僧としての考察

198 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/24(火) 21:06

「桐山氏は阿闍梨か?」 1.血の涙のその後

桐山氏は前科に血の涙を流して懺悔したはずでした。
桐山氏は悔い改め、因縁切りの修行によって、完全に変身したはずでした。
「変身の原理」「人間改造の原理と方法」などという本まで出したのですから、桐
山氏を特徴づける責任転嫁、詐欺的性格は改造されたはずでした。

しかし、桐山氏の自己宣伝と違い、その後の宗教活動には、偽ビール事件と同様
の詐欺行為がふんだんにみられます。
まず疑われているのは桐山氏の僧侶としての資格です。
宗教家としてスタートしたのに、血の涙も乾いていない最初に位置づけられる僧
侶の資格に、早くも疑惑があるのです。

僧侶になるためには、得度し、伝法潅頂を受けて、初めて真言宗の僧侶、つまり
阿闍梨として認められます。
学校でいえば、得度は入学式で、伝法は勉強であり、阿闍梨の資格とは卒業証書
をもらうようなものです。

阿含宗では真言密教の行法を用い、信者にも金をとって伝授しています。
行法を弟子に伝授するためには、本人が真言宗の阿闍梨であり、他の阿闍梨から
行法を伝授してもらったことが前提です。
血脈や法脈といい、空海以後だれに伝授されてきたかを重視します。

阿含宗を立宗する前は、桐山氏は真言宗を標傍していました。
1971年の「変身の原理」では真言宗金剛院派副管長、1972年の「密教超能力の
秘密」では真言宗大日山金剛華寺管長を名乗りました。
真言宗を標傍した限りは、真言宗の僧侶、阿闍梨であるのは当然でしょう。
阿含宗では桐山氏にあいさつするのに「阿闍梨様に三礼」と声がかかります。
阿含宗を立宗した今も、桐山氏は阿闍梨の資格があるはずです。

では、桐山氏はいつ伝法潅頂を受けて阿闍梨になったのでしょうか。
239 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/26(木) 21:11

「桐山氏は阿闍梨か?」 2.あまりに違う二つの経歴書

桐山氏は四十冊以上の著書がありながら、得度と伝法潅頂について具体的に記述
したものは一つもありません。
自慢話を羅列するための法話でも、ほとんど出てきたことがありません。
マスコミによって公開された桐山氏の経歴書は次の2つのみです。
得度と潅頂の部分だけを抜粋すると、

1968(昭和43)年8月、天台宗僧籍取得のために天台宗宗務庁に提出した経歴書
昭和35年二月 真言宗金剛院派得度加行
昭和36年 四度加行、学識潅頂、講義講式
昭和41年 伝法潅頂

1970(昭和45)年8月、小田慈舟大僧正の「金剛頂経講伝」に提出した経歴書
得度 昭和30年 戒師北野恵宝師に従って得度畢る
伝法潅頂 昭和40年 大阿北野恵宝師・大原最俊師に従って潅頂畢る

マスコミの取材に、北野師からの伝法潅頂は昭和38年頃と答えています。
合わせると、桐山氏本人の申告でありながら、伝法潅頂は3年、得度に至っては
5年も差があります。
経歴書が提出されたわずか2年ほどの間に、得度と潅頂の年にこれほどの違いが
出てくるのは、どういうことでしょう。

普通の人でも、自分が何年に学校を卒業したか、資格をいつ取ったかくらいは覚
えているし、経歴書を書くのに、記憶に自信がなければ、確認します。
普通の人と違い、経歴書を提出した頃には、桐山氏は求聞持法を体得して、目が
カメラに、耳はテープレコーダーになっていたはずです。
書くたびに、聞くたびに38年、40年、41年と答の違う求聞持法の記憶力は、普
通の人以下のように見えます。

違いを取り上げたマスコミの多くは、桐山氏の嘘の一つとして片づけています。
しかし、それでは桐山氏の頭の中を理解したとはいえません。
数字の違いに、桐山氏の性格や心癖のいくつかが現れています。
294 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/29(日) 20:35

「桐山氏は阿闍梨か?」 3.都合の悪いことは存在しなくなる

普通の僧侶でさえ忘れない伝法潅頂の年をどうして覚えていないのでしょう。
ここには桐山氏の頭の中がよく現れています。
まず、桐山氏には本人が言うようなすごい記憶力などありません。
阿含宗の職員の顔と名前すらも完全には覚えきれません。
数字はさらにデタラメで、分数の概念を理解していません。

記憶力や数字が不得意なだけではなく、桐山氏の独特の心癖も影響しています。
それは、桐山氏の頭の中では自分にとって都合の悪いことは消去されるのです。

僧侶としての資格がないのは都合が悪いことですから、思い出さないようにして
いたのでしょう。
その結果、ほんとうに年を忘れてしまったのです。
嘘でも同じ年を言い続ければいいものを、それすら忘れてしまったのです。

感情的に不愉快なことはすべて忘れ、思い出さないという技にかけては、桐山氏
は徹底しており、見事に忘れます。
事実であっても、桐山氏にとって感情的におもしろくなく、気分の悪いことはい
っさい見ないようにします。
忘れるというよりも、存在すらしなかったようになります。

自分にとって不愉快な人物に対しても同様のことをします。
一度でも、桐山氏に不快感を与えた職員や先達は、目に触れないように排除され、
最初から存在しなかったように忘れ去られます。
桐山氏に100%の落ち度があっても結果は同じです。
桐山氏は自己愛が強い分、他人への慈悲や愛情に欠けた人ですから、貢献してく
れた職員や先達であっても、頭の中からきれいに消去できるのです。
297 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/10/31(火) 20:43

「桐山氏は阿闍梨か?」 4.別な話にすり替える

伝法潅頂の件が桐山氏の記憶で曖昧になっているということは、外から指摘され
ては都合の悪い事だということを意味します。

桐山氏の頭脳では、伝法潅頂を受けていない彼が悪いのではなく、それを持ち出
してきたマスコミが悪いのです。
自分の能力に嫉妬した僧侶たちや、商売敵の宗教団体から金をもらったジャーナ
リストという、彼の頭が作り出した敵の悪意に満ちた攻撃としか映りません。

伝法潅頂の問題が、桐山氏の頭の中では、他人の嫉妬や攻撃の話にすり替ってし
まいます。
「嫉妬されるくらいおれは偉い」「阿含宗がそれくらい世間から注目されている」
といった物語を作って弁舌をふるいますから、信者の多くは信じます。

一番信じるのは、毎度のことながら、話している桐山氏本人です。
嫉妬や他宗教からの攻撃の話で、桐山氏の求聞持記憶テープは上書きされ、伝法
潅頂の問題は消去されます。
自分がすり替えた物語に一番酔い、すっかり気持ちがよくなり、問題が何であっ
たかをきれいに忘れるという特技を桐山氏は持っています。

妄想の世界では桐山氏は大阿闍梨なのですから、資格などどうでもいいのです。
世間からの批判すらも、それを格好よく踏み越えていく大阿闍梨様の妄想物語に
色を添えているにすぎません。

不愉快な事はすぐに忘れ、他人のせいにして、話をすり替えてしまうという桐山
氏の心癖が伝法潅頂の件にも端的に現れています。
304 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/02(木) 20:51

「桐山氏は阿闍梨か?」 5.伝法潅頂したという僧侶は否定

年月はともかく、伝法潅頂そのものはどうでしょうか。
桐山氏を伝法潅頂した阿闍梨として北野師、大原師が上げられています。
ジャーナリストや僧侶が二者に取材、確認したところ、桐山氏への伝法潅頂を否
定しています。

北野師は得度と準胝法、護摩界法を授けたことは認めたうえで、
「自分は桐山という人に加行も潅頂も授けた覚えはない」
とはっきりと否定しています。

大原師は真言宗正暦寺の住職で、桐山氏によれば、北野師から伝法潅頂を受けた
時の証明師だったようです。
大原師が伝法潅頂したのではなく、立会人だという意味です。
真言宗の僧侶からのこの件についての質問に、大原師は手紙で返事をして、
「・・少々知名の方々へは大変迷惑をおよぼしているらしく困った人物です」
と、証明師どころか、桐山氏を困った人物とまで評しています。

桐山氏は、北野師から伝法潅頂を受けたと主張し、北野師は授けていない、大原
師は証明師をしていないという。
桐山氏と北野師側でどちらが嘘をついているのでしょうか。
まず桐山氏が選んだ師匠である北野師について見てみましょう。
325 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/04(土) 21:01

