- 320 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/04(火)
10:08
- >237 補陀洛さん
「一九九九年七の月」1 インドから始まった
桐山氏が世紀末破壊を本格的に書いたのは、1981年の「一九九九年カルマ
と霊障からの脱出」です。
この本を要約するなら、次のようになります。
1980年、桐山氏はインドの祇園精舎の「ミラクルの池」で、釈迦から
「白銀のバイブレーション」によるメッセージを受けた。
それによれば、世紀末に霊障(霊的祟り)による地球的破壊がおきる。
このことはノストラダムスの予言とも一致する。
世紀末の破壊のとき、人類を救うためにアンゴルモアの大王がよみがえる。
アンゴルモアの大王とは、霊障を除去する釈迦、あるいは釈迦の成仏法である。
地球壊滅のとき、桐山氏は再び祇園精舎に来て、釈迦を日本に移す。
桐山氏はアンゴルモアの大王をよみがえらせ、地球壊滅から人類を救済する。
桐山氏は、釈迦からテレパシーでの世紀末の地球壊滅を教えられ、人類救済の
使命を負わされたという話です。
- 321 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/04(火)
10:30
「一九九九年七の月」2 ミラクルの池
この本の中の見せ場は、釈迦からの「白銀のバイブレーション」です。
桐山氏はこれを祇園精舎にある「ミラクルの池」から受けたとあります。
桐山氏によれば、ミラクルの池とは、昔、釈迦が空中を浮遊し、池の上に降り
立ったとき、身体の半々が火と水になって奇跡を示した場所です。
1981年初護摩(正月の護摩)で詠んだ4つの和歌うち2つにミラクルの池が
出てくるように、ミラクルの池は重要なキーワードでした。
2500年前に奇跡を行った釈迦が、そのミラクルの池に桐山氏宛てに残した、
人類救済のための白銀のバイブレーションという組み合わせは、信者たちに
深い感動を与えました。
指導者である桐山氏が釈迦から直接、人類救済者に任命されたのです。
この後、阿含宗は爆発的な布教活動を開始します。(114参照)
布教の起爆剤こそがミラクルの池と白銀のバイブレーションの話です。
桐山氏は、祇園精舎の中にミラクルの池があると紹介しています。
祇園精舎を案内したのは、祇園精舎の入り口に建つスリランカ寺の初代管長です。
桐山氏の指さす場所を初代管長が「ミラクルの池です」と言ったと書いています。
スリランカ寺の初代管長は1984年に亡くなりました。
幸い、その前に、ミラクルの池を確認に行った信者たちがいます。
- 327 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/05(水)
11:19
「一九九九年七の月」3 ミラクルの池とは何のことか?
桐山氏の数年後、信者がミラクルの池の確認に祇園精舎を訪れています。
スリランカ寺初代管長にミラクルの池の案内を頼みました。
するとスリランカ寺初代管長は、
「ミラクルの池とは何のことか?
祇園精舎の中にミラクルの池などというものはない」
と答えました。
桐山氏にミラクルの池を教えたはずのスリランカ寺の初代管長が、ミラクルの池
など知らないと答えたのです。
スリランカ寺初代管長は「ミラクルの池」を繰り返す信者を気の毒に思い、
オーラジャルに案内してくれました。
オーラジャルとは、釈迦が奇跡を示したという伝説のある遺跡です。
祇園精舎から南東方向に2qほどいったところにあるストゥーパ(仏塔)です。
もちろんオーラジャルにもミラクルの池などありません。
- 333 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/06(木)
10:50
「一九九九年七の月」 4.桐山氏のミラクルの池
近年、信者の一人が祇園精舎を訪れました。
現在のスリランカ寺管長に聞いても「ミラクルの池などない」という返事でした。
ミラクルの池など祇園精舎にも、他のどこにも最初から存在しないのです。
経典にはもちろんのこと、伝説にすらミラクルの池などありません。
スリランカ寺の管長が桐山氏に「ミラクルの池」などと言ったはずがありません。
- そんなものが祇園精舎にあると告げたはずはありません。
「桐山氏のミラクルの池」は現在も祇園精舎に存在します。
通路に面した一辺が10mもない窪地で、雨期には池になる場所です。
この窪地は釈迦が奇跡を行ったなどという伝説のある場所ではありません。
釈迦が何かをなしたところには必ずストゥーパ(仏塔)などの遺跡が残ります。
「桐山氏のミラクルの池」のように、窪地として放置されることはありえません。
- 336 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/07(金)
10:55
「一九九九年七の月」 5.存在しないミラクルの池
桐山氏が白銀のバイブレーションが来たという窪地を指して「あそこは何か」
と質問したから、スリランカ寺初代管長は「池だ」とでも答えたのでしょう。
雨期には水が貯まるから池だと答えただけです。
その前後に、スリランカ寺初代管長は釈迦がなした奇跡の話をしたのでしょう。
桐山氏はこれをゴチャ混ぜにしてミラクルの池を創作したのです。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」では、ミラクルの池と白銀のバイブレー
ションは重要な柱でした。
だが、ミラクルの池は根拠のない単なる物語だったのです。
バジアン予言(216〜参照)のように、自分に都合のいいように作り上げたのです。
桐山氏はこれをインスピレーションだとか、仏陀の智慧だと主張します。
現実と一致すれば、インスピレーションや智慧と言ってもいいでしょう。
当たらないインスピレーションや智慧を妄想といいます。
そして、桐山氏の場合、妄想がとにかく多い。
信者をあおりたてたミラクルの池は桐山氏の妄想にすぎなかったのです。
では、白銀のバイブレーションはどうでしょうか。
- 343 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/08(土)
20:56
「一九九九年七の月」 6.白銀のバイブレーション
白銀のバイブレーションは桐山氏だけが感じました。
当然の事ながら、すぐそばにいた数十人の人たちは何も感じませんでした。
白銀のバイブレーションが本物かどうかは、19年後の結果をみれば十分です。
ミラクルの池と同様に、なんの根拠もない桐山氏の妄想話です。
桐山氏は、白銀のバイブレーションを受けたとき、高層ビルのある空が真っ赤に
燃える未来の光景を見て、また、すさまじい戦慄と恐怖を感じたといいます。
世紀末の地球壊滅のビジョンを見たというのです。
だが、桐山氏の予言とも、白銀のバイブレーションのお告げとも違い、1999年に
地球が壊滅することも、その兆候もありませんでした。
では、彼が見たこと、感じたことは何だったのでしょうか。
桐山氏はまったくの作り事、嘘を書いたのでしょうか。
- 345 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/09(日)
20:48
「一九九九年七の月」 7.白銀のバイブレーションと疲労
1980年の桐山氏一行のインド旅行は、約二週間でした。
