- 186 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土)
07:42
- なつかしい思いで過去ログを読ませていただきました。
桐山氏がとんでもない人格の持ち主だということはいまさら言うまでもありませんが、
私は皆さんがまだ話題にしていない部分を書いてゆきたいと思います。
まず始めに、桐山氏はクンダリーニヨーガを知らなかったという所から。
- 190 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土)
17:00
- 私は桐山さんが昭和49年3月時点でクンダリーニヨーガの技法を
全く知らなかったということをはっきりと知っています。
その時彼は訪米しましたが、それ以前にはクンダリーニヨーガを
見たこともなかったのです。
自分が修行していないものをさもマスターしたかのように宣伝し、
それによって信者を集め、実際に指導しないから、麻原のような
イカサマ師につけいる隙を与えたのです。
もしも桐山が宣伝どおり本当にマスターしていれば、そして指導していれば、
阿含宗からオウムへ流れる人は少なかった筈です。
- 191 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土)
17:10
- 桐山のネタ本は殆どがK書店で集めさせたものです。(今は廃業しましたが)
当時彼はスポーツカーに乗っていましたが、毎月、K書店に来ていました。
店主は、運命額、占術、手品関係の本を桐山の為に集めていました。
私も何度かそこで桐山を見かけましたが、店主の話で一つだけ面白かったことがありました。
「宗教の先生が手品の本を探していたんだ。水をまいて火を出す方法を知りたいんだと。
なんでそんなんがいるんだろうね。」
店主が売った本には、「紙に赤い色で字を書く。そこに水をつけると火が出る。」
などという手品の方法が書かれていました。
- 208 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火)
18:41
- クンダリーニヨーガといえばなんと言っても火の呼吸が基本中の基本であり、
これは桐山さんも認めています。
昭和49年3月に米国訪問の際、彼は始めて火の呼吸を見たのです。
その時の通訳の方に私はその状況を直接聞きました。
「あれは何をやっているのですか?」「どんな効果があるんですか?」
「どうやるんですか?」ETC
その後の著書では相当前からやっていた事になっていますが…。
まあ、いつもの事といえばいつもの事ですが。
- 209 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火)
20:43
- >191
>「宗教の先生が手品の本を探していたんだ。水をまいて火を出す方法を知りたいんだと。
>なんでそんなんがいるんだろうね。」
これを店主から191さんは直接聞いたのですね?
とすれば、これは貴重な証言です。
桐山さんが手品の本を集めていたという噂はずいぶんあります。
しかし、店主から直接聞いたという話は始めてです。
30年前は昭和45年頃ですから、ちょうど念力護摩を焚いた頃です。
- 212 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火)
21:08
- >209
当時私は店主から直接聞きました。
同じ本を買ったのですが何度目かの引越しで無くなってしまいました。
今考えたらとても残念です。
- 213 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火)
23:02
- >208
>昭和49年3月に米国訪問の際、彼は始めて火の呼吸を見たのです。
そう言われてから、桐山さんの本をめくってみると、火の呼吸法が出てくるのは、
手元にある本では「密教入門」(1976年)くらいからですね。
「密教 超能力の秘密」(1972年)「念力」(1973年)あたりに出ているような
錯覚をしていました。
クンダリニーを覚醒してから火の呼吸をするのは、大学を卒業してから、
高校の勉強をするようなものです。
桐山さんはこういうのが多い。
- 214 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
03:32
- 伝法会ではずっとサトワンシンという方がクンダリーニヨーガを教えていました。
この方はヨギバジアンという先生のお弟子さんでしたが、桐山氏に乞われて指導に
来ていたのです。
過去に桐山氏は一度しかクンダリーニヨーガを指導していません。
米国から帰国した5ヶ月後に開かれた第一回伝法会がその晴れの舞台でした。
参加した方に聞いた話ですが、その時散々恥を掻いて2度と自分で教えようと
しなかったとの事です。
一度もやったことが無いのですから出来なくて当然ですが。
その様な経緯があって、サトワンシン氏は第二回伝法会(昭和50年夏)から
クンダリーニヨーガの講師として参加する事になったのです。
この話は現在日本で一人しかいないヨギバジアン先生のお弟子さんにも
以前に確認しました。
- 215 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