「桐山氏は阿闍梨か?」 6.金剛院派の肩書き

北野師は桐山氏が宗教において選んだ唯一の師匠です。
北野師といつから師弟関係にあったかは、前述の2つの履歴書でも、得度に5年
も差があるのではっきりしません。
いずれしろ昭和三十年代には北野師の伝法会に参加していたようです。

北野師は真言宗金剛院派を名乗っていました。
これは高野山真言宗とは何の関係もない真言宗系の新興宗教にすぎません。

この手法を桐山氏はまねて、「密教超能力の秘密」では、真言宗大日山金剛華寺管
長を名乗っています。
真言宗大日山金剛華寺とは桐山氏の作った、あたかも真言宗であるかのように装
った新興宗教であり、これまた高野山真言宗とは関係ありません。
阿闍梨かどうか疑わしいのでは、なおのこと、真言宗を名乗る資格はありません。

この本では、真言宗大日山金剛華寺管長、観音慈恵会々長、日本密教根本道場主
という3つの組織の長の肩書きを載せています。
実際には桐山氏が作った一つの小さな教団に別々の名前をつけたにすぎません。

桐山氏が1990年前後から急に海外から肩書きを買い集め、それまでとは方向が
変わってしまったと嘆く信者もいます。
しかし、桐山氏が名誉や肩書きをほしがるのは、最近のことではなく、この例を
みてもわかるように、昔から実体を伴わない肩書きが大好きでした。

1971(昭和46)年に出た「変身の原理」には、真言宗金剛院派副管長という肩書き
を載せています。
この本では権大僧正を、1972年以降の本では大僧正を名乗っています。
権大僧正は金剛院派という新興宗教の中での位階であり、高野山真言宗の正式の
ものではありませんから、世間的にはまったく通用しません。
桐山氏は金剛院派以外からは権大僧正の位階をもらったことはありません。
大僧正に至っては、金剛院派のものですらなく、まったくの自称であることが元
信者たちの証言にあります。
355 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/06(月) 21:06

「桐山氏は阿闍梨か?」 7.偽位階を見抜けない超能力

権大僧正など、当時の桐山氏の肩書きは金剛院派という新興宗教でしか通用しな
いものでした。
観音慈恵会があたかも高野山真言宗の一派であるかのように装い、自分が真言宗
の正式な阿闍梨、権大僧正や大僧正であるかのように名乗っていたのです。
屁理屈をいくら並べても、明らかな詐称です。

最初の頃、桐山氏はもらった肩書きが高野山真言宗でも通用すると信じていた形
跡があります。
このことは、1967年頃の会報に載った次の文章からもよくわかります。

「今回、はからずも、不肖不徳の身に、三国伝来の大マンダラを授かり、且
つ、高野山摂播本部副総監、中僧正、弘教、学匠という僧階を頂き、皆様よ
りお祝いと激励の言葉を頂きましたことは、真に有難く、心から御礼申上げ
ます。」

まるで高野山真言宗からこれらの位階をもらったような書きぶりです。
高野山真言宗は今日に至るまで桐山氏にいかなる位階も出していません。
高野山真言宗からの位階であるかのように北野師が桐山氏をだましたのです。
これらはすべて金剛院派でしか通用しない位階です。

この桐山氏の文章には興味深い点があります。
桐山氏が位階をもらえることを心底喜んでいる点、そして、北野師にだまされて
いることにまったく気が付いていない点です。

桐山氏の記述は明らかに、高野山真言宗から位階をもらえるものと誤解しており、
その権威に誇りを感じています。
会報が出た1967(昭和42)年には、桐山氏は求聞持法を体得していたはずです。
5つの超人的能力を持つと自慢する桐山氏にしては、北野師の簡単なトリックに
簡単にひっかかっています。
桐山氏の名誉心が強いことを見抜いて、北野師は手玉にとったのです。
桐山氏の言う、透視能力などの超能力とはせいぜいこの程度です。
406 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/08(水) 21:10

「桐山氏は阿闍梨か?」 8.北野師とのトラブル

金剛院派の副管長や肩書き授与など、桐山氏と北野師との間はしばらく蜜月が続
きました。

北野師との関係がギクシャクした最初の事件が、1968年の高野山での勤行です。
北野師の口利きで高野山で千座行を勤行するつもりで行ったところ、高野山はま
ったく相手にしてくれず、拒絶されました。
大橋覚阿師の助けで、かろうじて次の日に勤行して体裁を保ったものの、桐山氏
は千人もの信者の前で大恥をかかされました。
桐山氏は初めて、金剛院派など高野山では全く通用しないことを知ったのです。

ここまでなら、桐山氏は北野師にだまされた被害者でした。
金剛院派の肩書きを捨てて、一から出直せばよかったのです。
北野師が高野山真言宗から相手にされていないことを見れば、自分の僧侶として
の資格や伝法内容についても疑問をもっていいはずです。
大橋師などから正式に伝法潅頂を受け直せばいいことです。

だが、桐山氏の野心と自負心だけは超人並です。
反省し、間違いを率直に認め、軌道修正するのではなく、嘘を更なる嘘でごまか
すという出家前と何の変わりもない心癖を出しました。
いつものように、自分の頭の良さを過信し、世間の目をなめきって、すべてをう
まく利用する道を選びました。

金剛院派副管長、大日山金剛華寺管長を名乗っているのに、今さら、伝法潅頂し
てくれでは、引っ込みがつかないといった消極的なものではありませんでした。
桐山氏のやったことは、金剛院派の肩書きをやめるどころか、後に自称・大僧正
を名乗り、むしろ嘘の上塗りに出ました。

金剛院派副管長を名乗ったのは「変身の原理」だけでしたが、北野師と小田師に
師事したと、1973年の「密教占星術T」まで両者を利用し続けました。
1974年以降、桐山氏は両者の名前を引っ込め、北野師の名前は二度と使いません
でした。
北野師との関係がギクシャクし、小田師側からも抗議が行ったからでしょう。
小田師の名前は、存命の間は出さず、死後、桐山氏は本に写真まで出してその権
威を使い、今日では伝法会で小田師を看板に利用しています。
435 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/10(金) 21:10

「桐山氏は阿闍梨か?」 9.奇跡の売り方

あの桐山氏をだますほどの北野師とはいったいどのような人物でしょうか。
北野師の性格や宗教家としての活動は弟子の桐山氏に劣りません。
宇宙人と会ったと称してテレビに出たこともあります。

北野師は観音慈恵会の信者の前で、おみくじの番号を透視したり、念力で電球を
つけてみせて、機関誌に「現代の奇跡」として紹介されました。
いずれも初歩的な手品にすぎないことくらい気が付きそうなものですが、信じる
者、信じたい者には奇跡と映るようです。

桐山氏には念力の護摩からモンゴルの雨まで、奇跡と称するものが付き物です。
この手法で信者を集め、信仰心を強くさせる手法が、桐山氏のオリジナルではな
く、北野師からの「伝法」であることがよくわかります。

念力電球の目撃者は信者たちでした。
信者たちが「疑って見ていたが、ほんとうにこの目で見た」と言えば、本人が信
じているだけに、説得力があります。
黙っていても、目撃者の信者たちが真剣に周囲に奇跡話の宣伝をしてくれます。
後に、念力の護摩やモンゴルの雨で信者たちを目撃者にして、宣伝に利用したの
と同じ手法です。

手品でもできるパフォーマンスをして、自分の力を示そうとする僧侶の汚れた心
のあり方にまず疑いを向けるべきでしょう。
だが、御利益を得たい、超能力や成仏力を得たいなどと欲にかられていると、た
だの手品が超能力や法力による奇跡に見えてしまうのです。
446 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/13(月) 20:41

「桐山氏は阿闍梨か?」 10.奇跡は詐欺のエサ

北野師の、手品を奇跡と言い換える手法を桐山氏は非常によく学び、後々まで奇
跡を用いて、信者たちの目くらましに使い続けます。
今日でさえ、桐山氏は総本山に修行場を作り、そこで賢人を作ると称しています。
桐山氏の知能程度、体力を見れば、彼のいう賢人がウルトラマンと同じ空想の物
語にすぎないことは明らかです。

昔の超能力を成仏力と名前を変えたにすぎないことにすら、今でも信者は気が付
かず、阿含宗から賢人が出現すると信じています。
あわよくば、自分もそのおこぼれに預かろうとしています。