インド旅行は、団体旅行でもきついものです。
慣れない食べ物でたいていの人は下痢します。
インドの仏跡はほとんどが田舎にあります。
この旅行では、朝早く出発し、夜遅く到着しました。
睡眠不足と連日の長時間のバス旅行は身体に負担がかかりました。
この旅行に参加した信者によれば、疲労困憊で、病人が続出したと言います。
移動に時間がかかるし、1980年当時、ホテルの設備も十分ではありませんでした。
強行軍であったため、予定が消化できず、桐山氏は、釈迦が亡くなった
クシーナガル行きを諦めています。
祇園精舎は一行が最後に訪れた仏跡でした。
ツアーが始まって8日目です。
桐山氏は自分が超人的な体力を持っていると言います。
しかし、このインド旅行では、桐山氏はミネラル・ウォーターをスーツケース
一つ分も持参したといいます。
また、「脳梗塞」(197〜)を見てもわかるように、桐山氏が特別な身体を持って
いる訳ではありません。
当時、59歳だった桐山氏もまた疲労の極に達した状態で祇園精舎を訪れています。
これは妄想や幻覚を見るのには十分な条件です。
- 346 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/09(日)
21:16
「一九九九年七の月」 8.白銀のバイブレーションと思い込み
さらに、桐山氏の性格を考えるべきでしょう。
自分に対する高い評価と思いこみです。
桐山氏はインドに出発する時、次のように思ったと書いています。
「仏跡はいったい、わたくしになにをあたえようとするのか」
つまり、桐山氏は出発するときから、
「自分ほどのすごい人物が仏跡に来たのだから、何かがおこるはずだ。
凡人どものただの巡礼とは訳が違う。何かが起きなければならない」
という激しい思いこみがあったのです。
祇園精舎は公園のようになっていて、物売りや物乞が入れません。
物乞にしつこく追いかけられ、喧騒から整備された公園に入ると、ホッとします。
激しい疲労と、激しい思いこみ、喧騒から突如解放さたれたのが引き金になり、
白銀のバイブレーションを引き起こしたのでしょう。
高層ビル火災を描いた映画「タワーリング・インフェルノ」は1974年公開です。
燃え上がる空や高層ビルなどは、映画などで見ていれば、ある種のフラッシュバ
ックが起きてもおかしくありません。
桐山氏の見たものが思いこみの激しい人の幻覚にすぎなかったことは、その19
年後をみれば十分です。
疲労と激しい思いこみの他に、もう一つの重要な要因も考えられます。
- 351 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/10(月)
21:34
「一九九九年七の月」 9.白銀のバイブレーションと脳障害
桐山氏は一時的な意識障害を起こした可能性があります。
今日、桐山氏が脳梗塞を患っていることをみれば、ありえない話ではありません。
旅の疲労やストレスから脳の一部に障害が生じ、白銀のバイブレーションと
なったり、損傷の信号が、桐山氏の記憶に刺激を与え、燃える空の映像や、
激しい恐怖感を引き起こした、という可能性です。
老人などは睡眠不足や過労から、卒中発作の意識障害をおこすことがあります。
これらは幻想、幻覚、幻聴を伴うことがあります。
本の中では、
「声が突然すうっと遠のいた」
「がぁんと、頭から頬にかけてなぐられたような衝撃」
とあります。
意識障害の始まりとしてはありえる症状です。
19年後の結果から見ると、桐山氏の頭の外ではなく、頭の中でおこったことです。
桐山氏は59歳で、疲労の極にあれば、脳障害がおきてもおかしくありません。
次の事実も脳に障害がおきたことをうかがわせます。
- 357 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/11(火)
21:12
「一九九九年七の月」 10.白銀のバイブレーションは脳障害
桐山氏は、祇園精舎の後、ラクナウのホテルで自動書記があったと書いています。
自動書記とは手が勝手に動いて、文字などを書くものです。
自動書記は、桐山氏の大量の著作の中でも、これ一件のみです。
普段から自動書記が得意技ではなく、この時だけです。
この時の自動書記は桐山氏にとっても特殊な状態であったことを意味します。
脳梗塞などで身体の一部が機能障害をおこすことはよくあります。
脳障害が手の震えとなって現れ、それを桐山氏は霊動、自動書記と解釈したの
でしょう。
自動書記の原文は、脈絡がなかったことを桐山氏も認めています。
桐山氏が公開した自動書記文は、原文を元に桐山氏が書き直したものです。
原文は脈絡がないどころか、文字にすらなっていなかったのでしょう。
震える手に鉛筆をにぎらせても、何も意味がありません。
原文は公開しないのではなく、できないのです。
脳障害による手の震えが、桐山氏の豊かな空想力と激しい思いこみによって
自動書記になり、創作されたのが、公開された自動書記文です。
幸い、白銀のバイブレーションも自動書記も一過性のものとして終わりました。
脳卒中などの専門の医者に、桐山氏のこの本を読んでもらい、意見を聞いてみた
いものです。
信者たちは19年間、単なる意識障害からおきた白昼夢につきあわされたのです。
結果を見る限り、それはほとんど事実でしょう。
- 358 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/12(水)
20:56
「一九九九年七の月」 11.事故
阿含宗のインド仏跡ツアーは班に分かれていました。
桐山氏の班では、バスが横転して、中に乗っていたインド人が両足切断という重
傷を負いました。
日本人はバスを降りていたので、被害はありませんでした。
別な班では、バスがバウンドして、多数の信者が打撲傷を負いました。
一人は骨にヒビが入り、移動に支障が出ました。
旅先で事故がおきても、ましてやインドでは何があってもおかしくありません。
しかし、予知能力を持ち、仏に守られているはずの桐山氏の周囲で、因縁解脱の
修行をしている信者を含めて次々と事故がおきるのでは、ご都合の悪い話です。
奇跡の白銀のバイブレーションの背後で、平凡に信者が病気をし、ケガ人まで
出たのではサマになりません。
信者は帰国後もこの件は話したがりませんでした。
この時参加した信者は、職員を含めて、やめてしまった人が大半です。
桐山氏と白銀のバイブレーションにとってはそのほうが都合がいいでしょう。
- 360 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/13(木)
21:11
「一九九九年七の月」 12.ブッダになる
白銀のバイブレーションの話は、桐山氏の常として、時間とともに針小棒大に
膨らみ続けました。
桐山氏は本で、自分が「聖者」であることを高らかに宣言しました。
釈迦を「聖師」と呼び、自分が釈迦の「成仏力」を受け取れる器を持った唯一
の弟子であることを誇らかに宣言しました。
桐山氏は、祇園精舎の数日後、デリーのホテルで信者たちを前に、
「自分は死ぬまでにブッダになる。完全なブッダとなって死ぬ」
と宣言しました。
帰国後の各地での講演会でも、ブッダになって死ぬ、と繰り返しました。
ミラクルの池と白銀のバイブレーションは桐山氏をブッダ宣言に導きました。
意識障害からおきた白昼夢で、桐山氏は聖者になり、釈迦の真の弟子になり、
