ :03/03/09 20:50

「偽の真正仏舎利」 45.阿含宗が捏造した仏舎利の由来

阿含宗が真正仏舎利の証拠としている「根拠2.ビパシー師の師が大菩提寺から
この仏舎利を持ち帰り、ビパシー師が引き継ぎ、大統領に献上した。」という内容
について検討します。
後半のビパシー師が引き継ぎ、大統領に献上した点は、本人の弁であり、大統領
が授与したことから、このまま受け入れていいでしょう。

根拠2で重要なのは、ビパシー師の師がブッダガヤの金剛宝座の下から発掘され
た仏舎利をスリランカに持ち帰った経緯です。
桐山氏の本の由来書の和訳から、この部分をもう一度見てみましょう。
「彼は一八八一年、ブッダガヤーの金剛宝座の下から発掘された仏舎利四九個を、
スリランカの・・(中略)・・へ移管し、奉安しました。」

これに相当する部分をシンハリ語で書かれた由来書の原文から直訳すると次のよ
うになっています。

「ある日、菩提樹に近い金剛宝座付近で日々行われていた瞑想の会の中で、ある
目に見えぬ存在から彼はその聖なる仏陀の遺物の入った箱を授かった。彼は仏陀
の遺物を安全に、かつ慎重にインドからスリランカに持ち帰り・・・(中略)・・・
に最高の崇敬をもって納めた。」


191ヌマエビ :03/03/09 20:50
<つづき>

阿含宗訳と原文の直訳では、とても同じ文章を訳したとは思えないくらいの違い
があり、誤訳の範囲をはるかに超えています。
阿含宗訳では、カニンガムが発掘した仏舎利49個を持ち帰ったとあります。
しかし、原文にはそのような記述は一切ありません。
「一八八一年」「四九個」などの数字は由来書の原文には存在しません。
つまり、由来書として最も重要な点である、「彼は一八八一年、ブッダガヤーの金
剛宝座の下から発掘された仏舎利四九個を、」の一文は、原文には存在せず、和訳
する時に故意に捏造され、付け加えられたものにすぎないのです。
阿含宗は、カニンガムが発掘した仏舎利である点を真正仏舎利であることの考古
学的な拠り所としています。
しかし、肝心な由来書には、カニンガムが発掘した仏舎利であるなどとは一言も
書いてありません。
阿含宗による完全な捏造です。

524ヌマエビ :03/03/16 21:49

「偽の真正仏舎利」 46.お土産仏舎利

由来書の原文によれば、ビパシー師の師匠が仏舎利を入手した経緯は次のようで
あったと述べています。
「ある目に見えぬ存在から彼はその聖なる仏陀の遺物の入った箱を授かった。」
ブッダガヤの大菩提寺の菩提樹の近くで瞑想会に参加している時、精霊のような
存在から仏舎利の入った箱を授かったと述べているのです。
これが事実かどうかは本人の宗教体験なので追求のしようもありません。
いずれにしろ、阿含宗が主張しているような、1881年にカニンガムが発掘した仏
舎利を手にいれたとは一言も由来書には書かれていません。
由来書に、目に見えぬ存在から手に入れたとあるのですから、ブッダガヤで手に
いれたという以外は、由来のわからない仏舎利であることになります。
このような仏舎利を真正仏舎利とは常識的にも言いません。

桐山氏は、ブッダガヤに限らず、インドの聖地には物売りがたくさんいて、不愉
快であったと仏跡を巡礼した時の印象を書いています。
売られている物の中には「仏陀の遺物」もあります。
ビパシー師の師匠も、帰国の際、ブッダガヤの記念として仏陀の遺物を購入して
スリランカに持ち帰ったのでしょう。
彼にとっては、遺物が本物であるかどうかではなく、想い出とともにブッダガヤ
で手に入れたことが重要だったのです。
簡単に言ってしまえば、この仏舎利は「お土産仏舎利」です。


525ヌマエビ :03/03/16 21:50
<つづき>

仏跡を巡礼する人たちは、金剛宝座のそばにある菩提樹の葉や、敷地の石や砂を
持ち帰って思い出や礼拝の対象とすることは珍しくありません。
宗教家である彼は、物売りから買ったとは言わずに、霊的な存在からの思し召し
で手にいれたと、弟子のビパシー師に話したのでしょう。
このような信仰上の仏舎利は世間にいくらでもあり、法身舎利といいます。
弟子にこの程度の話をしても、嘘をついたとはいえません。
なぜなら、彼はこれがカニンガムの仏舎利であるとか、本物の釈尊の遺骨である
などとは一言も述べていないからです。
自分が礼拝する対象としていただけで、他人に売り渡すこともしていません。
死後、本物の仏舎利として巨額で売り渡されるとは想像もしなかったのでしょう。
阿含宗は真正仏舎利と自称しているが、由来書の原文には本物であるとは一言も
なく、お土産仏舎利にすぎないことがはっきりと書かれているのです。
阿含宗の由来書の訳のごまかしはこれだけに留まりません。
    ■ここまで阿含宗という宗教33より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon33.htm

82ヌマエビ :03/03/24 21:07

「偽の真正仏舎利」 47.存在しない大菩提寺の管長

由来書と覚え書には、仏舎利を持ち帰ったビパシー師の師は、
「約四十年前、インド・ビハール州にあるブッダガヤー・マハー・ウィハーレ(大
菩提寺)の管長でした。」
「大菩提寺の一九四四年当時、管長をされていた。」
とあります。
これは歴史的に見てありえません。

ブッダガヤの大菩提寺とは釈尊が悟りを開いた場所ですから、仏教徒にとっては
聖地の中の聖地です。
しかし、仏教徒がこの聖地の管理に加わるようになったのは近年なのです。
インドで仏跡が発掘され整備されたのは1800年代からであり、ブッダガヤの復
興に多大な貢献をしたのがスリランカ人のダルマパーラ(1864〜1933)です。
ダルマパーラは大菩提寺を所有者のマハンタに売ってくれるように交渉しました。
しかし、当時の政治情勢や、マハンタが大きな権力を持つ地主で、ヒンドゥー教
徒だったこともあり、実現しませんでした。
この件は裁判や暴力事件にまで発展しながらも、ダルマパーラの生存中、大菩提
寺が仏教徒の管理になることはありませんでした。

インドの独立後の1949年、ようやくTHE BODHGAYA TEMPLE ACT 1949と呼ばれる
規約が取り交わされ、1953年、複数の委員で管理する委員会が発足しました。
以後、今日に至るまで、地主のマハンタを含めた委員会が大菩提寺を管理運営し
てきたのです。
委員は仏教徒とヒンドゥー教徒の各4人から構成されているため、今日でも、管
理運営を巡って両者の意見対立が絶えません。
つまり、今日でもブッダガヤの大菩提寺は完全には仏教徒の管理にはなっていな
いのです。
このブッダガヤの歴史を見ればわかるように、THE BODHGAYA TEMPLE ACT 1949が
出来る前の1944年に大菩提寺に仏教徒の管長などいるはずもありません。

685ヌマエビ :03/03/31 21:12
「偽の真正仏舎利」 48.スリランカ人は委員にはなれない

ビパシー師の師がブッダガヤの大菩提寺の管長をしていたという1944年は、ま
だ仏教徒が大菩提寺の管理に関与できないでいた時期です。
管長とは大菩提寺のトップであるはずです。
大菩提寺を管理するのは委員会であり、「大菩提寺の管長」など過去から現在まで
存在しません。

ビパシー師の師が委員会の委員長や委員であった可能性もありません。
なぜなら、委員会の委員は規則で全員がインド人だからです。
スリランカ人が委員長や委員になったということはありえません。
つまり、由来書にあるような「大菩提寺の管長」など今も存在せず、まして1944
年頃に、スリランカ人の大菩提寺の管長などいたはずがないのです。

ビパシー師の師が経歴を偽ったのではありません。
由来書の原文からの直訳では次のようにあります。
「・・はインドのビハール州にあるブッダガヤ寺院に住んでいた。彼はそこでも
最高位僧正であった。」
一方、桐山氏の本にある和訳の由来書では、
「インド・ビハール州にあるブッダガヤー・マハー・ウィハーレ(大菩提寺)の管
長でした。」
となっており、両者は内容が違います。
「そこでも最高位僧侶であった」というのですから、ブッダガヤにいたスリラン
カ人の僧侶の中では一番位の高い僧侶であったと述べているだけで、大菩提寺の
管長であったとは書かれていません。
一方、阿含宗訳では、大菩提寺を管轄する管長であったと述べています。