賢人を作るという修行場に多額の寄付をする信者たちは、三十年ほど前に北野師
の手品を奇跡だと賛嘆した信者たちと同じレベルです。
時代が変わっても、簡単にだまされる人たちが常に存在するという実例のような
ものでしょう。

ところが、今の信者は、超能力時代の信者を軽蔑さえしています。
辞めた信者は超能力を求めただけの我欲の信者だったと、桐山氏が自分を正当化
するために作った屁理屈を今の信者たちは信じているからです。

しかし、桐山氏が信者に与えたエサは、超能力を成仏力とラベルを張り替えただ
けで、昔も今も中身はまるで同じです。
超能力時代の信者たちは最初だったから、詐欺にひっかかったのかもしれません。
今の信者は、前例がありながら、同じ罠であることすら気が付いていません。
仏陀の智慧や賢人を目指す前に、まず世間的な常識を学ぶべきでしょう。

北野師の念力電球と桐山氏のいう賢人の話は、規模が違うだけで、人の目をあざ
むき、中身のない手品だという点では同じです。
三十年間、師匠から伝授された桐山氏の手法は変わっていません。
460 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/15(水) 20:58

「桐山氏は阿闍梨か?」 11.照真秘流の千座行

念力電球くらいはまだかわいいほうでした。
北野師による最大の宗教詐欺は照真秘流でしょう。
また照真秘流こそが、二人の決裂が表面化した直接の原因でした。

照真秘流は金剛院派の最大の売り物でした。
北野師は照真秘流の第五十三世を名乗り、桐山氏は五十四世の予定でした。
しかし、真言宗のどこを探しても照真秘流などという流派はありません。
当時の桐山氏は、照真秘流は、真言宗の伝統的な小島流や三宝院流よりもはるか
に上位の流派であると信者には宣伝していました。
桐山氏は金剛院派の副管長して、照真秘流一本槍で来たのです。

1966年に出た「千座行教典」では、大白身法準胝尊千座行がどのように伝えられ
てきたかという血脈を次のように書いています。
大日、金剛、・・・・・、晴弘、恵宝、靖雄
また、機関誌の中で、千座行の由緒を次のように桐山氏は書いています。
「金剛院秘流に伝わる秘法で、密教門中最高最勝の因縁解脱法として有名な御法
であります。」

つまり、照真秘流は、真言宗に秘かに伝えられたインド伝来の由緒正しい流派で
あり、千座行はその中にある有名な修行法であると位置付けていたのです。
照真秘流を用い、千座行を真言密教の秘法として権威付けをしていました。

千座行の血脈と由緒は桐山氏による創作であり、まったくの嘘、デタラメです。
後に桐山氏本人すら、千座行は自分で編纂したものであることを認めています。
金剛院派の照真秘流の馬脚が現れて、認めざるを得なくなったのです。
では、照真秘流千座行の血脈と由来の馬脚を見てみましょう。
474 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/17(金) 21:04

「桐山氏は阿闍梨か?」 12.昭和初期に作られた照真秘流

照真秘流を標傍していた当時、桐山氏は自分が編纂したにすぎない千座行を、イ
ンドから伝えられた真言密教であると権威付けをしていました。
ばれないだろうと世間を甘く見て、権威付けのための壮大な話を作りあげるのが
桐山氏の得意技です。

桐山氏は知らなかったが、北野師もまた桐山氏とまったく同じ手法で、照真秘流
の権威付けをしていました。
互いに架空のホラ話で、自分の宗教を権威付けしていたのですから、一方が崩れ
れば、もう一つも崩れます。
そして、実際に崩れました。

照真秘流とは、昭和初期、実川泰仙氏が始めたもので、真言宗とは何の関係もな
い宗教です。
実川氏が発行した本を種本にして、北野師はあたかも流派を引き継いだように自
称し、中身を桐山氏に切り売りしていたのです。
実川氏は、北野師とはまったく面識がないと述べたと、実川氏の家族が、後に本
で証言しています。
北野師は実川氏から学んだことすらなく、単に本から盗用していたのです。
これなど後に、他人の本を丸ごと盗用して密教占星術奥伝と称して信者に伝授し
た桐山氏と同じ手法です。

師匠は昭和初期に他人が作ったものをインド伝来の密教として教え、弟子は自作
の千座行を照真秘流やインド伝来の密教として宣伝していたのです。

照真秘流のネタがばれても、本来なら困るのは北野師だけです。
ところが、桐山氏も全く同じ方法で千座行の血脈や由来に利用していました。
打ち合わせもしていないのに、アウンの呼吸で同じ手法を用いて権威をでっち上
げる、両者はまるで双子のように似た師匠と弟子でした。
だが、ばれた時の開き直りの手法は桐山氏のほうがはるかに上手でした。
477 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/19(日) 20:50

「桐山氏は阿闍梨か?」 13.照真秘流の実態がばれた

照真秘流からの盗用が本格的にばれたのは1975(昭和50)年でした。
この年、照真秘流の復刻本の広告が出ました。
復刻したのは著者の実川氏ではありません。
実川氏が亡くなったと思い、誰かが勝手に復刻して金儲けをしようとしたのです。
当時、実川氏は復刻を聞いて、「静観する」と述べたと言われています。

実川氏の本を見て、桐山氏は愕然としたに違いありません。
秘法として北野師から伝授された内容が、実川氏の本にそのままあったのです。
北野師は「照真秘流教伝書」という二冊の本を出していますが、これは実川氏の
二十冊以上にも及ぶ本からの抜粋にすぎません。

桐山氏はこの機会をうまく利用して北野師と公式に縁を切る作戦に出ました。
桐山氏は、ずっと前から照真秘流の実態を知っていたが、北野師の名誉のために
沈黙していたというような、お得意の自己弁護を展開しました。
しかし、桐山氏が縁切りの宣言をしたのは復刻本の広告の出た1975年です。
復刻本の広告がなければ、口をつぐんでごまかすつもりでした。

広告が出ると、信者に対して次のような文面を配りました。
「北野氏は弘法大師直伝の照真秘流第五十三世と名乗っているが、同流は昭
和初期に実川泰仙氏が開いたもので、北野氏のは詐欺だ。桐山は一時は北野
氏に師事したが現在はいっさい無関係である」

宗教詐欺のデパートか卸問屋のような桐山氏をして、「詐欺だ」と言わしめた北野
師は、師匠だけのことはあったのです。
この文面には、全責任を巧みに北野師に負わせて、しかも縁を切りたいという一
挙両得を狙った桐山氏の意図がはっきりと表れています。
北野師と縁を切りたかったのは照真秘流という宗教的な問題だけではなく、桐山
氏にとってもっと現実的な実害があったからです。
482 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/21(火) 20:50

「桐山氏は阿闍梨か?」 14.照真秘流は最大の売り物だった

真言密教とは何の関係もない照真秘流を、真言密教の最高の秘法として、桐山氏
は信者たちに宣伝してきました。
1969(昭和44)年には「慈恵会特別研修」という伝法会が行われています。
機関誌には次のような写真入りの報告を載せました。
「今回の研修は中等科で、昭和二十三年、文部大臣の認証を得た秘流の霊能開発
倫伽行法等の行事を研修する。」(「倫伽」は原文のまま)

照真秘流が文部大臣の認証を得たとは笑止千万です。
桐山氏はあたかも公の機関が保証したかのように、信者をだましました。
世俗的な権威を使う手法は昔も今も変わりません。

当時の観音慈恵会の広告には、セールスポイントの一つに次のような「虫切り」
というのがありました。
「霊法「虫切り」「虫封じ」施行。病邪の毒素が、毛穴から微細な糸状になって吹
き出し、健康になります。」
実川氏の照真秘流では「神伝顕法肝虫封じ相伝書」に公開されています。

他にも、桐山氏が「変身の原理」で書いた足止めの法などは照真秘流の「蟇霊念
力念誦秘録」にあります。
元ネタがばれてしまうと「霊法」というネーミングのすごさに驚かされます。
元ネタを知れば唖然とするような内容に「霊法」「秘法」「正法」「奥伝」
「成仏法」などと名前を付けて信者に高値で売りつけるのは桐山氏の得意技です。

今日、釈尊や阿含経を看板に利用しているだけで、阿含宗の中身が釈尊の教えと
はまるで脈絡がないのと同じ手法です。
昭和初期に作られ、真言密教と関係のない照真秘流を、インド伝来の真言密教の
最高峰であると桐山氏は長年宣伝していたのです。
485 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/23(木) 20:51