03:52
- >208
>「あれは何をやっているのですか?」「どんな効果があるんですか?」
>「どうやるんですか?」ETC
これらは桐山氏が通訳の方を通して質問した内容の一部ですが、
その時桐山氏は火の呼吸を練習しても全然出来なかったそうです。
それがいつのまにかクンダリーニヨーガのグルになってしまうところが
桐山流のなせる技ですが、そんないい加減なグルにお金を払って秘伝の伝授
期待する信者はとても気の毒だと思います。
でも全く出来ないのに、よく第一回伝法会で教えようとしたものです。
- 216 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
04:08
- 「メシア出現予言集」(平河出版)
この本は聖ヨハネ、聖マラキ、ノストラダムス、ヨギバジアンの4人の聖者が
桐山氏を救世主として認めているかのような主張をしています。
その中でも特に『極めて重要な位置を占める』予言として所謂ヨギバジアン予言が
あるわけですが、そこに述べられている内容の殆どは桐山氏の創作であり、
真実ではありません。(確認済みです)
つまり密教では高野山の名を騙って権威付けをし、クンダリーニヨーガでは
世界でも第一人者であるヨギバジアン氏の名前を利用したわけです。
- 217 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
04:19
- ヨギバジアン予言は当時の観音慈恵会の機関紙始め、桐山氏の様々な著作にも
利用されましたが、ヨギバジアン氏本人は後日その書かれた内容を知ったときに
笑いながら、「やはりね」と言ったそうです。
あきれてものも言えないという感じだったそうですが、最初に会ったときから
「彼は宗教家ではない。ビジネスマンだ。」と周囲の人達に言っていたとの事なので
別に驚いたわけではないようです。
桐山氏の本性を一度で見抜くあたりがヨギバジアン氏の優れた眼力でした。
- 220 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
12:07
- >217
>「彼は宗教家ではない。ビジネスマンだ。」と周囲の人達に言っていたとの事なので
>別に驚いたわけではないようです。
すごい証言です。
これは通訳の人が言っていたのですか。
ヨギ・バジアン氏がこのように言っているのを聞いたのはどなたですか?
217さんは、その方から聞いたのですか?
念力の護摩もそうですが、この時代の証言は極めて少ないのです。
それでも念力の護摩は「阿含宗の研究」(廣野隆憲著)がありますが、
バジアン予言についての証言は初めてでしょう。
バジアン氏のについての「メシア出現」(いろかわちひろ著)は
「桐山靖雄・阿含密教のすべて」(伊達相平著)からの引用ですし、
この二人の著者は直接見たわけではありません。
これらの情報は「現代密教」「慈眼」に掲載されたものがすべてです。
書いたのは、高橋成道氏や、桐山氏の秘書の北崎氏です。
簡単に言ってしまえば、桐山氏とバジアン氏との対面では、
◎互いにクンダリニーの覚醒者であることを確認した。
◎バジアン氏は、桐山氏が世界的な聖者になると予言した。
というものです。
二人が聞いたというこの内容をバジアン氏が否定したことになります。
もっとも、
「非常につらいことではあるが、あなたは長命しなければならない」
というバジアン氏の予言は、脳梗塞と借金を抱え、信者減少に悩む桐山氏の
今日を言い当てているといえば、言えないことはありません。
- 221 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
13:02
- >217
>伝法会ではずっとサトワンシンという方がクンダリーニヨーガを教えていました。
ヨギ・バジアン氏が弟子を派遣していたとなると、少なくとも、当初は
桐山氏を評価していたことになります。
ところが、サトワンシン氏は確かこの一度だけで、その後の伝法会で
教えなかったのではありませんか。
辞めてしまう何か理由があったと思うのですか、経緯を知りませんか。
最初の頃の伝法会は学者や宗教家などが講義していました。
第4〜5回(1977〜8年)頃には、桐山氏だけが講義する現在の形になっています。
「宝石」などに載った桐山氏への批判記事が影響したのでしょうか。
第4回頃は、桐山氏はハタ・ヨーガを教えていました。
お得意の倒立をしてみせました。
ハタ・ヨーガを修得している人の倒立は、素人と違い、形が美しいものです。
でも、桐山氏の倒立は我流とすぐわかるような姿でした。
第5回からはハタ・ヨーガの講義はなくなりました。
桐山氏がこの後作った日本メディテーションセンターで出した
瞑想ポスターがありました。
このポスターは女性が瞑想のポーズをとっているものです。
サトワンシン氏の奥さんであるといわれています。
桐山氏はこの奥さんが着ていた服装を採用しました。
「タイスの瞑想」に合わせて踊る「ムドラー舞踏」の服装です。
桐山氏はほぼ20年ぶりに、最近、これを復活させました。
ムドラー舞踏は健康を保ち、超能力を得る秘伝なのだそうです。
「桐山王様の前で舞を踊る踊り子のようだ」
と男性信者からは評判です。
- 222 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