686ヌマエビ :03/03/31 21:13
(続き)
桐山氏は本の中で、
「こういう因縁により、大菩提寺の管長、主管者には、スリランカの高僧のえら
ばれることが多いのである。」
として、ビパシー師の師が大菩提寺の管長であったことを強調しています。
もちろん、桐山氏の記述は事実ではなく、大菩提寺には管長もいなければ、委員
にスリランカ人が選ばれることもありません。
桐山氏は、ビパシー師の師が大菩提寺の管長であったとして、あたかも大菩提寺
の仏舎利を自由にできたかのような印象を与えたかったのでしょう。
    ■ここまで阿含宗という宗教34より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon34.htm


60ヌマエビ :03/04/06 21:28
「偽の真正仏舎利」49.ありえない大菩提寺の住職

ビパシー師の師が大菩提寺の管長であったはずがないことはわかりました。
同様におかしいのは、覚え書にあるビパシー師についての記述です。
「Vipassi師は、一九七一年、釈尊成道の地ブッダガヤーの大菩提寺(Mahabodhi
Temple)の住職であった。」

普通、住職とは寺を実質的に運営するトップの僧侶のことです。
しかし、すでに述べたように、大菩提寺は委員会が運営するものであって、日本
の寺のように住職が運営するものではありません。
大菩提寺の住職というのなら、それに相当する職は委員長か委員ということにな
ります。
しかし、1971年当時の委員にはビパシーという名前は見あたりません。
あるはずもありません。
なぜなら、すでに述べたように委員はすべてインド人と決められているからです。
スリランカ人のビパシー師が大菩提寺の住職を名乗るほどの地位にいられたはず
はないのです。

由来書のビパシー師の肩書きを直訳すれば、
「最高位大僧正、ブッダガヤ、ウィハラヤ[1971]」
とあります。
これだけでは、彼の師と同様に、ビパシー師が1971年のブッダガヤにいたスリ
ランカ人僧侶としては最高位であったと述べているにすぎません。
桐山氏はビパシー師が大菩提寺の住職であり、その師は管長だったという嘘の権
威を使い、仏舎利が本物であるかのように印象付けたつもりだったのでしょう。

718ヌマエビ :03/04/13 21:01
「偽の真正仏舎利」 50.大菩提寺と大菩提会は別組織

ビパシー師と彼の師は、ブッダガヤで何をしていたのでしょうか。
おそらく二人はブッダガヤの大菩提寺に所属していたのではなく、大菩提会に所
属していたのでしょう。
由来書の肩書きでは、ビパシー師はブッダガヤの大菩提会の事務次長を1970〜
1974年に務めていたことになっています。

大菩提寺と大菩提会で名前は似ていますが、まったく別な組織です。
大菩提寺はすでに述べたように、釈尊が悟りを開いた場所に建つ大塔です。
これ対して大菩提会とは、ブッダガヤの復興運動に一生を捧げたスリランカのダ
ルマパーラが作った組織です。
両者は関わっていますが、別組織で、大菩提寺は大菩提会が運営するものではあ
りません。
ブッダガヤにはスリランカの大菩提会だけでなく、チベット、ミャンマー、中国、
日本などの仏教国の寺があります。
これらの寺の管長や住職であるからといって、大菩提寺の管長や住職にはなれま
せん。
二人は大菩提会に所属して、しかるべき地位にいたのでしょう。
しかし、だからといって、大菩提寺の管長や住職であるはずがありません。

以上の検討から、「根拠2.ビパシー師の師が大菩提寺からこの仏舎利を持ち帰り、
ビパシー師が引き継ぎ、大統領に献上した。」は、由来書にはビパシー師の師が持
ち帰った仏舎利はカニンガムの発掘した仏舎利であるとは書かれておらず、ブッ
ダガヤで手に入れたこと以外は由来不明であると書かれていることから、真正仏
舎利の根拠とはなりえないことが証明されました。
    ■ここまで阿含宗という宗教35より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon35.html


152ヌマエビ :03/04/20 21:42
「偽の真正仏舎利」 51.カニンガムの仏舎利はどこに

阿含宗が真正仏舎利の証拠とした「根拠1.カニンガムによって、アショーカ王
が埋めたとみなされる仏舎利が金剛宝座の下から発掘された。」を検討します。

桐山氏によれば、ビパシー師の師が帰国するとき、カニンガムによって発掘され
た仏舎利の一部49粒を大菩提寺から持ち帰ったことになっています。
すでに述べたように、由来書の原文にはこのような記述はありませんから、この
話は桐山氏の捏造にすぎません。
どこの寺であれ、管長が代わるたびに仏舎利を49粒も分骨していたら、仏舎利
がいくらあっても足りず、寺側が同意するとは思えません。
分骨していないとすれば、仏舎利は大菩提寺に残ったはずです。

今日の大菩提寺には釈尊の仏像は祭られていますが、これがカニンガムの仏舎利
であるというような仏舎利は祭られていません。
日本人は大事なものは目に触れないようにする習慣があるため、仏舎利や金剛宝
座など、簡単には見られないと思い込んでしまうようです。

桐山氏は著書の中で、ブッダガヤを参拝した時、自分たちだけが特別に金剛宝座
のある玉垣の中に入れてもらい、勤行とした宣伝しています。
金剛宝座は仏教徒でない一般観光客でも誰でも参拝し、玉垣の中に入り、手で触
れることも、前で勤行することもできます。
金剛宝座の前での勤行や瞑想など、日本から行ったたいていの僧侶や巡礼者たち
が行うことです。

インド人は本尊だからといって奥に隠してしまうことはしません。
インドの仏教聖地で仏舎利を祭る寺では積極的に仏舎利を宣伝し、金払いのよい
日本人には直接拝ませようとします。
このように、インドでは日本人から喜捨を募るためにもオープンなのです。
大菩提寺にカニンガムの仏舎利がないのなら、どこにあるのでしょうか。

6  79ヌマエビ :03/04/27 21:10

「偽の真正仏舎利」 52.カニンガムは仏舎利など発掘していない

ビパシー師の師が持ち帰った仏舎利が、カニンガムの発掘した仏舎利であるとは
由来書に書いていないのですから、根拠1は検討してみるまでもありません。
しかし、覚え書にはあると桐山氏は主張していますから、検討してみましょう。

1881年、イギリスの考古学者・カニンガムはブッダガヤで大菩提寺の発掘調査を
行い、記録を次の本に残しました。
Mahabodhi or the great Buddhist temple under the bodhi tree at Buddha-Gaya
(V.H. Allen & Co., London, 1892)
百年以上も前に発行された大判の本には、発掘の調査結果が詳しく載っています。
彼は金剛宝座の前から壊れた壺を発見しています。
桐山氏が述べたように、カニンガムは古い壺を発見していました。
壺は壊れており、中には金、銀、サファイア、ルビー、サンゴ、水晶、真珠など
数百点に及ぶ金銀宝石がありました。
カニンガムはこれらの種類、個数を書き、またその写真も載せています。

しかし、仏舎利など骨が入っていたという記述はありません。
仏舎利は考古学的にも貴重な発見ですから、金銀宝石よりも、まずこれを大々的
に記載するのが当然なのに、どこにもありません。
カニンガムが金剛宝座のそばから発見した壺には仏舎利など入っていなかったの
です。
発見者自らが記述していないのですから、カニンガムがブッダガヤから発掘した
仏舎利など最初から存在しないのです。

「その出処は、インドのビハール州にあるブッダガヤーの大塔(大菩提寺)に奉安
されていたもので、一八八一年、考古学者のカニンガムによって、大塔の金剛宝
座の下から発掘されたものである。」
という桐山氏の記述自体が完全な嘘です。
    ■ここまで阿含宗という宗教36より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon36.html


243ヌマエビ :03/05/04 21:42
「偽の真正仏舎利」 53.アショーカ王が埋めた壺ではない

桐山氏は著書の中で次のように書いています。
「阿含宗が拝受した仏舎利は、このカニンガム発掘の際、その金剛宝座の下から
発見されたもので、アショーカ王が埋蔵したものとみられている。」
「かれは、ボードガヤーに精舎を建て、その中に金剛宝座を奉安し、宝座の下に
仏舎利を埋蔵したのであろう。」