「桐山氏は阿闍梨か?」 15.照真秘流よりも切実な理由

北野師との関係が冷え始めたのは前述の高野山参拝がきっかけでした。
しかし、照真秘流を桐山氏も売り物にしていたので、持ちつ持たれつの宗教詐欺
師同士の腐れ縁がありましたから、全面戦争には至りませんでした。

桐山氏によれば1975年の復刻本の広告の前に真実を知っていたといいます。
1969年になった金剛院派の副管長を1972年には満期を理由に辞めています。
1973年の「密教占星術T」を最後に北野師の名前を削除したことから見ても、少
なくともこの段階で照真秘流の実態を知っていた可能性はあります。
それなら、この段階で、率直に自分の過ちを認め、軌道修正をするべきでした。

しかし、「大法輪」という信者の目にも触れる本に復刻本の広告が出るとわかって
から、桐山氏はあわてて弁明をしています。
つまり、桐山氏はばれなければそのまま嘘を突き通すつもりでいたのです。

ここには桐山氏の宗教や法に対する態度がよく表れています。
桐山氏にとって照真秘流の嘘など、信者にばれなければどうでもいいのです。
さんざん霊法だの最高最奥の秘伝だのと宣伝したことなど、きれいさっぱりと忘
れてしまう特技をもっているからです。
桐山氏は法に厳しくあれと信者には教えますが、自分自身はこのように場当たり
的でデタラメです。
ばれなければごまかすという態度は桐山氏の宗教人生にいつもつきまといます。
この態度には宗教者としての良心が感じられません。

桐山氏のこういう態度をみればわかるように、照真秘流の元ネタがばれた程度な
ら、北野師との絶縁宣言は必要がなかったのです。
絶縁宣言は、照真秘流という宗教的なものが原因ではありません。
宗教的な決別などという高度なものではなく、もっとドロドロした、桐山氏にと
って切実な理由がありました。
それは信者の取り合いです。
490 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/25(土) 21:07

「桐山氏は阿闍梨か?」 16.信者の争奪戦

北野師との対立が始まった一番の理由は、信者の取り合いです。
当時の観音慈恵会の信者は、桐山氏の師匠である北野師の所にも出入りしている
人たちがかなりいました。

念力の護摩や超能力などの密教ブームに乗って売り出し中の桐山氏にしてみれば、
北野師からは学ぶものは何もないばかりか、信者を引き抜く商売仇です。
信者の引き抜きに腹を立てながらも、北野師と公式に絶縁ができなかったのは、
照真秘流があまりに弱みだったからです。

長年に渡り、照真秘流を看板にしていたのに、1975年の復刻の広告で、真言宗の
秘伝ではないことがばれて、信者に言い訳を繕う必要に迫られました。
桐山氏にとってこのピンチはチャンスでした。

言い訳を構築することになれば桐山氏の得意分野です。
北野師をかばうために沈黙していたなどと自分を正当化し、全責任を北野師に押
しつけて、一気に北野師との関係を断ち切ることで、教団を守ろうとしました。
照真秘流という宗教的な大義名分を表書きにして、実際には、信者の取り合いで
もめていた北野師と縁を切るのに利用したのです。

桐山氏には、照真秘流の元ネタがばれたことは大した問題ではありませんでした。
宗教的な中身など、桐山氏の手の内で誰にも見えないのだから、彼の詭弁をもっ
てすれば、信者をだまし続けることは簡単です。
後に、照真秘流などから寄せ集めた雑多な密教にすぎない内容を、阿含密教と称
して、あたかも釈迦仏教であるかのようにすり替えた特異能力の持ち主です。
照真秘流が何者だろうが、ばれようが、桐山氏には大した問題ではありません。

桐山氏にとって深刻なのは、信者の数です。
信者の数は教団の勢力であり、金銭と直結します。
大教団を作り、伽藍の中で聖者としてかしずかれ君臨することが夢である桐山
氏にしてみれば、北野師は師匠どころか、邪魔者でしかありませんでした。

北野師との決裂は一見、照真秘流という宗教上の争いのようにみえながら、水面
下では、数年前から信者の奪い合いという泥仕合が始まっていたのです。
500 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/27(月) 20:58

「桐山氏は阿闍梨か?」 17.信者よりも教団

両者の激しい誹謗中傷合戦が始まると、信者の取り合いが表面化します。
北野師側は報復として桐山氏の前科を暴露しました。
両者の中傷合戦は当時「宗教を現代に問う」を連載していた毎日新聞にまで取り
上げられました。

桐山氏は、北野師と二股をかけている信者をスパイさせて、行かないように言う
など、教団を守るために必死でした。
透視能力があるのなら、スパイなど使う必要もなかったでしょう。

桐山氏は口癖のように「信者が一人もいなくなっても、自分一人で托鉢から始め
ればいい」といいます。
解脱した自分は何ものにも執着しないというお得意のポーズです。
これが本心で、自分に自信があれば、信者を引き留める必要などありません。

確かに桐山氏は信者個人には執着がありません。
役に立たないとか、桐山氏の気に入らない信者は、職員でも先達でも、何のため
らいもなく切り捨てられ、きれいに忘れさられます。
執着しているのは数としての信者であり、誰であるかはどうでもいいことです。
百人がやめても、無知な百人が入信すれば桐山氏には同じことです。

桐山氏が執着しているのは自分の教団です。
教団の構成要員である駒としての信者がほしいだけです。
信者を守りたいのではなく、自分の教団を守りたかったのです。

自分が築き上げたという自負心と強い執着のある教団が、かつての師匠によって、
土台を揺さぶられていると危機感をつのらせていました。
北野師が実際に信者を引き抜いていたかどうかは問題ではありません。
実際に教団が危機に陥っていたかどうかではなく、攻撃を受けると、程度にかか
わらず、桐山氏の頭の中では警報が鳴り続け、止まらなくなるのです。

教団への妄想的な危機感が、北野師を攻撃し、前科をばらされるという、返り血
をあびるような愚かな選択をさせたのでしょう。
桐山氏は自分や私有物である教団が攻撃されていると感じると、冷静さや度胸を
失い、こっけいなまでにヒステリックな反応を示すのが常だからです。
514 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/11/29(水) 21:32

「桐山氏は阿闍梨か?」 18.教団の守りは無能無策

観音慈恵会は桐山氏の私有物であり、彼は創業の社長ですから、会社を乗っ取ら
れるなど、プライドにかけて許されることではありません。
桐山氏はこういう時には過剰なまでの防衛反応を示します。

ある時、幹部信者が組織運営をもっと自分たちに任せてほしいと申し出ると、桐
山氏は「出て行くのはキサマらだ!」とどなりつけたことを自慢していました。
幹部信者たちは、桐山氏の一貫しない運営を正常化しようとしただけでしょう。
だが、桐山氏はこれを教団の乗っ取りと受け取り、過剰反応したのです。
透視能力があるはずなのに、幹部たちの気持ちも透視できず、しかも、何年も後
になって、どなりつけて追い出したことを自慢しました。

教団に強い執着を持っている割には、教団の守りは見事なまでに無策です。
桐山氏は攻撃が主体なので、好対照に、守りはまるで無能です。
適当な手だてが思いつかないという知性の問題だけでなく、桐山氏は攻撃を受け
ると頭に血が上って、冷静さを失ってしまうからです。

1980年代末にオウム真理教が阿含宗の信者の引き抜きを始めて、実際信者が流れ
ても、具体的な対策が何もとれませんでした。
オウム信者が道場の前でチラシ配りしたので、職員がどなりつけて追い返したの
を法話で自慢していました。
どなりつけ、それをまた自慢するのですから、チンピラ程度です。
桐山氏は、守りが無能だと自覚することはなく、自分は完璧な知恵者だとかたく
信じて、今もどなりつけています。

しかし、弱みまで握られているかつての師匠では、桐山氏の唯一の防衛策である
どなりつけることは通用しません。
仏陀の智慧を自認する桐山氏のとった防衛策とは、北野師に全責任を押しつける
ことであり、結果、前科をばらされるという彼にとっては最悪の結末でした。
前科を暴露されて霊障物語を作り、嘘の上にさらに虚の話を作り上げることにな
ったのですから、この防衛策はその意味でも最悪であったと言えます。
521 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/01(金) 20:58

「桐山氏は阿闍梨か?」 19. キツネとタヌキの師匠と弟子

北野師は桐山氏の師匠だけあって、決別すると、桐山氏の創作である千座行を大
白身千座因縁解脱法として、金剛院派の中にちゃっかり取り入れています。
北野師の、何のツテもない高野山にいきなり桐山氏を連れて行く度胸のよさや、
他人の本を切り売りするだけの照真秘流など、今日の桐山氏を彷彿とさせます。
弟子は、照真秘流を権威に自作の千座行の伝説を信者に宣伝しておきながら、嘘
がばれると、師匠に全責任を転嫁して、口をぬぐってしまいました。