完全解脱することになりました。
桐山氏は今日に至るまで自分がブッダになったとは言っていません。
90年代初め、桐山氏に、オベッカ信者の一人が例祭(月一度の集まり)で
「猊下(桐山氏)をブッダと呼ばせてください」と言いました。
桐山氏はこれを認めませんでした。
桐山氏にも羞恥心が残っていたようです。
- 366 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/15(土)
20:40
「一九九九年七の月」 13.メシアへの道
桐山氏は1988年「一九九九年地球壊滅」という小説を出しました。
地球壊滅の時、アメリカにメシアが現れ、日本のスゴイ宗教家が力を貸す話です。
スゴイ宗教家は明らかに桐山氏で、我田引水の自慢話です。
この本を表題どおりに小説や桐山氏の未来予測と見たら何の価値もありません。
しかし、当時の桐山氏の頭の中を示すものとしては一級資料です。
桐山氏の地球壊滅の妄想と自己評価の高さを自ら明らかにした貴重な資料です。
オウム真理教の麻原被告はいろいろな面で桐山氏を模倣したと報道されています。
しかし、一つ重要な指摘がされていません。
地下鉄サリン事件が「一九九九年地球壊滅」をヒントにした可能性です。
この本はカルト集団が原発を攻撃し、ハルマゲドンを人為的に引き起こす話です。
警察の捜査で、オウム真理教は原発の調査をしていたことがわかっています。
麻原被告は勉強熱心ですから、桐山氏の著作から重大なヒントを得たのでしょう。
この本では、メシアと桐山氏とが別々の人物として描かれています。
桐山氏は、自分で自分をメシアだと呼ぶことにまだ恥じらいがあったのです。
この本は、自分をメシアと呼んでくれ、という桐山氏からのサインでした。
信者たちは、聖者様ともあろうお方が、そこまで子供っぽい欲望を持っている
とは思いませんから、誰も気が付きませんでした。
数年後、信者の一人が気付き、桐山氏はメシアに出世するチャンスが訪れます。
- 381 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/18(火)
20:06
「一九九九年七の月」 14.そしてメシアになった
1990年に出た「メシア出現」はいろかわちひろ氏が編集したことになっています。
いろかわ氏は阿含宗の長年の信者で、先達(指導的信者)です。
実際は、いろかわ氏が数十枚程の原稿を書き、このままでは本にならないので、
桐山氏の指示に従って、出版社が作り上げたのです。
桐山氏は、自分を人類救済のメシアだと言ってほしくてウズウズしていました。
ちょうど、いろかわ氏がそれをやってくれたのです。
桐山氏はメシアだと言われたのではなく、自分で言ったのです。
この本は簡単に言えば、桐山氏のメシア(救世主)宣言です。
桐山氏は「メシア出現」でメシアだと言われてよほどうれしかったのでしょう。
この後、メシア和讃を最初にやったいろかわ氏を重用します。
阿含宗神戸道場を「メシアの館」と名前を変えてみたりと、大はしゃぎをします。
「自分がメシアであるかどうかわからないが・・・」
と桐山氏は信者を前に何回かうれしそうに話したことがあります。
桐山氏がメシアと呼んでほしかったこと、いろかわ氏がそれで桐山氏の寵愛を受
けたことに先達たちが気づくと、なりふりかまわずのメシア連呼が始まります。
そして二匹目のドジョウを狙ったのが360の「ブッダと呼ばせてください」です。
先達たちは、裸の王様のお召し物のすばらしさを競ってほめちぎったのです。
メシア宣言が1990年です。
その前後から桐山氏の本には独自性が薄れます。(274参照)
桐山氏はこの頃から勲章や肩書きなどの大量の名誉をもらうようになります。
一連の出来事がほぼ同時期に起きているのは偶然ではありません。
桐山氏の脳が老化し、名誉欲がむき出しになり、自分はただものではない、特別
な人間なのだという思いこみが「メシア妄想」にまで発展したのです。
妄想はさらに発展を続けました。
- 384 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/20(木)
20:37
「一九九九年七の月」 15.さらにアンゴルモアの大王に
桐山氏は1996年6月、モンゴルで護摩を焚いたとき、
「アンゴルモアの大王とは自分である」
と宣言して、信者から大喝采を受けました。
アンゴルモアの大王は自分だと臭わせる話はこれよりも前からしています。
1981年に出た「一九九九年カルマと霊障からの脱出」の話はまさにそうです。
桐山氏によれば、世紀末の地球壊滅を救えるのは釈迦の成仏法です。
桐山氏の言う釈迦の成仏法を体得しているのは桐山氏だけです。
釈迦の成仏法を意味するアンゴルモアの大王とは、桐山氏の他にはいません。
最初から、桐山氏は自分がアンゴルモアの大王だ、メシアだと言っているのです。
桐山氏はモンゴルで護摩を焚いて、雨を降らせ、山火事を消したと宣言しました。
桐山氏によれば、モンゴルの山火事は「恐怖の大王」の仕業です。
桐山氏はアンゴルモアの大王として、恐怖の大王と戦って、勝ったというのです。
桐山氏はまた自分は「無能勝明王」であるとも宣言しました。
無能勝明王とは、釈迦の成道を邪魔した悪魔を退散させたという密教の仏です。
これらのストーリー展開を見ると、桐山氏は隠れアニメファンかもしれません。
阪神大震災を予言できず、桐山氏は世紀末破壊予言に自信がなくなっていました。
しかし、モンゴルで恐怖の大王に勝利した桐山氏は、再び自分の妄想に自信を深
め、アンゴルモアの大王の宣言をしたのです。
桐山氏はアンゴルモアの大王に即位し、いよいよ1999年を迎えました。
- 385 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/22(土)
12:29
「一九九九年七の月」 16.地球を救う桐山メシア
1999年、釈迦の代理人であり、アンゴルモアの大王たる桐山氏が、恐怖の大王に
蹂躙された世界中の人々から、地球を救うメシアとして大歓呼で迎えられる準備
ができました。
桐山氏は、釈迦から与えられた1999年の地球救済の使命を果たすことで、その
偉大な功徳によって、ブッダとなり、栄光のうちに入滅するのです。
桐山氏の名前は、地球を救ったメシア、予言されたアンゴルモアの大王、完全解
脱したブッダとして、永久に歴史に残るのです。
桐山氏の頭の中では、世界中からのメシアコールが鳴り響いていました。
1999年の晴れの舞台に出る瞬間、桐山氏は長年望んでいた「自分はやはりただも
のではない」という自尊心の深い満足を得るはずでした。
その時こそが、長年、桐山氏を前科者、エセ宗教家、エセ霊能者、嘘つき、ほら
吹き、誇大妄想狂、ペテン師、いかさま師、詐欺師呼ばわりしてきた連中を見返
せる重大な瞬間なのです。
桐山氏は、たくさんの勲章をつけたアンゴルモア大王の服装をして、モンゴルで
の成功に酔いながら、舞台の袖で自分の出番の瞬間を待っていました。
だが、ついに桐山氏に出番の声がかかることはありませんでした。
「地球壊滅」などという劇は最初から存在しなかったからです。
万雷の拍手をする観客もいませんでした。
現実は、阿含宗という借金だらけの田舎芝居小屋に、華々しい主役を演じて拍手
をあびる自分を空想している桐山氏と、妄想を信じた信者が残っているだけで、
客席は最初から最後まで空でした。