桐山氏のこの記述にはいくつか嘘が入っています。
一つはすでに述べたように、カニンガムは仏舎利など発見していない点です。
もう一つは壺を「アショーカ王が埋蔵したものとみられている」という記述です。
あたかもカニンガムが考古学的にこのように推察したかのような記述です。
しかし、カニンガムの本にはアショーカ王が埋めた壺であるという記述はありま
せん。
カニンガムは壺の中から発見されたコインの年代から、この壺が埋められたのは
紀元後2〜3世紀であり、古くても紀元後120年よりも後であると述べています。
アショーカ王は在位が紀元前268〜232年と言われていますから、壺が埋められ
たのは、彼の時代よりも少なくとも350年も後のことです。
つまり、アショーカ王よるもはるか後世の誰かがこの壺を埋めたのであり、アシ
ョーカ王はこの壺とは関係がありません。
カニンガムははっきりと壺の年代まで指定しているのに、桐山氏は、アショーカ
王が埋めたと考古学者が保証したかのような錯覚を与えています。

665ヌマエビ :03/05/12 21:35
「偽の真正仏舎利」 54.壺は金剛宝座の下から発見されたのではない

桐山氏の下記の文章にはもう一つ微妙な嘘が加えられています。
「阿含宗が拝受した仏舎利は、このカニンガム発掘の際、その金剛宝座の下から
発見されたもので、アショーカ王が埋蔵したものとみられている。」

嘘とは「金剛宝座の下から」という表現です。
カニンガムは著書で、壺は金剛宝座の前から見つかったと書いています。
壺は、桐山氏の言うような金剛宝座の下ではなく、その前から発掘されたのです。
壺の位置が金剛宝座の前なのか下なのかはとても重要です。
下ならば金剛宝座を設置した人が埋めたことになり、より古く、また本物らしく
なります。
桐山氏はそれを狙ったのでしょう。

しかし、前にあったということは、壺を埋めたのは金剛宝座を設置した人ではな
く、後世の人である可能性が高くなります。
カニンガムの年代推定からしても、壺は金剛宝座を設置した人が埋めたものでは
なく、後世の人が金剛宝座を仏陀とみなして金銀宝石を捧げたものでしょう。

桐山氏は、壺が下に埋められていたと書くことで、金剛宝座を設置したのがアシ
ョーカ王だから、仏舎利も彼が埋めたかのように見せかけたのです。
このように、桐山氏は姑息な手法を用いて仏舎利を本物であるかのように見せか
けています。
    ■ここまで阿含宗という宗教37より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon37.html


169ヌマエビ :03/05/18 21:19
「偽の真正仏舎利」 55.学者も述べていないアショーカ王の壺

桐山氏は次のような学者の説を引用しています。
「カニンガムは、二つの宝座が、元来ここに置かれていたものではなく、やや西
よりの、アショーカ王建立とされている精舎の中にあったものが移されたとして
いる。(この項、中村元他編著「ブッダの世界」学習研究社による)」

発見された金剛宝座が仮にアショーカ王が作った物であっても、現在の位置に動
かしたのは後の人たちだということになります。
移動した金剛宝座の周囲から壺が発見されたとしても、アショーカ王が埋蔵した
ことにはなりません。
学者の指摘は、発見された壺はアショーカ王とは関係がないことを示しています。

引用された本で、学者たちはカニンガムが発掘した壺に言及さえしていません。
アショーカ王が埋めた壺なら言及しないはずはなく、ましてや仏舎利が発見され
ていれば、真っ先に取り上げるはずですが、一言もありません。
壺の中には金銀宝石があっただけで、年代特定には役だっても、それ以上の学問
的な価値がなかったのです。
壺の金銀宝石も、強大な権力と富を持ったアショーカ王が埋めたにしては貧弱で、
国王クラスの人物が埋めたものとは考えられません。
学者のこの反応を見てもわかるように、壺はアショーカ王が埋めたものではなく、
またその中から仏舎利など発見されていません。

桐山氏は学者の本を読んだのですから、学者が仏舎利はおろか、壺のことを一言
も述べていないことを知っていたはずです。
学者のこの態度に、素人でも、仏舎利の由来に疑いを持っていいはずです。
しかし、桐山氏は学者の説を引用した後、あたかも学者が認めたかのごとく、ア
ショーカ王が埋めた壺から仏舎利が発見されたと書いています。

503ヌマエビ :03/05/25 21:46
「偽の真正仏舎利」 56.カニンガムが発掘していないのは致命的

阿含宗が真正仏舎利であるとする「根拠1.カニンガムによって、アショーカ王
が埋めたとみなされる仏舎利が金剛宝座の下から発掘された。」は、カニンガムが
発掘した壺には仏舎利など入っておらず、壺もアショーカ王が埋めたものではな
いことから、否定されました。

この根拠が否定されたことは、阿含宗の仏舎利にとっては致命的です。
釈尊の死後、8つに分けて祭ったと言われる仏舎利塔のいくつかを、アショーカ
王は開けて再分骨したのですから、この仏舎利を発見すれば、本物であると言っ
てもいいでしょう。
しかし、壺はアショーカ王が埋蔵したものではなく、何よりも、壺には仏舎利そ
のものが入っていなかったのです。

ビパシー師の師がどのような経緯で受け取ろうと、考古学者や大統領が本物であ
ると保証していなくても、これら一つ一つは致命的ではありません。
本物だという保証がないだけで、逃げ道は残ります。
カニンガムが発掘した壺がアショーカ王の埋めた物であり、中に仏舎利が入って
いて手に入れたのなら、受け取った経緯の言い訳の作りようもあるでしょう。
しかし、最初から存在しない仏舎利では、大菩提寺管長や考古学者や大統領を総
動員しても話の作りようがありません。
本物か偽物かではなく、阿含宗の真正仏舎利とはあるはずのない仏舎利なのです。

790ヌマエビ :03/06/01 21:31
「偽の真正仏舎利」57.阿含宗の仏舎利は真正偽物

阿含宗が1986年にスリランカからもたらされた仏舎利が真正仏舎利であるとす
る4つの根拠はいずれも否定されました。
再度、根拠と実際とを簡単にまとめてみましょう。

「根拠1.カニンガムによって、アショーカ王が埋めたとみなされる仏舎利が金剛
宝座の下から発掘された。」
カニンガムは発掘した壺に仏舎利が入っていたとは報告していない。
カニンガムがブッダガヤの大菩提寺の金剛宝座の下から発掘した仏舎利など、
元々存在せず、桐山氏による捏造である。

「根拠2.ビパシー師の師が大菩提寺からこの仏舎利を持ち帰り、ビパシー師が引
き継ぎ、大統領に献上した。」
由来書の原文には、ビパシー師の師は「目に見えぬ存在」から仏陀の遺物をもら
ったと書いてあるから、阿含宗の仏舎利は由来不明であることを由来書が証明し
ている。
カニンガムの発掘した仏舎利であるとか、大菩提寺に祭られていた仏舎利である
とは由来書にはなく、これらは桐山氏が和訳の際に書き加えた捏造である。

「根拠3.真正仏舎利であることは元考古学委員長が保証している。」
由来書で元考古学委員長は仏舎利が本物であるとは述べていない。
元考古学委員長による保証書やサインがないので保証の根拠がない。

「根拠4.大統領が分骨式に立ち会い、また官邸で授与したのは、仏舎利が本物だ
からだ。」
大統領のメッセージには仏舎利が本物であるとは書いていない。
大統領は仏舎利が本物であることを保証する意図はなく、両国の関係強化などを
望んでの仏舎利と仏像の授与であるという主旨がメッセージに書いてある。

以上ように、阿含宗が示している4つの根拠はいずれも否定されました。
阿含宗の仏舎利は真正仏舎利としては正真正銘の偽物です。
    ■ここまで阿含宗という宗教38より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon38.html


320ヌマエビ :03/06/08 21:51
「偽の真正仏舎利」58.本物であるかのように見せる桐山氏の文才

真正仏舎利が偽物だとわかって、改めて桐山氏の本を読むと、本物であるかのよ
うに見せかけるための巧みなごまかしが随所に見られます。

その一つが、日本で初めての真正仏舎利と言われる覚王山日泰寺の仏舎利です。
日泰寺の仏舎利を真正仏舎利の第一の渡来、阿含宗の仏舎利を第二の渡来と位置
付け、日泰寺の仏舎利と同等であるような錯覚を与えています。
日泰寺の仏舎利の由来を長々と引用して、権威を利用しています。
しかし、二つの仏舎利の間には関連はなく、日泰寺の仏舎利が本物であるからと
いって、阿含宗の仏舎利が本物であることの証明にはなりません。

最も利用されたのはカニンガムでしょう。
カニンガムはブッダガヤで仏舎利など発掘しておらず、由来書にも彼の名前が出
てこないのに、仏舎利が本物であることの証人にさせられています。
カニンガムの発掘や大菩提寺の歴史などを日本の著名な仏教学者の本から引用し
て、仏舎利が発掘されたことをこの学者も認めているかのような印象を与えてい
ます。