18:37
- >これは通訳の人が言っていたのですか。
側近の方から聞きました。
後日サトワンシン氏も同じ事をおっしゃっていたと聞きました。
シン氏曰く「困ったものだと。」
>二人が聞いたというこの内容をバジアン氏が否定したことになります。
桐山さんのクンダリーニが覚醒しているとか、世界的な聖者であるという話ではなく、
バジアン氏は、社交辞令的に是非これからも頑張って下さい程度の発言をしただけだそうです。
あの時は、ミーティング・オン・ザ・ウェイという集まり(お祭り?)がサンフランシスコで
開かれていました。桐山さんはある方に連れられてその催事の参加メンバーの一人として
出席しました。バジアン氏は出席した先生方全部に歓迎の意をこめて同じ様なメッセージを伝えたとの事です。
遠路サンフランシスコまで来た事にたいする礼儀だと思ったのでしょう。
バジアン対談はその後にありましたが、それはバジアン氏のお弟子さんのアシュラムを桐山氏が
訪問したことで実現しました。でも実際には単なる表敬訪問のようなものでした。
ただ、桐山氏にしてみれば、はじめてクンダリーニヨーガが見られるという事で喜んでいたそうです。
この話は後日脚色され、ちょうど例のバチカン訪問・法王謁見の誇大広告と同じく宣伝に利用されました。
- 223 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
18:49
- >ヨギ・バジアン氏が弟子を派遣していたとなると、少なくとも、当初は
>桐山氏を評価していたことになります。
バジアン氏は桐山氏の為に弟子を派遣したのではなく、既に日本にいた10数人の
弟子達の為に、サトワンシン氏を派遣しました。
桐山氏の為であったなら、伝法会だけでなく、毎月のようにセミナーを
開いていた筈です。
バジアン氏が後日何度か来日しても桐山氏とは一度も日本で会っていません。
これはバジアン氏の直弟子の方に確認済みです。
>ところが、サトワンシン氏は確かこの一度だけで、その後の伝法会で
>教えなかったのではありませんか。
>辞めてしまう何か理由があったと思うのですか、経緯を知りませんか。
二回は講師として参加しています。
一度目は恒例のマラソンにも参加し、確か二位だった筈です。
やめてしまった理由は、桐山氏から要請を受けなかった為です。
桐山氏の弟子が本物のクンダリーニヨーガを求めて、バジアン氏の方へ
移るのを恐れた為だと思われます。当時シン氏にはかなりのファンがいましたし、
バジアン氏の来日も続きましたので。
- 224 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
18:58
- >このポスターは女性が瞑想のポーズをとっているものです。
>サトワンシン氏の奥さんであるといわれています。
その通りです。
座って膝に手を置き、目を開けてにこにこ微笑んでいる写真です。
しかし、この写真をめぐってサトワンシン氏は急遽平河町へ行きました。
かなり立腹していたそうですが、その理由は「騙された」というだけで
周囲にも言わなかったそうです。
実際には、写真の使用目的が約束と違っていたようです。
これ以降、両者の交流は断絶しました。
- 225 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
19:05
- >ヨギ・バジアン氏が弟子を派遣していたとなると、少なくとも、当初は
>桐山氏を評価していたことになります。
ほとんど評価していなかったと思います。
バジアン氏が来日した時には桐山氏の弟子達が氏に相談したそうです。
千座行をやめたら因縁返しが心配だけれど大丈夫ですか、と。
それに対する答えは「心配無い」というものだったそうです。
- 226 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水)
21:41
- >217
>バジアン氏は、社交辞令的に是非これからも頑張って下さい程度の発言をしただけだそうです。
バジアン予言は、一般的な社交辞令を、桐山氏が誉め言葉と受け取って、
拡大解釈して、さらに周囲がそれにオヒレを付けただけということですね。
これは桐山氏の性格としては十分にありえます。
自分でもお世辞に弱いことを認めています。
自分の性格をよく分析しています。
バジアン氏との対面で変な点は二つあります。
一つは、バジアン氏が息も絶え絶えに、桐山氏のクンダリニーのエネルギーを
補給してもらっているような場面です。
桐山氏のほうが圧倒的にエネルギーが強い、という場面です。
もう一つは、バジアン氏は
「私の使命は終わりに近づいている」
と奇妙なことを言ったことになっていることです。それも二度で出てきます。
バジアン氏はエネルギーが不足した抜け殻で、桐山氏に世界救済の使命を
バトンタッチしたという描き方です。
バジアン氏を、桐山氏のクンダリニー覚醒の保証人にしておきながら、次には、
自分のすごさをアピールするために、バジアン氏の頭を踏み台にしています。
桐山氏はこれが得意技です。
バジアン予言が作り話であるのは、バジアン氏が日本に来ても、桐山氏とは
会おうともしなかったという事実だけで十分です。
- 228 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木)