では、桐山氏が描いた世紀末地球壊滅の晴れの一人芝居を見てみましょう。
- 390 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/25(火)
21:14
「一九九九年七の月」 16.3度目の原爆
インドから帰国後、桐山氏の世紀末破壊の脅迫的妄想はもっと具体的になります。
1982年の「輪廻する葦」の中で、「原爆は三度落ちる」と題して、次のように書
いています。
「原爆はこの国にもう一度落ちる。それがわたくしには見えるのだ。」
いつ落ちるとは書いていないから、この予言がはずれたとは言えません。
しかし、その前後から、1999年に原爆が落ちるという意味でしょう。
1984年の「間脳思考」では、次のように書いています。
「読者よ、いまや、人類は二つの道を選択するギリギリの時点にさしかかった。
核ミサイルによる地獄の業火か、シャカの仏法によるきよらかな霊光(オーラ)
か、二つに一つである。」
この2冊の本では、1999年には核ミサイルが日本に飛んできて、日本に3度目の
原爆が落ちるのだ、と述べています。
1984年、日本武道館で、ダライ・ラマといっしょに護摩を焚きました。
桐山氏は全国から集まった約一万人の聴衆に前述の内容を熱く語りかけました。
後で、この場面を見ると桐山氏本人も感動すると言っていたほどです。
桐山氏の自信に満ちた感動的な言葉で、三度目の原爆が落ちる、自分には見える
のだ、言われれば、多くの信者が信じたとしても、おかしくありません。
だが、桐山氏の目にはっきり見えたはずの原爆はこの後、様変わりします。
- 403 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/27(木)
21:04
「一九九九年七の月」 17.原爆から原発崩壊へ
1988年の「地球壊滅」は、原発をテロリストが攻撃して、大惨事になると
いう小説です。
1984年までは原爆で、1988年に原発崩壊と様変わりした原因はなんでしょうか。
もちろん、1986年におきたチェルノブイリ原発事故です。
冷戦時代には、ソ連が攻めてくる、核ミサイルが飛んでくるのではないか、
という恐怖感が日本の中にありました。
だから、1986年以前は、桐山氏は核ミサイルを持ち出しただけです。
当時、桐山氏は、北海道の信者に、個人的な恨みでもあるのかと思う程、
因縁が悪い、レベルが低いなどと、吐き捨てるように脅迫していました。
信者たちは、桐山氏の霊眼には北海道の破滅的な未来が見えているから、
救うために、叱咤していると信じていました。
その頃、北海道にソ連が攻めて来る、核攻撃があるという話がありました。
単に、桐山氏もまたこういう噂を信じて、利用していただけです。
原爆や核ミサイルが「それがわたくしには見えるのだ」とまで書いているのに、
1986年からは事情が変わったから、さっさと原発崩壊に乗り換えたのです。
桐山氏のいう未来予知とは何かを示す典型的な例です。
素人でもやれる予測に桐山氏の思いこみを加えると、予知能力になります。
そして、桐山氏はこの思いこみを仏陀の智恵だと信じています。
もっとも、見方によっては、次の事は智恵かもしれません。
- 410 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/29(土)
20:50
「一九九九年七の月」 18.はずれた時の逃げ道
予測ですから、桐山氏にも地球壊滅を当てる自信はありませんでした。
予言がはずれた場合に備えて、逃げ道はかなり早い時期から準備してありました。
最初の本「一九九九年カルマと霊障からの脱出」でさえ、地球壊滅が1999年
だとは一言も書いていません。
「現世成仏」(1983年)では、「一九九九年カルマと霊障からの脱出」を解説して、
「その大災害が一九九九年に起きるかどうかはわからないが、わたくしの生涯の
うちに起こるということはたしかである。」
と、1999年と限定するのを避け、逃げ道を用意しています。
桐山氏の言葉どおり彼が120歳まで生きるのなら、当時残り60年近くあります。
60年もあれば、何か大災害がおきるか、あるいは予言も忘れさられるだろうし、
起きなくても、死んだ後なら、桐山氏は何を言われても痛くありません。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」では、題名からして「一九九九年」を
使い、ノストラダムスの「一九九九年七の月」の予言を出しています。
それでいて、「一九九九年に起きるかどうかはわからない」とは、桐山氏らしい
逃げ方です。
桐山氏は責任感が希薄で、言い抜けがお得意だから、いいでしょう。
バカを見たのは、桐山氏の言葉を文字どおり信じたまじめな信者たちです。
「地獄の業火かきよらかなオーラか」を文字通り信じて布教していました。
桐山氏は自分の逃げ道だけは最初からしっかりと確保していたのです。
御大将は、雑兵を残して、いつでも真っ先に逃げる準備をしていました。
これが桐山氏の言う21世紀の仏陀の智慧かもしれません。
- 414 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/01(月)
20:33
「一九九九年七の月」 19.信者への脅迫と自分の逃げ道
1999年が近づくと、桐山氏は逃げ道を確保しながら、さらに脅迫を強めます。
1995年に出版した「一九九九年七の月が来る」では、
「横変死の因縁を持つ人は、十人中四人」
「無事である人は、10%しかいないのである」
「つまり、一九九五年から「危」に入って・・・・2000年に「滅」を迎える」
横変死の因縁とは、事故死、自殺、他殺などで死亡することを意味します。
ここでは、世紀末の地球壊滅で大量死があることを言っています。
これほどの脅迫をしながら、同じ本で、
「20001(原文のまま)年に、回復、安定に向かう」
「・・・2002年から、地球は回復・安定していくからである」
と書いています。
人口の4割が死ぬほどの大災害がおこりながら、その数年後には、回復し安定す
るというのです。
第二次世界大戦すら、日本人の死者は人口の1割に達しませんでした。
それが4割も死に、後の5割が傷ついたら、回復、安定などありえません。
このような矛盾した予言を出したのは、片や信者を脅迫しながらも、片や自分の
逃げ道を確保するためです。
1999年に何も起こらなければ、「自分は前から回復し安定すると予言していた」
と言い抜けるつもりでいたのでしょう。
実際、後で桐山氏はそれをやりました。
- 424 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/03(水)
19:34
「一九九九年七の月」 20.横変死4割
桐山氏の言う横変死が4割という数字はどこから持ってきたのでしょう。
桐山氏は数字に弱く、彼の数字はあてなりません。
この時期、桐山氏は因縁霊視(165〜参照)はしていません。
数字は因縁診断(158〜参照)から持ってくる以外にはありません。
因縁診断は信者からの聞き取りによる自己申告であり、根拠がありません。
では、因縁診断でどうして4割もの横変死が出たのでしょう。
信者を脅迫するために、横変死の因縁は最も効果的です。
その結果、横変死の因縁が因縁診断では自然に増えるのです。