宗教詐欺師の師匠と弟子をはるかに超えて、キツネとタヌキの化かし合いです。
二人はまるで双子のようによく似ていました。

桐山氏はよく「因が縁を呼ぶ」と言います。
簡単に言えば、類は友を呼ぶ、レベルの似た者が集まるという意味です。
嘘の多い桐山氏の教えですが、北野師との関係においては、この教えが正しいこ
とを身をもって示しています。

北野師と公式に決裂した1975年、「変身の原理」が角川書店から再刊されたこと
もあり、信者が増加していました。
反面、超能力開発が空宣伝であることに気づいたり、桐山氏の前科を知ってやめ
る信者もたくさんいました。
北野師からの信者の引き抜きはあっても、出入りが激しいことが幸いして、致命
的な打撃にはなりませんでした。

むしろ、阿含宗の立宗や、北野師がばらした前科を逆手に霊障物語を作り上げ、
教団を発展させたと言ってもいいでしょう。
桐山氏の希望どおり、百人がやめても、何も知らない百人が入信しました。
観音慈恵会は知名度が低かったので、だませる一般人が多数存在したからです。
528 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/03(日) 21:10

「桐山氏は阿闍梨か?」 20.唯一の師から何を学んだか

桐山氏が北野師から最もよく学んだことは、宗教そのものではなさそうです。
信者をいかにうまくだますか、いかに外部の権威を利用するか、北野師の大胆で
ズボラな手法を桐山氏は実によく学び、後に実行しました。

北野師は照真秘流の本から盗用したにすぎないのに、自分こそは秘法の継承者で
あるように自称していました。
桐山氏も、他人の書いた本を丸ごと密教占星術奥伝と称して、伝法会で金をとっ
て信者に講義しました。

北野師は「渡印入蔵沙門」と称して、チベットで一年八ヶ月修行したなどと、パ
ンチェン・ラマの名前まで出して宣伝しています。
桐山氏はチベット仏教から寄付によって法位法号をもらうなど、ダライ・ラマな
どの権威をたくみに利用しています。

北野師は「小乗と大乗と金剛乗である現代は、まさに応用仏教でなければならぬ」
と書いています。
桐山氏の「阿含宗は北伝、南伝、東伝を合わせた完全仏教」とそっくりです。
あちらこちらからの宗教を切り張りし、寄せ集めて、師匠は「応用仏教」、弟子は
「完全仏教」と称しているのです。
北野師が応用仏教を書いたのは1974年頃、桐山氏の完全仏教は1995年頃ですか
ら、決別から二十年たっても、弟子は師の教えを忘れませんでした。

桐山氏が最も学びたいと思っていた宗教詐欺を、彼自身を教材にして実行してみ
せる、すばらしい師匠についていたのです。
北野師は、自分の教えた宗教詐欺を見事に開花させてみせるすばらしい素質を持
った弟子に恵まれました。
534 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/05(火) 20:31

「桐山氏は阿闍梨か?」 21.詐欺を見抜けなかった超能力

北野師の照真秘流にだまされた件は、桐山氏の自己宣伝の実態を知る上で重要な
ことが含まれています。
それは、長年、桐山氏が北野師の正体も照真秘流の中身もまるで見抜くことがで
きないままであったという点です。

桐山氏が求聞持法を成就した時期は明らかにされておらず、著書では「四十歳を
こえていた」とありますから、1961(昭和36)年以降になります。
1971(昭和46)年に「変身の原理」で世にデビューしたとき、すでに5つの超人的
能力を獲得したと書いています。

ところが、「変身の原理」の著者略歴には金剛院派の副管長という肩書きと、北野
師に師事したことが書いてあります。
桐山氏が金剛院派の副管長を降りたのは1972年で、北野師に師事していたこと
を本に書かなくなったのもこの後です。
これらの著者略歴は、超能力を獲得したはずの後も、北野師の詐欺行為を見抜く
ことができずにいたことの証拠です。

桐山氏の獲得したという5つ超人的能力の一つ目に、
「事物の明確な認識と予知および正確な選択力」
とあります。
北野師や照真秘流に対する明確な認識はどうしたのでしょう。
後で嘘だとわかって大騒ぎになることは予知できなかったのでしょうか。

この一例だけでも、桐山氏が自己宣伝した5つの超人的能力など、いかに根拠の
ない思いこみにすぎないかが、はっきりとわかります。

ただし、「正確な選択力」だけはあったかもしれません。
宗教的な詐欺に長けた北野師を、生涯唯一人の師匠として選択したのは、桐山氏
にとってはたしかに「正確な選択力」でした。
537 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/07(木) 21:22

「桐山氏は阿闍梨か?」 22.北野師の僧歴

ケンカ別れした北野師が、桐山氏に有利な証言をするはずがありません。
北野師が「潅頂していない」と言っても、信用できるどうかわかりません。
つまり、桐山氏は北野師から伝法潅頂を受けた可能性も残っています。
そこで、北野師の経歴をもう一度見直してみましょう。

北野師の真言宗金剛院派の本覚寺は、元は浄土宗の寺でした。
北野師は浄土宗の僧侶でした。
戦後、彼は本覚寺を勝手に真言宗金剛院派と改めました。
真言宗金剛院派といっても、北野師がそう名乗っているだけで、高野山真言宗と
は関係のない、真言宗系の新興宗教にすぎません。

北野師が浄土宗の僧侶であることは確認されていますから、正式な僧籍をもった
僧侶です。
だが、浄土宗の僧侶だからといって、真言宗の伝法潅頂をする資格はありません。
北野師はいつ誰から伝法潅頂を受けて阿闍梨になったのでしょうか。

北野師の「照真秘流教伝書」には、初版の著者に「金剛仏子晴弘」とあります。
「金剛仏子晴弘」とは、北野師の師匠で浦野耕牛氏のことです。
浦野氏は真言宗を名乗っていますから、彼から北野師は伝法潅頂を受けたのでし
ょう。

桐山氏が北野師から伝法潅頂を受けたとしても、北野師が本当に阿闍梨かどうか、
さらにはその師匠の浦野氏が阿闍梨かどうかが問題です。
真言宗では法脈が大事で、その前の一人でも正式でない者がいれば、以後、すべ
ては資格がなくなります。

浦野氏とはどのような人物なのでしょうか。
浦野氏は、戦後、脱税目的に作られた皇道治教の教祖の一人でした。
549 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/09(土) 21:55

「桐山氏は阿闍梨か?」 23.宗教詐欺師の法脈

皇道治教は、宗教法人を悪用して、脱税することを目的にしたフランチャイズ方
式の宗教で、浦野氏は教祖の一人でした。
皇道治教が検挙され始めると、浦野氏は自分の教団を真言宗高野山大師教と、あ
たかも伝統宗教の一派であるかのように名前を変えてすりぬけました。
北野師の真言宗金剛院派、桐山氏の真言宗大日山金剛華寺と同様に、真言宗高野
山大師教は高野山真言宗とは何の関係もない新興宗教です。

浦野氏は戦時中は憲兵だったといいますから、僧侶ではありません。
戦後、食うために皇道治教で一旗揚げようとしたのでしょう。
正式の僧侶なら、戦後、雨後の竹の子のように出現した新興宗教の中から、わざ
わざ脱税目的のいかがわしい宗教を選ぶ必要はありません。

金剛仏子晴弘こと浦野氏は、管長、大僧正を名乗り、易者をしていたそうです。
桐山氏も「金剛靖雄」を名乗り、管長であり、自前で大僧正を名乗り、占いの本
を出し、真言宗を権威に使い、僧侶の資格がないなど、浦野氏とよく似ています。
偶然とはいえ、セイコウとセイユウと名前まで似ています。

北野師の著作の奥付を信じるなら、照真秘流を最初に盗用したのは、北野師では
なく、浦野氏であることになります。
北野師は脱税目的の宗教団体で、このような人物を師として仰いで、指導を受け
たのです。
こうしてみると、北野師と桐山氏という双子の宗教詐欺師という図式ではなく、
浦野氏から三代に渡る宗教詐欺師の系譜であることがわかります。