仏舎利は最初他教団に渡る予定だったが、突然中止になり、その後、阿含宗に話
があったそうで、桐山氏はこれを仏の意志であると述べています。
桐山氏は日泰寺の真正仏舎利、カニンガムなどの学者の権威、さらに仏まで登場
させて、由来不明の仏舎利が本物であるかのような物語を作り上げました。

794ヌマエビ :03/06/15 20:42
「偽の真正仏舎利」 59.信者までが小細工に加担した

1990年に信者の一人が編集し出版された本の中に、次のような引用文があります。
「カニンガムは、大塔修理の際、その西の壁下から、灰いろの砂岩でつくられた
金剛宝座を発見した。(この金剛宝座の下から古代の壺が発掘され、その中に、仏
舎利四九粒が納められていたのである)」

この文の内容は、中村元他編著の「ブッダの世界」(学習研究社)から引用したも
のであると書いてあります。
しかし、引用文にある後半のカッコ書きの部分の内容は「ブッダの世界」にはな
く、引用した信者が書き加えたものです。
書き加えるなら「著者註」と書くなど、読者にはっきりとわかるように書くのが
常識です。
この文章は桐山氏の本から再引用したもので、さすがの桐山氏もカッコ書きのよ
うな文章は書き加えていません。

カッコ書きの「仏舎利四九粒が納められていたのである」などという事実はあり
ません。
カニンガムの発掘した壺には仏舎利など入っていなかったのです。
中村元などの大学者の文章に書き加えて、仏舎利が発見されたのが事実であるか
のように権威付けをしたのでしょう。
著名な学者も阿含宗の仏舎利が発掘されたことを認めているかのように書き加え
たのですから、これは捏造です。
もちろん、いかなる学者も、カニンガムがブッダガヤの大菩提寺から仏舎利を発
見したなどとは書いていません。
原著には書いていない内容を書き加えたばかりか、嘘の内容を書き加えて、学者
の権威や知名度を利用するなど詐欺行為です。
桐山氏ばかりか、信者も読者の錯覚を利用して、仏舎利が本物であるかのように
見せかける小細工をしたのです。
    ■ここまで阿含宗という宗教39より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon39.html


311ヌマエビ :03/06/22 21:38
  
「偽の真正仏舎利」 60.桐山氏は偽物と知っていたのか

桐山氏はカニンガムの発掘の事を調べなかったのでしょうか。
高い知能や超人的能力を持つと自称し、多読を自慢する桐山氏がこの程度のこと
も調べなかったとは考えられません。
この仏舎利を入手して、本尊を準胝観音から真正仏舎利に変えたのですから、宗
教家として調べなかったで済む話ではありません。
カニンガムの本は1986年当時から見ても百年も前に発行された本であり、入手
が困難でしたが、不可能ではありませんでした。
桐山氏が懇意にしていた某大学教授の大学もこの本を所蔵していました。
桐山氏が引用した「ブッダの世界」では、カニンガムの発掘の件が載っているの
に、仏舎利には一言も触れていないのですから、疑問を感じたはずです。

こうしてみると、桐山氏は仏舎利が本物ではないと気が付きながら、本物である
と嘘をついた可能性が高くなります。
どうせ百年も前の話なのだから、誰にもわかりはしないと、ズボラで他人を侮る
桐山氏のいつもの心癖が出たのでしょう。
他人の本を丸ごと盗用して、「密教占星術奥伝」と称して信者から金をとって講義
することに何の良心の呵責もないのが桐山氏です。
偽物でも、アショーカ王、カニンガム、そして大統領の権威があれば、自分の文
筆力で世間など十分に欺けると判断したのでしょう。
事実、由来書にも大統領メッセージにも真正仏舎利とは一言もないのに、大半の
信者は今でもスリランカが保証していると権威を信じています。
しかし、やがて信者すら偽の真正仏舎利だと知り、桐山氏だけは嘘がばれている
とも気づかず、自慢話をするような喜劇的な光景が見られるでしょう。

この仏舎利は発掘などの由来が嘘であるだけでなく、スリランカからの授与の時
から、本物にふさわしからぬ、いかがわしい噂がつきまといました。

913ヌマエビ :03/06/29 21:27

「偽の真正仏舎利」 61.3億5千万円の仏舎利

スリランカから仏舎利が阿含宗に来た経緯について、桐山氏は、
「わが教団に真正仏舎利がおまつりされるようにとの、すべて仏さまのご配慮で
あると思った。」
と、仏の意志であったと強調しています。
しかし、ジャーナリストの取材では、現実はこのような宗教的な話ではなく、偽
の真正仏舎利にふさわしく、次のような現金が飛び交う生臭い話だったようです。

自民党の大物代議士の秘書が仏舎利の売買の話を聞き、ビパシー師と接触して、
阿含宗に斡旋した。
阿含宗はビパシー師に仲介料として3千万円を払い、3億5千万円の寄付で仏舎
利を譲り受けることになった。
ところが、送金したはずの金の一部8千万円が消えてしまった。
阿含宗は交渉の末、ビパシー師に新たに3千万円を払い、仏舎利への寄付額を3
億円にまけてもらった。

この経緯を見る限り、仏様の配慮などではなく、政治家秘書とスリランカの僧侶
と阿含宗の思惑がお金を介して一致したにすぎません。
仏の配慮など桐山氏の口上にすぎないことは3億5万円という巨額が示しており、
仏舎利を金で買ったというのが正確です。
桐山氏はここ一番というカケに金を惜しみません。
某ホテルの売店にあった大日如来像を購入した時も、店主が桐山氏の足下を見て、
1500万円まで値上げしました。
桐山氏は得意の御霊示話で信者に呼びかけて金を集め、言い値で買いました。
大統領から渡される仏舎利と聞いて、めざとい桐山氏は何億円でもすぐに元がと
れると計算したのでしょう。
    ■ここまで阿含宗という宗教40より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon40.html


660ヌマエビ :03/07/06 21:25

「偽の真正仏舎利」 62.消えた8千万円

仏舎利のために送金した一部8千万円が消えてしまったと言います。
阿含宗は3億5千万円と3千万円の合計3億8千万円で済むところを、8千万円
が消えたので、仲介料を新たに払い、合計4億1千万円を払ったことになります。
マスコミの報道では、代議士秘書への仲介料が書かれていません。
ビパシー師に3千万円を払ったのですから、代議士秘書にも同額を支払ったとす
れば、仏舎利の最終価格は4億4千万円です。

常識的には、8千万円が消えたで済む話ではありません。
正式な金融機関を通じて、正式な組織に送金したのなら、責任を取らせればいい
だけで、阿含宗側が煮え湯を飲む必要はありません。
ところが桐山氏は仲介料はそのままで、仏舎利の値段を下げてもらうという理不
尽とも思える妥協をしています。
自分が間違っていても相手を怒鳴りつける桐山氏が、8千万円もの金が消失して、
3千万円も余分に金を払うなどありえません。
金銭授受に何か裏があり、阿含宗側もやましいから、正式に追求してはやぶ蛇に
なりかねなかったのでしょう。
こういう足下を見た誰かが、阿含宗が追求できないことを知っていて、仏陀の智
慧を持つ桐山氏から8千万円をくすねたのでしょう。

名目が何であろうが、仏舎利が4億円以上の高額で取引されたことは事実です。
高額な金銭授受と、一部の金が消滅し仏舎利の値段をまけてもらうなどの生臭さ
を見れば、仏さまのご配慮などではなく、売買であったことは明らかです。
    ■ここまで阿含宗という宗教41より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon41.html


   
216ヌマエビ :03/07/12 21:28

「偽の真正仏舎利」 63.3億円の支払先

8千万円が消えたといういかがわしさもさることながら、仏舎利の見返りとして
提供された3億円の行き先も奇妙です。
お金のことを知っている信者でも、大統領から仏舎利を受け取ったのだから、ス
リランカの公的機関に寄付したものと思い込んでいるようです。
ビパシー師は1989年、マスコミの取材に対して、
「あれは、桐山さんがわが国に3億円以上の援助をしてくれるというので、私と
A氏(代議士秘書)が橋渡しをしました。」
このように、スリランカの公的機関に支払われたような言い方をしています。