先祖や親戚筋まで探せば、たいてい一人くらい事故死、自殺、他殺はいます。
一人でもいれば、その信者には横変死の因縁を付けます。
4割に横変死の因縁があるのではなく、4割に横変死の因縁を付けたのです。
桐山氏は、自分で横変死が増えるように指示して、その結果をもってきて、
今度は、脅迫の材料に使ったのです。
自分で作った恐怖に自分で恐がってみせたのです。
桐山氏は自分で数字を増やしてしまったことにすら気が付いていないでしょう。
4割という数字を案外本人は信じています。
桐山氏の求聞持脳での直感や数字はせいぜいこの程度です
- 430 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/05(金)
20:51
「一九九九年七の月」 21.テロリストから大地震へ
桐山氏は、阪神大震災の数ヶ月後に「一九九九年七の月が来る」を出しました。
この本では活断層の一覧表を示し、大地震で原発が崩壊すると方向転換します。
ソ連を恐れていた時代の本では核ミサイルでした。
原発事故がおきると、テロリストによる原発崩壊でした。
阪神大震災がおきると、大地震による原発崩壊になりました。
北朝鮮がミサイルの実験をすると、核ミサイルをまた出しました。
結局、桐山氏の心にある不安や恐怖感を予言と言っているにすぎません。
阪神大震災は桐山氏にとっても相当なショックだったのでしょう。
桐山氏は地震の前日1月16日に京都の総本殿で冥徳祭の護摩を焚いていながら、
まったく地震を予知できなかったからです。
一〜二週間前からゴキブリやネズミすら騒いでいたのに、「事物の明快な認識と予
知」を一番目の超能力としてあげ、大地震は信者に事前に伝えると豪語していた
桐山氏が、すぐ近くでお得意の護摩を前日に焚いてさえ予知できなかったのです。
後に、桐山氏は、「仏像」という仏からのシグナル(ご霊示)があったと話しました。
仏像は九州から紀伊半島を横切る活断層「仏像線」に関係しているというのです。
この仏像線にそった活断層近辺で、近い将来大地震がおきるという意味です。
活断層の一覧表を見た時、桐山氏は仏像線という変わった名前に目がいったので
しょう。
仏像線のことはすっかり忘れた後、道場の仏像を見たとき、何か思い出せない感
覚にとらわれ、それを仏からのご霊示と称したのです。
普通の人なら自分の記憶を疑うところを、桐山氏はご霊示にしてしまいました。
もちろん、この思い込みと思い付きの大予言は今でも実現されていません。
- 438 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/07(日)
20:52
「一九九九年七の月」 22.十三救いの輪運動
90年代中頃、桐山氏は、信者数増加のための露骨な脅迫策を打ち出します。
1996年8月から始まった「十三救いの輪運動」です。
信者1人が13人の新しい信者を獲得する(導く)という運動です。
桐山氏は、
「13人導けば、1999年の地球壊滅の時、命を保証する」
と断言しました。
逆に言えば、13人入信させなければ命は保証しないというものです。
これは「救いの輪」ではなく、「脅迫の輪」です。
桐山氏は、「一九九九年七の月が来る」の中で、横変死40%を出して、
「あなたは、この10%の中に入るか、40%の中に入るか、どちらだと思っているであろうか。
また、あなたの最愛の人は、どうであろうか?」
と「最愛の人」までひっぱり出して、人質にしました。
信者が減り、経済的にも苦しくなり、桐山氏お得意の一発逆転を狙ったのです。
世紀末破滅を脅迫の材料に使えるのは後数年しかありませんでした。
信者を増やしたいという桐山氏の切なる思いが文章から垂れ流しになっています。
- 444 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/09(火)
20:55
「一九九九年七の月」 23.十三救いの輪運動の中身
十三救いの輪運動とは、13人を新たに信者として獲得することです。
これまで何人獲得していようが、まったく関係ありません。
桐山氏の言うように、人を助ける徳で自分も助かるというのなら、これまで入信
させた信者の数も数えるべきでしょう。
長年、桐山氏の言う行をやって因縁が切れているはずの人はどうなのでしょうか。
桐山氏の信者へのノルマはこのように前の事は完璧にリセットされます。
常に新しい数字を要求します。
目的が、信者の因縁を切ったり、助けることではなく、信者の数だからです。
13人を獲得できる信者は珍しいでしょう。
当然、そこではごまかしがおこります。
家族を無断で入信させたり、人数をそろえて、ノルマを達成すると、後は辞めよ
うがなんだろうが、知らぬふりです。
立場を利用して、他人の入信者をとってしまう先達(指導的信者)もいます。
こういうえげつないことを有名先達が堂々とやるのです。
こんなことは昔からありました。
中身がなかろうが、他人から盗もうが、桐山氏は気にしません。
桐山氏は目先の入信者の数にしか興味がないのです。
職員も先達もそれを承知しているから、信者に拍車をかけます。
桐山氏のご機嫌を損ねず、自分の命が助かりたいためです。
その結果、実態を伴わない空虚な数字だけが、毎月踊りました。
- 452 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/11(木)
21:35
「一九九九年七の月」 24.十三救いの輪運動とは宗教ねずみ講
13運動を達成した信者は助かるとして、では、その13人はどうなるのか。
13人はそれぞれが新しく13人を入信させないと助かりません。
脅迫と欲で増殖させる「宗教ねずみ講」を桐山氏は作ったのです。
桐山氏のノルマの掛け方は、信者のエゴをむき出しにさせるやり方です。
元々それほど欲がなかった信者までが、だんだん欲の皮がつっぱってきます。
恐怖と欲望に駆られて、入信者獲得に奔走する信者を見ていると、何のための信
仰、何のための宗教かと、気色悪くなります。
入信させた信者数に対し、グランド・ミッショナリーなどの称号を与えました。
オウム真理教の「正大師」などの称号を、かつて桐山氏はあざ笑いました。
自分が小馬鹿にした内容をまねたのです。
桐山氏は、軽蔑した相手のまねをしたとさえ思っていません。
北朝鮮のミサイル実験を、桐山氏はすぐに恐怖の大王だと断言しました。
後は野となれ山となれで、信者たちを使い古しの手段で脅かし、低レベルな欲を
あおり、ブリキの勲章をぶら下げ、信者数を延ばそうとしたのです。
核ミサイルの、原発崩壊の、大地震の、4割横変死の1999年が近づきました。
- 469 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/13(土)
20:30
「一九九九年七の月」 25.インド護摩
1999年が近づき、信者を脅迫し続けることはできても、核ミサイルも大地震もな
く、桐山氏の地球壊滅はおきそうにもありませんでした。
桐山氏は、お得意の壮大な言い訳をひねり出す必要に迫られました。
1981年の本の趣旨からいうなら、インドに行かないわけにはいきません。
それも、自分から行ってはサマになりません。
メシアは世界中から求められて、求められて、求められて出現するのです。
相手から請われて、自然に行かざるを得なかったという演出が必要です。
1999年、インドから招聘(しょうへい)され、デリーで護摩を焚きました。