「千座行教典」の法脈の系図には、大日如来から始まり、「・・、晴弘、恵宝、靖
雄」と続いています。
宗教詐欺の手法を師から弟子に伝授して、次第に拡大、巧妙化させ、ついに孫弟
子である桐山氏が完成させたと言えます。
まさに一子相伝の宗教詐欺師の法脈です。

北野師は、浦野師から伝法潅頂を受けたとしても、正式な阿闍梨ではありません。
仮に、北野師が桐山氏に伝法潅頂をしたとしても、北野師には阿闍梨の資格がな
いのですから、伝法潅頂自体が無効です。
556 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/11(月) 20:32

「桐山氏は阿闍梨か?」 24.阿闍梨ではありえない

北野師は浄土宗の僧侶ではあるが、真言宗の阿闍梨ではありません。
北野師は桐山氏に伝法潅頂する資格そのものがないことになります。
つまり、仮に北野師から伝法潅頂を受けたとしても、桐山氏は真言宗の正式な阿
闍梨ではありえません。

桐山氏が北野師から伝法潅頂を受けたとすれば、証明書があるはずです。
伝法潅頂を疑われたら、証明書を見せれば済んでしまうことです。
だが、仮にあったとしても、桐山氏は出すことはできません。
資格のない北野師が出した証明書では、桐山氏が自称・阿闍梨であることを文書
で証明するようなものだからです。

桐山氏が阿闍梨であるかどうかは、簡単にまとめれば次のようになります。
第一に、伝法潅頂を授けてもらったという北野師も、証明師の大原師も否定して
いるのですから、桐山氏は阿闍梨ではありません。
第二に、仮に、北野師が実際には伝法潅頂をしていながら、嘘をついても、北野
師が自称阿闍梨では伝法潅頂自体が無効です。
偽医者の作った偽の国家試験に合格した偽医者のようなのものです。

真言宗が法脈を重視している限り、桐山氏はどこをどうひっくりかえしても、真
言宗の僧侶の資格はないし、阿闍梨ではありません。

桐山氏は、僧籍詐称には沈黙し、批判を無視し、その代わり、発展途上国などか
ら金で法位を買い取りました。
だが、外国からいくら法位を購入しても、阿闍梨を詐称していることの帳消しに
はなりません。
取得するのにさして難しくなかった僧籍すらも詐称し、大僧正も自称する桐山氏
の宗教心とはいったいどのようなものなのでしょう。
574 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/13(水) 20:41

「桐山氏は僧侶か?」 25.資格もないのに行法を教える

桐山氏は阿含宗を立宗し、宗祖になっています。
真言宗ではないのだから、真言宗の僧侶である必要はないという見方もあります。

桐山氏が真言宗の行法を利用していないのなら、この理屈は成り立ちます。
だが、桐山氏は阿含宗の伝法会で信者に対して、金をとって真言宗の行法を伝授
しています。
伝法内容も真っ先にあげられているのが四度加行、つまり如意輪法、金剛界法、
胎蔵界法、不動法、不動護摩という真言宗からもってきた行法です。
伝法会の神髄は合同講義だと桐山氏はいいますが、合同講義とは例祭での話と同
じようなホラ話、自慢話の羅列にすぎません。
伝法会の売り物が四度加行であることは明らかです。

真言宗の僧侶の資格のない桐山氏が、信者に真言宗の行法を伝授するというのは
問題にされて当然です。
いかに国家資格ではないとはいえ、仮にも仏に仕える者が、阿闍梨であると偽っ
て伝授するのは、信者ばかりでなく、仏に対する詐欺行為です。

桐山氏は、どこに出しても恥ずかしくない由緒正しい真言宗の行法であると信者
たちに告げています。
小田慈舟大僧正から伝授された三宝院流憲深方という正統な権威と法脈のある行
法であることたびたび強調します。
この点はどうでしょうか。
578 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/15(金) 20:56

「桐山氏は阿闍梨か?」 26.小田師からの伝法

桐山氏は阿含宗の行法が小田慈舟師からの直伝である証拠として、小田師からの
伝法の際の録音テープを伝法会で信者に聞かせています。
著書には、1972年に小田師から伝法を受けた時だという写真を載せています。
小田師からの伝法は、マスコミの調査と桐山氏の本からを合わせると、次の3度
になります。

1970(昭和45)年8月、護国寺での小田師の講義で、未入壇の疑いで途中から退席
させられる。
1970(昭和45)年11月、広島にある小田師の城福寺で如意宝珠法を伝授される。
1972(昭和47)年、観音慈恵会京都道場で、金剛界法、胎蔵界法を伝授される。

後の2つが本当にあったかどうか、疑問視する声もあります。
他の僧侶たちの面前で退席させられた桐山氏が、そのわずか3ヶ月後に、同じ小
田師から伝法を受けたとは考えにくいことも事実です。
堂々と思いこみで嘘を本に書いてしまう桐山氏の話では、録音テープや写真とい
う証拠を示されても、どこまで信用していいのか疑問が残ります。
小田師の生前には沈黙し、亡くなってから、死人に口なしとばかりに、本に公表
している点も、桐山氏らしいやり口です。

しかし、ここでは桐山氏の話をとりあえずそのままにしておくことにします。
なぜなら、小田師もまた他の多くの人と同様に、桐山氏にだまされた可能性があ
るからです。
桐山氏への批判本を初めて書いた真言宗の織田隆行師は、その著書のなかで、小
田師が桐山氏について次のように述べたと伝えています。

「彼の正体は後でよくわかり問題にしておらない」

つまり、最初は桐山氏の正体がわからず、小田師は桐山氏に何らかの伝法をし、
その後、正体を知り、付き合いをやめたともとれる発言です。
これは桐山氏の性格を考えるとありえない話ではありません。
590 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/17(日) 20:41

「桐山氏は阿闍梨か?」 27.小田師をだます

桐山氏は、1970年8月の護国寺での小田師の講義で、阿闍梨の資格を疑われて、
途中で退席させられています。
桐山氏の性格からすれば「今にみておれ」という気持ちだったでしょう。
桐山氏は、僧籍詐称の代わりに外国から法位を購入したように、身から出た錆を
反省するのではなく、話をそらして、別な形で取り返すのが得意です。

言葉巧みに小田師に近づき、取り入ることに成功したのでしょう。
桐山氏は、自分が大物だという印象を与えるのが得意です。
多くの人がこのハッタリに引っかかり、信者になりました。

桐山氏と最初会って話をすると、たいていの人は、何か大人物なのではないかと
いう印象を持つようです。
桐山氏の伝法潅頂の証明師であることを否定した大原師でさえ、
「受けた感じでは熱心な求道者であるなー位でした」
と、桐山氏の第一印象が決して悪くなかったことを述べています。

阿闍梨の資格を正式にとるという普通の解決方法を桐山氏は選びませんでした。
自分を拒絶した小田師本人から伝授を受けるという、自分の溜飲を下げるための
方法を選びました。
まじめな小田師を、海千山千の桐山氏が手玉にとるくらい訳のないことです。
要するに、小田師もまた桐山氏にだまされたのです。

桐山氏は得意満面で、1971年の「変身の原理」から1974年の「説法六十心1」
までの本の経歴に「小田慈舟大僧正に師事」と書いています。
師事というと、まるで弟子として長年仕え、真言宗のすべての行法を伝授された
ような言い方です。
自己申告を信じても、たった二度、それも阿闍梨であるかのように師をだまして
伝法を受けたことが、桐山氏の手にかかると師事したことになるのです。
613 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/19(火) 20:37

「桐山氏は阿闍梨か?」 28.求聞持脳には学習効果なし

小田師の護国寺での講義で、伝法潅頂を疑われて追い返されるという恥をかいた
ら、同じまちがいを繰り返さないようにするのが普通の人です。
犬猫でも、一度痛い思いをすれば、次からは気をつけるものです。
だが、5つの超人的能力を持つ桐山氏には犬猫程度の学習効果は通用しません。

護国寺でのことは限られた僧侶たちの前での話ですから、時間がたてば、当時、
名もない桐山氏のことなど忘れてくれたでしょう。
そこで正式な阿闍梨になっておけば、以後、恥をかかずに済んだはずです。
ところが、桐山氏はこのような簡単な軌道修正すらせずに、いきなり阿闍梨とし
て本を出してしまいました。
本にまで書けば、今度は世間から阿闍梨を疑われます。
本を出す一年ほど前、大恥をかいて、軌道を修正するチャンスがありながら、桐
山氏はこれを生かすどころか、わざわざスネの傷を公表し、広げました。