仏舎利の仲介と寄付は「日本スリランカ文化友好協会」を通じて行われました。
マスコミの取材では、同協会は東京の南青山に数ヶ月あっただけで、その後消滅
したそうですから、阿含宗からお金を受け取るためだけに作られた臨時協会であ
ったことは明らかです。
日本スリランカ友好協会の会長はビパシー師でした。
同協会はスリランカの公的機関ではなく、ビパシー師が作った臨時組織ですから、
スリランカではなくビパシー師の組織に寄付したというのが正確でしょう。

覚え書によれば、ビパシー師は仏舎利を祭っていた寺の管長であり、由来書によ
れば、ビパシー師が仏舎利を保管していたとあります。
ビパシー師は臨時のトンネル協会を作り、大統領の権威を使って、自分の寺にあ
った仏舎利を阿含宗に売ったのです。
3億円と手数料の3千万円はビパシー師が受け取ったのであり、スリランカの公
的機関に支払われたものではありません。
営利活動を禁止されているはずの僧侶が仲介料を取るのもおかしいが、自分の寺
で自分が管理する仏舎利でありながら、仲介料を取るのはもっとおかしな話です。
こうしてみると、ビパシー師をもう少し詳しく見てみる必要があるようです。

819ヌマエビ :03/07/19 21:39

「偽の真正仏舎利」 64.ビパシー師が自分の仏舎利を売った

仏舎利はビパシー師の師がインドから持ち帰ったものであり、ビパシー師が管
理していました。
師は亡くなり、仏舎利の由来を知っていたのはビパシー師一人です。
仏舎利が本物であることの根拠とされる由来書にはビパシー師の主サインがあり
ますから、彼が作成したものです。
仏舎利の根拠の一つとなっている元考古委員長の話もビパシー師が聞いたことで、
元考古委員長本人が書いたことではありません。
大統領の文章は阿含宗への贈呈書であり、由来を保証したものではありません。
つまり、仏舎利の由来をたくさんの人たちが語っているようでありながら、実際
はビパシー師一人なのです。

仏舎利を仲介して、お金を受け取った組織はビパシー師が作ったものですから、
お金の大半はビパシー師に流れています。
スリランカで阿含宗側を迎えいれたのも、新聞に広告を載せたのも、交流会を開
いたのも、すべてビパシー師の作った組織です。
大統領が出てくるから、一見スリランカ政府と関係があるようですが、授与式以
外は関与していません。
仏舎利はビパシー師が大統領に献上して、阿含宗に譲るという形をとっているに
すぎず、仏舎利に箔を付けることが目的だったことは明らかです。
つまり、仏舎利の授受と金銭の流れは多くの人がからんでいるようでありながら、
中心的な役割をしているのはビパシー師です。

ビパシー師が、大統領や副署した僧侶たちに阿含宗から得たお金を手数料として
払って、自分のお寺の仏舎利を売ったというのが実態のようです。
ただし、ビパシー師が桐山氏を騙したとは言い難いでしょう。
ビパシー師の書いた由来書には、真正仏舎利であるとも、カニンガムが仏舎利を
発掘したとも、大菩提寺の仏舎利であるとも、一言もありません。
ビパシー師は由来を文章で書いており、その内容は今のところ否定されていませ
んから、桐山氏を騙したことにはなりません。
    ■ここまで阿含宗という宗教42より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon42.html


457ヌマエビ :03/07/26 21:13

「偽の真正仏舎利」 65.阿含宗とそっくりの仏舎利拝受

学者の調査では、徳島県の正観寺には次のような仏舎利がもたらされています。

昭和五十八年、スリランカの国際仏教文化社会福祉事業団、P.ビバッシー主席
ら「日本スリランカ仏教交流協会」設立の認証と友誼の印として、キャンディー
市仏歯寺秘蔵の釈尊の歯牙と、昭和五十九年、ジャワルデネ大統領から九輪の贈
呈を受けた。

この記述から阿含宗と比較すると、下記のように組織名がよく似ています。
正観寺;国際仏教文化社会福祉事業団、日本スリランカ仏教交流協会
阿含宗;国際文化社会福祉事業団、  日本スリランカ文化友好協会
正観寺では仏歯寺から仏舎利と大統領から九輪をもらい、阿含宗では大統領から
仏舎利と仏像をもらい、由来書に仏歯寺の管長が副署しています。

ここから次のような図式が推測されます。
スリランカにはビパシー師が作った組織があり、日本のお寺に仏舎利などを贈る
名目で寄付を求める事業を行っている。
金銭的な窓口として臨時協会を日本に作り、取引が終わると協会を解散してしま
い、お金はビパシー師の組織に送られる。
ビパシー師は仏舎利の売り込みや寄付額を交渉して、大統領や仏歯寺は権威を貸
す代わりに金銭的な見返りを受ける。

阿含宗への仏舎利では、ビパシー師は寄付の他に手数料を取っています。
自分のお寺の自分が管理する仏舎利なのに、手数料を取るのは奇妙です。
しかし、これが大統領や仏歯寺の管長などへの工作資金であるとすれば、説明が
つきます。
ビパシー師は大統領と仏歯寺と手を組んで、1983年に正観寺に、1986年に阿含
宗に、1989年にも広島県の某寺に仏舎利を授与しています。
これを見るかぎり、阿含宗だけが特別な仏舎利をもらったとは考えられません。
    ■ここまで阿含宗という宗教43より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon43.html


142ヌマエビ :03/08/02 21:40

「偽の真正仏舎利」 66.ビパシー師は大乗仏教僧侶?

ビパシー師は現在、基金団体で寄付を集めて、教育などの慈善事業に投資してい
ることになっています。
阿含宗がスリランカに仏舎利を受け取りにいった時、歓迎会は彼が経営する幼稚
園で行われました。
ところが、教育家、慈善家であるはずのビパシー師のスリランカでの評判は、特
にスリランカ仏教界からはあまり芳しいものではありません。
彼が日本から多額の寄付を集めていることはスリランカでは有名で、日本の大乗
仏教に改宗したなどと皮肉を込めて批判される程です。
慈善などの社会事業が目的なのか、あるいはこれを看板にしてお金集めをしてい
るのかははっきりしません。
日本からの豊富な資金を背景に、元大統領と面識があったように、今日も閣僚や
有力政治家と深いつながりを持っています。

信者はビパシー師が夕方のパーティーで飲食したのを目撃したといいます。
スリランカは上座部仏教ですから、僧侶の飲食は午前中のみです。
ビパシー師の太めの体型は午前中の一食だけでは難しいでしょう。
日本の大乗仏教に改宗したというのは、ただの皮肉でもなさそうです。

こういったビパシー師を僧侶と見るから理解できなくなるのであって、僧侶の姿
をしたビジネスマンであると見ればわかりやすいでしょう。
億の単位のお金が動いたことをみれば、仏舎利は仏様の意思などではなく、ビパ
シー師と桐山氏という二人の宗教ビジネスマンの取引であったことは明らかです。

767ヌマエビ :03/08/09 21:36

「偽の真正仏舎利」 67.阿含宗から一時消えたビパシー師

仏舎利拝受の様子を、同行した記者が機関誌に6回の連載で紹介しています。
同じ連載を、6年ほど後の1992年に別な機関誌に匿名で再掲載しました。
両者を読み比べると、細かい修正の他に、大きく削除されている部分があります。
それは、ビパシー師についての記述です。
1986年の連載では、ビパシー師の写真と風貌の描写まで載っています。
スリランカの新聞に仏舎利授与の記事が載り、写真に大統領、桐山氏、ビパシー
師が写っていました。
1986年の連載では新聞の説明をそのまま和訳して掲載しているのに、1992年の
連載ではビパシー師についての説明だけはカットしています。
1986年の連載では5カ所ほど出ていたビパシー師の名前も写真も、日本・スリラ
ンカ文化友好協会の名前も、1992年の連載ではすべて削除されています。
彼は仲介者であり、スリランカでの歓迎会は彼が主催したのですから、この人の
名前が全く出てこないのは不自然です。

ビパシー師は桐山氏の本からも消えています。
1986年、1987年の本には仏舎利をもらう写真に大統領と桐山氏の間にビパシー
師が写っています。
しかし、1993年、1995年の本では、ビパシー師が大統領の陰に隠れて見えない
位置から撮影された写真が採用されています。

故意にビパシー師を消したことは明らかです。
理由もなしに、阿含宗に仏舎利をもたらした大恩人とも言えるビパシー師を消す
などありえません。
1989年のマスコミの取材で、ビパシー師が仏舎利に巨額の費用が払われたことを
暴露してしまったなど、関係がギクシャクしていたのでしょう。
ビパシー師との関係が修復されるまでしばらく時間がかかりました。
    ■ここまで阿含宗という宗教44より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon44.html