阿含宗の招聘とは、お金をばらまいて、招待されたように見せかけることです。
身から出た錆とはいえ、インドの暑い3月は、体調の悪い桐山氏には負担だった
でしょう。
お金を使ってインドの著名人とのツー・ショットを撮り、準備ができました。
1999年、ついに出た最終章の言い訳本が「一九九九年七の月よ、さらば」です。
はたして、桐山氏の地球は壊滅したのでしょうか。
桐山氏の言い訳は、それはもう大方の予想をはるかに上回る天才的な出来でした。
- 484 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/15(月)
21:01
「一九九九年七の月」 26.言い訳本の主旨
1999年7月には地球壊滅がおきそうもないことから、桐山氏は言い訳を取り繕
う必要に迫られました。
「一九九九年七の月よ、さらば」の言い訳の要点は次のようになっています。
・ノストラダムスの予言の「1999年7の月」とは、中国に仏教が伝来してから
1999年目にあたる西暦1997年のことである。
・1997年12月、桐山氏は中山大学(中国)で講演をした。桐山氏が中山大学に講
演の原稿を送ったのが1997年7月である。これは、ノストラダムスの「1999
年7の月」の予言と月まで一致する。
・原稿を送ったことがアンゴルモアの大王(釈迦)の「よみがえり」である。
・1998年11月、北京大学での桐山氏の仏教講演はアンゴルモアの大王(釈迦)の
「復活の儀式」である。
・1999年、インドで焚いた護摩は仏陀の「復活祭」、アンゴルモア大王の「生誕
祭」である。
・アンゴルモアの大王(釈迦)を復活させたのは桐山氏であるから、桐山氏が「
恐怖の大王」である。
・すなわち、桐山氏の人生はノストラダムスによって予言されていた。
- 604 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/13(火)
21:07
「一九九九年七の月」 27.7の月は原稿を送った
桐山氏が18年間、脅し続けた1999年7の月には何が起きるのか。
このことは、この本において、最も重要な点です。
それは、桐山氏が講演の原稿を送ったことだ、というのです。
桐山氏が恐怖の大王であることと、アンゴルモアの大王がよみがえった根拠は、
桐山氏が中国に原稿を送ったことです。
1997年7月に桐山氏が中山大学に講演の原稿を送ったことが、ノストラダムスに
よって、「1999年7の月」として予言されていたというのです。
核ミサイルはどこに行ったのでしょうか。
どこの原発が崩壊したのでしょうか。
4割横変死の死体の山はどこにあるのでしょうか。
桐山氏の7の月では阿鼻叫喚の地球壊滅のはずでした。
それが、原稿を送ったこと、たったそれだけだというのです。
ノストラダムスは、桐山氏が原稿を送ることを大予言したのです。
講演や護摩に、アンゴルモア大王の「よみがえり」「復活の儀式」「復活祭」「生誕
祭」など、思いつく限りの名前を適当にちりばめただけのように見えます。
自分が恐怖の大王だ、自分の人生は予言されていたなどと、品格を重んじるとい
う桐山氏の羞恥心はどうしたのでしょう。
- 626 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/15(木)
21:13
「一九九九年七の月」 28.名誉欲教授で後塵を拝す
原稿を送って復活したという釈迦は今どこにいらっしゃるのでしょうか。
桐山氏以外に、だれか復活した釈迦を確認した人はいるのでしょうか。
すべては桐山氏の頭の中での話で、誰一人何一つ客観的に確認できません。
仏教が中国に伝来した年は、今日でも学者の間で異説があります。
それなのにノストラダムスは伝来した年を確定していたというのです。
桐山氏がこのような支離滅裂な言い訳をならべた背景は明らかです。
講演した中山大学と北京大学から名誉教授をもらうためでした。
仏教学の基本の一つである阿含経は、中国の仏教学者たちもよく知っています。
桐山氏に御講義いただかなくても、五時教判が間違っていることは知っています。
彼らは、桐山氏の話を聞きたかったのではなく、持参した物がほしかったのです。
創価学会の池田大作氏も、桐山氏よりも前に、両大学の名誉教授になりました。
桐山氏は名誉欲を釈迦の名前を使って正当化したのです。
自分の名誉欲の大行進を、ノストラダムスの予言に強引にあてはめただけです。
そして、池田大作氏の後塵を拝したのです。
地球壊滅の言い訳と名誉欲とを強引にくっつけて説明を試みたのがこの本です。
ただの講演を釈迦の復活という壮大な話に膨らませ、名誉欲を隠して、脅迫の言
い訳もするという一挙両得を狙ったつもりです。
頭の中は名誉教授でいっぱいで、7の月ことなど原稿を送った話で十分なのです。
原稿まで予言した偉大なノストラダムスも名誉欲教授は予言できませんでした。
- 645 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/17(土)
20:51
「一九九九年七の月」 29.信者の唖然
桐山氏は信者にこの本を積極的に施本するように指示しました。
こんな本を他人に勧めたら、勧めた人の頭の程度が疑われます。
本を読んだ信者たちが一番驚いたのは、
・地球壊滅が1997年、つまり2年も前にすでに終わっている
・桐山氏が恐怖の大王であった
という点でしょう。
本が出る直前まで、1999年7月の地球壊滅を回避するために、信者たちは様々な
イベントを通じて、真剣に護摩木などで祈願をしていました。
阿含宗はそれを奨励し、これをネタに護摩木を集めていたのです。
核ミサイルか、原発崩壊かと、毎月、桐山氏は信者たちを脅迫していました。
いよいよ「その時」が来たのですから、桐山氏を信じている信者は必死でした。
その地球壊滅が、実は、もう2年も前に桐山氏が原稿を発送して、終わっていた
というのです。
信者が自分一人で唖然とするのはまだいいでしょう。
熱心な信者は地球壊滅を説いて、周囲に護摩木を勧めたり、入信させています。
これらの人たちに、いったい何と説明をすればいいのか。
まじめな責任感のある信者であればあるほど立場がなかったはずです。
けなげにも、信者は必死に桐山氏に頭を合わせようと努力します。
言い訳を受け入れ、矛盾は見ずに、桐山氏についていくのが正しい弟子なのです。
先達の一人は、この本を「いちおう、筋が通っている」と評価しました。
この本の筋が通っているのなら、北朝鮮は地上天国です。
- 728 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/19(月)
20:25
「一九九九年七の月」 30.信者の呆然
桐山氏が恐怖の大王であるという新説にも信者は困りました。
1996年12月、桐山氏は脳梗塞になりました。(197〜参照)
病気の桐山氏を、東京の先達(指導的信者)の一人は、
「アンゴルモアの大王(桐山氏)は恐怖の大王と戦って傷ついた」
と弁護しました。
モンゴルで桐山氏が「恐怖の大王と戦って勝利した」と宣言したことを受け、脳
梗塞だと認めないで済むように編み出した桐山氏へのゴマスリ説です。
アニメのようなこのおとぎ話を、職員もいっしょに吹聴していました。
桐山氏が恐怖の大王なら、桐山氏が自分と戦ったことになり、話が矛盾します。