ここには桐山氏の、普通の人にはない独特の心癖が如実に現れています。
普通の人なら、阿闍梨でないことを反省して、今後、こんなことで恥をかかない
ように、正式に伝法潅頂を受けるという当たり前のことをするでしょう。
ところが、桐山氏は、自分を反省し、阿闍梨の資格を取るのではなく、小田師に
取り入り、伝法を受けることで、阿闍梨の問題をすり替えてしまったのです。

小田師から由緒正しい法脈の伝法を受けても、どんな奥伝や秘伝を伝授されても、
阿闍梨でないことの問題は何も解決されません。
両者がまったく別な問題であることは小学生でもわかります。
ところが、桐山氏は、小田師から伝法を受けると、すっかり有頂天になり、阿闍
梨の問題が解決したような錯覚に陥り、堂々と本にまで書いてしまったのです。
自分ですり替えをしていながら、元の問題が解決できたと本人が信じ込み、問題
そのものを忘れてしまうのは、桐山氏の人生の随所に見られる独特の心癖です。
624 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/21(木) 20:31

「桐山氏は阿闍梨か?」 29.問題のすり替えと代償行為

桐山氏の脳には自己反省という回路は存在しません。
批判された中身を修正するのではなく、中身を他の事にすり替えて、代償行為に
よってごまかしてしまいます。
偽ビール事件で自分の責任を認めたくないがために、悪因縁や霊障物語にすり替
えたのは、典型的な代償行為です。
規模の大きいすり替えなので、多くの信者はそのトリックに気が付きません。

阿闍梨の問題、偽ビール事件、因縁論などの阿含宗の教義は、一見、別々の事柄
のように見えます。
だが、桐山氏の脳に自己反省という回路が欠落しているという観点から見ると、
これらはまったく同一の根から発生した事柄であることがわかります。

霊障や因縁は信者相手なら通用するでしょう。
だが、偽ビール事件同様、阿闍梨は現実の資格ですから、いかなるすり替えも代
償行為もありえません。
桐山氏の頭の中では、小田師に師事したことで阿闍梨の問題は相殺されたと本気
で思いこんでいるから、本にまで書いてしまったのです。
現実の世界では、桐山氏の代償行為は通用せず、三十年たった今も、まだ阿闍梨
の詐称で批判を受けることになります。

前科と違い、阿闍梨の件は簡単に解決できたはずです。
反省を嫌い、悔しさだけから、問題を他のことにすり替えてしまう心癖のために、
こじらせ、深刻化させてしまった典型です。
簡単に解決できた件すらも、代償行為でごまかし続けたため、嘘が嘘を呼び、阿
闍梨の問題は今となっては解決不可能な状態になってしまいました。
桐山氏は現在もこの問題を正面からはとらえようせず、金に飽かせて、海外から
法位を買い取るという、問題のすり替えと代償行為を続けています。

桐山氏の様子は、嘘がばれて怒られた子供が、悔しくて悔しくて、意地になって
見え透いた嘘を突き通そうとしているようにさえ見えます。
瞑想などで心を自在に制御する方法を信者に説き、煩悩を断ち切った聖者だとい
うのに、現実の桐山氏はこのように子供じみた心の持ち主です。
626 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/23(土) 21:38

「桐山氏は阿闍梨か?」 30.彼の正体は後でよくわかり問題にしておらない

1974年の「密教超能力のカリキュラム」以降、1987年の本で小田師とのツーシ
ョットの写真を利用するまで、小田師が存命の間は名前を載せませんでした。
小田師は桐山氏のたくみな言葉に乗せられて、まさか阿闍梨ですらないとは知ら
ずに、いくつか伝法したのでしょう。
小田師の名前が桐山氏の本に載っているのを見た人たちが、桐山氏の正体を告げ
たため、小田師は桐山氏との縁を切ったのでしょう。

桐山氏は、1974-1977年に「密教講座」という雑誌を発行しました。
広告では、執筆依頼者の中に小田師をあげています。
しかし、12冊発行された「密教講座」に小田師のいかなる文章もありません。
「師事」したはずの師匠であり、執筆依頼をした小田師が、沈黙をもって拒絶し
たという事実を見れば、同師が言ったという、
「彼の正体は後でよくわかり問題にしておらない」
という言葉は、決して織田隆弘師の作り話でないことがわかります。

小田師の性格からして、桐山氏にだまされたことを抗議するようなことはせず、
むしろ、だまされた自分を反省したのでしょう。
小田師のこの言葉には、桐山氏にだまされたことへの憤りすら感じさせます。
執筆依頼を無視するのが、小田師にとって最大の抗議だったのです。

小田師がそうであるように、悪用されても、犯罪行為でもないかぎり、抗議した
り訴えたりする人はほとんどいません。
桐山氏の、他人を利用するバランス感覚は鋭いものがあり、相手が抗議しない、
訴えられないギリギリの線まで利用します。
当時、桐山氏の正体を知らずに、いつの間にか片棒を担がされ、不愉快な思いを
したのは、小田師一人ではありません。
638 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/25(月) 20:27

「桐山氏は阿闍梨か?」 31.彼の正体は後でよくわかり去った人たち

最初は桐山氏を支持しても、後で正体を知り、手を引いた人は少なくありません。
高野山大学、名古屋大学教授だった宮坂宥勝氏は、1971年の「変身の原理」以来、
桐山氏を応援していました。
1972年には中外日報で二人は対談をしています。
1974年の「密教講座」の創刊号には6人の同人の一人として参加しています。
「密教講座」では五十音順だが、広告では宮坂氏は6人の筆頭になっていました。

しかし、宮坂氏は「密教講座」3号から同人を降りました。
そして、1976年に出た織田隆弘師の阿含宗批判本に推薦文を載せています。

当時の観音慈恵会の会報には、渡米した宮坂氏からの、「変身の原理」を送ってほ
しいという手紙まで掲載されました。
宮坂氏は「変身の原理」を、高野山真言宗からアメリカに派遣されていた高橋成
通師に紹介しました。
高橋師は、1973年の「念力」に推薦文を寄せ、桐山氏を大日如来の化身とまで持
ち上げています。

石原慎太郎氏と福田赳夫氏は1973年の「密教占星術T」に、今東光師は1974年
の「説法六十心1」に推薦文を寄せています。
1969年には藤原弘達氏と、1974年には石原慎太郎氏や草柳大蔵氏などの著名人
と対談して、彼らは宣伝材料に利用されました。

桐山氏の本を事実と思いこみ、偉大な人物が現れたと信じたのです。
しかし、いずれの人たちも桐山氏の正体を知って関係を断ち切っています。
利用され、だまされたのは小田師だけではなかったのです。
1980年代に入ると、著名人を利用することが難しくなり、桐山氏は広告代理店を
使う方向に転換していきました。
649 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/27(水) 20:36

「桐山氏は阿闍梨か?」 32.盗んだ法の所有権は泥棒にはない

密教関係者が最初、桐山氏を支持したのには他にも理由があります。
密教は呪術性が強いので、釈尊の仏教から最も遠いとみなされていました。
密教系の僧侶も学者もある種の引け目を感じていました。
そこに、桐山氏が念力の護摩を焚いて、密教こそがむしろ究極の仏教だと旗を振
ったので、僧侶も学者たちも飛びついてしまいました。

しかし、桐山氏の話が、現実の伴わない絵空事にすぎないことに気が付いて、利
害関係のある少数の学者や僧侶を除いて、ほとんどの人が手を引きました。
「彼の正体は後でよくわかり問題にしておらない」
のは小田師だけではなかったのです。

桐山氏は阿闍梨ではないのだから、法を伝授される資格そのものがありません。
阿闍梨だと小田師をだまして受講しても、正式の伝授にはなりません。
盗んだ物の所有権が泥棒にはないのと同じです。

小田師も「問題にしておらない」と言ったのですから、桐山氏への伝授を取り消
したのと同じです。
桐山氏が小田師を看板に使えば使うほど、自分は人をだました泥棒だ、盗んで来
たものを教えていると宣伝しているようなものです。

さらに問題になるのは、桐山氏が伝法会で教えている四度加行の法脈です。
678 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/12/29(金) 21:35

「桐山氏は阿闍梨か?」 33.他の行法の法脈は?