06:56
- >バジアン氏が息も絶え絶えに、桐山氏のクンダリニーのエネルギーを
>補給してもらっているような場面です。
>桐山氏のほうが圧倒的にエネルギーが強い、という場面です。
バジアン氏は当時誰かが調子が悪いといいますと、エネルギー旺盛だったため
所謂シャクティパッドをどこでも気軽にやってくれたそうです。
私の知人などは空港へ見送りに行った時も、通路で立ったまま受けたといっていました。
あの時は桐山氏がエネルギーをもらったのだと思います。
バジアン氏はその後まもなく来日しましたが、元気玉が歩いているようなほど
精力的に各地を旅行され、深夜まで個人指導も沢山なさいました。
桐山氏は本来なら氏を本部か月例会へ招いて、交友関係をアピールし、スピーチの一つも
依頼したことでしょう。それをしないで北崎氏にお土産を届けさせただけで
すませたところに全ての答えがあると思います。
バジアン氏は英語がとても達者でしたので、米国での一連の「予言」が
嘘だとばれることを恐れたのだと思います。
>もう一つは、バジアン氏は
>「私の使命は終わりに近づいている」
>と奇妙なことを言ったことになっていることです。それも二度で出てきます。
バジアン氏は現在でも高齢にかかわらず定期的に合宿セミナーを開いており大変元気です。
弟子の数では桐山氏の信者数の楽に10倍以上はいます。
現在に至るまで、毎年、年に何度も海外へ指導に出掛けているのに
自分の使命が終わっているなどと言わないでしょう。
この部分も桐山氏の創作だとしか考えられません。
- 231 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木)
20:45
- >228
>バジアン氏は英語がとても達者でしたので、米国での一連の「予言」が
>嘘だとばれることを恐れたのだと思います。
バジアン氏が来れば、信者からはバジアン予言をもっと詳細に教えて
くれるように本人に質問が出たでしょう。
それでは嘘が全部ばれてしまう。
バジアン氏を招待しなかったように、1974年当時は桐山氏もばれることを恐れて、
用心していたのでしょう。
桐山氏にとってサトワン・シン氏が去ってくれたのも好都合です。
ところが、1988年「桐山靖雄・阿含密教のすべて」、1990年「メシア出現」と、
15年もたつと、話を蒸し返しています。
新しい信者の多くは知らないのだから、口をぬぐっていればいいのに、わざわざ
古い傷を自分から出しています。
桐山氏は、時間がたったから大丈夫だろう、と思ったのではありません。
桐山氏の求聞持脳の特性で、時間がたつと自分に都合の悪い事は忘れてしまう。
自分の失点を忘れて、得点だけ拡大して覚えているのです。
バジアン予言やバジアン氏の対面の創作内容を最も信じているのは桐山氏本人
でしょう。
- 268 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水)
18:05
- サトワンシン氏の奥さんのポスターの件ですが、あの時奥さんは桐山に言われて
そのペンダントを頭につけさせられました。
だからポスターもつけたままで撮影されています。
それがムーかなんかの雑誌に出て、ペンダントの販売に利用されようとしたので
サトワンシン氏はスグに抗議しました。
バジアン氏のクンダリーニヨーガの技法としてペンダントが必要だなどと悪用されそうに
なったからです。当初の撮影目的は全く商売性の無い説明だったそうです。
たしかセンターのオープニング・プレミアムでポスターをプレゼントするような企画
だったと思います。
- 269 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水)
18:12
- つづき・・・
桐山はバジアン氏の弟子(日本人)が翻訳したマニュアルをその方から
借りました。そしてその方が何回催促しても「なくした」「置いた場所を忘れた」
とのいい訳で返却を拒否したのです。
コピーすればよいものを何故なくしたと言い張ったのかわかりませんが、
後日伝法会での最初で最後のクンダリーニヨーガ指導の内容がそのマニュアル
から抜粋されたセットでしたので、後でバレて揉めたそうです。
過去にいろいろあってのペンダント事件でしたのでさすがのシン氏もキレたのでしょう。
それ以来、完璧に没交渉となったそうです。
- 270 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水)
18:20
- つづき・・・
桐山は例の人口石を金星とチャクラのバイブレーションを共鳴させる為に
使うような説明を例会や著書でもしていました。
ヨーガの技法を知らなかったのでそんなオモチャを出してきたのでしょう。
パクッたマニュアルは指導者用だったそうなので、基礎的技法の記述がなく、
それだけではとても理解できなかったため苦し紛れの瞑想ペンダントとなりました。
ただ、奥さんがペンダント販売用のポスターモデルというのでは、
ペンダントを利用した瞑想がバジアン流だと誤解を受けますので、
急遽シン氏は東京へ抗議に出向いたそうです。
■ここまで2ch「阿含宗という宗教(1)」より引用転載
http://agama.zashiki.com/agon1.html