桐山氏を弁護しヨイショしたつもりが、かえって混乱を招きました。
先達も師をまねて、口をぬぐって素知らぬふりをするのが一番でしょう。
恐怖の大王は空から下りてくることになっていました。
桐山氏が飛行機に乗って中国やインドに行ったことを指すのでしょうか。
上品そうな桐山氏のどこが「恐怖」なのか、よくわかりません。
人々に因縁、霊障、地球壊滅で恐怖心を与え続けたからでしょうか。
脳障害から来た妄想と自己過信で作った予言話の矛盾は説明しきれません。
妄想の上に、詭弁で支えた妄想を積み重ねただけです。
桐山氏のお得意の求聞持脳を駆使しても、妄想は現実にはなりません。
ノストラダムスの大予言で世間をお騒がせした作家たちはたくさんいます。
自分がアンゴルモアの大王だ、恐怖の大王だと名乗ったのは桐山氏一人でしょう。
トンデモ・ノストラダムス本の中でも桐山氏の本は群を抜いた特異性があります。
この本には、これまでの桐山氏の本と比較しても、奇妙な特徴がありました。
- 894 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/22(木)
21:02
「一九九九年七の月」 31.ひとり盛り上がる桐山氏
この本は、ここ数年の焼き直し本と違い、大半が書き下ろしでした。
それだけに、奇妙な文章が目につきました。
****************************
解くと同時に、愕然とした。次いで、唖然とした。
わたくしは憮然とした。「おれが恐怖の大王か」大声で私は笑い出してしまった。
その瞬間である。ビカリと頭にひらめいたものがあった。そうか!そうだったの
か!一瞬、おどりあがりたい気持ちだった。
忘我の瞬間。何もかも忘れて、無心になる。その刹那、「あ!」それは来た。・・・
仏像?と瞬間、思った。「ちがう!」とわたくしは思わず叫びそうになった。・・・
その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。・・・私は絶息、絶心していたか
もしれぬ。・・・
・・・わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。「なぜ?なぜ?なぜ?」と。
わたくしの頭は、急速に回転した。「そうだ!復活祭だ」私は思わず、大きな声で
叫んでいた。躍り上がって、叫んでいた。
****************************
愕然、唖然、憮然、瞬間、一瞬、忘我、刹那、戦慄、沸騰点、絶息、絶心などの
多用で、一人で感情的に盛り上がり、笑い、叫び、躍り上がっています。
こういう盛り上がる場面は昔の桐山氏の本にもありました。
18年前の本では、白銀のバイブレーションとアルゴルモア大王の謎解きです。
しかし、せいぜいこの2つ程度なのに、この本ではこの技法を多用しています。
何とか読者を自分のペースに巻き込もうと必死の様子が見えます。
だが、おじいちゃんが一人でフィーバー(古い!)すればするほど、読者は白けます。
桐山氏ほどの、人をだます技法にたけた人の文章にしては、ずいぶん稚拙です。
なぜでしょうか。
- 1032 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/24(土)
20:46
「一九九九年七の月」32. なぜ?なぜ?なぜ?
これには二つの解釈が可能です。
一つ目は、桐山氏が読者を丸め込もうと四苦八苦した痕跡であるということです。
実際には、老化と脳梗塞で、読者をだませる能力がなくなってしまったのです。
丸め込もうとしたという点では、デキの悪さに目を覆いたくなる惨状です。
18年前の桐山氏なら、もっと上手なウソを書いたでしょう。
二つ目は、ここで描かれた桐山氏は、そのままの桐山氏であるということです。
老人には新陳代謝の低下や脳細胞の減少で、おだやかになるタイプがあります。
また、欲望や感情がむき出しになるタイプがあります。
理性を司る大脳新皮質の衰えで、押さえられていた欲望と感情が出てくるのです。
桐山氏も、脳の老化で、感情のコントロールが効きにくくなっているのです。
桐山氏の主たる欲望である名誉欲がむき出しになり、一方で、感情のコントロー
ルが効かなくなり、飛んだり叫んだりしているのです。
この二つは結局、脳の老化です。
老化して、隠すことができなくなって現れた桐山氏のあるがままの姿です。
桐山氏はかつてアナゴンというブッダに次ぐ聖者になったと宣言しました。
しかし、露出したアナゴンの姿は、自分を一角の人物として誇示したいという、
本能がもたらす名誉欲にとらわれた、ありふれた老人です。
重要なのは、桐山氏が老化して変わったのではなく、本当の姿が出てきた点です。
若い頃の桐山氏と、老化した点を除けば、何も変わっていないのでしょう。
これが桐山氏の元々の姿であり、今の姿であり、ほんとうの姿です。
これが桐山氏の言う心解脱した聖者の姿です。
- 1115 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/26(月)
20:44
「一九九九年七の月」 33.祇園精舎を日本に移す
桐山氏は、18年前の本「一九九九年カルマと霊障から脱出」で
「もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね」
と述べています。
この地とは祇園精舎とそこにあるミラクルの池のことです。
地球壊滅の時、祇園精舎にもう一度来い、と釈迦から言われたというのです。
地球と人類を救うため、桐山氏は祇園精舎に行き、釈迦を日本に移すという重
大な使命を負ったのです。
桐山氏は釈迦から直々にこの指示を受けました。
この使命を桐山氏に託したのですから、釈迦は桐山氏を高く評価しているのです。
釈迦みずから桐山氏を自分の後継者として選択したのです。
釈迦の真の法を受け継ぐ唯一人の弟子としてのまぶしい桐山氏がそこにあります。
釈迦は、自分の法を体得した桐山氏にすべてを託したのです。
釈迦の期待を一身にあびる桐山氏の姿はなんと輝かしいことでしょう。
1999年、祇園精舎から釈迦を背負い、阿含宗の総本山にお招きするのです。
そして、阿含宗の総本山は、釈迦仏教の祇園精舎になる予定でした。
しかし、桐山氏は1999年にインドに行ったとき、祇園精舎に行きませんでした。
18年前に本に書き、各地で講演し、映画で大宣伝したのに、行きませんでした。
理由は、インド旅行だけでもきついのに、祇園精舎は田舎にあるからです。
脳梗塞を患っている78歳の桐山氏の体調を考えて、やめたのでしょう。
行かなかったのではなく、行けなかったのです。
桐山氏が祇園精舎に行くだけで当たったことになる18年前の簡単な予言なのに、
自分自身が身動きがとれず、当たらせることすらできない状態だったのです。
こういうのを自業自得か、それとも仏罰というのでしょうか。
桐山氏は自分が作り出した妄想の釈迦すら背負うことができませんでした。
熱心な信者はこの程度の矛盾や腰折れは物ともせず、
「1980年のときすでに釈迦は移された。ミラクルの池は空だ」
「1999年のインドの護摩で成就した」
と必死に桐山氏に頭を合わせます。
- 1190 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/28(水)
20:59
「一九九九年七の月」 34.アンゴルモア大王の誕生日はいつか