586 :ヌマエビ :03/08/17 22:05
「偽の真正仏舎利」 68.大教団の思惑

桐山氏の本によれば、仏舎利は、
「・・最初、ある思惑を持った大教団が関係し、さいごにその思惑が外れて、」
その後で、阿含宗に話が来たとあります。
当時の法話で、大教団への分骨式が終わった後で破談になったと話したことがあ
ります。
破談になるのも当然で、由来のはっきりしない仏舎利に何億円も払う人などいま
せん。
大教団の中には大学を経営したり、学者や研究者を抱えていますから、調査させ
ればたちまち偽物だとわかったはずです。
「ある思惑」などと、大教団に何事か裏があって、思惑が外れたと他人をあざ笑
ったつもりの桐山氏は偽の真正仏舎利に巨額のお金を払いました。

阿含宗の機関紙で紹介された由来書の冒頭には次のような日付が入っています。
「スリランカ大統領J・R・ジャヤワルダナ閣下より日本の阿含宗に対して、我が
寺院における歴史的儀式(1985.9.23)において贈られた仏舎利の由来」
この文章では1985年9月23日に阿含宗に贈られたとあります。
実際の授与式は翌年の4月です。
桐山氏は儀式を分骨式と言いたいのでしょうが、由来書では贈られたとあります。
多忙の大統領が同じ仏舎利の儀式のために二度も出席するとは考えられませんか
ら、1985年9月23日の儀式とは大教団のために行われたものだったのでしょう。

587 :ヌマエビ :03/08/17 22:06
[つづき]

大統領が出席した儀式の後に、大教団との話が破談になってしまい、仏舎利は宙
に浮いてしまいました。
買い手を捜したが、金額が金額ですから、簡単には見つからなかったのでしょう。
スリランカに知り合いもいないという桐山氏の所に話が行ったのも、買い手を捜
し求めて片端から声をかけたと見れば、説明がつきます。
桐山氏の言うような「仏意」などではなく、ビパシー師にしてみれば、大統領を
招き、多額の費用をかけて儀式まで行ったのに、買い手に逃げられたのです。
大統領や他の僧侶たちへの報酬を支払わなければならないという切迫した金銭的
理由があったのです。
9月23日の儀式が大教団のために行われたものではないかという推測のもう一
つの根拠は、大統領メッセージの日付です。
    ■ここまで阿含宗という宗教45より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon45.html

24 :ヌマエビ :03/08/24 21:50

「偽の真正仏舎利」 69.桐山氏が選んだのは大統領の権威

仏舎利の由来書の原文には、3カ所に儀式の日として1985年9月23日の日付が
あるにもかかわらず、桐山氏の本ではすべて省略されています。
大統領のメッセージの日付は1985年12月11日ですから、儀式の日とは違いま
す。
桐山氏がスリランカで仏舎利を受け取ったのは翌年の4月です。
大統領がメッセージを出したのが、儀式の9月や授与式の翌年4月ではなく、12
月という中途半端な時期なのはなぜでしょうか。

9月の儀式が阿含宗のためではなく、他の大教団のためであったとすれば筋が通
ります。
9月の儀式の後で仏舎利授与が破談になり、話が阿含宗に来た時、桐山氏は大統
領からの直接授与とメッセージを求めたのでしょう。
桐山氏の要求が受け入れられ、12月に大統領がメッセージを出したとみれば、時
間的にも説明がつきます。
大統領からのメッセージが出て、桐山氏は次の月の1986年1月の例祭で、大統
領官邸での仏舎利拝受を発表しました。


25 :ヌマエビ :03/08/24 21:53
[つづき]

こういう状況で、桐山氏がとった行動は興味深いものがあります。
それは、仏舎利の由来を調べるのではなく、大統領の権威を求めたという点です。
仏舎利の真偽よりも権威を選択したのです。
桐山氏は専門家に検討をさせなかったのでしょう。
由来書を和訳させてみれば、由来書のどこにも真正仏舎利とは書いておらず、ビ
パシー師の師がブッダガヤで手に入れた由来不明の仏舎利だとわかったはずです。
検討させていれば、由来書にはカニンガムの仏舎利とは書いていないばかりか、
カニンガムがブッダガヤから仏舎利など発掘していないことも判明したはずです。
大統領メッセージと大統領官邸で授与してもらえるという権威に目がくらみ、本
物に間違いないと思い込み、簡単にできる確認すらしなかったのです。
桐山氏のいう霊感、直感、仏意など、実際にはこんな程度です。
世俗の権威に弱い桐山氏らしい顛末です。
555 :ヌマエビ :03/08/31 21:54
「偽の真正仏舎利」 70.阿含宗の仏舎利が第二の渡来という無知

桐山氏は「真正仏舎利の第二の渡来」と題して、1986年スリランカからもたされ
た仏舎利を、日本における二度目の真正仏舎利であると述べています。
一度目はタイからもらされ、名古屋の覚王山日泰寺に祭られている仏舎利です。
これは1898年にインドのピプラーワーで発掘された仏舎利をタイが受け取り、
後に、スリランカ、ビルマ、ロシア、日本へと贈与されたものです。
桐山氏が第一の渡来とする日泰寺の仏舎利は発掘経緯がはっきりしており、考古
学的にも釈尊の遺骨であろうと言われていますから、まさに真正仏舎利です。

この真正仏舎利を第一の渡来、阿含宗が第二の渡来であるとしていますが、これ
は桐山氏の無知です。
日泰寺と同じ仏舎利が日本にもう一度タイからもたらされたからです。
タイ王室が、昭和6(1931)年に日本のボーイスカウトに贈ったもので、最終的に、
昭和31(1956)年から東京の高尾山薬王院に祭られています。
この仏舎利はタイの国王の命令でナコンパトム寺院で授与されたもので、ピプラ
ーワーでの発掘以後、由来のはっきりした真正仏舎利です。

桐山氏の理屈から言っても、阿含宗の仏舎利は第三の渡来と言うべきです。
阿含宗は1983年のダライ・ラマ政庁からの仏舎利も本物だと宣言していますか
ら、スリランカの仏舎利は第四の渡来と言うべきです。
このように、スリランカからの仏舎利が真正仏舎利の第二の渡来であるとする桐
山氏の主張は無知と、その場しのぎの数字合わせにすぎません。

日本には近年、インド、スリランカ、ビルマ、タイなどからたくさんの仏舎利が
もたらされています。
阿含宗の仏舎利程度を真正仏舎利などと言うのなら、他にも真正仏舎利とされる
ものが少なからずあります。
    ■ここまで阿含宗という宗教46より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon46.html

250 :ヌマエビ :03/09/07 21:52

「偽の真正仏舎利」 71.日本にたくさんある本物だという仏舎利

日本には近年、海外からたくさんの仏舎利がもたらされています。
有名なのは日本山妙法寺の藤井日達師らがもたらした仏舎利です。
日本各地に50以上のドーム型の白い仏舎利塔を建てました。

本物の釈尊の遺骨であるとされた仏舎利は阿含宗だけではありません。
日泰寺、薬王院以外にも、真身舎利、真正仏舎利と宣言しているのは岐阜県の坂
上仏舎利塔、川崎市の川崎大師、京都の知積院、大阪府の東光院などがあります。
黒部市にある黒部仏舎利塔には、日泰寺と同じ1898年にピプラーワーから発見
された仏舎利が1964年にインドからもたらされ祭られています。
桐山氏の師である北野師の弘法寺でも、「スリランカの仏歯寺より贈られた真正の
仏舎利」を祭っています。

阿含宗では、スリランカ大統領から授与されたことを本物の保証としています。
為政者からもらうことが本物の証拠だというのなら、日本には他にもたくさんの
真正仏舎利があることになります。
インドのネール首相が藤井師の運動に共鳴し、十粒の仏舎利を寄贈しています。
大乗教という教団では1973年にインディラ・ガンジー首相から仏舎利をもらい、
仏舎利塔には同首相、ネパール国王、スリランカ首相の署名があります。
この二例は阿含宗が仏舎利をもらった1986年よりも前です。

阿含宗程度の仏舎利が本物なら、日本にはたくさんの真正仏舎利があることにな
り、いずれにしろ、二度目の真正仏舎利の渡来であるなど成り立ちません。
924 :ヌマエビ :03/09/15 21:22