小田師からは伝授されたものとして桐山氏は如意宝珠法、金剛界法、胎蔵界法を
あげています。
阿含宗の伝法会は現在5回まであり、如意輪法、金剛界法、胎蔵界法、不動法、
不動護摩などを教えています。

阿闍梨の資格や小田師をだました点を無視するなら、小田師から金剛界法、胎蔵
界法は伝授を受けたのだから、嘘の中にも根拠があります。
では、如意輪法、不動法、不動護摩はいったい誰から伝授されたのでしょうか。

桐山氏はこれらの行法もまた小田師から伝授を受けた三宝院流憲深方であると名
乗って伝法会で信者に伝授しています。
金剛界法、胎蔵界法がそうであっても、他は伝授を受けていないのだから、名乗
ることはできません。

桐山氏は小田師以外には北野師に師事したと書いています。
北野師は桐山氏に得度、準胝法、護摩界作法を授けたと述べています。
ところが、北野師はマスコミの取材に対して、
「だいたい、自分は小島流大門方であり、三宝院流を相承していない。」
とはっきりと三宝院流を否定しています。
北野師が信用のできない人物ではあることはわかったものの、彼が三宝院流を伝
授されていたら、わざわざ自分の権威を否定する理由はありません。

桐山氏の教える三宝院流の如意輪法、不動法、不動護摩はどの阿闍梨から伝授さ
れたものなのでしょうか。

伝授を受けていないのでしょう。
金剛界法、胎蔵界法を小田師から受けたから、その権威を借りて、あたかもすべ
て伝授されたかのように、講義の録音や写真で信者を欺いているのです。
明らかな宗教上の詐欺行為です。
708 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/12/31(日) 20:43

「桐山氏は阿闍梨か?」 34.伝法会は小田師看板の種本講義

桐山氏の伝法会講義の種本として有名なのが「密教事相大系」です。
講義よりもよほどわかりやすく解説してあると、信者の間では有名な本です。
桐山氏の講義は漫談が多く、受講しても信者は何も作法ができないのが普通です。

さらに、行法を間違えて講義することもあるので、法務部と信者の間で混乱がお
きて、毎年のように行法が変わったことがありました。
桐山氏は間違えて教えても「秘伝ではこうなっている」などと言い訳をして逃げ
るだけですから、法務部も信者もたまったものではありません。
桐山氏の「秘伝」で右往左往するよりも、伝法会は資格をとるためと割り切り、
行法は「密教事相大系」で学ぶのが、通のやり方です。

小田師をだましてかろうじて伝授されたことを看板にしているだけで、実際の内
容は種本などからかき集めてきたものにすぎません。
権威と名前と効能書きだけは立派だが、中身はあちらこちらからの借用、盗用、
寄せ集めです。
伝法会で教えていた密教占星術奥伝は、他人の本を丸ごと盗んで、ただ読むだけ
の講義をしていたのですから、行法もまさに「常の如し」です。
素人相手にだますのには十分なのでしょう。

阿含宗の伝法会とは、阿闍梨の資格もない桐山氏が、小田師をだまして盗んでき
た行法を、今日も小田師を看板に利用しながら、実際は他人が書いた種本を講義
しているだけという、祭られた本尊が泣き笑いするような内容です。
745 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/02(火) 20:41

「桐山氏は阿闍梨か?」 35.北伝仏教の法位法号はどこに

素人相手の伝法会なら、趣味として、まだ許されるかもしれません。
一方、阿含宗には専修学院という僧侶の養成所があります。
信者の中から希望者はここで得度し僧侶としての資格を得ます。
桐山氏は阿闍梨として彼らに僧侶の資格を授けています。

だがその資格は、桐山氏の阿闍梨と同様、阿含宗でしか通用しません。
桐山氏が小田師や三宝院流の権威と名前を無断借用しても、本人が真言宗の阿闍
梨の資格がないのですから、弟子に資格を与えることはできません。
偽僧侶からは偽僧侶しか生まれません。
自分たちは、小田師からの正統な法脈を持つ真言宗の阿闍梨であると信じている
専修学院の僧侶をもだましていることになります。

阿含宗は、北伝、南伝、チベットの仏教を融合した完全仏教を自称しています。
南伝仏教やチベット仏教からは法位法号を買い集めたようです。
法位法号を金で手にいれたからといって、南伝やチベット仏教を体得したことに
はなりません。
何十年もかかって習得する内容を、短時間で伝授された、体得したと宣伝すると
ころが、桐山氏らしい話です。
求聞持法もいつどこで体得したのか、今もって桐山氏は明言していないのですか
ら、桐山氏の行法獲得は、すべて一瞬で終わってしまうようです。

これは桐山氏には一つの特技があるからです。
桐山氏は「体得したと思いこむ」という凡人にはまねできない特技の持ち主です。
だから、どんな事でもすぐに体得して、達人になってしまいます。
もっとも、英語はこの瞬間特技が通用しないらしく、桐山氏の英語は彼の時代の
平均的日本人レベルから一歩も出ていません。

内容の体得はお得意の瞬間特技の観想でいいとして、では、北伝仏教の法位法号
はどこにあるのでしょう。
桐山氏は日本仏教の僧侶の資格がありません。
完全仏教を自称しようにも、一番肝心な北伝仏教である日本仏教の僧侶の資格が
ないのでは、自説が成り立ちません。

つまり、阿含宗はまだ桐山氏のいう完全仏教になっていません。
南伝、チベット仏教同様に、中国や台湾などの北伝仏教から法位法号を金で買い、
完全仏教を達成されてはいかがでしょうか。
748 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/04(木) 21:22

「桐山氏は阿闍梨か?」 36.一貫している桐山氏の真の願望

桐山氏は、阿含宗の優位性を示すために、既成仏教を攻撃しながら、しかも、阿
闍梨や法脈などの既成仏教の権威だけを利用しています。
阿含経に名を借りて、既成仏教を泥足で踏みつけて、しかも踏み台にして自分を
目立たそうとしています。
自分を誉めてくれない既成仏教や社会に対する桐山氏の「今にみておれ」という
屈折した心理がよく現れています。

桐山氏は一見、権威を否定し、執着がないように見せかけながら、内心はその権
威によって自分を飾りたい欲望でいっぱいです。
次の、北野師から偽の高野山の位階をもらうときの桐山氏のはしゃいだ文章は、
こういう本音をよく表しています。

「それに、また、会長の私が、多少でも社会的な地位を得ることにより、会
員諸氏の為に何かと便宜をはかってあげるのに都合のよいこともありますし、
ありがたく頂戴することに踏み切った次第であります。」

位階をもらう喜びが短い文面からにじみ出ているにかもかかわらず、もらう理由
を信者のためと、肩書きには何の興味もないようなポーズをとっています。
位階を「社会的な地位」と表現しているところに、桐山氏の本音のすべてが現れ
ています。
位階は僧侶の資格の一つではなく、桐山氏にとっては社会的地位なのです。
僧侶としての位階ではなく、社会的な地位こそが、桐山氏が最もほしがっている
ものです。

この文章が書かれたのは1967年です。
今日の勲章を集めて、社会的地位をほしがる桐山氏を見れば、三十数年前と何も
変わっていないことがよくわかります。
桐山氏の目的は因縁解脱に名を借りて、社会に認められることや社会的地位を得
ることであり、この方針だけは三十年間、ゆるぎなく終始一貫しています。
751 名前: ヌマエビ 投稿日: 2001/01/06(土) 21:46

「桐山氏は阿闍梨か?」 37.阿闍梨詐称は氷山の一角

信者たちは桐山氏の阿闍梨詐称の件を、大した問題だとはとらえていません。
「桐山管長は、阿闍梨の資格がなくても、並の阿闍梨よりははるかに力をもって
いる。いまさら資格など必要ない」
というものです。

信者たちの意見は、桐山氏に法力があるかどうかという問題に話をすり替えると
いう、師匠と同じ手法で問題の焦点をずらしているにすぎません。
阿闍梨という客観的な資格を、法力という客観性のないものにすり替えてしまう
のも、桐山氏と同じ手法です。
阿闍梨の資格は一つの規則であり、桐山氏は規則に違反しており、法力のあるな
しとは関係ありません。

阿闍梨詐称を単独でとらえている分には、信者たちのこういうピントはずれな意
見はなくならないでしょう。
重要なことは、阿闍梨詐称は桐山氏の詐欺的性格が現れた典型的な一例であり、
氷山の一角にすぎない点です。
詐欺的性格という氷山が海の下にある限り、阿含宗の歴史の中に連綿と現れて来
ます。
阿闍梨を詐称した当時、もう一つ詐欺的性格を露呈した足跡が残っています。
    ■ここまで2ch「心と宗教」内阿含宗という宗教6より転載
    http://mentai.2ch.net/psy/kako/971/971700284.html