1997年1月5日、桐山氏の誕生日に、桐山氏は、
「1999年7月17日の、アンゴルモアの大王の誕生日です」
という文章を、アンゴルモア大王の紋章を入れて信者に配りました。
アンゴルモア大王は、1997年の原稿を送ったことが「よみがえり」、1998年の北
京大学講演が「復活の儀式」で、1999年3月のインドの護摩が「生誕祭」です。
ずいぶん誕生日がたくさんあるが、いずれも1999年7月17日とは違います。
このメッセージを発信したのは、桐山氏が脳梗塞を発病した一ヶ月後です。
もともと妄想癖の強い桐山氏が脳を患い、無意味な妄想霊感が、ドブ川から発生
したガスのようにわき上がるようになっていたのでしょうか。
桐山氏は、二年後に自分がどんな本を書くか予想できなかったのです。
1999年7月にアンゴルモアのお誕生日のお祝いをするつもりだったのでしょう。
普通、よほどの根拠や確信がなかったら17日などと日付まで予言しません。
16日の冥徳祭で総本山にいるし、17日は土曜日だし、次の週は例祭だから、信
者を集めるのにはちょうどいいと、ご都合でこの日に決めたのでしょう。
これを仏からのご霊示か、霊能力でつかんだように発表しました。
ところが、二年後の本で、誕生日の変更を余儀なくされたのです。
自分で決めた妄想の誕生日のお祝いを実行することすらできなかったのです。
自分が出した予言で自家中毒をおこしたのです。
それとも、これは誕生日を祝ってもらえない恐怖の大王からの逆襲でしょうか。
桐山氏は数字に弱いし、責任感も欠落していますから、わずか数年前に自分が出
した誕生日のことなどきれいに忘れて、彼一人はハッピーなのでしょう。
桐山氏の19年に及ぶノストラダムスに事かけた予言お騒がせは終わりました。
いや、天才の名をほしいままにする桐山氏がこの程度では終わりませんでした。
- 1320 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/30(金)
21:15
「一九九九年七の月」 35.何もおこらないことを予言していた
予言が終わった1999年8月、一流新聞に本の広告として次のように載せました。
「本書の著者は、「一九九九年カルマと霊障からの脱出」(一九八一年七月・平河
出版社刊)でノストラダムスの予言を解き、一九九九年七の月には、破壊も破滅も
おこらない、無事に終わるであろうと断定している。」
桐山氏は18年前から、1999年7月には何もおこらないと予言していたというの
です。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」を中学生に要約させれば、1999年の地球
壊滅を説いていると述べるでしょう。
誰がどう読んでも、逆さに読もうが、後ろから読もうが、この本は破壊が起こる
と書いてあります。
それを桐山氏はこの本で、何もおこらないと予言したと言うのです。
「無事に終わるであろう」と予言し、断定していたというのです。
この本だけではなく、1982年の「輪廻する葦」では「三度目の原爆が落ちる」と
述べ、その様子を自分は見えると断言し、1984年の「間脳思考」では「核ミサイ
ルによる地獄の業火」と書き、1995年に出した本でも、40%が横変死すると説き、
信者に、助かりたければ、13人を導けと脅迫するなど、18年に渡って手段を選
ばず、地球壊滅を説き続けていた桐山氏が、実は、18年前から何もおこらないと
予言し、断定していたと新聞広告を出したのです。
- 1411 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/02(日)
20:29
「一九九九年七の月」 36.逆転の開き直り
新聞広告は広告代理店が作ります。
しかし、代理店が、広告主の主張とまるっきり逆のことを書くはずはありません。
この広告は、まるで泥棒の親方が、警察が踏み込んだとたん「おれは前から泥棒
はいかんと主張していた」とにこやかに警察に協力したようなものです。
1999年の予言をはずした五島勉氏のような人たちは、謝罪するか、沈黙しました。
しかし、桐山氏は彼らのような凡人ではないのです。
桐山氏は逆転の発想をもった天才です。
破滅を説き続けた本人が破滅など説いたことがないというのですから、これは普
通の脳の持ち主ではありません。
その前に、普通の神経の持ち主ではありません。
これを仏陀の智慧と称し「21世紀は智慧の時代」という本まで書いています。
常識も世間も理屈もすべて踏み越え、踏みにじったすごい智慧です。
小学生が見ても、桐山氏は詭弁を越えたただのウソツキです。
だが、普通の人にはただの嘘が、熱心な信者には仏陀の智慧に見えるのです。
信者には、桐山氏の仏陀の智慧を批判するのは、浅はかな凡夫の智恵なのです。
そして、桐山氏の言う仏陀の智慧を信じる者だけが残ります。
埼玉の有名先達(指導的信者)の一人は、
「猊下(桐山氏)は毎日進歩し、昨日の猊下と今日の猊下は違う」
と言いました。
昨日と今日の話に矛盾があっても、それは桐山氏の"進歩"だと言うのです。
桐山氏は自分を求道者であると言っていますから、日々進歩しているのです。
桐山氏の矛盾や嘘をリセットしてくれる、これこそ桐山氏の真の弟子です。
つい一年前まで桐山氏が言った事、本に書いていたことなど関係ありません。
どれほどひどい脅迫をしていようが関係ありません。
桐山氏が、18年前から1999年には何もおこらないと予言していたと言えば、そ
の瞬間から阿含宗ではそれが真実であり、桐山氏の宗教上の偉大な進歩なのです。
- 1513 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/04(火)
20:36
「一九九九年七の月」 37.のぞいてみますか?
なぜ、桐山氏はこれほどの大破壊を18年に渡って説いたのでしょうか。
桐山氏には予知能力などありはしません。
たまたま当たった1つを10倍に拡大して覚え、はずれた9つをきれいに忘れる
という超能力を持っているだけです。
簡単に言えば、誇大妄想癖です。
宗教家生命を断ち切られかねない予言を本という文字に何度もしてまで、なぜ彼
はこのばかげた予言に18年間とりついたのでしょうか。
1981年の最初の本でやめておけばよかったのです。
壊滅がいつ来るかは、「現世成仏」にあるように、巧みに逃げていたのです。
桐山氏自身、ほんとうに世紀末破滅が来るかどうかわからなかったからです。
ところが、1995年になってすら「一九九九年七の月が来る」を書いています。
直前の本に、題名にまですれば、自分で逃げ道をふさいだようなものです。
なぜ、このようなバカげたカケに桐山氏は出たのでしょうか。
桐山氏の主張は、地球壊滅も含めて、外の現実世界にあるのではありません。
桐山氏の頭のなかにあると考えるととてもわかりやすいのです。
桐山氏の宗教は、霊能力、超能力、予知能力にあるのではなく、彼の心にある抑
圧と葛藤、自己顕示欲などの欲望から来た妄想だと考えれば、理解できます。
桐山氏の心の中をのぞくと、大破壊を説かざるを得なかった理由がわかります。
聖者様にしては、おおよそ、きれいとはいいがたい心ですが、
のぞいてみますか?
■ここまで2ch「心と宗教」阿含宗という宗教(1)より引用転載編集
http://mentai.2ch.net/psy/kako/945/945075010.html