「偽の真正仏舎利」 72.政府要人と有名寺院による仏舎利販売

スリランカ大統領やビパシー師が日本にもたらした仏舎利は、前に紹介したもの
を含めて、少なくとも次の三件が確認されています。
 
正観寺(徳島県)
昭和五十八年、スリランカの国際仏教文化社会福祉事業団、P.ビバッシー首席
ら「日本スリランカ仏教交流協会」設立の認証と友誼の印として、キャンディー
市仏歯寺秘蔵の釈尊の歯牙と、昭和五十九年、ジャワルデネ大統領から九輪の贈
呈を受けた。

青松院(山梨県)
昭和五十八年、スリランカのJ.R.ジャワルデネ大統領、プレマサダ首相から、
仏舎利を拝受した。これはアジア文化交流協会専務理事・上坂元の斡旋による。

子安観音寺(香川県)
昭和六十年、仏歯寺に祀られている仏歯と菩提樹の若木を、ジャヤワルデネ大統
領、ブッタラキタ仏歯寺管長、ニャナラタナ菩提寺管長から拝受した。式典には、
三名の他に「日本・スリランカ国友好文化協会」の会長、スリランカ大使、日本
側は参議院議員、県議会議員、町長などが出席した。

三件とも大統領が授与に関与しています。
阿含宗が言うように、大統領が授与したのだから本物だというのなら、これらは
すべて真正仏舎利ということになります。
阿含宗の授与よりも前ですから、阿含宗が二度目の渡来であるはずがありません。
正観寺と子安観音寺は、スリランカで有名な仏歯寺が関与しています。
一方、阿含宗の仏舎利の由来書に署名しているのは仏歯寺の管長です。
上記三件と阿含宗の件をみれば、政府要人と有名寺院が組んで仏舎利の販売をし
ていたことは明らかで、ビパシー師はブローカーの一人だったのでしょう。
阿含宗の仏舎利も特別なものではなく、当時の輸入仏舎利の一つにすぎません。
    ■ここまで阿含宗という宗教47より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon47.html

470 :ヌマエビ :03/09/21 21:56

「偽の真正仏舎利」 73.スリランカでの仏舎利授与

スリランカの大統領によってもたられた仏舎利のうち、正観寺と子安観音寺には、
仏歯寺の仏歯が授けられたとあります。
仏歯寺の仏歯はスリランカでは本物の仏舎利として信仰されています。
国の宝とも言われ、一つしかないはずの仏歯を日本の地方寺に分けるはずはなく、
授与された仏歯は明らかに本物ではありません。
仏歯寺の仏歯として大統領が授与してもさえも本物ではないのです。
ましてや由来のはっきりしない阿含宗の仏舎利が本物であるはずがありません。

仏歯寺の仏歯は四世紀頃にスリランカにもたらされ、王権のシンボル、国の宝と
して信仰を集めています。
仏歯は百年ほど前、寺の修理費を集めるために公開され、あるイギリス人が毎日
通い詰め、詳細なスケッチを残しました。
長さは約2インチ(5cm)と大きなもので、形からしても人間の歯であるはずはな
く、おそらく象牙ではないかと言われています。
本物中の本物であると言われている仏歯ですらこの有様です。
仏歯の例をみてもわかるように、スリランカでは本物の仏舎利といっても、宗教
的な意味であり、物理的に釈尊の遺骨であるという意味ではありません。

1986年のスリランカ訪問では、仏歯寺を参拝した桐山氏に突然、寺側から仏舎利
が授与されました。
このようにスリランカでは、寄付に対して仏舎利を授与するのはありふれたこと
で、日本への輸出仏舎利もその一つです。
阿含宗が大統領から拝受した仏舎利もスリランカでは特別なものではなく、何ら
本物であることを保証するものではありません。
    ■ここまで阿含宗という宗教48より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon48.html

523 :ヌマエビ :03/10/06 21:07
 
「偽の真正仏舎利」 74.数の合わない真正仏舎利

1986年にスリランカから仏舎利が来ると、阿含宗の各道場で「真正仏舎利奉安」
が始まりました。
「阿含宗報」によれば、1991年までに真正仏舎利は以下のように各道場に奉安さ
れたことになっています。

1986年、東海本部、関西総本部
1987年、北海道本部、東北本部、関東別院、北陸本部、和歌山道場、広島道場、高槻道
場、メシアの館、高知道場、北九州支部、南九州支部、沖縄道場
1988年、青森道場、旭川道場、横浜道場、鳥取道場、岡山道場、滋賀道場、小倉道場
1989年、三多摩道場、筑豊連絡所、香川道場、奈良連絡所、徳島連絡所、豊橋道場、愛
媛道場、函館道場、岐阜道場
1990年、南大阪道場、秋田道場、埼玉道場、千葉道場、山口連絡所
1991年、総本殿

各道場に一粒として、1991年までに合計36粒の真正仏舎利が奉安されました。
一方、1991年までに阿含宗にもたらされた仏舎利の数は次のようになっています。

1974年、安田氏からスリランカの仏舎利を4粒
1979年、須田一族から空海の真正仏舎利を16粒
1983年、ダライ・ラマ法王から真正仏舎利を3粒
1986年、スリランカから真正仏舎利を7粒
1990年、スリランカ、マハー・マンティンダ・ピリベナ寺から真正仏舎利2粒


524 :ヌマエビ :03/10/06 21:08
<つづき>

合計しても32粒しかなく、単純に比較してもすでに仏舎利の数は足りません。
阿含宗では安田氏の仏舎利は真正仏舎利とはしていませんから、真正仏舎利は28
粒ということになります。
2003年2月9日付京都新聞の広告によれば、ダライ・ラマ法王と1986年のスリ
ランカからの仏舎利を「真正仏舎利を二度拝受した」としています。
この広告によれば、真正仏舎利は2カ所からの10粒しかないことになります。
ところが、1991年の段階で36カ所に真正仏舎利が奉安されたことになっており、
数が合いません。
これ以後も真正仏舎利の在庫が尽きることはなく、真正仏舎利奉安が続きました。
    ■ここまで阿含宗という宗教49より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon49.html

262 :ヌマエビ :03/10/14 21:31

「偽の真正仏舎利」 75.信者を二重に騙した真正仏舎利奉安

阿含宗が公表している真正仏舎利は10粒なのに、今日、50カ所以上に真正仏舎
利が奉安されています。
各道場に奉安されている仏舎利は、阿含宗の定義での真正仏舎利ですらないこと
は明らかです。
阿含宗の仏舎利は全て由来不明の偽物なのだから、今更、奉安された仏舎利が本
物であるかどうかの議論は意味がありません。
しかし、信者たちには真正仏舎利奉安と称して、真正仏舎利を祭るからと喜捨を
募っています。
本物でないと最初からわかっている仏舎利を本物と偽って金を集めたのですから、
信者たちを騙していることになります。
本物など一粒もないのに本物だと騙し、さらに阿含宗での本物を奉安すると称し
て偽物を奉安して金を集めたのですから、二重に信者を騙したことになります。

信者も仏舎利の数が合わないことに気が付きます。
「偽物の真正仏舎利」奉安では納得しないでしょう。
信者たちは数字が合わないことに疑問を持つのではなく、阿含宗を批判しないで
済むように説明しようとします。
真正仏舎利を砕いて分けたというのが説明の一つです。
スリランカからの仏舎利には四億円以上が支払われ、一粒あたり5〜6千万円に
なります。
このような高額な仏舎利を桐山氏が行く予定もない地方道場に渡すはずはなく、
ましてや、砕くなどありえません。
信仰の上からも本物の仏舎利を砕くなどありえないとわかっていても、とりあえ
ずこのような説明で桐山氏と阿含宗に疑問を持つことを避けるのです。
「阿含宗での偽の真正仏舎利」にお金を払って勧請して、本物だと信じて拝むの
が、智慧の獲得を目指す阿含宗の正しい信仰です。
    ■ここまで阿含宗という宗教50より転載
    http://2nd.geocities.jp/blue2pulse/agon01/agon50.html


[859] 名無しさん@ヌマエビ 2006/01/19 17:34

(written by ヌマエビ)

「偽の真正仏舎利」 76.真正仏舎利奉安は金集めの手段

阿含宗の道場で祭られている大半の仏舎利は、阿含宗においてすら偽物です。
阿含宗では信者に仏舎利のカスケットに手を触れさせることで人集めをします。
行事の稚拙さはともかく、本物の仏舎利であるとして触れさせているのですから、
信者たちを騙していることになります。

道場に名前だけの真正仏舎利奉安をさせるのは金集めが目的です。
供養と称して信者から多額の喜捨を募り、その見返りに奉安されます。
真正仏舎利を奉安するから供養しなさいではなく、金を出さないと、阿含宗の道
場だというのに奉安させないのです。
金集めができなかった道場は今も偽の真正仏舎利すら奉安されていません。
阿含宗は外に向かっては真正仏舎利奉安をうたい文句にしながら、金を出さない
信者たちには道場ですら拝ませないのです。

台湾では1991年に道場が開設されると同時に真正仏舎利奉安が行われました。
ところが、1998年、スリランカからの7粒のうちの1粒を台湾に分骨するとし
て、盛大な奉送式を行っています。
二度も真正仏舎利奉安が行われたのは、台湾での柴燈護摩を機会に、信者からの
多額の喜捨があったからだと言われています。

各道場への勧請などを理由にして金を集めるのは仏舎利だけではありません。
朔日護摩の受信装置は民生用では十万円もしないのに、三百万円ほどを払わない
と道場には設置が許されません。
仏舎利に続いて大黒天、愛染明王、阿弥陀如来、文殊菩薩など様々な神仏を道場
に奉安するとして、信者たちからの集金の手段に使っています。
仏舎利もこれらの神仏や受信装置と同様に、金集めの道具にすぎません。

[860] 名無しさん@ヌマエビ 2006/01/19 17:34

(written by ヌマエビ)

「偽の真正仏舎利」 77.仏舎利によって御利益教団に変身

1986年、スリランカから仏舎利をもらうと、これを本尊としただけでなく、それ
までの千座行を捨てて仏舎利行(仏舎利宝珠尊解脱宝生行)になりました。
千座行は、長い勤行を千日の間一日でも欠かせば振り出しに戻るという厳しいも
のでしたが、仏舎利行では事実上これがなくなりました。
桐山氏は勤行ではなく、功徳を積むことを信者に強く求めました。

千座行は仏と導師の力を借りながら、自力で因縁を切っていくという方法でした。
仏舎利行は供養と称して、信者獲得や教団に金銭や労力を提供することで、功徳
を得て、功徳と差し替えに因縁を切ってもらうという方法です。
功徳というと聞こえが良いが御利益です。
看板にすぎなかったものの、自力修行を打ち出していた阿含宗がこれを下ろし、
仏の力にすがるという他力の信仰に変わったのです。

千座行時代には御利益信仰は低劣で時代錯誤だと軽蔑さえしていました。
ところが、軽蔑していた御利益教団に変身してからは、年を追うごとに御利益が
中心になり、信者たちに露骨に欲望を煽るようになりました。
「仏舎利宝珠尊こそ、これを保持して一心に呪文を唱えて、望むことを願うな
らば、必ず望みごとをかなえてくれるのだ。」
などと、当時公開されたディズニー映画を真似て、仏舎利をアラジンの魔法のラ
ンプにたとえて、桐山氏は御利益を前面に出すようになっていきました。

仏舎利を本尊にして自力から御利益へと宗教的に大きく変化したように見えます。
しかし、これは桐山氏の言うような釈尊からのご霊示や仏舎利のお手配といった
宗教的な理由ではなく、もっと切実で現実的な問題があったからです。

[861] 名無しさん@ヌマエビ 2006/01/19 17:35

(written by ヌマエビ)

「偽の真正仏舎利」 78.仏舎利行は信者獲得のための秘策

本尊まで変えて、新興宗教としては平凡な御利益宗教に衣替えしたのは、仏舎利
行では最も重視されているように、入信者を増やすことが目的でした。
桐山氏は昔から百万人の信者獲得を目指していました。
阿含宗を大教団にして、創価学会や立正佼成会のような社会的な権力を得ること
を望んでいた桐山氏にとって、百万人の信者は切実な目標でした。
1980年代初頭、阿含宗は飛躍的に入信者数をのばしました。
「守護霊を持て」などの本が売れ、チラシ配布による映画会が成功し、金をかけ
た大規模な宣伝により、入信者が飛躍的に増大しました。
星まつりに参拝者が押し掛け、道路が大渋滞したのもこの頃です。

しかし、勢いはほんの数年だけで、1980年代中頃になると潮は引いてしまいました。
ダライラマとの合同法要やバチカンでのローマ法王との握手など、外向きには
華々しいイベントが続いていた一方で、入信者が減っていきました。

入信者が減っただけでなく、辞める人も多く、信者数が減少していきました。
信者が定着しなかったのは、派手な宣伝ばかりで実体がなく、また、入信してき
た信者の世話をすることがなかったからです。
他の信者の世話という一番手間暇のかかる仕事が何の評価も受けず、目先の入信
者数だけが誉められたら、世話することに熱が入らないのは当然です。
釣った魚に餌をやらないという桐山氏の昔から今日に至るまでの問題がこの時も
露呈しました。
阿含宗への批判本が追い打ちをかけ、信者数の減少に歯止めがかからなかったの
です。
桐山氏は信者獲得の勢いを盛り返すのに、巨額の資金で手に入れたばかりのスリ
ランカの仏舎利を使うことを思いつきました。

[862] 名無しさん@ヌマエビ 2006/01/19 17:35

(written by ヌマエビ)

「偽の真正仏舎利」 79.桐山氏の願い事がかなわなかった仏舎利

桐山氏の目標とする百万人のはるか手前で信者数は減り始めました。
原因は、文筆や口がうまいから何事かあるかのように自分を大きく見せて人を集
めるのは得意だが、中身が伴わないという桐山氏の欠陥です。
問題解決に、桐山氏はいつものように、自分の欠点を是正して信者の流出を抑え
るよりも、新しい信者を獲得するという得意技を選びました。

大統領からの仏舎利という新しい宣伝材料を得て、千座行を捨て、真正仏舎利の
御利益を売り物にして信者を増やすことを桐山氏は思いつきました。
仏神の力に頼り、御利益を売り物にするのは日本の新興宗教では一般的です。
梵行で徳を積むのだとして、信者獲得など教団拡大に信者たちを駆り立てました。
阿含宗は、実体の伴わなかった自力修行の看板を下ろして、御利益と信者獲得を
セットにしたありふれた新興宗教に変身したのです。

しかし、本尊まで変えてしまうというなりふり構わずの桐山氏の作戦は信者獲得
にも、信者減少を抑える効果もありませんでした。
御利益で人を集めている大きな教団にはそれなりの努力とノウハウがあります。
阿含宗のように突然看板だけ変えても、宣伝と中身に大きな落差があり、入信し
たら面倒も見ないというのでは、御利益を願う者ならなおさら付いてきません。
「必ず望みごとをかなえてくれる」という仏舎利を拝んでも、桐山氏の百万人の
信者獲得の望みごとがかなえられることはありませんでした。
桐山氏が仏舎利を売り物にする時に初歩的な間違いをしたことも大きな理由です。

[863] 名無しさん@ヌマエビ 2006/01/19 17:35

(written by ヌマエビ)

「偽の真正仏舎利」 80.仏舎利は御利益信仰には向かない

桐山氏は仏舎利を本尊として御利益を売り物にすることを素晴らしいアイデアだ
と信じていたようですが、基本的な間違いをしています。
これは仏舎利が本物であったかどうかという問題ですらありません。
御利益を求める人たちにとって、真正仏舎利という桐山氏の開発した新商品は魅
力的には映りませんでした。
なぜなら、釈尊は実在の人物であり、欲望を否定したらしいことは仏教徒ならた
いていの人が漠然と知っているからです。

欲望を否定した釈尊を欲望の本尊として売り出しても、仏教的な土壌のある国で
難しいことは、二千五百年の仏教の歴史を見れば十分です。
東南アジアの上座部仏教では、中心に仏陀を祭って礼拝しても、在家の人たちは、
周囲の土着の神仏にお願い事をするのが見られます。
大乗仏教でも、釈尊よりも他の仏菩薩が祭られることが多いのは、釈尊は御利益
を願う相手にしてはあまりに厳しい存在だからです。

桐山氏は欲望を否定した釈尊を欲望をかなえてくれる仏として売り出したのです。
いくら桐山氏が大宣伝しても、日本人の心の中にも、釈尊とは欲望に厳しい人で
あったという共通の概念があります。
仏頂面の釈尊に欲望をお願いするという桐山氏の目論みは成功するはずはなく、
事実、信者獲得という一番の目標には役立ちませんでした。

欲望を否定した釈尊を欲望の本尊とするという馬鹿げたことをしただけでなく、
偽物を本物だと宣伝したため、阿含宗に致命的な矛盾を引き起こしました。

■ここまで ザBBS内「阿含宗知ってる?」より引用転載
    http://bbs.thebbs.jp/religion/1130673101/